きらびやかな会場で③
第二王子――アストリオル・ディント=ポーラリアス。
第一王子であるアルトラシオンとは真逆の白い礼服に、黒字に金の刺繍の施された丈の短いマントを片側にだけ羽織っている。留め具には燃えるような赤の貴石。
マントには、王家の紋章である星の意匠と、魔法騎士団の証でもある杖が刺繍されていた。そこで思い出す。アストリオルは魔法騎士団の副団長だと。
兄よりも明るい金の髪は襟足で切り揃えられ片側だけが長く伸びていて、白い頬を縁取っている。表情はニコニコと明るいが、アルフォレスタとよく似た赤みの強い金の瞳は、隠しきれない鋭さを持ってステラシアを射抜く。目元は少し、アルトラシオンに似ている。
「キミ、ステラ……だっけ?」
横髪を耳にかけながら問いかけられ、慌ててスカートを摘んだ。そんなステラシアに、アストリオルは「挨拶とかいいよ別に」と言い放つ。
露わになった彼の耳には、白い耳飾りがあった。金の鎖が、耳朶と耳輪を繋いでいるのが見える。
「ねえ、どうして兄上と一緒にいるの? どうやって取り入ったの? なにが目的?」
「え? あの、ええと……」
先ほどから、ずっと感じていた強い視線は、彼のものだったようだ。表情とは違い、ちっとも笑っていない金瞳に頭の天辺から足のつま先までじっくり眺められた。見分されていると感じる。ダリオ・エウリコ=ミザーリにも同じことをされたが、それ以上の居心地の悪さを覚えて、ステラシアは思わずアルトラシオンへと身を寄せた。
矢継ぎ早の質問に口篭れば、友好さを感じさせない瞳がさらに冷たく光る。
「アストリオル。私が父上に申し上げた内容は聞いていただろう? 彼女は私が拾ったんだ。取り入られた覚えはない。だから、あまり、ステラを困らせないでくれ」
腰を強く引き寄せられたかと思えば、頭上から降ってくる柔らかな声音に、ステラシアは目を瞠る。
まるで、出会った頃の彼のようだった。
(殿下……?)
素のアルトラシオンは、どちらかというともう少しだけ砕けた話し方をする。少しだけ、尊大で、少しだけ強引な、けれど高貴さを失わない、そんな話し方だ。
先ほどは、父であっても国王の前だから畏まっているだけなのかと思ったが、まさか、実の弟にまでその態度を崩さないとは思わなかった。
瞬きの間で唇を噛み締め、ステラシアを軽く睨んだアストリオルだったが、すぐにその不機嫌さを引っ込めてにっこりと笑う。
その作られた優雅で完璧な笑みに、ステラシアはぶるりと震えた。
「ああ、怖かった? 困らせてごめんね。僕は、アストリオル・ディント=ポーラリアス。この国の第二王子だよ」
「す、ステラ・エル=フィールド、と申します……こちら、こそ、あの……」
よろしくね、と差し出された手に震える手を重ねる。存じ上げてます! と言うこともできず無理矢理に口元に笑みを浮かべたステラシアの手を、アストリオルはゆっくりと持ち上げた。
「……ひぇっ!?」
ちゅ、と柔らかな感触が指の先に当たった。驚きのあまりおかしな声が飛び出てしまい、慌てて口元を押さえる。ふふっと笑う吐息が手を滑り降り、ふらりとよろめいた。
隣にある温もりにすがりつく前に、すかさず横から黒い腕が伸びてきて、アストリオルの腕を払い落とす。
「アストリオル」
「っ、……そんな兄上、初めて、見た。……あーあ。ちょっとした挨拶だったのに」
ヒラヒラとアストリオルが払い落とされた手を振る。そっかそっか、へぇ……という呟きを拾ったアルトラシオンが、スッと目を細めるが、ステラシアはそれどころではない。
(でっ、殿下以外の人に初めてキ……きっ、き、キス……されたぁ!)
