遠征要請
「ステラ様ー! お茶の時間ですよー!」
間延びした、けれど元気な声が静謐な空間に響き渡り、ステラシアは驚いて顔を上げた。
手元には分厚い本。周囲にはうず高く書籍が積まれ、読み終わった本をイアンが何も言わず、せっせと元に戻している。
ここは、第一王子宮の図書室だった。陽の光が入らないようカーテンを引かれた室内は少し薄暗い。けれど、文字を拾うのに支障がないのは、そこかしこに備え付けられた魔光燈のおかげだ。
「ステラ様。今日のお茶の席には殿下もいらっしゃるみたいですよ」
「えっ!?」
扉からヒョコっと顔を出したマリンが、ステラに笑いかける。彼女のその言葉に驚いて、ステラシアは慌てて立ち上がった。ガタン、と椅子のずれる音がする。
クスクスと笑うマリンに恥ずかしくなり、ステラシアは後ろにずれてしまった椅子を元の位置に戻した。
本を戻しているイアンの肩が微かに震えているように見えるのは、気のせいだろうか。
拗ねたふりをしながら読み終わった本の残りを抱えあげると、すぐさまイアンに取り上げられてしまう。
「こちらは私が戻しておきますから、大丈夫ですよ。それより、読みきれない本はどうなさいますか? 殿下から持ち出しの許可は降りてますので、必要なものは運びますが」
「え、部屋に持っていって良いんですか?」
イアンの台詞に目を見開いて、ステラシアは机の上に積まれた本の背表紙に視線を向けた。
どれも、なかなか手に入らないような、貴重な本だ。そもそも、書籍自体が高価で、平民は読むことすら難しいのだ。文字の読み書きを多少習った者なら、各領地にある図書館に行って読んだりもするが、ここまで高価な本はない。それでも図書館の警備は厳重だったりする。
もちろん、貴族であれば自身の屋敷に蔵書くらいあるだろうが、それでも高価であることに代わりはないだろう。
そんな貴重なものを大量に持ち出すことを想像して、背表紙に触れるステラシアの指先がふるりと震えてしまう。
「ステラ様なら構わないと、殿下は仰っていましたよ」
良かったですね、とニコニコ笑うイアンを、ステラシアは恐怖の瞳で見つめる。
「あ、あの……じゃあ、この一冊だけ……」
読み切れていない本はまだいくらもあったが、ステラシアは取り敢えずと一番上に置いていた書籍を手に取った。
他は、またこの図書室に来て読めばいい。
金銀財宝に匹敵するようなものを大量に持ち歩くのは、怖い。
「おや……全部でも構いませんよ? これくらいなら、重くもないですし」
「い、いえ! もうお茶の時間みたいなので、この一冊だけにしておきます!」
イアンが、自分が運ぶことを前提に話を振ってくるが、ステラシアは大きく首を振った。
いくらイアンが護衛だと言っても、侯爵家の子息にそんなことはさせられない。そも、イアンは護衛なのだ。本を運ぶのは仕事の範疇外だろう。
残念ですね、とちっとも残念ではなさそうな顔で微笑みながら、彼はまだ読んでいなかった本もあっという間に書棚へと戻していった。
図書室を出て、廊下で待っていたらしいマリンとともにティーサロンへと向かう。
廊下の窓ガラスからは燦燦と光が注いでいて、しばらく薄暗い部屋にいたステラシアは眩しさに目を細めた。
先導するイアンも同じ状況だったのになんともなさそうなのは、単に鍛えているからかもしれない。少しだけ羨ましい。
「アル……殿下! あの、お待たせしました」
ティーサロンへと入り、中にいる人物を見留めて、ステラシアは慌てて頭を下げる。
すでにテーブルには色とりどりの焼き菓子が用意されていた。透けるような金髪を射し込む陽の光に煌めかせながら、アルトラシオンがそれらを眺めている。
壁際には、クリフォードが立っていた。ステラシアと目が合うと、小さく手を振り返してくれる。
「申し訳ありません。ア……殿下がすでにいらっしゃるとは思わなくて……」
「いい。そんなに待っていない。だから、こちらにおいで、ステラ」
椅子に腰掛けたまま手を差し伸べるアルトラシオンに、ステラシアは引き寄せられるように近づいていく。
そのまま手を取られ、アルトラシオンのすぐ横の椅子に座らされた。
「あの、殿……んくっ!?」
「ほら、これはお前が作った焼き菓子だろう? 良くできていると料理長がホクホク顔でここまで持ってきた」
口を開く前に、アルトラシオンに口いっぱいに菓子を詰め込まれ、口を塞がれる。
(こ、これ……なんか既視感!)
