彼は生まれた瞬間から
アルトの章
アルトラシオン・ディア=ポーラリアスは、ポーラリア星王国の第一王子として、この世に生を受けた。
国王である、父、アルフォレスタ・ディア=ポーラリアスが即位してから一年。長い婚約期間を経て、クリスティア・シエナ=ポーラリアスと婚姻の義を行ってから、約二年の歳月を経た待望の第一子だった。
生まれた子が世継ぎの男子ということで、王城の人間は喜びに満ち、王妃は心から安堵した。国王は、母子ともに心身健康でいてくれたことを星の女神に感謝し、祈りを捧げたという。
生まれたその場で国王による命名がなされ、アルトラシオンは祝福のうちに誕生した。
ただ一つ問題があるとすれば、生まれたばかりのアルトラシオンの魔力が大きかったことだ。
彼は、王妃の胎内から生まれ出たと同時にその魔力を膨れ上がらせ、室内の花瓶を一つ割ると、宙に浮いた。ふわりと浮かんだ赤子の体は、けれど、発せられた大きな光の力によって押し留められ、我が子を産み落としたばかりの王妃の腕の中へとそっと収まったのだ。
産婆も王宮医も目をみはり、唖然としながら生まれたばかりの第一王子を眺めていた。
そのことで、魔力だけでなく星の力も絶大なのだと誰しもが思ったのだ。
そして、その翌日。王族の――貴族の慣例に則り、アルトラシオンもまた託宣師の予言を授かることになる。
王妃の部屋で揺りかごに揺られる、まだ目も開けきらぬ赤子を見て、宮廷お抱えの託宣師たちは、誰もがそっと目を閉じたらしい。
予言の内容は、数多の貴族が集まる謁見の間で行われることになった。
個人のことだから、国王陛下にのみ内密に伝えたいという託宣師たちの言葉は、聞き入れられることはなかった。
この国の最高権力者は国王だが、星の名を冠する十二貴族の意見を無視することはできない。他貴族のために公開を、と過半数が集まれば、さしもの国王も否やとは言えなかった。
「……第一王子殿下は"この国を救う者"となるでしょう」
ざわめきが、室内を満たした。けれど、続く託宣師の言葉に静まり返る。
「されど、彼の方は"国を滅ぼす者"ともなるでしょう」
静寂に包まれた謁見の間で、先に動いたのは国王の前で頭を垂れたままの託宣師の一人だった。顔を上げ、まっすぐにアルフォレスタに目を向ける。
「陛下、私どもは申し上げたはずですよ」
何を、とアルフォレスタが問うことはなかった。彼らが言いたいことはわかっていたからだ。
きっとこれから、国王は予言を公開したことを悔やむのだろう。
アルフォレスタは、玉座に座ったまま拳を握りしめた。国王にとっても、王妃にとっても待望の第一子。
どんな予言でも受け止めるつもりではあったが、生まれたばかりの我が子の、波乱に満ちた未来を想像し、彼は苦悩した。
今すぐにでも天を仰ぎ、星の女神の膝元に縋り付きたくなる衝動を、どうにか抑えていた。どうしても、今ここで目を逸らすような愚行を犯すわけにはいかなかったからだ。
心のうちだけで女神へと嘆きをぶつけ、アルフォレスタは表情を変えることなく、さりげない仕草で視線を周囲へと走らせた。
さすがに、星の名を冠する十二貴族は泰然としていて隙がない。だが、そうではない貴族家は繋がりのある家同士、ヒソヒソと話している様子が伺える。
どの家が、どのように出るか。わからないから安心などできない。誰が敵となり、味方となるか、アルフォレスタはこれから我が子のために見極めなければならない。
だが、彼は疑念すらその表情の下に押し隠し『そうか』と一言だけ発した。