恐る恐る見上げた先で、アルトラシオンに似た青年が、彼とは似つかわしくないほどのにっこり笑顔でこちらを見下ろしている。唇で触れられた指先が変な熱を持ってジンジンと疼く。
(殿下と、ぜんぜん違う……)
熱がすうっと冷めていく感覚を覚え、ステラシアはきつく手を握りこんだ。その手を、アルトラシオンが掬い取り、上書きするように唇を寄せる。
「で、殿下……誰かが……」
「……大丈夫だ。ほら、みんなダンスに夢中で見ていない。そろそろ、別のところへ行こう。そうだな……あちらに食事が出ていた」
お腹が空かないか? そう言って微笑むアルトラシオンの表情に、ステラシアは見入ってしまう。
「ねぇ、もう少しだけ待ってくださらない!? お兄様たちばかりずるいわ! わたくしにもご挨拶させてちょうだい!」
こんどこそ階下に戻ろうとするアルトラシオンが、小さく溜息を吐いたのをステラシアは見逃さなかった。伏せた金のまつ毛がフルリと震え、緩やかに持ち上がると、そこには穏やかな色を乗せようとしたらしい紫眼が現れる。
ツイ、と視線を向ける先はアストリオルの黒いマントの後ろ。
王や王妃に守られるように後方にいた少女が、淡い金の髪をふわふわ揺らしながらひょこりと顔を覗かせる。薄い紫の瞳が、興味深そうにステラシアを見つめ、キラキラと輝いた。
にっこりと笑う表情には、アストリオルと違い含むところがまったくない。瞳は王妃譲りだが、顔立ちは両親の良いところだけを集めたような可愛らしさだ。身にまとうドレスもふわりとした彼女によく似合っている。
背後の近衛騎士が止めるまもなくアストリオルの後ろから飛び出ると、少女は小動物のように歩み寄って、ステラシアの目の前に立つ。
「わたくしは、ローゼリア・シエラ=ポーラリアス。16歳よ。ねぇ、ステラって呼んでもいいかしら? わたくしのことはローゼって呼んでちょうだい!」
淑女らしくない満面の笑みで詰め寄られ、ステラシアは一歩、たたらを踏んだ。
すごく、グイグイ来る。驚くくらい。
「い、いえ! そんな、お名前でなんて……」
それも愛称でなど、恐れ多くて卒倒してしまう。そうでなくても、今ここにいること自体がおかしなことだし、そもそもステラシアの身分では王族と言葉を交わすことすら憚られる。
そう考え、慌てて両手を振るステラシアに軽く頬を膨らませると、ローゼリアがずいっと迫る。
焦りながら視線を向けたアルトラシオンは、アストリオルとともにローゼリアとステラシアを眺めていた。目が合うと柔らかく双眸を細めて見つめられ、ステラシアは小さく呻く。
「ローゼがいいって言ってるんだから、いいんじゃない? ねえ、兄上」
そんなステラシアたちをおもしろそうに見ていたアストリオルが、自身の兄に目を向けた。
「そうだな、良いんじゃないか?」
腕を組み、小さく息を吐きながらアルトラシオンが頷けば、ローゼリアの表情がパアッと花が咲いたように明るくなる。その姿を見たアルトラシオンの唇が、僅かにほころんで上を向く。
「ね! シオンお兄様もこう仰ってますし。ぜひ、呼んでちょうだい、ステラ!」
キラキラと眩しい笑顔とともにそう言われてしまえば、これ以上断り続けることなどできない。
ステラシアは体ごと近づいてきたローゼリアにそっと手を差し伸べた。
「か、かしこまりました……では、ローゼ様、と」
ステラシアが差し伸べた手を両手で力いっぱい握りしめ、ローゼリアは嬉しそうに笑う。ついでに「敬称はいりませんわ!」と言われたが、それだけは断固拒否させてもらった。
◆ ◆ ◆
年齢が同じということがわかると、ステラシアとローゼリアの会話はにこやかに進んでいった。「こんど、お茶会にお誘いするわ」という王女の言葉にひたすら恐縮しながらも、ステラシアも始終楽しく会話ができていたと思う。
そんな二人を微笑ましげに見ていたアルトラシオンとアストリオルが、高位の貴族たちに囲まれて見えなくなる。
その隙を見計らったかのように、どこかの令息がローゼリアをダンスへと誘った。
王女であるローゼリアでも、断ることのできない相手のようで、困ったようにチラリと視線を向ける彼女に、「気にせずにどうぞ行ってきてください」とステラシアは笑顔で送り出す。
そうして気がつけば、ステラシアは会場の壁際でひとりポツンと立つことになっていた。
(こ、これが『壁の花』ってやつ! んん、いや、花は言いすぎかな……)
街の図書館や、第一王子宮の図書室で読み漁った大衆向けの物語を思い出しワクワクするが、その興奮も徐々に萎んでいく。
きらきら、くるくる。舞い散る光を返すように、色とりどりのドレスが舞い踊る。その様子をどこか遠いところから眺めながら、ステラシアは深く細く息を吐いた。