そうだ。夜会の当日の昼、クリフォードがマリンに対してやっていた。アルトラシオンは、アレよりも容赦がない。ステラシアの口の中が空になったのを見定めて、茶を勧め、口内が潤ったところでまた口元に菓子を差し出してくる。
話がしたくて口を開けば、そのまま高価な砂糖の甘さが舌先に触れ、当然、出すことも憚られるのでそのまま食べてしまうの繰り返しだった。
「……ステラ」
「……ふ、ぅ?」
「俺のことは、なんて呼ぶんだ?」
「…………」
口の中のものを咀嚼して、飲み込み、マリンが注ぎ直してくれたお茶で流し込む。
先日、アルトラシオンとステラシアは、二人で(もちろん護衛付きだが)王都観光に出かけた。その時、彼はお忍びということもあって、ステラシアに"アルト"と愛称で呼ばせたのだ。
昼間なのに魔獣に襲撃されたり、色々大変なこともあったが、楽しかったことを思い出す。
第一王子宮に戻ってきてからもアルトラシオンの過去の話を聞いたりして、観光が終わったはずなのに愛称で呼び続けてしまっていた。
しかし、さすがにそれではまずいと思い、ステラシアはここ数日意識して"殿下"と呼ぶようにしていたのだが……。
アルトラシオンはお気に召さなかったらしい。
「もう、お忍びじゃ、ないですよ。殿下……」
「……嫌だ、と言ったら?」
どこか真剣な様子でステラシアを見つめるアルトラシオンに、恋心を自覚してしまった胸が大きくひとつ鼓動を鳴らす。
紫水晶のような瞳が、濃く、深く、ステラシアに注がれている。
答えられないでいるステラシアの頬に、アルトラシオンは指を伸ばした。ほつれた髪を指先で掬い、小さな耳へとかけ直す。
「俺は、お前に名を呼ばれたい。俺もお前の名をいつだって呼びたいと、そう、思っているんだが」
その、アルトラシオンの言葉に、ステラシアはきゅっと唇を引き結ぶ。そして、おずおずと口を開いた。
「……アルト、様」
目の前で、アルトラシオンの口角がゆるゆると持ち上がる。決して笑うことのないと言われる騎士団の死神が、いつだってステラシアの前でだけはびっくりするほどの笑みを見せる。
その、心から嬉しそうな笑みを見せられてはもう、何も言えなかった。
「それでいい」
これでステラシアは、今後も彼を愛称で呼び続けなくてはいけなくなった。
けれど、そのこと自体を、ステラシアは嫌だとは思っていない。むしろ逆だ。だからこそ、困ってしまう。
(これからも、アルト様のこと、名前で呼べるんだ……)
嬉しいやら、恐れ多いやらで複雑な表情をしているステラシアに喉の奥で小さく笑い、アルトラシオンはまた彼女の前に菓子を差し出した。
今度は、甘くほろ苦い、ショコラだ。
(う、嬉しいけど……どうしよう)
困ったように、それでも差し出されれば口を開けるステラシアにせっせと給餌をしながら、アルトラシオンはクリフォードへと視線を向ける。
小さく頷いたクリフォードが、マリンとイアン以外の護衛や侍女たちを部屋から追い出していく。
「アルト様?」
キョトンとして首を傾げるステラシアに、アルトラシオンが微笑む。
「ステラ。今日は、大事な話があったんだ」
その言葉で、空気がピンと張りつめるのを感じた。
壁際で、イアンとマリンがクリフォードへと視線を向けているのが見える。それに、静かに首を降るクリフォードの姿も。
「南東の、とある子爵家の領地で、魔獣の大量発生が確認された」
「え……っ」
ステラシアの声と被るように、イアンとマリンの体が揺れる。
イアンは元々アルトラシオン付きの騎士。マリンも元は魔法騎士団所属の星の乙女だ。魔獣発生時には真っ先に連絡が行き、最前線へと駆り出されていたのだろう。
それが、今回は情報が後回しになった。おそらく、ステラシア付きへと配置換えをされたせいだ。
「子爵家から現状報告と救援依頼があったのは、つい先ほどだ。すでに陛下にも報告は上がっていて、魔獣討伐騎士団に正式な討伐要請が下った」
「それ、は……」
「俺は、騎士団の総括団長ではあるが、本来は魔獣討伐騎士団の団長だ。だから……しばらく留守にする」
淡々と告げられる内容に、ステラシアはアルトラシオンを見つめた。
彼の、過去の話を聞いたのは、つい数日前だ。
その時、この第一王子がたくさんのものを失ったことを、ステラシアはもう知っている。
だから、少しだけ、怖かった。
それに――。
