強くなるためにできること
次があったら殺してやろうと、胸に誓ったはいいけれど、実際アルトラシオンにはそんな力は無かった。
歪みに歪みまくった愛とやらと、燻るような殺意だけを懐きながら、侵入してくる暗殺者や、悪意を垂れ流す貴族たちから逃げ続けて一年。
このままいつまでも逃げ続けるわけにはいかないだろうと、アルトラシオンは考えた。
「どうする……どうしたらいい? まずは、おれがアイツらを殺せるくらいには強くならないといけない。だったら……」
呟きながら王城の廊下をひた歩き、ふと窓の外へと目をやった。
いつの間にか、王城の奥の方まで進んできてしまっていた。このあたりは使用していない部屋が多く、人の出が少ない。
王族の私的な空間ならいざ知らず、あまり奥へ行き過ぎると、暗殺者の格好の獲物となってしまう。後ろを付いてきている護衛騎士も、何かあったときに応援を呼び辛いだろう。
すぐに踵を返したアルトラシオンの耳に、威勢の良い掛け声が飛び込んでくる。何事だ? と振り向いた窓の向こう。遠目に、騎士団の訓練場が見えた。
「騎士団…………そうか!」
顎に手を当てて考えて、アルトラシオンは「そこにいるんだろう?」と隠れていた護衛騎士を呼び止めた。
おそらく、魔法かなにかで姿を消していたらしい騎士が現れて、アルトラシオンは口元に笑みを浮かべる。
身につけている騎士服は近衛のもの。王族や、王城内の治安を守るのが彼らの仕事だ。近衛騎士団に所属するのは、貴族の次男以下の子息が多い。跡を継ぐことができない彼らは騎士になるか、神殿に入るかしかないのだ。まれに冒険者や学者、研究者となる者もいるようではあるが。
けれど、アルトラシオンが考えたのはそういうことではない。
「あそこの訓練場にいるのは、魔物討伐騎士団の者たちで、間違いないかな?」
六歳にしては聡明な物言いをする王子に若干戸惑いながらも、初めて声をかけられた騎士はその通りですと頷いた。
そして、続くアルトラシオンの"お願い"に驚いて口をパカリと開けたまま固まってしまう。
「では、私を訓練場まで案内してくれないだろうか」
にっこり。
天使のような笑みを見せ、アルトラシオンは無邪気にそう言い放った。
その夜、晩餐の席でアルトラシオンは父、アルフォレスタに願い事をした。
わがままも言わず、頼み事すら口にしないアルトラシオンの言葉に、国王は「父にできることならいくらでもしてあげよう」と安請け合いをする。そして、後悔した。激しく。
「ありがとうございます、父上。では、私に西の離宮をください」
「…………は? 西……西って、騎士団舎の近いあの離宮、か? もらってどうするんだ?」
「今度から、そこで寝泊まりをします」
「はぁ!?」
「えっ、アルト!?」
傍らでニコニコ笑って、アストリオルの世話をしていた王妃クリスティアも、思わず驚いたように声を上げる。
「にーさま?」
今年四歳になったアストリオルが、舌足らずにアルトラシオンを呼んで、首を傾げた。
その弟にもニッコリと笑いかけ、アルトラシオンは父に正面から目を向ける。
国王は、昨年にいくつもの貴族家を解体し、没落させ、処刑台送りにしてから少しだけ余裕ができたようだった。
いま、こうして家族揃って夕食の席についているのがその証拠である。
アルトラシオンの周囲が少し落ち着いたことも関係があるのかもしれない。相変わらず狙われてはいるのだが。
三歳になったばかりの妹のローゼリアだけは、まだ早いからと乳母と部屋で食事をしたらしい。今頃は眠たくなって寝てしまっているかもしれない。
そう、こうして家族で集まれるようになったばかりだというのに、アルトラシオンはそこから出ていこうとしているのだ。
これはまあ、驚かれても仕方がないだろう。
けれど、彼にも引けない理由があった。
