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聖なる星の乙女と予言の王子  作者: 桜海
3.

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32/42

本日は晴天なり。デートには絶好の日和です。②

 ポーラリア星王国の王都には、四つの区画がある。一つは貴族街、もう一つは商業区。残り二つは流通区と平民街だ。中でも、商業区は他と比べて規模が大きく、いくつかのエリアに分かれている。王都の中心は確実に商業区と言ってもいいだろう。

 そんな商業区の中央公園――貴族街と商業区にまたがった王都中央にある公園のベンチで、ステラシアとアルトラシオンは道行く人々を眺めていた。その手にはそれぞれ屋台で購入した食べ物が握られている。

 甘辛いタレを絡めた肉と新鮮な野菜を巻き込んだクレープに、チマチマと齧りつく。舌に絡むような濃い味には、王子宮の料理と違い繊細さは無い。けれど、それがたまらなくおいしい。

 どちらかといえば、庶民的な食べ物ばかりが並んでいた師匠との食事を思い出し、ステラシアの頬が懐かしさに緩む。そして、ハッとして隣に座るアルトラシオンに目を向けた。


(そ、そういえば、殿下ってクレープとか食べたこ、と……)


「へ……?」


「ん?」


 今まさに、大口を開けてクレープにかぶりつくアルトラシオンを目にして、ステラシアの口から間抜けな声が漏れた。モグモグと咀嚼しながら、あっという間にクレープが一つ消えていく。

 足りないだろうから、と買ってきた残りのクレープも、肉の串焼きも、どんどんアルトラシオンの綺麗な口の中へと収まってしまう。

 普段は、優雅にカトラリーを操って盛り付けられた皿の中身を行儀よく食べているのに、驚くほど豪快だ。


「で、殿下……慣れてるんです、ね……?」


「呼び方」


 指先に付いたタレをペロリと舐めながら、横目で見下ろされる。赤い舌先がやたら艶かしくてどぎまぎしているというのに、言うことはそれか、と思ってしまう。

 小さく唇を尖らせながら、ステラシアは「アルトさま」と囁くように名前を呼ぶ。と、伸びてきたアルトラシオンの親指が、唇の端を拭って遠のいてゆく。そこに付着したクレープの欠片をまたあの赤い舌が舐めとっていくのを目の当たりにして、ステラシアの頬が夕陽のように赤く染まった。


「……魔獣討伐騎士団は、遠征が多いんだ。遠方だとしばらくは王都に戻ってこられない。そうすると、野営が多くなる」


「あ……だから、慣れてるんですか?」


「――と、いうこともある」


「ぅ……ん?」


 納得したように頷いたステラシアに面白そうに目を細めて、アルトラシオンはほんの少しだけ声を落とした。


「昔は……騎士団に入ったばかりの頃は、よく前の団長に外に連れ出されていた。あとは、なんだ……たまに抜け出して、イアン、ウィル、グレンと買い食いをしていたからな。――まあ、後で団長に鬼のように扱かれるんだが」


「買い食い……」


 王子様が。

 ちなみに、グレンというのはクリフォードのことだ。

 アルトラシオンの昔のことが想像できないが、でも、そう――誰にだって、過去はある。


(過去は、あるはず――なのに)


 嬉しいことも、楽しいこともあったはずなのに、どうして人は辛いことや悲しいことばかり、忘れられないでいるのだろう。

 でも、それすらも。

 なにか、嫌なことを思い出しそうになり、ステラシアは慌ててパクリと手元のクレープにかじりついた。


「でん……アルトさまは、王子様だって、みんなにバレなかったんですか?」


 ステラシアの口に、このクレープは少し大きかった。中身を落とさないように慎重に、なんとか肉を噛み切って咀嚼する。

 そんなステラシアの頭上から、ふ、と笑うような吐息が降ってくる。


「俺は、あまり式典に出ないからな。――討伐に出ていて間に合わないこともあるし……」


 いかにも、それ以外にも理由がありそうな様子で小さく溜息を吐き、アルトラシオンはゆっくりと背もたれへと寄りかかる。簡易な木のベンチが、ギシリと軋んだ音を立てる。


「顔を知られているのは、アストリオルだろうな」


「…………」


 掛けられる言葉を見つけられず、はむり、とクレープの端っこに齧りつく。

 食べながら、遠くを見るようなアルトラシオンに続いて、同じように上を見上げてみる。

 空はどこまでも青く、濃く、深い。雲が一つもないのは、秋へと向かうポーラリア星王国ではよくあることだ。

 サワサワと風がほどよい暖かさで吹いてくる。少し前までの汗ばむほどの湿った空気とは違い、心地が良い。これが、来月になったら一気に冷えたものに変わるのだ。秋がひと月しかないこの国にとって、夏の終わりを告げる双星の月は大事な月だった。


