遠征地にて
部屋に戻ったステラシアは机の上にバスケットを置くと、ソファへ身を投げだした。ふかふかの座面はステラシアの体を悠々と受け止め、そして沈めてくる。
力の抜けた体はずぶずぶと深く埋まってしまいそうだった。
(お茶会、する気になれない、な……)
室内には、マリンしかいない。イアンは扉の外に立っている。誘えば入ってきてくれるかもしれないけれど、今はその距離感がありがたい。
ぼんやりと机の上のバスケットを見つめていると、その手前にひとつのカップが置かれる。
「ステラ様。こちらを飲んで、少し落ち着きましょうか」
マリンが、丁寧な手付きでポットから茶を注ぐ。いつの間にか淹れていたらしい。
湯気がふわりと漂って、甘い花のような香りが鼻腔を擽っていく。
「……わたし、落ち着いてますよ?」
「まぁまぁ、そんなことを仰らずに」
不思議そうにマリンを見るステラシアに、彼女は声を出さずに微笑んで、ティーカップを静かにステラシアへと差し出した。
せっかく淹れてくれたものをそのまま放置することなど、ステラシアにはできない。
しばらくマリンの顔を眺めていたステラシアだったが、一切引く気のなさそうな彼女の表情を見て、諦めたようにカップへと手を伸ばす。
「……おいしい、です」
「良かった。せっかくですし、ステラ様が作られた焼き菓子も出してしまいしょう? どうします? イアン様をお呼びしますか? それともわたしも外に出ましょうか」
甘い花の香りに、舌の上には微かな柑橘の味。爽やかなのにまろやかな味わいに、ステラシアの肩からふと力が抜ける。ゆっくりと、首を振った。
「マリンさん、あのね……」
言い淀んで見上げたステラ付き側仕えは、柔らかな表情でステラシアを見つめている。
筆頭伯爵五家の令嬢であるはずのマリンは、ただの平民であるはずのステラシアをまるでお姫様のように扱ってくれる。
それが恐れ多くて気まずくて少しだけ恐縮してしまうけれど、それでも対等な人間として扱ってくれることがとても嬉しい。それは、イアンやクリフォードにも言えるけれど。
でも、アルトラシオンだけは――。
「さっきの、殿下の婚約者って……」
視線を落としながら小さく呟いたステラシアの声を、マリンは聞き逃さなかった。
「あら、ステラ様は、殿下が明け星の乙女様を遠征に連れて行ったことに落ち込んでいたわけじゃなかったんですね?」
「えっ、あ……っ、それは……!」
少しのからかいを含んだマリンの声に、ステラシアの頭が勢いよく上がる。その姿にふふふっと笑みを零し、マリンがステラシアの手にそっと手を重ね合わせた。
じんわりと、温かな熱がステラシアの指先を温めていく。
「大丈夫ですよ。確かに、ドゥーベルク公爵家は高位貴族で、明け星の乙女様も殿下と年は近いですし、あの方も殿下方の婚約者候補筆頭と言われてはおりますが……」
「殿下、方……?」
ステラシアの呟きに、マリンがにこりと笑う。
「はい、殿下方です。それも、周りがそう言っているだけで、ご本人様方どころか、陛下だって承知していません」
「え、陛下も?」
そうですよ、とマリンが微笑んでステラシアの指先をきゅっと握りしめた。
「陛下は数年前の夜会の場で『息子たちの伴侶は息子たちに選ばせる』と、公言しましたから」
「ええっ!?」
驚いたように声を上げるステラシアに、マリンが笑って唇に人差し指を当てた。
そのステラシアの声が外にも聞こえたのだろうか。性急なノックの音と同時に、イアンが扉から顔を覗かせる。
心配そうな表情が、ソファで手を握り合っている少女二人を視界に収めた瞬間気の抜けたようなものになって、苦笑しながら扉の外へと引っ込んでいく。
そんな彼を追いかけるようにして、今度はステラシアから扉を開けて、イアンを部屋の中へと招き入れた。
「あの! イアンさんも、一緒にお茶にしましょう!」
「え? いえ、私は……」
「ステラ様! 扉はわたしが開けますから、ステラ様はソファに座っていないと駄目です!」
いつものように、マリンのお小言が後ろから飛んでくる。戸惑ったようなイアンの袖を引いて、ステラシアは彼をソファへと引っ張っていく。
さっきまで、モヤモヤしていた心が、少しだけ晴れたような気がしていた。
「あの、ステラ様……?」
護衛対象にソファに座らされ、カップに注がれた紅茶が置かれる。目を白黒させるイアンに笑いながら、ステラシアはバスケットから焼き菓子を取り出した。