「父上。私は将来、魔獣討伐騎士団に入ろうと思います。そのためには強くならないと。ですので、離宮で寝泊まりをして騎士団に通って、体を鍛えます。そして、自分の身を自分で守れるようにします」
「あ、あ、あああああアルト? お、お前はちゃんと私が守るから、そんなことをしなくてもいいんだぞ!?」
「ですが、父上も昔は魔獣討伐騎士団に所属していたと聞きました。結構お強かったそうですね? ですので、私も、強くなります。強くなりたいのです」
「いや、俺が騎士団に入ったのはもっと後……うぐぅ……」
アルトラシオンの言葉に、アルフォレスタは喉の奥からよくわからない唸り声を発した。
生まれたときから、波乱万丈な運命を背負った子だとはわかっていた。あんなに警戒していたはずなのに、守りきれずに危険に晒してしまったことを、彼は今でもずっと悔いている。
できることなら、幼いうちはまだ己の手の中で守っていたかったのに。
「それに、王子教育を怠る気はもちろんありません。家庭教師の方を、今の王族の居住区域ではなく、離宮の方へ回してください」
守って、いたかったのに……そんなふうに大人顔負けのことを提案されてしまっては、アルトラシオンの本気に気づくしかなくなくなる。
でもまだ六歳なのに……!
愛した王妃と同じ瞳で真っ直ぐに見つめられ、アルフォレスタはがっくりと項垂れた。
この瞳には、弱いのだ。たとえそれが、息子であろうとも。
「……………………わかった。好きにしなさい」
「ありがとうございます、父上!」
「ただし!」
「…………はい?」
いつもの作ったような笑みではなく、久しぶりに心から嬉しそうな笑顔を見せられて、国王は心の中でまた涙を流す。
「朝……は無理だとしても、夕飯はここに来て一緒に食べなさい」
「……それ、は」
わずかに躊躇う素振りを見せるアルトラシオンに、アルフォレスタは真剣な顔を向けた。
「それが約束できなければ、許すわけにはいかない」
ゆら……と、アルトラシオンの瞳が揺れたのを、アルフォレスタは見逃さなかった。
隣からアストリオルが小さな手を精一杯伸ばし、アルトラシオンの袖を掴む。
「にーさまぁ……どっか、いくの?」
「……大丈夫。どこも行かないよ、リオル。わかりました……父上。晩餐は、こちらでいただきます」
アストリオルの小さな手を握りしめながら、アルトラシオンはゆっくりと頷いた。
クリスティアが席を立って、アルトラシオンの元へと歩いていく。まだまだ小さなその肩を、母が優しく腕の中に抱きしめる。
その腕があまりにも温かくて、アルトラシオンは泣きたくなった。いつか感じた、じんわりするような力をまったく感じられなくて、罪悪感が胸を刺す。
「アルトラシオン……どうして急に」
「母上。私は、守られるだけではなく、守る者になりたいのです」
殺して、殺して、殺して……そうやって守れる者に。敵を排除するには、強くならないといけないから。
罪悪感が刺した胸の傷を、殺意の炎が焼いていく。忠誠のために殺されるなら、救うために殺さなくては。
アルトラシオンを抱く、クリスティアの腕の力が強くなる。
その腕にそっと触れて、アルトラシオンは穏やかそうに笑ってみせた。
◆ ◆ ◆
その翌日から、アルトラシオンは離宮へ移ることとなった。
あまりにも行動が早すぎる! と嘆いた父親をなんとか宥めすかし、アルトラシオンは身の回りの物をまとめていった。
元々、そんなに荷物は多くはない。
離宮の一部屋を自分用に開放したら、それで生活スペースは完了してしまった。
あとは、アルフォレスタがやたら付けてきた使用人と護衛なのだが……。アルトラシオンは部屋に鍵だけを掛けると、「みな好きにするように」と告げて一人で外へ出た。
後から護衛の一人が慌てたように付いてくる気配を感じる。
「え、と……確か、ここを曲がって……」
