甘く苦い殺意
物心つく前から、アルトラシオンは周囲の大人たちがおかしいことに気がついていた。
自分を過剰に持ち上げる者、ひどく甘やかし外に出そうとしない者、そして、表面では笑いながら殺そうとする者がいることに。
星王国暦六三二年の黎明星の月。前の月に五歳となったアルトラシオンは、同じ年頃の子女を集めた園遊会に参加させられていた。
表向きは交流会だが、実質は第一王子の友人探し――という名の、将来の側近選びである。
誰も彼もがきらびやかに着飾る中、その中でも特に美しいと言われたのがアルトラシオンだった。
だが、そんな彼を、みな遠巻きに眺めるだけで積極的に近寄ろうとはしない。
子どもは大人よりも残酷だ。
二年前にアルトラシオンが魔力を暴走させて、侵入者を皆殺しにしたことも、王妃が大きな代償を支払って第一王子の魔力を封じたことも、幼いながらも彼らはよく知っていた。
子ども同士固まってヒソヒソと交わされる言葉は、その全てがアルトラシオンに届かなくとも、悪意のあるものとして彼の心を蝕んだ。
(こんなこと、なんの意味があるんだろう)
冷めたような紫の瞳で、周囲をぐるりと見回して、幼いアルトラシオンは、はぁ、と溜息を吐いた。
王城の中庭にクルリと背を向けて、誰もいなさそうな廻廊を歩いていく。
護衛は置いてきたが、貴族の子女が集まっているこの場には至るところに近衛が立ち、定期的に巡回している。だから、まあ大丈夫だろう。
国王である父は、あまりアルトラシオンのもとに顔を出さないけれど、護衛はきちんと付けてくれていた。
だから、嫌われているとは思っていない。国の王なら誰よりも忙しいだろう。いずれは自分も、父の跡を継ぐのかもしれない。
(跡継ぎは、アストリオルかもしれないけど)
今年二歳になる彼は、ますます王城の人気者だ。
魔力を封じられてからは、アルトラシオンの周りにもメイドたちが戻ってきたが、みな会話は無く、世話だけするとさっさと別の仕事へ行ってしまう。誰か一人は残っていないといけないのでは? と思うけれど、見えないところに護衛がいるならまあいいか、と気にしないことにしている。
「ここでいいか……」
園遊会の会場から少し離れた茂みの中に、人一人分のポッカリした空間を見つけ、アルトラシオンはいそいそとそこへ潜り込む。一本だけ立っている木にもたれかかって、持っていた本を開いた。
魔力を封じられたあの日から、アルトラシオンは一度も暴走をしていない。
身の回りの世話をする使用人が戻り始め、国王は彼に家庭教師をつけることを決断した。そろそろ王子教育を行う頃合いだったため、ちょうど良かったのだろうとアルトラシオンは思っている。
そして、今日の園遊会だ。友人、側近、言い方はなんでもいい。男児だけではなく女児もいるのは、もしかしたら婚約者探しもあったのかもしれない。
(まったく……よけいなおせわだよ、父上)
文字を目で追いながら、彼は疲れたように肺から息を吐き出した。膝に肘を置き頬杖を突く姿には、あまり子どもらしさを感じられない。
(そもそも、ぼくは一人でいたいんだ)
本から顔を上げ、ぼんやりと足元の芝を眺めた。
そう、アルトラシオンは一人でいたい。
