師匠の面倒を見るのは大変でした
端的に言えば、「大変だった」。この一言に尽きる。
なにが、と聞かれれば、なにもかもだと答えるしかない。
けれど、それでも。
それでも、ステラシアにとって、彼女との生活はとても大切なものだった。
ステラシアを引き取った美女は、
「今日からここがおまえの家だよ。ステラシア……あー、長いからステラでいいね? わたしのことはなんとでも呼ぶがいいさ。あ、でも、おまえは一応、わたしの弟子……ってことになってるから!」
と言って、やたら大きな屋敷の玄関先でポイポイ着ているものを脱ぎ捨てていった。
そらを、後ろから拾いつつ付いて行きながら、ステラシアはここに来て良かったのかと一瞬本気で考えた。
まあ、だからといって外に放り出されれば、行く宛もなく、先立つものもないので、あとは飢えて死ぬだけだ。少し前に、飢えで死にかけたが、助けられてしまった。
助けてくれたエミールには「幸せになれ」と願われた。
それなら、もういちど生を諦めるようなことを、ステラシアはきっと選んではいけないだろう。
「わたしが弟子? なら、あなたはお師匠さま?」
下着姿になった美女が、そのへんに引っかかっていたよくわからない服を着る。
着る……たぶん、着た。
変なところから手が出てきて、慌てて違うところからまた手を出しているのがなんとも言えないのだけれど。
尋ねたステラシアに「んー」とも「あー」ともつかない生返事をし、やっと様になった(ような)格好で、彼女は腰に手を当てる。
「いい響きだね、師匠! じゃあ、それで呼びな! っと、念のため、名前も教えておこうか。わたしの名前はアステール。アステール・フィオナ=…………あー……いや、アステール師匠と呼びなさい」
「アステール、師匠……」
名前を途中で言い淀み、誤魔化すように胸を反らすアステールに、ステラシアは首を傾げながらも頷いた。
彼女の名前が星を指すものだと知ったのは、ずいぶん後――ステラシアが文字を覚え、図書館に通い始めてからだった。
「ステラシア、いい名前だよね。星の子って感じする。なんか、いい研究ができそうな予感ー!」
ステラシアが拾い集めた服を、廊下の奥の部屋にポイッと放り投げたアステールは、そのままステラの手を握ると屋敷中を連れ回した。
ここが食堂、ここが風呂場、この辺一帯が部屋で、この奥が研究室。そこまで言われて、ようやく案内をしてくれていたのだと、気づく。
「でー、研究室の隣の部屋がわたしの寝室。ステラの部屋は空いてるとこ好きに使っていいよ。と言っても、空いてるとこ、そんなに無いかもだけど」
「……え? ここは、ほかにも人がいるの?」
「ん? いや、いないよ? 今まではわたしだけ。これからは、わたしとステラだけ」
じゃあなぜだ。これだけ部屋があるのに。
アステールが言った「ここら一帯の部屋」は雑に数えても十はあるだろう。
一人でこの広い屋敷に住んでいて、なぜ部屋が空いていないのか。
「じゃあ、わたしこのはじっこのお部屋がいい」
意味がわからないながらも、いちばん近くにあった部屋を指差せば、アステールが曖昧な顔をする。
「ここ……? え、ここがいいの? じゃあ、片さないとダメかもなー」
ぶつぶつ言いながら開けた件の部屋は、足の踏み場もないほど物に溢れていた。溢れかえっていたと言ってもいい。
ステラシアは、アステールの開いたドアをそっと閉めた。
その次の部屋も、その次の部屋も、その次の次の部屋も、似たような状態だった。
結局、ステラシアが使えそうな部屋は三部屋しか空いておらず、他はすべてなにかしらの物で埋まっている状態だった。開こうとした瞬間、モノの崩れる音が聞こえて、恐ろしくなってそのまま閉ざした部屋もある。
つまるところ、階段に近い部屋と、研究室に近い部屋から、どんどん埋まっていったらしい。
聞けば、研究の過程でできあがったガラクタや副産物、作ったものの発表の場がなくお蔵入りされた魔法道具に、なんか気になって外で購入してきてしまう場所に困った物。それらが雑に押し込められているとのこと。
なんか気になったってなんなんだ。
「いや〜……そのうち使うよなぁーとか思ったら、近くにあったほうがいいし……でも、今じゃないんだよなぁ、とか思ったら、部屋に置いとくのもなんだし……ね?」