騎士団舎を真正面に見ながら、その後ろへと回り込む。少し進んで見えてきた森を迂回すると、先日も聞いた掛け声が響いてくる。
訓練場の入り口を通り、中へと入った。広場で二人の騎士が打ち合いをしていた。
一人は兜を被っているせいで顔はわからないが、もう一人は防具も何も付けていないせいで、顔がよく見えた。
灰色の短髪が、汗で光っていた。
上段から切り落とすように振り下ろされた剣を、撫でるように片手で持った剣でいなし、絡めとるように捻るとそのまま地面へと叩きつける。
バランスを崩し、さらには剣がすっぽ抜けた相手は尻もちをついて茫然とする。そこに、すかさず剣が突きつけられる。
ガクリとうなだれる相手に、「剣が離れても油断するな!」と檄を飛ばし、男は相手の腕を引っ張り上げた。
ユージェフ・アルバ。この魔獣討伐騎士団と、近衛騎士団をまとめる、平民上がりの異例の騎士団長。
彼の強さは、貴族ばかりの近衛騎士ですら、一目置くほどだという。
部下を指導していたユージェフが、アルトラシオンに気がついて、目を見開いた。いくつか指示を出した後、こちらに向かって歩いてくる。
「おや、殿下。こんなむさ苦しいところに、なんのようですかな? たしか……昨日もいらっしゃったと伺いましたが」
額から流れる汗もそのままに、ユージェフがアルトラシオンの前に跪く。それは、臣下としては当たり前の行動ではあるのだが、なんとなく気に入らなかった。
「私……いや、おれに、あなたの剣を、教えてほしい」
膝など付かなくていいと伝え立ち上がらせながら、アルトラシオンはまっすぐにユージェフを見上げてそう言い放った。
途端に、にこやかだった騎士団長の雰囲気が、鋭く険しくなる。
「殿下……どういう意味か、わかっていますか?」
「おれに、敬語など使わなくていい。それに、意味ならわかっている。おれは……強くなりたい。もう二度と、襲われるだけでいないように。そして、守りたい。だから、将来魔獣討伐騎士団に入るつもりだ」
殺すために。殺して、守るために。暗殺者も、国を脅かす魔獣も、全て殺して守るために。
そのために、アルトラシオンには星の力がある。封じられてはいても魔力がある。
国を救うのは嫌だ。国を滅ぼすのはもっと嫌だ。なら、誰にも文句を言わせないほどに強くなって、守ればいいのだ。
何者からも、自分からも、守ればいい。
「殿下……」
「ユージェフ。おれに、剣を教えろ」
教えを乞うというのに、膝もつかず頭も下げず、いっそ傲慢なほど真っ直ぐに男を見上げてアルトラシオンは告げる。
シン……と、訓練場が静まり返った。背後にたたずむ護衛騎士も、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
そもそもこの護衛騎士も、ユージェフの部下だ。気が気ではないのだろう。
はぁぁ……と、大きな溜め息が頭上から降ってきて、静まり返った訓練場に響いて消えていく。
立ち上がっていたユージェフが、腰を落としてアルトラシオンと目線を合わせた。
ガシガシと灰色の髪をかき回し、そのままアルトラシオンの金髪もかき混ぜる。
その力の強さに、うわっ、と言いながらバランスを崩して倒れそうになった細い肩を両手で支えて、ユージェフは真剣な顔で口を開いた。
「殿下。俺の訓練はそれなりにまあキツイんだが、付いてこれるか?」
「……ああ」
たとえ、ヘバッたとしても、付いていく。
そう言って頷いたアルトラシオンを無言で見つめ、ユージェフはまた溜息を吐く。
「あー……不敬をお許しくださいよ……っと」
「うっ、わ!? な、なにするんだ!」
「いいからいいから。殿下はそこでおとなしくしとけよ」
脇の下に手を差し込まれ、アルトラシオンはユージェフに軽々と持ち上げられていた。体をくるりと回され、足の間に男の頭が入ってくる。
