奇跡とは
そろそろスマホで文字打つのが辛くなってきました…
魔獣の討伐は、またたく間に終わった。
はぐれて襲いかかってきた魔獣は、スターリアという少女のそばから離れなかった例の魔法騎士が、風で威力を増した炎を操って迎撃していく。それを、マリンが星の力をぶつけて浄化し止めを刺す。
離宮全体の場の浄化は、アルトラシオンと、「まったく、しかたありませんわね」とボヤいたユーフィリアが行った。
とても強く、生命力を感じさせる、美しい炎の力だった。
けれど……。
「誰か! 治癒と浄化を……!」
「……いや、だが、これは」
騎士たちが集まり、叫んでいる方へ、ステラシアたちはそろそろと近寄っていく。
ローゼリアの護衛騎士は止めようとしていたが、振り切られてしまっていた。
窓辺にいちばん近いところだった。吐瀉物がある。おそらく、最初に耐えきれなかった人物だろう。
太った腹が横から喰い破られ、中身が溢れていた。ローゼリアがビクリとして歩みを止める。「だから言ったでしょう!」と小声で叱る護衛騎士に支えられて、離されていく。顔が、真っ青だ。
それ以外の、マリン、ステラシア、そして高貴な身分であるはずのユーフィリアも、躊躇なくそこへ近づいていく。
片足と、片腕が喰いちぎられていた。
瘴気に触れた傷口が、黒く変色しドロドロと融けていっている。
「酷いですわね」
「そうですね……ちぎれてしまった手と足は戻せないと思います」
「まぁ、でも、浄化して治癒するくらいならわたくしたちでなんとかなりますわね」
マリンとユーフィリアの会話に、ステラシアは入れない。時間をかければ、もしかしたら欠損部分を戻すことができるかもしれないが。いかんせんステラシアも人間の四肢欠損を治癒したことはない。
明るい炎が、倒れている男性の傷口を包んだ。黒く淀んでまとわりついていた瘴気が炎に触れて消えていく。ユーフィリアだ。
明け星の乙女の得意とするものは浄化の炎。それなのに、焼き尽くさずに瘴気だけを浄めていくコントロールは凄まじいものがある。会場の壁も焦がさなかったし。
これがアルトラシオンだったなら、おそらく東の離宮自体が焼け落ちていた。
「瘴気の侵食は治まりましたね……このまま傷口を治癒します。……が、片足と片腕はどうしても、もう……」
男性の傍らに膝を突いたマリンが、最後の言葉を濁す。続く言葉を理解している騎士たちは、みな沈痛な表情で押し黙った。
「……アルトラシオン殿下、治癒します」
いつの間にか、ステラシアの傍らにアルトラシオンの姿があった。事後処理を言いつけたあと、こちらに駆けつけたらしい。そばにはアストリオルの姿もある。
マリンの、よろしいですよね? という確認に、アルトラシオンは無表情で頷いた。
その横顔を見上げて、ステラシアは少しだけ体を彼のほうへと寄せた。
この男性貴族はもう虫の息だった。ここで治癒しなければきっと死ぬ。けれど、ここで治癒すれば不自由ながらも生きられる可能性がある。
いままで彼は、こういう状態の人間をずっと殺し続けてきたのだと思う。
いま、この無表情で状況を見ているこの第一王子がなにを考えているのか。それをどうしても知りたいと、ステラシアは思った。
「では、いきま……きゃっ!?」
「どきなさいよ」
「スターリア! なにしてる、やめるんだ!」
治癒を開始しようとしたマリンが、横から細い腕に押しのけられた。代わりに腰を下ろしたのは、先ほどステラシアを糾弾した少女だ。
後ろから走ってきたあの魔法騎士が連れ戻そうとするのを、彼女は嫌そうに振り払う。
集まってきていた騎士団の中から、「エミール部隊長じゃないか?」という声が聞こえてくる。
エミール。
その名前が、ステラシアの中のなにかに引っかかる。
ズキン、とこめかみがまた痛んだ。
「見てなさいよ、お姉さま。わたくしが慶星――聖女であると、教えてあげるから!」
金の瞳が、ステラシアを射抜いた。彼女が叫んですぐ、強烈な光がその手のひらから放たれる。
少女の瞳がギラギラと輝いていた。
奇跡が行使されていた。失われたはずの片手と片足がスルスルと生まれ、破れた腹に内臓が綺麗な状態で戻り塞がっていく。
その瞬間を、誰もがみな目撃していた。
国王だけではなく、ステシア神殿の長でさえも。
光が収まったとき一拍置いてから歓声が上がった。
倒れている男性にはもう傷一つない。か細かった吐息も、いまはもう普通の呼吸を取り戻している。
ふふん、と勝ち誇ったような笑いが、少女の顔に浮かんだ。お姉さまにはこんなこと、できないでしょ? とその表情が言っていた。