ね? じゃない。
ただ、片付けられなかっただけだろう。
基本的に、与えられなかったせいで物のない部屋で生活してきたステラシアにとって、この部屋の惨状は如何ともし難いものがあった。
「……わかり、ました」
最低限の自分の部屋の支度だけをして――と言っても着の身着のまま連れてこられたせいで、片付けるものもないので、ササッと見つけた掃除道具でホコリを追い出して拭き掃除をしただけだが――、ステラシアは階下の居間でのんびり寛いでいたアステールの前でワンピースの袖を捲りあげた。
「え、なに? なにするの?」
「そうじを、します!」
宣言された内容にアステールの顎がカクンと落ちる。
まだ六歳になったばかりの女の子が大人に対して言うことがそれか。
美麗な顔の中で、アステールの綺麗に整った眉が僅かに顰められる。
「それさぁ、今やらないとだめ? 今日中にはぜったい終わらないでしょ? というか、朝からエミールの家に行って、こっちにとんぼ返りしてきて疲れたのよねー。もうすぐお昼だし? あ、ごはんはそのへんの街で買ってきて食べよう。ついでにステラの服もたくさん買おう」
うん、そうしよう。ソファから立ち上がり、ううーん! と腕を伸ばしながらアステールはコート掛けに雑に引っかけたコートに手を伸ばす。
厨房があるようなのになぜ? と首を傾げるステラシアにも、脱いだばかりのコートを着せてさっさと屋敷を出てしまう。
腑に落ちないものを感じながら、ステラシアはアステールの後を追った。
なぜ、アステールが厨房を使おうとしないかは、すぐに判明した。
翌日以降、拙いながらも掃除に精を出し始めたステラシアは、厨房の惨状を見て固まる羽目になったからだ。
なにをどうしたらそうなるのか、そこここで爆発を起こしたように焦げていて、しかも飛び散った食材が壁にシミを作っている。
「ちょ、ちょっと料理とかしてみようかなーって思ったら、卵が飛んでいって、火柱が上がって、なんかこう……ドッカーン、て……なっただけだし……」
そう言って、厨房の入り口から顔だけ出したアステールがモジモジと指を捏ね回してなにか言っていた。
ステラシアだって、料理などしたことない。そもそも世間一般的には料理をするのはまだ早い年齢だ。だから、賢しらにこうするべきだ、などと言えるわけないのだけれど。
それでも、ステラシアは幼いながらに決意した。
この師匠に料理を作らせては駄目だと。
だからそれも、アステールに向かって宣言する。
だが、そうは言ってもステラシアはまだ六歳だ。ひとりで掃除も料理もこなせるわけがない。
アステールはご覧の有り様なため、どうすればいいか聞いても無駄だろう。
さて困ったぞと悩んだステラシアだったが、師匠はどこまでも師匠だった。
近くの街に住む娘に、週にいちど通いで来てもらい家事手伝いをしてもらっていたらしい。
それを聞いてステラシアは、一もニもなく通いの頻度を上げてもらう交渉をした。
期間限定で一年間、毎日家事を教わる日々。
物で溢れていた部屋は少しずつ見られるものになっていき、厨房は元の状態を取り戻して料理を作れるようになった。
『……アステール様、たぶん、ステラちゃんにお菓子かなにか作ってあげようって思ったんだよ、きっと。まあ、あの方家事全般だめっだめだから、爆発させた時点で諦めたんだと思うけど』
厨房を一緒に片付けながら、通いの娘が含み笑いで言った言葉は、当時のステラシアの胸に温かな波紋を残していった。
おそらく、アステールに真実を問うても、ぜったいに教えてなどくれないのだろうけれど。
そうやって家事をいちから教わって、ステラシアは七歳になる頃にはもう完璧にこの屋敷の家事を回せるようになった。
それでも、ステラシアはまだ幼い。手が回らないときもある。そういうときは通いの頻度を毎日から週イチに戻した娘に手伝ってもらうし、手を抜くべきことも覚えた。
アステールなんかは「いやー、ステラが来てくれてよかったなー。研究捗るし、ごはん美味しいし、服はきれいだし」と言って憚らない。
呆れた目を向けるステラシアに、にっこりと妖艶な笑みを向けるけれど、生活能力が無さすぎてまったく締まらないのに。
でも、だからこそ、ステラシアは自分の存在意義を見つけることができた。