慌てて、灰色の髪を掴んだら、「いってぇぇ!?」と野太い声が響き渡る。
それに吹き出したのは誰だったのか。
いつの間にか、静かだった訓練場が、笑いの渦に包まれていた。
「あー、おほん! いいかーおまえら! 新しい仲間が加わったからな! カッコ悪いとこ見せんじゃねぇぞ!」
「おう!」
二重にも、三重にも、低い声が響いて、昼間の空を貫いていく。
その日、平民上がりの異例の騎士団長は、アルトラシオンを肩車したまま一日中訓練に明け暮れていた。
王城で晩餐を終えて離宮に戻ってきたアルトラシオンは、自室のベッドへ頭から飛び込むと精も根も尽き果てたようにぐっすりと眠りに落ちた。
――あの男、どんな体力してんだよ、と思いながら。
◆ ◆ ◆
騎士団長、ユージェフの訓練は、本人が言っていたように相当厳しかった。
アルトラシオンは、まだ六歳。本来なら、まだ親が庇護すべき年齢だ。けれど、その庇護を自ら遠ざけたのだから、泣き言など言うことはできなかった。
そして、ユージェフも、訓練の際にアルトラシオンを子ども扱いはしなかった。まあ、まだ体ができていないうちから大人と同じ内容で訓練などをさせられないので、中身はお子さま向けではあったのだが。
特別扱いをせず、ひとりの人間として扱われた。代わりに王子扱いもされなかったが、それがアルトラシオンにはとても心地が良かった。
体を動かすのは、存外楽しかった。剣を握って振るうことが、なぜかとてもしっくりきた。
夢中になって素振りをして、体を作るために走り込みをして。疲れてうっかり晩餐に顔を出せないことが何度かあったが、そういうときはユージェフがアルフォレスタにこっそり叱られていることを知った。
手のひらの皮が剥け、手足の肉刺が潰れ、それでも必死に食らいつくアルトラシオンに、他の騎士団員も負けてはいられないと奮起して、魔獣討伐騎士団と近衛騎士団がどんどん強くなる。
それに焦ったのが魔法騎士団だったが、だったらお前らも一緒に訓練すればいいだろ、とユージェフに言われ、すごすごとおとなしく去っていったのは見ものだった。
あそこだけは、どうにも騎士団の気質が違うらしい。
ある夕方、血まみれのアルトラシオンの足と手を丁寧に手当しながら、ユージェフが問いかけてきた。
「なぁ、アルト……お前は、強くなる。きっと……いや、絶対な。それで、お前はその強さで、何をしたい?」
「おれは……おれ、は」
守りたいと思った。守るために殺すのだと。今でも、そう思っている。けれど、それを今言うのは、なんだか違うような気がして……なにを、返したらいいのかわからなくて、アルトラシオンはきゅっと唇を噛んだ。
薬を塗り込んだ手のひらに、ユージェフが優しく包帯を巻きつけていく。
「俺はなぁ、守りたいんだ。みんなを守りたい。ここにいるヤツら、家族……もちろんお前のことも。王族を守るのは近衛の仕事だが、お前のことを王族だから守りたいって言ってるわけじゃねぇよ?」
真っ赤な夕陽が染め上げる中で静かに落とされた言葉は、アルトラシオンの胸の奥の方にゆっくりと沈んで落ちていく。
「守りたい」それは、アルトラシオンと同じ言葉だったけれど、そこに込められた思いはなぜだかとても違うもののように思えたのだ。
足の裏にも薬を塗り込んで、包帯を巻かれる。靴を履いて、立ち上がって。見上げた男に、コツリと額を小突かれた。
「お前も、いつかそういう思いに気づいたらいいな」
ゆっくりと沈んでいく夕陽の中で、笑いながらそう言ったユージェフの顔は、大人になってもアルトラシオンの中にずっと残っている。
なにが、どう違うのか、あの時にはわからなかったことを、大人になった今ならわかるのだろうかと、いつでも考えている。
ステラシアに出会った今なら、なにかを掴めるのだろうかと。そう、考えている。