このとき、会場中の生花が、庭の木々も含めて一斉に枯れていたことを知る者は、誰一人としていなかった。
いや、知っている者はいたのかもしれない。
スターリアの横で顔面蒼白になっているエミールと呼ばれた騎士と、それから、ステラシアから少し離れたところにいた若い男は。
「醜悪だな」
誰に聞かせるでもなく、思わず漏れたような声にステラシアはノロノロと顔を上げた。
緩くウェーブした焦げ茶色の髪をした青年だった。スターリアを向いていた視線が、ステラシアへと向く。翠緑色のガラス玉のような瞳が、感情もなくステラシアを見る。どこかで見たような、色だ。それがスッと伏せられた。
そしてまた、「醜悪だ」と呟いた。
その言葉に、心臓が嫌な音を立てて、跳ね回り始める。
「ねぇ、お姉さま? わたくしが聖なる星で、お姉さまが陰り星だって、いい加減わかった?」
「スターリア、それは違う。いいから、やめるんだ」
「なんなのよ、お兄さまは! 託宣でそう言われたのだから、そうに決まっているでしょう!?」
ざわりと周囲がざわめいた。少女の高い声は、どこまでも響く。
ユーフィリアが「耳がキンキンしますわね」と言って、片耳を押さえたのが視界の端に映る。
二階には、今日この場に招待されていた貴族たちが避難のために集められていた。
国王は、護衛に守られ座っていた場所から一切動いてはいない。元より会場中が見渡せる場所だ。おそらく、スターリアが男を癒やしたところもすべて見ていただろう。
「陛下! あの小娘が本当に凶星なのでしたら、一刻も早く処分をするべきですぞ!」
会場から届く嗄れた声に、ステラシアの肩がビクリと跳ねる。
クリフォードに助け起こされたマリンが近寄ってきて、ステラシアの手を強く握った。
エミールが完全に血の気を失くした顔で、声のほうに視線を向けている。
神殿長の言葉に、貴族たちからヒソヒソとした肯定の言葉が漣のように広がっていく。
――ああ、また。まただ。またきっと、石が降ってくるんだ。
痛くて寒くて苦しくて熱くて冷たくて痛くて痛くて痛くて……。
「静かに」
ステラシアの前に、漆黒の騎士服が立ち塞がる。ふわりとマントの下に、隠された。
アルトラシオンの声は、叫んでもいないのによく通る。
ピタリと止まったささやき声は、彼の次の言葉を待っているようだった。
「陛下。彼女の身は私が預かります」
「なっ、殿下!? そんな勝手が許されるとでも!?」
「兄上……!?」
焦ったような嗄れた声と、驚いたようなアストリオルの声が聞こえる。
前から手が伸びてきて、マリンに握られている方とは逆の手を包み込まれた。握りしめていた拳をぽんぽんと宥められる。まるで、大丈夫だと安心させるようなそれに、ステラシアは拳を解く。
一本一本絡めるように指を繋がれて、涙がひとつ頬を滑って落ちていく。
「聞こえなかったか? 彼女の身は第一王子宮にて、第一王子である私、アルトラシオン・ディア=ポーラリアス預かりとする。これは決定事項だ」
それは、王子としての宣言だった。
凶星とされた少女を、第一王子が庇護する。
誰もがきっと、第一王子は凶星に誑かされたのだと思うだろう。噂は尾鰭と羽をつけて飛び回り、貴族界中に知れ渡るに違いない。
国王は二階からアルトラシオンを見下ろしていた。普段よりも強い視線を向けてくる息子に、誇らしい思いが湧いてくる。前途はとても多難なようではあるが。
まあ、それも、"恋とは障害が多ければ多いほど燃えるものだから"と思えば微笑ましい。
――さて、どう収拾させるのやら。
「わかった。この件は第一王子にすべて任せよう。――後ほど、話しに来るように」
国王が椅子から立ち上がった。安全の確保された離宮を、騎士たちに囲まれながら離れていく。
その後ろ姿に頭を下げたアルトラシオンは、すぐに他の指示を出す。
「誰か、男爵を王宮医のところまで運んで経過を見てやってくれ。それから、アストリオルは魔法騎士とともに離宮の修復と、招待客たちの見送りを。うちの騎士たちは、そちらのご令嬢を丁重に王城の客間までお連れしろ」
「は!」
丁重にと言いながら、令嬢ひとりに十人も騎士をつけるのは、「決して逃がすなよ」と言っているのと変わらない。
アルトラシオンの指示に従って、騎士たちがバラバラと動き出す。
散乱した一階の物が片付いたところで、招待客たちが降りてくる。
アルトラシオンは、その場から動かず紳士淑女たちを送り出す。
「さて、エミール・ロジェ=アクルークス魔法騎士団第二部隊長」
「はい」
「貴殿にも、王城へ向かってもらいたいのだが」