「もう! ステラ様、それはわたしの仕事ですよ!」
横から伸びてきた手に焼き菓子をかっさらわれ、ステラシアはまたしてもソファへと深く腰掛けることとなった。
目の前には守るべき主手ずから注いだ紅茶を前に、どうしようか悩んでいるイアンの姿。ソファの脇にはステラシアのために再び紅茶を淹れはじめているマリンの姿。
もう一脚、余っているティーカップにステラシアがまた紅茶を注ぎ入れて、彼女はマリンの腕を引いた。
「マリンさんも一緒にお茶にしましょう? わたし、イアンさんにも聞きたいことあります!」
ヘーゼルの瞳が大きく見開かれる。
「――仕方ありませんね。今日だけですよ?」
「それで……聞きたいこと、とは?」
マリンが、ステラシアの隣に腰掛ける。向かいから困惑したようなイアンの声が届いて、ステラシアは彼女と視線を見交わした。
そんな二人の様子に小さく息を吐き出し、イアンはステラシアの注いだカップに手を伸ばす。綺麗な所作はさすが侯爵家の令息だった。
こちらも顔に「仕方ありませんね」とデカデカと書きながら、口元を緩めている。
こうして、なんだかちょっと物足りないような、それでも穏やかな日常がどんどんステラシアの中に積もっていく。
(アルト様、怪我してないかな……。早く、)
――早く、会いたいな。
三人で茶菓子片手にアルトラシオンの話をしながら、ステラシアは心の中でこの第一王子宮の主の顔を思い浮かべていた。
◆ ◆ ◆
「――本当に、ずいぶんと辛気臭い顔をしていますのね」
待機所として開放されたシェラリース領主の別邸で、アルトラシオンは窓からただ外を見ていた。
十日の移動工程を経て件の領地に到着してから、今日で六日目。応援要請のあった魔獣の出現は当初想定していたよりも多く、ステラシアに告げた討伐までに五日、という期限は大幅に超えてしまっていた。
また、瘴気に侵された者の救助、間に合わなかった者の葬送に、被災した領地への援助。魔獣の討伐に加えそれらの手配にもアルトラシオンは追われていた。
まもなく、夜が来る。
ここの魔獣は王都に近い都市で真昼に出現するようなものではなく、これまで同様、夜に現れる。それがまだ、彼ら魔獣討伐騎士団にとっての救いだった。
昼間に被災民の救助に奔走し、夜に魔獣の討伐を行う。完全に昼夜が逆転してしまっているが、日のあるうちと闇の支配する夜、一日中いつどこに現れるかわからない魔獣を警戒する必要がないのは、本当に助かる。騎士団の疲労も夜だけで済む。
だからといって、昼間も警戒を怠っているわけではないのだけれど。
「……辛気臭いは、あまりな言い方ではないかな? ドゥーベルク公爵令嬢」
真っ赤な太陽が地平へと徐々に沈んでいく様子を睨みつけてから、アルトラシオンは背後へと振り返る。
豪奢な金の髪を豪快に巻いた派手な少女が、腰に手を当てながらアルトラシオンをヒタリと見据えている。その瞳は、ステラシアよりも明るい瑠璃色だ。
ユーフェリア・ラズリア=ドゥーベルク。ドゥーベルク公爵家の長女で一人娘。もうまもなく王都中央の魔法学院を卒業する彼女は、今年のはじめに"明け星の乙女"を正式に指名された。先代からの要望だった。そして、それに見合う力も持ち合わせている。
彼女は、生まれたその時から国で保護している、星の乙女だ。
学院どころか国中の貴族家の少女たちの規範となるべく育てられた彼女は、優雅に扇を開くと顔の下から半分を隠す。そのまま、すぅっとその大きな瞳を細めてみせる。
薄く口元に笑みを浮かべるアルトラシオンは、彼女のその苛烈な視線もそよ風のように横に受け流す。
「あら。この討伐遠征が決まった時から、明らかに機嫌が悪そうでしたのに」
「それは、あなたの気のせいではないか?」
「……相変わらず、身内以外には大きな猫を被っていらっしゃること」
ふん、と鼻で笑うユーフェリアを、アルトラシオンは穏やかな笑みで見返す。
猫を被っているつもりはない。"身内以外"という彼女の言葉も、甚だ間違いだらけだ。
アルトラシオンは、たとえ父や母、弟妹の前でも己の性格を変えたつもりはない。
どちらかというと、盛大な猫を被っているのは彼女のほうだとアルトラシオンは思う。
「――そんなに、王城に……いいえ、第一王子宮に気になる方がいらっしゃるのかしらね」
「なんのことだろうか?」
口元だけで微笑む第一王子を扇の影から盗み見て、ユーフェリアは見えないところで唇を歪ませる。