誰もかもが身にまとう香水の香りも、人々の熱気も、この壁際からは膜を一枚挟んだような別世界だ。
遠目に、また違う貴族たちに囲まれて挨拶を受けるアルトラシオンが見えた。その隣に、美しく着飾った令嬢がいる。挨拶に来た貴族が、自分の娘を紹介しているようだった。
頬を染め、はにかんだように微笑む見知らぬ令嬢に、笑顔はないけれど穏やかな表情で接するアルトラシオン。その姿を見て、ステラシアは胸を押さえて俯いた。
(なんか、遠いなぁ…………殿下)
なぜか、左胸の奥のほうがツキツキと痛む。下を向いて、唇を噛んだ。どうしてこんなに胸が痛むのかわからない。
(これは、そう……"あの日"わたしの周りから友達がいなくなった時みたいな……)
思考が、過去へと飛ぼうとする。目に映る青銀色のドレスがぼんやりと霞んだような気がする。
(そっか……わたし、さみしい、のか……)
身に余る美しいドレスに、靴。似合うと言ってもらえたそれらが、途端に自分には不釣り合いな気がしてくる。まるで所有権を主張しているような耳飾りと首飾りも、それがアルトラシオンの色だと思えば急に重く感じてしまう。
たった二月半ほど前にアルトラシオンに拾われてから、ステラシアの周りは賑やかだった。まるで、いつかの昔に戻ったかのような、そんな。
大量の教材を渡されて、仕込まれた教養をさらに磨いて、雲の上の人たちと接して。気疲れすることもあったけれど、自分は楽しかったのだとステラシアは気がついた。
だから、こうしてひとりになると心が、思考が、すぐに後ろ向きになってしまうのだろう。
そこまで考えて、磨き抜かれた大理石の床の一点を見つめていた視界に、唐突に自分のものではない靴が映り込む。一つではない。二つ、三つ、四つ……何事かと顔を上げたステラシアの目の前に、華やかに着飾った少女たちが並んでいる。
「あ、の……?」
あまり友好的ではない彼女たちの視線に、ステラシアは戸惑った。
慌てて周囲に視線を走らせるものの、令嬢たちが壁のようにぐるりと囲っているため、アルトラシオンたちの姿を見つけることができない。
いつ護衛としてそばにいるイアンやマリンは、ダリオと連れ立っていってからまだ姿を現しても いない。
ひとしきりあたりに視線を彷徨わせ、おずおずとした様子で目の前の少女に向き直る。その様子を眺めていたらしい少女が、目があった途端に鼻で笑った。その目には、確実にステラシアを嘲る色がある。
「礼儀がなっていませんのね」
手にした扇を広げ口元を隠しながら、少女が口を開く。キンと高い声に、肩がビクリと跳ねる。
「あなた……殿下とともに入場なさっていたわよね? もう一度名乗ってくださる? 聞いたことのない家名だったのだけれど」
その言葉を皮切りに、周囲の少女たちも追随するようにヒソヒソと話し始める。
「本当に。もしかして、わたくしたちも存じ上げないような辺境からいらっしゃったのかしら?」
「まあ! わたくし、ギーナン伯家以上の辺境なんて知りませんけれど、あちらは星の名を持つ家柄ですもの……田舎と呼ぶのは烏滸がましいですわよね」
「あら……だから、あんなにも質素な出で立ちなのかしら?」
「ダメよ。もう少し言葉を選ばなければ……質素だなんて。頑張って着飾ってきたのに失礼になるじゃない。……ねえ?」
パチンと扇を閉じたその音で、少女たちのささやき声もピタリと止む。音楽の奏でられる会場には聞こえない、けれど、中心にいるステラシアには聞こえるという絶妙な話し声に、彼女たちの性根が透けているように感じる。
(わたしのこと、"田舎者"って見下したいんだろうな……)
結論づけて、気づかれないように溜息を吐く。
いいのだ。それ自体は構わない。見下されることも、嫌われることも、避けられることも、ステラシアは経験済みだ。罵られて、石を投げられることだって、慣れている。ただ、あの痛みを、忘れられないだけで。
――だけど。
「あなた……どちらにお住まいなの? まさか、殿下に無理矢理パートナーにしろと迫ったわけではありませんわよね? あの方はパートナーを伴わないことで有名ですもの」
「え……?」
少女の言葉に、素の声が漏れる。
パートナーを伴わない。それがどういうことなのか、ステラシアにはわからない。
「え、でもだって、殿下がパートナーになってくれって……言ったのに……」
呆然と呟いたステラシアの台詞は、周囲を囲んでいる令嬢たちに伝わり、波紋を広げる。ざわりと動いた空気が重くなり、ステラシアは肩を跳ねさせた。
どんどんどんどん長くなる……ので、分割