「……騎士団総括団長のご命令とあらば。ですが、家のことが心配なので、手紙で指示を出すくらいは許していただけると」
「別に、監禁するわけじゃない。少々話を聞きたいだけだ。だが……いまは無理だろう。落ち着いてから、な。それまでは私と話をしてもらおうか」
少しだけマントを持ち上げたアルトラシオンは、背中に張り付いたステラシアを見て苦笑する。
滅多に見られない第一王子の柔らかな笑顔だったが、エミールにとってはそれどころではない。
妹のスターリアは早々に連れて行かれた。
いまここに、彼を独占して止めようとする者はいない。
スターリアと自分とよく似た……しかし銀色にも見える少女の髪を、懐かしい思いで見つめる。その頭を、昔のように撫でてあげたいと思った。ピクリと右手が動く。
けれど、エミールはどこまでも理性的で、常識的だった。アルトラシオンの言葉に、衝動を抑え込み小さく頷く。
「ステラシア……無事で良かった。ずっと、探していたんだ。また、こんどゆっくり話そう。私は……いや、また、な。殿下、ここの事態の収拾にあたってから、王城へと参ります」
「ああ、話は通しておこう」
深く騎士の礼をしてから去っていく男の背中を、ステラシアはアルトラシオンのマントの陰からじっと見つめていた。
エミールの後ろを、あの焦げ茶の髪の青年も追いかけて去っていく。その青年をウィルフレッドが呼び止めているのを、不思議な気持ちで眺めた。
――ズキリとまた、頭が痛む。
「さて、ステラ……出ておいで。いっしょに第一王子宮へ戻るぞ」
「もどる……もどって、いい、の……?」
幼い言葉を辿々しく紡ぐステラシアの頬を、アルトラシオンの指先が拭った。
「当たり前だろう? ステラがいないと、誰が俺の身支度を手伝ってくれるんだ?」
そう言ったアルトラシオンが、マントを広げて身を屈める。
外の目を遮断した暗闇の中で、唇だけがやけに熱かった。いちど離れ、再び触れる。二度、三度と啄まれ、ステラシアはとうとう意識を保てなくなった。
ズルリと力の抜けた体を、逞しい腕が抱き留める。
「ステラ!」
焦った声がステラシアをさらに深く深淵へと沈めていく。
◆ ◆ ◆
気を失ったステラシアを抱え、アルトラシオンは第一王子宮へと戻ってきた。
クリフォードもマリンを伴って戻ってくる。彼女はすでにドレスを脱ぎ、いつものお仕着せ姿だ。
イアンはミザーリ侯爵家に立ち寄っているらしい。何をしに行っているかは粗方予想はできているので、そちらは捨て置くことにする。用が済めばそのうち戻ってくるだろう。護衛としての任務を放り出す男ではない。
ウィルフレッドは、エミールに付いていた焦げ茶色の髪の男になにやら用があったようだ。
(知り合いのようだったが、あの男の雰囲気は、アレは……)
顎に手を当てて、考える。
そして彼は疲れたようにため息をついた。
東の離宮をアストリオルの指揮下に戻し引き揚げてくるときのことを、思い出してしまったのだ。
アルトラシオンの馬車に、ローゼリアが乗り込んでこようとした。締め出され可愛らしく文句を垂れていた彼女は、護衛騎士に目配せしてそのまま引き取ってもらった。
近衛もあれでは大変だな、と同情したのだが、それを統括しているのが自分だということも思い出して少しへこんだ。
どうしてあんなにお転婆に育ってしまったのか。
「マリン嬢、ステラのことを頼む」
頭を一つ振って、アルトラシオンはステラシアの部屋へと足を踏み入れる。
パチンとマントの留め具を外した。それをふわりと眠っている彼女の体へとかけて、包み込む。
窓から差し込む星灯りで銀色に見える髪をゆっくりとかき上げ、額へと唇を付ける。
それは、親が子どもに贈るおまじないのようなものだった。
――かわいい子。ゆっくりおやすみ。いい夢を。
アルトラシオンのマントの中に顔を埋めたステラシアが、小さく何かを言った。その声は、他の誰にも聞こえなかったけれど、彼にだけは筒抜けだった。
「は……かわいいな。本当はずっとここにいたいが、そうも言ってられん。――行ってくる、ステラシア」
形の良い頭をゆっくりと撫でる。絹のような髪がさらりと指の隙間を通って流れて落ちていく。
扉の前で待っていたらしいマリンに、ステラシアを預け、アルトラシオンは第一王子宮を後にした。
【魔獣】
見た目は大型の獣。
特に狼に似ている。
が、黒い靄に覆われ、腐敗臭がする。
吐き出される呼気は毒。
体液も毒。
瘴気は空気を汚染し、人を蝕み、肉体を骨まで溶かし、たとえ傷だけ治癒したとしても侵食し続ける。




