お茶会のゆくえ
ローゼリアに招待されたお茶会は、完全にステラシアのためだけのものだった。
薔薇だらけのこの空間は、来客用の部屋なのかと思ったら、この目の前の王女殿下の私室なのだという。
そんな恐れ多い場所に喚ばないで欲しい、などとは言えず、ステラシアは勧められるままにティーカップに口を付ける。
本来なら、この茶会の主あり上位の立場であるローゼリアが口にしてからステラシアが手を付けるべきなのだろうそれも、目の前でにこにこ笑いながら期待に目を輝かせている彼女を前にしたら、どうでも良くなってしまう。
そもそもローゼリア自身が「作法なんてどうでもいいのよ!」と言う始末だ。だんだん、ステラシアも身構えているのが馬鹿らしくなってきた。
「これ、とても美味しいです。あと、いい香り……薔薇ですか?」
ひと口飲んだ紅茶は、とても優しい味がした。香りも鼻を通り爽やかに抜けていく。ふわりとした芳香は、招待状の封筒に入れられていた薔薇の花弁とよく似ている。
部屋中に薔薇があるのに紅茶の香りがわかるのは、室内に風魔法の魔法道具を設置しているからだとか。匂いだけを吸い取り、清浄な空気を放出する、循環器のようなもの。
生けてある薔薇に近づけば香りがわかるけれど、離れていれば気にならない。噎せるような香りを感じられないのはそういうこと。
見た目はとても華やかではあるのだが。
「ええ。アスターローズを南部産の茶葉にブレンドしてみたの。気づいてくれて嬉しいわ」
ピタリと、ステラシアの動きが止まる。
ローゼリアは、そんな彼女に気が付かず、皿の上にあるクッキーをつまんでステラシアへと差し出してくる。
「はい。こちらもどうぞ? このジャムもね、アスターローズで作ってもらったのよ」
「アスターローズで……」
差し出されたものを拒むわけにもいかず、ステラシアは小さく口を開ける。差し込まれたそれを齧ると、仄かな甘さと薔薇の芳香に包まれて舌が蕩けそうだ。
「おい、しい……」
「あら、良かったわ! わたくしもおいしいとは思ったのだけれど、口に合わなかったらどうしようって、ちょっとドキドキしていたのよ」
ならもっと食べてね、とステラシアが齧ったクッキーをまた口元に押し当てられる。
それを何度か咀嚼して、ステラシアは少しだけ遠い目をした。
――この状況、一ヶ月ほど前にも経験したような気がする。
なんだか段々、ローゼリアがアルトラシオンに見えてくるステラシアだった。
「ローゼ様とアルト様は、なんだか似ていますね……」
思わず飛び出してしまった言葉に、ステラシアは慌てて口元を手で押さえる。
ローゼリアはキョトンとしたあと、まるで花がほころぶような笑顔を見せた。
「ほんとう!? わたくし、シオンお兄様とあまり一緒にいないから、そんなこと言われるのは新鮮だわ! ねぇ、ステラ。どのあたりが? わたくしとお兄様、どのあたりが似ているのかしら!?」
(わたしに給餌してくるところです……なんて口が裂けても言えない!)
ワクワクしているローゼリアに曖昧な笑みを浮かべ、ステラシアは答えに戸惑ってカップを傾ける。
「そうです、ね……その、なんというか……た、楽しそうなところ、が……?」
しどろもどろで言葉を紡いだステラシアに、ローゼリアがポカンとした表情を見せる。両の手のひらで口元を押さえ、何かをつぶやいた。
「シオンお兄様が、楽しそう……?」
「……?」
「リオルお兄様ならわかるのだけれど、シオンお兄様が楽しそう……?」
「あの……ローゼ様?」
「ねぇステラ。わたくし、ステラと一緒にいるときのお兄様を見てみたいわ」
ヒタリと真剣な眼差しを向けられ、ステラシアの喉が鳴った。
なにをどう考えてその発言となったのか、ちょっとよくわからない。
「ええと……アルト様が良いと仰れば、わたしは構わないと思いますが……?」
首を傾げるステラシアを、ローゼリアはまじまじと見つめた。
カタン、と椅子の脚が床を擦る音がする。気がつけば、ふたりの座る距離がほとんど無くなっている。膝と膝がくっつきそう。
「ステラ……お兄様に伝えてちょうだい」
そっと、ほっそりとした滑らかな両手が、ステラシアの片手を包み込む。
荒れたことのなさそうな指先は白く、細く、綺麗だ。家事を引き受け、師匠とふたり森で生活していたステラシアの指とはなにもかも違う。これでもマリンに手入れをされて治ってきたほうではあるけれど。
ローゼリアの手は柔らかかった。よくマリンとも手を繋ぐが、彼女は(魔法騎士と言えど)騎士だからか、その手は令嬢のものとは少し違うのだ。
「そういえば、ステラはお兄様のことを、愛称で呼んでいるのね」
アルトラシオンになにを伝えるのかわからず固まっていると、ローゼリアの話がまた飛んでいく。
けれど、その一言に、ステラシアは息を呑んだ。
(しまった……うっかり呼んじゃった!)