(どうして、アルト様は今日、わたしを王子宮から連れ出したんだろ……? 視察……という感じでもないし)


 朝食のあとからずっと疑問に思っていたことがあった。空を見上げながら食べきったクレープの包み紙を、他のゴミと一緒にまとめながらステラシアは隣をチラリと見上げる。

 淡い金の髪は、陽に透けながらも光を吸収して輝いている。滑らかだけれど生白いわけではない肌は、健康的で美貌を際立たせていて。紫の瞳は憂いを帯びたように伏せられ、金のまつげが影を作り出している。

 どこを見るともない視線がゆるりと動いて、ステラシアと目が合うと、なにもなかった表情がゆっくりと解ける。

 なんだか見てはいけないものを見た気がして慌てて顔を逸らせば、向かいの通りを歩いていた女性たちが、頬を赤らめて去っていくのが目に映った。

 なぜだか無性におもしろくない気分になる。


「アルトさまは……昔みたいに街に来たかったんですか?」


 モヤモヤとする気持ちを持て余しながら尋ねたステラシアに、どうしてかアルトラシオンは楽しそうな雰囲気で、組んだ足に頬杖を突く。


「かわいいな……いや、悪い。そうだな……俺は、街にはいつでも来られる」


 ムッとして膨れたステラシアの頬を楽しそうにつつきながら、アルトラシオンはそう言った。ステラシアが膨れている理由も、わからないくせに。ステラシアにも、わからないのに。

 そうやって簡単に、かわいいとか言わないでほしい。


「じゃあ……やっぱり、視察……?」


「クッ……いや、それは予想外だな」


 綺麗なだけだった表情が崩れ、片手で顔を覆いながら肩を震わせるアルトラシオンに、道行く人が驚いた顔を見せて通り過ぎていく。

 なんとなく「見ないで!」と叫びたくなって、ステラシアは傍らに置いていた木のコップを持ち上げ口を付けた。爽やかなフルーツの香りが鼻を抜けていって、少しだけ波立った気持ちが凪いでゆく。

 そうして、飲み終わったコップを置いたステラシアの前に、見覚えのある袋が差し出された。買ってからずっと、片時も離さずアルトラシオンが持ち歩いていた、魔奏函(オルゴール)の入った箱を包んだ紙袋。

 受け取れと言わんばかりに差し出され、ステラシアは戸惑った。固まったまま、突き出された手を見つめ続ける。無骨で、優美とは言い難くて、ゴツゴツとした剣を握る騎士の、それ。

 ゆっくりと辿って見上げたアルトラシオンは、驚くほど優しい表情でステラシアを見ていた。


「ステラのために、買ったんだ。気に入ったんだろう?」


「で、でも……受け取れません……わたし」


「……今日は、大事な日だとマリン嬢に聞いた」


 コツン、と膝の上に袋ごと箱が乗せられる。アルトラシオンの手がステラシアの指を取り、そっと爪の先を撫でた。


「大事な、日……?」


「ステラが生まれた、大事な日だ。街歩き、楽しかっただろう? 食事はどうだった? 美味かったか? 楽しかった? おまえが楽しかったのなら、俺はそれが一番嬉しい。そして、これは、俺が、おまえに受け取ってもらいたいと思ったものだ」


 その言い方はズルい、と思う。

 "ステラシアにあげたい"ではなく、"アルトラシオンが受け取ってほしいもの"なんて言われたら。

 そんなの、拒むことなんて、できないのに。


「……っ、ありがとう、ございます」


 震えそうになる指先で、魔奏函の入った袋の取っ手を握りしめる。両手で抱えて、そっと抱きしめた。

 本当は、あの店で触らせてもらった時から、とても気に入っていた。けれど、今のステラシアには自由にできるお金が一つもないから。


「ありがとうございます……アルト様。大事にします」


 もう一度、噛みしめるようにお礼を言った。

 誰かに何かを貰うのが、こんなに嬉しいことだとは思わなかったのだ。

 アルトラシオンからはたくさんのものを与えられているけれど、なぜだか今までで一番――胸が締め付けられるほどに。嬉しい。


「生まれた日だからって、なにかを貰ったのは初めてです……」


 驚いた顔をするアルトラシオンに、ステラシアは笑ってみせた。


(どうしてアルトさまは、わたしにこんなに心を砕いてくれるんだろうなぁ……)


 魔奏函を抱きしめながら、そんなことを思う。 

 ステラシアにとっての生まれた日は、特別に祝うようなものではなかったのだ。双星の月の十五の日。豊穣を願う祭が終わり、翌月に秋が深まり、収穫期が近づき、冬の支度を始める頃。そんな認識でしかなかった。