「まあ、殿下がなにをお考えでもわたくしはどうでもいいのですけれど。それよりも、さっさとこの討伐を終わらせてくださいな。学期試験があるというのに、このわたくしをこんなところまで引っ張ってきたのですもの。それ相応の見返りがなければ許しませんわよ?」
ツンと澄ました表情でそう言って、ユーフェリアは音を立てて扇を閉じる。
夕日が沈む。まもなく夜がやってくる。騎士たちは、これから命をかけて闇夜へと駆けていく。
その騎士たちを、ユーフェリアもまた寝ることなく待ち続けるのだ。
「いい加減、早く帰らなければ。こんなところでこんな生活をしていたら、わたくしの肌がすぐにボロボロになってしまいますもの。けれどまぁ、ここまで来たからには、要請に応じ力はお貸しします。誰一人欠けることなく、この屋敷まで戻っていらしてください。その後の場の浄化は、あなた様とわたくしがいれば充分でしょう」
「ああ、そうだね」
薄く微笑むアルトラシオンを一瞥し、ユーフェリアはくるりと彼に背を向けた。身に纏った真っ赤なドレスが、宵に反応して灯り始めた魔光燈の光を鮮やかに反射する。
優雅に、そして静やかに去っていく令嬢の後ろ姿を横目で見送り、アルトラシオンは口元に浮かべていた笑みをスッと消した。
「ったく、あいっかわらず、あのお嬢様はおっかねぇなぁ」
「クリフォード……年下の令嬢に呑まれてどうするんだお前は」
離れたところに息を潜めて立っていた赤毛の騎士が、盛大に後ろ髪を掻き回しながら独り言ちる。その表情には、彼女が苦手だと隠すこともなく書かれていて、アルトラシオンは小さく苦笑した。
「――殿下。馬鹿は放っておきましょう。それよりも、魔獣が出現しました」
「早いな」
「おい。馬鹿って俺のことじゃねぇよな? つーかウィルおまえ、怖ぇからその現れ方やめてくれねぇ?」
廊下の影から湧き出るように現れたウィルフレッドに、クリフォードがビクリと肩を揺らす。
気になる発言があった。けれどそれよりも、魔獣のように現れるウィルフレッドの能力が怖い。
眉を寄せ、うっかり柄にやってしまった手を、クリフォードはゆっくりと離す。
――お前が魔獣なんじゃねぇの?
という軽口は、さすがにここでする気にはなれなかった。
たが、恐らくその心中は、アルトラシオンにもウィルフレッドにも、筒抜けなのだろう。
冷たい視線を送るウィルフレッドの隻眼の向こうで、アルトラシオンが呆れたように笑っている。
「まあ、いい。なぜこんなに魔獣が溢れているのかはわからないが、民の生活がかかっている。原因の究明は後回しだ。今は魔獣どもを根絶やしにするぞ」
「はい、殿下」
「りょーかい」
クリフォードには、今回連れてきた第一部隊と第三部隊のうちの半分を預ける。
残りの半分はアルトラシオンが直接指揮を摂る。
星の力を持っているウィルフレッドには、全体の把握と怪我人の治癒を任せた。
窓に手を当てて、その冷たさに眉を寄せる。
(ステラ……)
早く、帰りたい。
遠征に出て、こんなことを思うのは初めてだった。
けれど、いまはそれだけを思う。
早く、第一王子宮に戻り、彼女のあの星空のような瞳に見つめられたかった。
冷たさを振り切るように、窓から手を離す。痺れた指先を握りこんで、黒いマントを翻した。
腰には慣れ親しんだ、剣の重さ。そこに手を当てて、廊下を進む。
「――さっさと終わらせて、さっさと帰るぞ」
「おう」
呟きに、クリフォードの声が返る。
彼にもまた、早々に帰りたい理由があるのだろう。
傍らで、ウィルフレッドが微かに頷いた気配を感じた。
秋の過ぎ去る黄昏星の月はもうすぐ半ばになろうとしている。このままだと、帰る頃には冬の始まりを告げる小夜星の月になってしまっているかもしれない。
気温はどんどん下がってきていた。王都はもうまもなく、雪がチラつき始めるだろう。
南方であるシェラリースの地はそこまで心配はないだろうが、あまり時間をかけると復路は更に時間がかかるかもしれない。
それだけは、避けたかった。
別邸を出て、部隊の半分とともに馬でシェラリース領を駆ける。
見つけた魔獣を片っ端から切伏せて、アルトラシオンは魔力と星の力を盛大に放出していった。
なんか……なんか……昨日ビックリするくらい雪が降って、今日ビックリするくらい積もらなかった…!
ちょっとホワイトバースデーかと期待したのに…裏切られた気分だ←
まぁ、でも、とっても寒いので。皆さまお体に気をつけてくださいませ。