魔力が暴走しなくなって少しずつ周囲に人が寄ってくるようになろうが、それが純粋なる好意からでないことだけは、幼い彼にだってわかっていた。
むしろ、早熟すぎるほど早熟な彼には周りの人間が何を思っているのかわかりすぎるほどだった。
媚び、諂い、恐怖、嘲り、畏怖、殺意、嫌悪、ご機嫌取りに――下手したら、崇拝。
体を這うその様々な視線が気持ち悪かった。
(それもこれも、あの変な予言のせいだ)
二年前、どうしてあんなことがあったのか。尋ねても父も母も教えてはくれなかった。二人とも「お前はまだ知らなくていい」と言うばかり。
アルトラシオンが予言のことを知ったのは、王城の庭で今日のように一人本を読んでいたときだった。
もたれかかっていた城の壁の、上の方から声が聞こえたのだ。そこには開け放たれた窓があった。
そこで、アルトラシオンは自分が「国を救う者、されど国を滅ぼす者」と託宣を受けた、"予言の王子"であることを知った。
(まったくさ……予言なんて、バカらしい)
国なんて、勝手に救われて勝手に滅べばいいのに。なぜ自分が救ったり滅ぼしたりしなくてはならないのか。
そこまで考えて、アルトラシオンはハタとして頭を振った。
(ううん。勝手に滅ぶのはダメだから! ぼくたち王族がいっぱい勉強して、国も、そこに暮らす人たちも、守らないといけないんだ)
それからは、ひたすら本を読んでいた。
王城図書室から持ち出してきた魔法書。まだ子どもが読むには難しすぎるそれを、必死になって解読した。できれば、魔力が戻ったときに、もう少しまともに制御できるようになっていたかったから。
そうして、園遊会がそろそろお開きになる頃、アルトラシオンはカサリという足音を聞いた。
こんな端の方に誰も来るはずがないと思っていたせいで、警戒が少し緩んでいたのかもしれない。
不思議に思って顔を上げた瞬間、押し倒されて目を丸くした。
気がつけば、周りを大人に囲まれていた。見たことのない顔ばかりだったが、身なりからは貴族であることが伺えた。
助けを呼ぼうとして開いた口を、大きな手のひらに塞がれてしまう。横から伸びた別の手が、喉を押さえてきて、呼吸が浅くなった。徐々に力を込められて、息が苦しくなってくる。
なんでこんなことを、と見ず知らずの貴族たちを、涙目で睨みつける。
「ああ……第一王子殿下。あなたはこの国を滅ぼす方」
「んんー……っ!」
「あなたはこんなところにいてはいけない方」
「『我々』は、『王子』をとても大切に思っています」
だったらなんでこんなことをするんだ! 声を出せない分、胸の中で叫び声を上げて、アルトラシオンは手足をバタつかせた。
振り上げた手が、一人の貴族の顔に当たった。滅茶苦茶に蹴り上げた足が誰かの腹にめり込んだ。
ぐうっというくぐもった呻き声が、周りの大人から漏れ聞こえる。
「……ぁ……っぐ……!」
ぐううと喉を圧迫する力が強くなった。振り回した手足は、四方八方から伸びてきた手に押さえつけられて、動かせなくなる。口を覆っていた手が、鼻も覆い隠してしまい、目の前がチカチカと明滅する。
「そう! とても大切に思っているからこそ、『我々』は『国』のために、あなた様を殺して差し上げねばならないのです」
(ふざ……っ、ふざけるな! そんなメチャクチャなりくつが……!)