 唯一、いつもと違うな、と思うのは、この日だけは師匠がなにか一つだけ、ステラシアの願い事を叶えてくれる日だった、ということだろうか。

 そう、ポツポツと告げれば、アルトラシオンは呆れた顔をして、そして徐々に怒りを押し込めたような表情になった。


「おまえの師匠とやらは、一体どんな子育てをしていたんだ」


 呆れたのは師匠に対してだろうが、怒りの理由がわからず、ステラシアは首を傾げる。


「わたしたちは師匠と弟子なので、師匠は子育てをしてるつもりはないと思いますが……」


 呟いた途端、腕が伸びてきて、ステラシアは手にした魔奏函ごと男の広い胸に抱きこまれていた。


「ステラ……俺は、おまえが生まれてきてくれたことに、感謝する」


「あ……」


 驚いたように、ステラシアの体が硬い腕の中で跳ねる。左胸の奥のほうが、一度だけ大きく鳴った気がした。

 何か、言わないと。そう思うのに、薄く開いた口からは掠れたような小さな声が漏れるばかり。

 生まれてきたことを、感謝されたことなんて、一度もない。


(嬉しい……嬉しいと思うのに。どうしてだろ……なんで、こんなに、怖いの?)


 ぎゅっと、腕の中の魔奏函を抱きしめる。抱え込まれるがまま、固くて広い胸に額を押し付ける。キツく目を閉じた。

 暗闇の向こうで、誰かが何かを喋っている。『――なんて、生まれてこなければ……かっ……よ……!』赤い目が、光って。憎々しげに、こちらを見て。そして――石が、飛んできて。太陽の色をした瞳が見開かれて、ゴツンと頭に当たったナニかが痛くて、赤いナニかが流れて……。視界が赤に染まる。太陽が手を伸ばして、何かを言ったけれど、誰も彼もがステラシアを追い出そうとして、笑い声が聞こえて、それで――


(ああ……これは、昔のこと。でも、あの赤い目は――誰だろう)


 ズキッと頭が痛んだ。思い出そうとすると、頭の中で何かが暴れまわっているような感じがする。グルグルと目が回り、体を保っていられない。

 身を預けるようにして、ステラシアはアルトラシオンの黒い服を握りしめた。


「ステラ? どうし――っ!?」


「きゃあぁぁあ!?」


「うわあああっ」


 突如、悲鳴が響き渡った。アルトラシオンが、ぎゅっとステラシアをさらに深く腕に抱きこむ。離れずにいた護衛たちが走り寄ってきて、守るように壁を作る。


「う……っ」

 

 ビクリとステラシアの肩が跳ねた。アルトラシオンの腕にも力が籠められる。

 覚えのある臭いが漂ってきている。うっかり深く吸い込んでしまえば、今食べたものが逆流しかねない。ただでさえ、目眩が酷いというのに。


「……ステラ、ここにいろ。すぐに片付ける」


「……はい」


 素直に頷いたステラシアを見つめ、ゆっくりとアルトラシオンは体を離す。見上げたステラシアがそんなにも不安そうな顔をしていたのだろうか。優しく頭を撫で、緩やかな瞳を向ける。大丈夫だと、その目だけで告げていた。


「魔獣だ!!」


 誰かが叫ぶ声がした。それだけで、公園全体の空気が凍りつく。昼間なのに……? 誰もがそう思い、動けないでいる。けれど、その緊迫はいつか弾けるものである。

 そうなったら、もう、手に負えない。人は誰しも、死にたくないのだから。魔獣に襲われた者の末路を知っている者なら、なおさら。


「魔獣の相手は俺がする。おまえたちは先に避難誘導をしろ。平民側にはグレンを筆頭にして行け。そっちはパニックになる可能性がある。貴族側はイアンを筆頭に、ウケの良いのが行ってくれ。アイツらはコトの重大さを理解なんぞしていない。なんとかこの公園から追い出すんだ。ウィルは全体の把握。全員、終わったら、戻ってこい。一人じゃ手が回らん」


「はっ!」


 素早く指示を出すアルトラシオンに、踵を当てた礼をして護衛だった騎士たちが散っていく。

 アルトラシオンから二言三言、言葉をかけられた彼の従者が慌てたように公園から去っていく。

 シャラ、と金属の擦れる音をさせながら、アルトラシオンが黒い剣を抜く。

 見える範囲に、一匹の魔獣が走り込んで来た。


「行ってくる」


 風に乗って聞こえたその一言。走り出したアルトラシオンの背が遠ざかっていく。


「アルトさま……っ」


 彼の強さは知っている。残酷さも、非道さも、経験した。けれど、無事を祈らずにはいられない。魔奏函ごときゅっと手を握り、ステラシアはその背を見守ることしかできなかった。

楽しくデートを終わりたい。終わるといいな。終わるよね。

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