師匠のそれが、最初からステラシアに居場所を与えるためのものだったと、いまならわかる。
わかるからこそ、早く師匠を見つけて、会いたいのだ。言いたいことも、伝えたいことも、確認したいことだってあるから。
アステールがステラシアを連れてきた屋敷は、ガクルック領の西の端、魔の森に近いところにあった。森から少し出て歩いたところにガクルーキアという街があり、手伝いの娘はそこから来ていた。
彼女は、ステラシアが十歳になる前に、やっと結婚するわー! と言っていともあっさりと仕事を辞めていった。
その前年。
ステラシアはアステールに頼まれて、初めてひとりガクルーキアへと足を踏み入れた。
お使いを済ませ、以前いちどだけアステールとともに訪れたことのある図書館で本を読む。文字の読み書きはひと通りアステールに叩き込まれたから問題はなかった。(ちなみに、数字の数え方と計算、貨幣価値は手伝いの娘が徹底的に叩き込んでいた)
そこで、この国の名前を知り、世界のありようを知り、そして――自らの託宣の意味を知った。
「凶星は、災禍の星……。魔獣を生む、魔獣の乙女。星を堕とし、魔を紡ぐ魔女……。国が与えた二つ名は、陰り星の乙女……」
魔獣を生むとはどういうことか。ステラシアにはわからなかった。
まだ、魔獣を見たことはなかった。
けれど、自分自身に特別な力が宿っていることは知っていた。一年前から作り始めた屋敷の畑の中で、傷付いた動物を見つけた日。ステラシアが助けたいと願った瞬間、光が溢れたから。
その光が収まったとき、足元から力が抜ける感覚がして、その代わり傷付いた動物が何事もなかったかのように立ち上がって去っていくのを見た。
アステールにそのことを話したら、渋い顔をされ、ついでに「人前では絶対使うなよ」と釘を刺された。
それなら、この力が凶星の力なのだろうか。
そう思い、本を閉じて自らの手のひらを見つめる。意識をすれば、腹の奥が熱くなり、手のひらに薄っすらと光が集まってくる。
温かく、柔らかな光だ。
自分のことはわからないけれど、これが本当に魔女の力であるとは、ステラシアにはどうしても思えなかった。
そして、自分には圧倒的に知識が足りないのだと思いつく。
どうして、父と母はステラシアに顔も見せてくれないのか。
どうして、あの子はあんなにもステラシアを厭うのか。
どうして、エミールは、アステールは、ステラシアの幸せを願うのか。
どうして、自分はあんな離れに追いやられなくてはいけなかったのか。
考えても、考えてもわからない。
でも、それなら。考えてもわからないのなら、調べればいい。
幸いにしてこの国は、下々の人間が知識を得ることを禁じてはいない。そうでなかったら図書館など作らない。
知識を得る場所は用意されているのだから、自ら知りに行けばいいだけだ。
棚に本を戻し、ステラシアは決意する。
それからステラシアは、用事があるたびに図書館に通い詰めることになった。
アステールはガクルーキアの人々によく知られた有名人だったらしい。
使いでさまざまな店を訪れるたびに、ステラシアはなにかしらのみやげ物をもらう。だから、図書館に行くときは両手に荷物を抱えていくしかない。
小さな少女が荷物に埋もれて図書館の門を潜る。それはガクルーキアでちょっとした名物となっていた。微笑ましいという意味で。
そのせいで、受付の女性にもステラシアは顔を覚えられることとなった。何度か通ううちに、荷物を受付で預かってくれるくらいには。
ついでに門番も、ステラシアがヨタヨタ歩いてくると、何も言わずに門を開けてくれるようになった。
そのどれもにステラシアは毎度「ありがとうございます」と笑顔で言うものだから、受付嬢も門番も癒やされていたことを、ステラシアはいまでも知らない。彼女たちが、いまだに後悔しているということも。
アステールは、ステラシアが図書館に通っていることに気がついていた。けれど、それを止めるつもりなど微塵もなかった。
だって知識は、きっとステラシアに必要なものだと思ったから。
知識はあればあるだけ役に立つ。吸収したそれは、いつかステラシアを助けるものに必ずなると、確信していたから。
――己がそうであったように。
彼らに出会ったのは、ステラシアが九歳になった、春の終わりの頃だった。




