本日は晴天なり。デートには絶好の日和です。①
季節を少し間違えていて、直しました。色々と…悲しみ
「う、わぁ……!」
賑やかな街並みが目に飛び込んできて、ステラシアは歓声を上げた。
馬車からエスコートされながら降り立った場所は、第一王子宮と城下のちょうど境だった。以前、こっそり第一王子宮を抜け出して下りた道でもあったけれど、馬車だとあっという間なのだと痛感する。
双星の月は、晩夏の月。本格的に秋が深まるのは、来月に入ってからだろう。
地方では一週間ほどで終わる豊穣祭も、王都では月の終わりまで行っているらしい。朝の準備のときに楽しそうに教えてくれたマリンを思い出し、ステラシアの頬も緩む。
そんな彼女も、今回はステラシアとともに簡易な街歩きスタイルで後方に控えている。
振り向いて目が合えば、ニッコリと可愛らしい笑顔で応えてくれる。隣に立っている護衛の二人も一緒に。
月の初めの夜会から十日以上も過ぎた今日、ステラシアはアルトラシオンとともに城下に降りてきていた。
明け方、第一王子の寝室に入ったときには何も言われなかったのだが、朝食の席でいきなり「今日は街に行くぞ」と切り出されたのだ。
(まあ、たしかに、着替えのときにもソワソワしていたような気もするんだけど)
アルトラシオンの宣言からあれよあれよという間に笑顔のマリンに着替えさせられ、あっという間に馬車に乗せられていた。
夏のものとは少し違う、乾いてほんのり冷たい風が、ひゅるりとスカートを揺らしステラシアの銀の髪を舞い上げ遊んでいく。
「ステラ、ほら。早く手を出せ」
今朝のことを思い出して遠い目をしているうちに、頭上からやたら低い声が降ってきて、ステラシアはそろりと正面に向き直った。
目の前には、指の長い綺麗な手。馬車からエスコートされたあとにパッと離してしまったが、その時の状態のまま、ステラシアの前に差し出されている。
「で、でも、あの……」
「なんだ?」
夜会で何度もつないだのだから問題ないだろう、と宮を出るときにも言われたが、そういう問題ではないと思う。あれは仕事だったからで、必要にかられてのことだったし、逆に今は何ない平時の状態で――つまり、王子と側仕えの関係で――、手をつなぐのはおかしなことだと、誰もがわかるはずなのに。
「ステラ、お前は側仕えとして俺を満足させる必要があるな?」
「えっ? は、はい……」
「だったら、これも立派な側仕えの役割だ。ほら、いいから早くしろ」
「うっ、うぅー……は、はいぃ、わかりまし、た……」
そうやって真顔で諭されてしまうと、もう何が普通で、何がおかしいのかもわからなくなってくる。
(こ、こんなふうに渋るわたしが、おかしいの……かなぁ!?)
差し出された手は、ひたすら眺めていても揺らぐことなくそこにある。そこに恐る恐る右手を乗せると、直接触れる温かさに息を呑んだ。
夜会時とは違い手袋越しではない、素肌の感触。王族らしく滑らかで、けれど剣を握る騎士らしくゴツゴツしている、ステラシアの手をすっぽり覆ってしまう男の人の手。
躊躇いつつも何度もつないだというのに慣れなくて、ジワリと手のひらが熱くなる。
「あ、あの……殿下、やっぱり……」
もしかして汗をかいているのでは? と呼び止めるも、さっさと歩き出してしまったアルトラシオンは止まらない。
引っ張られるままに足を動かしながら、ステラシアは必死になって後を追った。
貴族街から商業区へと足を踏み入れると、やはりざわめきが大きくなる。人の出は多く、油断すると知らない誰かと肩がぶつかりそうになってしまう。そのたびに、横から肩を抱かれて庇われるので、ステラシアはだんだん申し訳なく思えてくる。
「あ、あの……殿下。申し訳ありま……ん!?」
「ステラ。違うだろう?」
「…………ぅ、はい……アルト、さま」
街への道すがら、「今日はお忍びだから、『殿下』はダメだ」と言われたことを思い出す。"お忍び"というほど、アルトラシオンは変装もせず普段通りなのだけれど。
なんとか名前を――それも愛称を口にするが、そのたびに心臓がドキドキと高鳴っておさまらない。
だというのに、ステラシアが呼び間違えるたびアルトラシオンはこうやって、唇を押さえて言い直させるのだ。
「こ、これじゃあ、王子宮に戻ったあとも、呼んでしまいそうです……!」
少し離れた後方でニコニコ笑いながら二人を見守っている護衛や従者たちが、「むしろそれを狙ってるのでは?」と考えていることなどもちろん知らず、ステラシアは困ったように声を上げた。
頬を押さえたステラシアの片手を、アルトラシオンが取り上げて握る。
「呼べばいいだろう」
「はいっ? でん……いえ、アルト、さま……!?」
シレッと護衛たちの思惑を肯定して、手を引いたままアルトラシオンは歩き出す。ステラシアの抗議など、彼にはどこ吹く風だ。
商業区は、先月一人で来た時よりも活気があった。道の端に並んでいる露店も数があり、人の多い街中を歩くことに慣れていないステラシアは目移りしてしまう。
「ステラ、どこに行きたい?」
柔らかな声でそう尋ねてくるアルトラシオンに甘えて、ステラシアは商業区の端から露店を見て回る。
雑貨や装飾品、服飾品まで青空の下で売り買いしているから、おもしろい。途中、見覚えのある露店商と目が合って、隣に目を向けたあとににこやかにウィンクされたことは解せないけれど。