側近に、託宣師たちを丁重にもてなすように命じ、解散を宣言する。
王妃にこの結果をどのように伝えるかだけが、悩みの種だった。
◆ ◆ ◆
第一王子は、託宣の日以降"予言の王子"として市井にも広く知れ渡ることとなった。
アルフォレスタとクリスティアは、相反する予言を受けたアルトラシオンに愛情を絶やさなかったが、それだけでは彼を守るには足りなかった。
アルトラシオンは、聡明な子だった。自我の芽生えが人よりも早かったのだ。彼の柔らかく幼い心は、他者に触れるたびに摩耗していった。
"国を守る者"として、アルトラシオンを過剰に持ち上げ甘やかし、なんとしてでも守ろうとする者がいれば、国を滅ぼす者としてアルトラシオンを過剰に恐れ嫌悪し、国のために殺そうとする者がいた。
生まれたばかりの頃、アルトラシオンは身に宿る膨大な魔力のせいで、乳母もメイドも寄せつけることができなかった。
ひとたび泣けば魔力が溢れ出し、周囲のものを傷つけてしまうから。
飛び交う物や割れるものを恐れ、メイドが怖がり、乳母も必要がない限りアルトラシオンに近づこうとはしなかった。
唯一、母であるクリスティアに抱かれているときは魔力も落ち着いたが、王妃であり宵星の乙女でもあった彼女は多忙で、何日もアルトラシオンにかかずらっていることができなかった。
「ははうえ……」
呼びかけて伸ばした手は優しく振り解かれ、「いい子にしているのですよ」と額に柔らかな口づけだけが降ってくる。
そうじゃないよ。だきしめて。ははうえ、さみしいよ。
一年が経ち歩けるようになり、言葉が話せるようになっても、アルトラシオンはその思いを口にすることはなかった。
そうして二年が経ち弟が生まれると、王妃は今度はアストリオルのほうにかかりきりになる。
二歳離れた弟は、アルトラシオンと同程度の魔力を持ちながら、暴走させるということが無かった。
成長しても、アルトラシオンがアストリオルに敵わないと思うのは、こういうところだ。弟である彼は、生まれたときから魔力制御に長けていた。
そうすると、必然的に彼の周りには人が集まってくる。
なにかあれば魔力の暴走する第一王子ではなく、小さく穏やかな第二王子は王城の皆に囲まれながらスクスクと育っていく。
三歳になる頃には、アルトラシオンはもう、寂しいと思うことも、構ってほしいと思うこともやめていた。ほしいと思った温もりは、ほんの少しだけ触れてすぐに離れていってしまう。諦めなければ、柔らかな心の奥が切られたように痛んで、涙のように血を流してしまう。
父や、母が、アルトラシオンを愛していなかったとは思わない。愛情が偏っていたとも思わない。
けれど、常に周りに誰ががいるアストリオルを、彼は少しだけ羨んでしまった。
まだ小さな彼の手に、欲しがったものはなにも残らなかったから。
そうやって、必要最低限の世話だけをされる日々の中の、ある夜の出来事だった。
国王である父は多忙で忙しくほとんど顔を見たことがない。王妃である母は第三子を身籠っており、こちらも成長した彼の元へは滅多に顔を出さなくなっていた。
ベッドの中で、一人泣き疲れウトウトしていたアルトラシオンは、息苦しさで目を覚ました。
「……っ!?」
ギリギリと首が何かに押し潰されている。ボロボロと涙を流しながら、吸おうとした息は吸えず、開いた目の前がどんどん霞んでいく。それが怖くて苦しくてがむしゃらに手足をバタつかせる。
キラリと、上に覆いかぶさった者の手の中で、星の光を受けたナイフが光を反射した。
(ぼく……こんなところで死ぬの……? そんなの、いやだ!)