はぁ、と生温い吐息が、頬を、首筋を撫でた。ゾッと背筋を悪寒が走り抜ける。
耳元に、誰がが唇を寄せた。ねっとりと絡みつくような声が、耳孔を通って脳を溶かしていく。
「ええ、ええ、『我々』は『王子』を大切に思っているからこそ、『国』のためにあなたを殺して差し上げるのが『臣下』としての深いふかぁい『愛』と『忠誠』なのですよ」
囁かれる声音に、体が支配される。二年前なら、恐怖で魔力が暴走し周りの連中を吹き飛ばしていただろう。
けれど、今のアルトラシオンは生きるための魔力はあれど、それを外に出すことはできない。ぐるぐると腹の奥で熱を持つものの、放出されることなく留まっている。
(くそっ……ああ、もう、ほんとうに……バカらしい……)
ふっ、と手足から力が抜けた。押さえつけられるままに、意識がどんどん落ちていく。目の前が霞んでいき、またあのときの絶望が押し寄せてくる。
(なら……もう、いい)
「殿下!」
完全に意識が消えてなくなる直前に、焦ったような男の声が聞こえ、そして悲鳴が響き渡った気がした。
意識が戻ったとき、アルトラシオンは王城の一画にある王宮医の、診察室のベッドに横たわっていた。
傍らには、いつだったかユージェフと呼ばれた騎士服を着た男が立っていた。見た目は四十代。灰色の短髪に、襟を飾る階級章は最上位。
「アルトラシオン!」
大きな音を立てて扉が開かれ、飛び込んできたのはこの国の最高権力者だ。赤みの強い金の瞳が、濡れたように光っている。
「ちち、うえ……」
焦ったような表情のアルフォレスタは、ツカツカと早足で歩み寄ってくると、強い力でアルトラシオンを抱きしめた。
掠れた声で父の名を呼びながら、アルトラシオンは驚きで目を見開いた。
「すまない、アルトラシオン。無事で、良かった」
「…………」
アルトラシオンよりも色味の濃い金髪が、サラリと頬をくすぐった。
そっと、目を閉じて、急いで来たせいでよれてしまったらしい父の服を、アルトラシオンはきゅっと握りしめる。
「……ユージェフ。不届き者どもは捕らえたのか?」
「はい、陛下」
「わかった。なら、私が直々に話を聞こう。……アルト、お前はしばらくここにいなさい。ユージェフを置いていく。こやつは騎士団長だから、とーーっても、強いぞ」
張り詰めたような声音から一転、柔らかく頭を撫でつつそう言って、アルフォレスタは乗り上げていたベッドから素早く降りた。
おやすみ、と微笑んで額に掠めるような口づけを落とす。
カーテンを引かれる前に、アルトラシオンは小さく頷いた。唇を引き上げて、笑みを作る。
「はい、おやすみなさい。父上」
それに少しだけ眉を曇らせて、アルフォレスタは静かにカーテンを閉じた。
「……ユージェフ、アルトを頼んだぞ」
「かしこまりました。……捕らえた者どもは地下におります。反"予言の王子"派だったようです」
「そうか……」
カーテンの向こうから、潜めた声で交わされる言葉を、アルトラシオンは静かに聞いていた。
――ああ、本当に、バカらしい。
(ぼくを……おれを、守ろうとするのも、殺そうとするのも……お前たちの勝手な都合じゃないか)
殺そうとするのが『愛』?
守ろうとするのが『愛』?
それが『国』のためなら、美談になるのか?
それは本当に国のためなのか?
おれが……『救う者』なら守るのか。
おれが……『滅ぼす者』なら殺すのか。
国に対する愛ってなんだよ。
そんなの、ただの自己満足で『忠誠』でもなんでもないだろ。
滲む涙が流れないように、アルトラシオンは上を向いたまま腕を顔に押し当てた。
ぐるぐるぐるぐる考えて、そしてようやく気づく。
(アイツら、"反"予言の王子派って言ってた。なら、アイツらが大事に思ってる『王子』って、おれのことじゃないな)
なら、アストリオルのことか。そう思ったけれども、違うな、と打ち消した。
きっと、あの貴族たちにとって『王子』というのはただの記号なのだ。『国』のためと嘯きながら、その実国王だろうが王子だろうが、自分たちのための装置に過ぎないのだろう。
『王子』という記号を持った者が、大事な大事なこの国を滅ぼす者とされているのが、我慢ならなかったに違いない。
考えて、考えて、ハハッと声を上げて笑った。
カーテンの向こうから、「殿下?」と呼びかけられて、なんでもないと小声で返す。
おかしくて、おかしくて、仕方がなかった。
(なら……おれだって、お前たちをその苦しみから救うために『殺す』ことが『王子』としての深い『愛』になるんじゃないのか……)
壁側に横向きになり、漏れそうになる声をシーツに吸い込ませる。
おかしくて、腹が捩れそうになるほどにおかしくて、涙が滲んだ。声だけではなくその雫すらシーツが吸い取って濡れていく。
肩が震えて仕方がなかった。
――次があったなら、必ず殺してやろうと、そう思った。