膝の上で握りしめた拳を、ステラシアはじっと見つめた。
「クリフォードは、俺と一緒に前線へ出る。イアンはステラシアの護衛で残れ。マリン嬢、貴女もだ。ステラの世話をしてくれると嬉しい。それから、ウィルフレッドは……まあ、好きにすればいい。お前のことは縛らないと決めている」
「……そこは、縛ってください。殿下。――俺は、もちろん殿下に付いていきます」
今まで姿の見えなかったウィルフレッドがいつの間にかアルトラシオンの背後に立っていて、ステラシアはビクリと肩を揺らした。
いきなり出てくるのはやめてほしい。心臓がもたないから。
「お話中に失礼いたします。討伐遠征であれば星の力を持った者――特に遠方の場合は星の乙女の力が必要になると思いますが、今回はどうなさるおつもりですか?」
壁際から、マリンが真剣な表情でそう言った。
それに、イアンも頷いている。そして、ステラシアもそのことは少し気になった。
大量の魔獣が出たということは、怪我人も、瘴気に蝕まれた人も、多く出るということ。通常の怪我と違う、"魔獣による怪我"には、星の力が不可欠だ。それも、星の力を少しばかり持ち合わせているような者では足りない。
せめてマリンほどの力を持った星の乙女がひとり乃至ふたり、もしくは神殿で保護している平民の星の乙女を、数名連れて行く必要があるのではないだろうか。
もしも、神殿に星の乙女の出征要請を出すのであれば、きっと数日は必要になる。
こういうときに、魔法騎士団所属の星の乙女であるマリンは、きっと使い勝手がいいのだろう。
「それは……まあ、一応考えてはいる。マリン嬢は気にせず、ステラの面倒を見てくれないだろうか」
マリンの確認に、若干言葉を濁しながらも、アルトラシオンは彼女の留守を願う。
かしこまりました、と言いながら壁際に下がるマリンの表情は少しだけ不安を滲ませていたが、隣からクリフォードが何かを言ったのか、すぐに落ち着いたようだった。僅かに口角を上げて穏やかさを見せるマリンに、ステラシアもほっとして肩の力を抜く。
(でも、わたしがいるせいで、殿下の手の内が薄くなる……)
あの日、アルトラシオンの部屋で彼の話を聞いて寝落ちてから、ステラシアには一つの目標ができた。
アルトラシオンの弱さと強さを知って、恋心を自覚して。本当なら彼のパートナーになるという役目が終わった段階で、ただの側仕えに戻るはずだったのができなくなった。
この人のそばにいたい。この人の役に立ちたい。この人を癒やしたい。
そう思うようになった。
だから、ステラシアはあの日からずっと、マリンに教えを請うて、星の力のコントロールに挑戦していた。
図書室で本を読み漁り、自身の封印を解く方法を探していた。
(でも、わたしにはまだ、アルト様の役に立てるほどの力はない……)
両手をぎゅっと胸の前で握りしめる。
イアンとクリフォードへと他に指示を出していたアルトラシオンが振り向いた瞬間、ステラシアは彼の服の袖へと指を伸ばしていた。
「ステラ?」
「アルト様……どれくらい、掛かりそうですか?」
震えるようなステラシアの台詞に、アルトラシオンが紫の瞳を僅かに見開いた。
「そう、だな……。出立は、今から三日後。子爵領には馬で駆けて片道七日……間に休憩を挟めば十日、か。そこから討伐に約五日はかかるとして、帰ってくるのにまた十日は必要。と、すると……まあ、だいたいひと月と少し、というところか」
「ひと月以上……」
いまはもう、秋も深まる薄暮星の月。そこからひと月過ぎると黄昏星の月の半ば。冬の訪れを感じさせる月になる。
南東だというので、王都よりはおそらく暖かいだろうが、ここは北の大陸。他の大陸よりも寒さ厳しい土地だ。
「アルト様……お気をつけて。魔獣だけではなく、お体にくれぐれも、お気をつけくださいね」
泣いてしまいそうなステラシアの声音に、若干驚いた顔を見せ、アルトラシオンはふ、と微笑んだ。
「ああ、大丈夫だ。ステラも、あまり夜ふかしせず、暖かくしてるんだぞ」
頬を撫でられ、髪を梳かれる。
その温かさにそっと擦り寄りながら、ステラシアも淡く微笑んで頷いた。
いまはまだ、なんの役にも立てない自分が、とても歯痒かった。
間が空いてしまったー。ので、書けたところだけ出すスタイル。
読む人がいなくても広げた風呂敷は畳めって前言われたから、最後まで書ききります。