中でも、ステラシアの興味を引いたのは、魔法道具だった。明かりをつける魔光燈はどこにでもあるので知っているが、娯楽的なものはほとんど知らない。
「これ、かわいいです!」
両手で持った魔法道具を掲げながら、ステラシアはキラキラした瞳でアルトラシオンを見上げた。
台座にある紋様に魔力を流すと、据えられた青い鳥が羽を広げ、クルクル回りながらさえずり始める。そのさえずりと調和するように、柔らかな音楽が台座のあたりから流れ出す。
手のひらに乗るような小さな魔奏函。けれど、ただ音が鳴るだけではないその愛らしさに、ステラシアは目を輝かせた。
本日いちばんの笑顔を見せるステラシアの様子に、パチリと目を見開いて、アルトラシオンはゆっくりと笑みを浮かべる。つい先ほどまで無表情だった男の、その綺麗な顔に店主が目を奪われていることには気が付かず、ステラシアの頭をそっと撫でた。
「それが気に入ったか?」
「はい! かわいいので……」
「なら、それを買おう」
優しい笑みでステラシアを眺めたあと、アルトラシオンは露店の主に声をかけ始めてしまう。ステラシアは、慌てて制御板である紋様に触れて魔奏函を止めた。
「で……っ、ア、アルト様! ダメですよ!」
元の位置に戻そうとするステラシアの手から、魔奏函を取り上げると、アルトラシオンはそれを店主へと渡してしまう。袖を引っ張って
止めようとするも、なぜだ? と言う顔で見下されて言葉に詰まる。まさか「側仕えだからです!」とも言えずまごついている内に、アルトラシオンはさっさとお金を払ってしまった。
大銀貨二枚もだ。値札には小銀貨一枚としか書かれていないのに。
店主からしたらビックリするくらいの上客だろう。鼻歌を歌い出しそうなほどに機嫌は上向き。ニコニコといい笑顔で丁寧に魔奏函を包み、なにやら可愛らしい紙の袋にまで入れて手渡してくる始末。
「ああ…………ありがとう」
受け取って、間を空けてから礼を告げるアルトラシオンに驚いていると、また手を引かれて通りを歩き出す。
「あ、あの。アルトさま……」
「どうした?」
「なんで、買っちゃったんですか?」
「ん? 気に入ったんだろう?」
「そ、れは……!」
そう、なんだけども……。
そういうことを聞いてるわけじゃないというのに。けれど、ステラシアの手を引きながら普段よりもなんだか上機嫌な様子で歩く王子様を見ていたら、彼女は何も言えなくなってしまった。
その後も、ステラシアが気に入ったものをなんでも買おうとするアルトラシオンを、なんとか宥めつつ、二人は商業区を余すことなく見て回る。距離を空けて付いてきている護衛たちの目が生温く注がれていることに気がついたときは、いたたまれない気持ちになった。
露店で買った魔奏函も、アルトラシオンがずっと手に持っているため、交代を申し出たのに、彼は頑としてステラシアには譲らない。
数回そんなやり取りをして最後に断られたときに、ステラシアは「もういいや」と開き直った。
手を繋いでいることも、王子様に荷物を持たせていることも。
全部気にしないようにして、ただひたすら商業区を練り歩くことにしたら、アルトラシオンの機嫌はもっと良くなったのだ。
それが、ステラシアは嬉しかった。
(なんだろ……。殿下が楽しそうだと、胸のあたりがあったかい)
思いの外、お忍びで出歩くのが楽しくて。以前一人で出かけたときとは比べ物にならないくらいドキドキして。豊穣祭の賑わいもあって、ステラシアは始終笑顔が絶えないでいる。
「あ、」
ふと、ピタリとアルトラシオンの歩みが止まった。気になって見上げたステラシアの耳に、リーン……、ゴーン……という鐘の音が届く。
王都の中央寄りにある、時計塔の鐘の音だ。前回はあの音を聞いて焦ったけれど、今日は違う。くぅぅと鳴る音を宥めるように、二人してお腹に手を当てる。
「…………食事に、するか」
「そうですね。時間を忘れてしまいました」
「――楽しかったか?」
唐突に問われ、ステラシアは笑顔で頷いた。
「はい、とっても!」
ふ、と吐息のような笑い声に見上げれば、柔らかく細められた紫眼に迎えられる。それがあまりにも優しい色をしていたから、ステラシアはパッと視線を外して下を向いた。
(え……と。なん……なに?)
「ステラ……ステラ?」
「は、はいっ?」
「いや、どこで食べたい? と聞いたんだが……どうする? リストランテで良ければ連れて行くぞ」
予約はしていないがまぁ、なんとかなるだろ、と呟きながらアルトラシオンは貴族街の方へと足を向ける。それに付いていこうとしたステラシアだったが、目の端に映ったものに惹かれ足を止めた。クイッと引っ張られたアルトラシオンが訝しげに後ろを振り向く。
「ステラ?」
「アルト様! わたし、あれが食べたいです」
ステラシアが指差したものに視線を向けて、アルトラシオンの瞳が大きく見開かれた。そして、クッと喉の奥で笑いをこらえるようにする。
「あ……で、でも、王子様に屋台の食べ物は……あ! ど、毒味? とか必要ですか……?」
「いや……わかった」
へニョンと下がってしまったステラシアの指先を掬うと軽く唇を落とし、アルトラシオンが歩く向きを変える。
毒は効かないから気にするな、という言葉が聞こえてきた気がして怖かったのだけれど、ステラシアは慌ててその広い背中を追いかけた。
デートだデートだ!なんでデートだ??