いくら、アルトラシオンから「そう呼ぶように」と言われたからといって、ステラシアは外では気を付けていたというのに。
ローゼリアが身分など関係なく、グイグイ来るから気が抜けてしまっていた。その距離の詰め方がとてもアルトラシオンに似ているから。だから――。
「あっ、違うのよ! 責めているわけじゃないの。お兄様にそう言われたのでしょう? お兄様、心を許した人には少し態度が違うのよ。わたくしたち家族にもあまり素の姿を見せてはくれないのに」
「……え?」
そう言って、ローゼリアが少しだけ寂しそうに笑う。
そして、前回の夜会でアルトラシオンに連れられて王族へ挨拶にいったことを思い出した。
確かに、アルトラシオンは家族の前で穏やかな仮面を被っていた。本来の彼は、もう少し――
(気品があるのに気さくで砕けていて、少し強引ででも優しくて……楽しそうに笑うときも、包むように笑ってくれるときもあって。ただ、少しだけ寂しそうで……)
「お兄様はきっと、わたくしに負い目があるの。わたくしがお母様のお腹の中にいた時に色々あって、わたくしの力はとても弱いから。それでも、普通の人よりは強いのよ? でも……お兄様はそう受け取らなかったのだわ」
だから、家族だとしても、距離を取る。心の内を見せずに、表面だけで穏やかに接しようとする。
第一王子は笑わない。冷血な死神だと言われることに、妹として家族として心が痛むけれど、関わらないように距離を取られてしまってはどうすることもできない。
唯一、気安く接することを許されて側に置いていたのは、幼馴染で騎士仲間のふたりだけ。それが、イアンとクリフォードだ。
ウィルフレッドは、自ら仕えるべき主を決める一族の者で、アルトラシオンにとっては友というより部下に近い。ウィルフレッド自身も、アルトラシオンのことを友ではなく"主"として接しているだろう。
「だから……シオンお兄様があなたを受け入れて、それも夜会のパートナーにまで選んで連れてきたことに、とても驚いたのよ」
「それは……」
あの執務室以外の人には言えない、ふたりだけの契約があったからだ。
師匠を探し出す代償に、アルトラシオンの側仕え(夜会のパートナーも含む)になること。
いまにして考えれば、目的と対価が釣り合っていないような気がしないでもないけれど。
「ステラと一緒にいたときよりお兄様はね、わたくしから見てもすごく楽しそうで、嬉しそうで……だから、わたくし、あなたとお友だちになりたいと、そう思ったの」
「ローゼ様……」
ステラシアの片手を握るローゼの力が強くなる。
アルトラシオンとよく似た、少しだけ薄い色の瞳がステラシアを見つめてにっこりと微笑む。
その優しい笑みが、いつかのアルトラシオンと似通っていて、ステラシアは束の間息をするのを忘れた。
「ねぇ、ステラ。……シオンお兄様のこと、好き?」
「……ふあっ!?」
変な声が、出た。
声を抑えて笑うローゼリアが、手を離してティーカップにに手を伸ばす。少し冷めてしまっただろう紅茶に口を付けて、優雅に傾けた。所作が、やっぱりとても綺麗だ。
「ステラがね、お兄様を好きになってくれたら嬉しいなって、わたくしは思うのよ。ステラがわたくしのお義姉様になってくれるなら、大歓迎よ」
「ろ、ロロロ、ローゼ、様……?」
それは、あまりにも荒唐無稽な話ではないか。
「あら。お父様……陛下は、わたくしたちに『自由に恋愛をしなさい。伴侶もあんまりな人間じゃなければ誰で構わない』と仰っているもの。大丈夫よ?」
(なにがですか!?)
陛下は跡継ぎ――この場合の跡継ぎは王位継承者のことだが――のことをどう考えているのだろうか。
ゆくゆくは、アルテラシオンもアストリオルも、ローゼリアだって、然るべき家から然るべき相手を迎えるに違いないのに。
そんなことを言われたら、この胸の奥に燻っているこの感情が育ってしまう。諦めるという選択肢を失くしてしまう。
いまのところ、国王が王太子を決める様子はない。アルトラシオンは第一王子で、アストリオルが第二王子。
そして、万が一にもローゼリア第一王女が王太女になる可能性も、ないわけではない。
そんな状態だから、星の名を冠する高位貴族はまだしも、下位貴族たちは誰に媚を売ろうかと虎視眈々と狙っているというのに。
先日の夜会での様子を思い浮かべて、ステラシアの胸が小さく痛む。
「ね、ステラ。シオンお兄様のこと、好き?」
無邪気な笑顔で見上げられ、言葉に詰まる。
諦めなくてもいいのだろうかと、淡い期待が胸に湧き上がってくる。
――もしも、未来の国王の伴侶が平民でも、この国は認めてくれるのでしょうか?