そう思ったら、腹の奥がカッと熱くなった。
ドォン! と大きな音がした。床が、壁が、小刻みに揺れていた。窓ガラスが内側から弾け飛び、強い風が吹き込んでカーテンを巻き上げる。
寝ていたベッドは粉々になり、アルトラシオンは床へ投げ出された。
気がついたら、部屋に侵入していた者たちを、ズタズタに引き裂いてしまっていた。
それでも、一度暴走した魔力をなかなか収めることができない。
これがアストリオルならば、きっと魔力を暴走などさせずに侵入者を排除できたのだろう。けれど、アルトラシオンは魔力制御が極端に苦手だった。
ただ、もう無茶苦茶に魔力が暴れまわり、調度品を壊していく。
体が痛い。痛い。痛い――っ。
「第一王子殿下!」
砕け散った扉から魔力の渦の中に飛び込んできたのは、騎士服を身にまとった男だった。
自身の体が切り裂かれ、血に塗れるのも構わずアルトラシオンに駆け寄ると、彼の体を床へと押さえつける。
「大丈夫。大丈夫です殿下。息をしてください……くっ」
男の顔を傷つけた魔力が、床をえぐって天井に当たる。切り裂かれた額から滴った血が、パタパタとアルトラシオンの頬を汚した。
吹き飛んだ血が、男の灰色の髪を赤く染める。
「ぁ……あっ、ああっ……ぅああああ……っ!」
「殿下……くそっ……大丈夫だから、落ち着け……っ」
「ユージェフ! そのまま押さえていてください!」
必死に叫ぶ男の声の合間に、母の声が聞こえた気がした。
柔らかく、清涼で暖かな光の奔流が、アルトラシオンの体を包み込み、暴れまわる魔力を内側へと押し込んでいく。
「クリスティア様!」
「う……っ」
身の内から外へ引き裂かれそうだった痛みが徐々に治まり、アルトラシオンの意識がふと、正常に戻ってくる。
まず初めに耳に届いたのは、母の名を呼ぶ声と、苦し気な呻き声。
そして、ぼやけた視界に映ったのは、その場に崩れ落ちる王妃の姿。
「はは、うえ……?」
掠れながら呼びかけた声を耳にして、床に伏したクリスティアがアルトラシオンへと笑いかける。
顔も知らない男が、王宮医を呼べ! と叫びながら部屋を出ていった。
まだ動かない体で這うように進み、アルトラシオンは手を伸ばす。
その小さな手を柔らかく包み込んで、クリスティアはほっと息を吐いた。
「痛い、ところは……もう、ない?」
怖くて、怖くて、ボロボロ泣きながら、アルトラシオンは必死に首を縦に振る。
見れば、母の大きくなった腹の下がぐっしょりと濡れていた。
(どうしよう。どうしよう。ははうえが死んでしまったら、ぼくは……っ)
ちちうえはきっとぼくを許さない。アストリオルからはきっと憎まれる。
ぼくは……ぼくは、きっと、一生ぼくを、恨んで生きていく。
「アルト……アルトラシオン……一人にして、ごめんね? でも大丈夫。大丈夫です。母は、絶対に、大丈夫ですから」
白く細い指が、アルトラシオンの目元をそっと拭った。
しゃくりあげながら、その指に、アルトラシオンはいつまでも縋っていた。
結果的に、王妃は一命をとりとめた。
己の星の力を使い果たす勢いで、アルトラシオンの魔力を彼の身の内に封印したのだ。
そして、その日、アルトラシオンはもう一度兄になった。
気を失った王妃は結局、腹を裂いて第三子を取り上げられた。
星の力を使い果たした直後のことだったからか、王族にしては魔力量の低い子どもだった。それを哀れに思った女神が慈悲をくれたのか、その日生まれた妹の、星の力はそれなりにあるほうだったが。
侵入者たちはアルトラシオンの魔力により全滅。暗殺を生業としている者たちということは判明したが、結局、誰が差し向けた者どもかはわからずじまいだった。
そんなことがあって、ますますアルトラシオンの周りからは人が遠のいていった。国王は、死の一歩手前だった王妃にかかりきり。生まれたばかりの妹とまだ一歳になったばかりの弟で、王城の人々は手一杯になり、幼くとももう三歳になっていたアルトラシオンへの関心は後回し。
もしかしたらただ、暴走して人を殺すほどの魔力を持った第一王子が恐ろしかっただけかもしれないが。
そして、王妃は、もう二度と子どもを産めない体になった。
それを王城の誰かに伝えられたとき、アルトラシオンは自室で吐いた。
(ぼくが……ぼくが、ははうえから未来をうばってしまった……!)
星の力も奪って、体に消えない傷まで付けてしまって、それで――ちちうえとの未来まで。
しばらく食事をしていなかったから、吐くものなんて何もなかったけれど、アルトラシオンは涙と一緒に胃の中を空っぽにするまで何かを吐き続けた。
――ああ、ぼくは、なんでここに生まれたんだろう。
そう、幼い頭で必死に、考えながら。
我慢できなかった…