喉まで出かかった言葉を、ステラシアは紅茶とともに飲下す。
そっと、ステラシアのデイドレスの袖が引かれた。ねぇ、教えて? と薄紫の瞳が問いかけてくる。
窓からの陽射しがローゼリアの淡い金髪を緩く照らし、輝かせた。
「あの、それは……その、」
脳裏に、自分を見つめる銀混じりの紫の瞳があった。
ローゼリアの長い金髪が、アルトラシオンのそれと重なった。
大きく硬い指先が、優しくステラシアの銀にも金にも見える髪を耳にかける。お姫様のようには綺麗でもない指先を、少し温度の低い手が捕まえて、熱い唇を落としてくる。
『ステラ』
低い声が甘く耳を擽って、宝物を見つけたときのようにステラシアの名前を呼ぶ。
一瞬で、そんなことを思い出してしまって、かあっと頬が熱くなる。
先日自覚してしまった想いが、隠しきれなくなって表に出てきてしまう。
ローゼリアの表情がにんまりとしたものになった。
「ね、ステラ……お兄様のこと、好き?」
再三に渡り問いかけられて、ステラシアは観念したように小さく頷いた。
「……好き、です」
「きゃあ! ね、ね! シオンお兄様のどこが好きなの!? 教えてくれるかしらステラ!」
「えっ、えぇぇ……!?」
一気に興奮の高まったローゼリアが、ステラシアに迫る。グイグイ来る。
助けを求めて彷徨わせた瞳の先に、マリンが佇んでいた。目を合わそうとしても、合わない。完全にただの使用人で、侍女であるという雰囲気だ。
困り果てたステラシアの視線の先に目をやって、ローゼリアがマリンを呼ぶ。
「あなた……ミモザラス伯爵家の養女である、シスル子爵家のところの星の乙女でしょう? あなたもこちらに来て、一緒にお茶にしましょう!」
ビクリ、と震えたマリンの体を、近くにいたメイドが数人確保した。
ズルズルと引きずられて、マリンが近づいてくる。ステラシアの隣に彼女の席があれよあれよという間に出来上がっていく。
「恐れながら、ローゼリア第一王女殿下。わたしはただの騎士で、今はステラ様の側仕えで護衛です。これは、さすがに……」
「あら、それはお兄様の采配よね? それならあなたもお兄様にとても信頼されているのだわ!」
それなら何も問題ないわね!
はしゃぐローゼリアに、マリンが項垂れた。
そんな彼女の服の袖を、逃げないようにステラシアが掴む。
そもそも、王女殿下に誘われて、マリンが逃げられるわけもなかったのだが。
「では、ミモザラスの……」
「マリン・マーガレット=シスル・ミモザラス、と申します」
「ではマリン! わたくしのこともローゼと呼んでちょうだい」
「…………はい」
溜めが長かった。けれど、マリンは諦めたように頷いた。
「それでね、マリンから見たお兄様とステラの様子を、あなたからも教えてほしいの!」
「ちょっと、ローゼ様!?」
思わず敬意を取っ払ってしまったステラシアを、誰も叱らない。むしろマリン以外はニコニコと三人を見守っている。
あまりにも積極的な第一王女との攻防に、午後のお茶の時間はあっという間に過ぎていったのだった。
◆ ◆ ◆
【備忘録】
〈ポーラリア星王国〉
北の大陸の東側。
同大陸の西側とは、魔の山脈と魔の森が国境となっており、行き来が難しいためあまり交流がない(※船を使うか、死を覚悟で魔の森を抜ければ可能。魔の山脈は越えられない)
国交は主に海を渡った東の大陸のルナティリス月皇国(月の女神を信仰)と行っている。
ポーラリア星王国の王都は中央からやや北側に位置し、冬はそれなりに厳しい。王都の北側には北の魔の山脈がそびえ、北部領を治める大公は騎士団出が多い。強くないと務まらない。
また、王都の西側も魔の森、魔の山脈に接している領のため、侯爵領、辺境伯領は魔獣に対応できる強者が多い。
逆に南、東側は海に面しており貿易が盛ん。内陸部は穏やかな者が多い。その分、魔獣への対抗が弱い。




