いざ、夜会へ!
日々はあっという間に過ぎ、とうとう双星の月がやってきた。晩夏の季節だ。
この国の秋はひと月と短い。だからこそ、秋を迎えるための豊穣祭は、国を挙げての大祭となる。
都市も、街も、村も、そこかしこに出店が並び、賑やかになるのだ。王都もそれは例外ではないらしい。
とはいえ、残念ながら、ステラシアは朝から夜会の支度に追われ、城下で催されている祭りには行けなかったのだけれど。
「ステラちゃーん! 下でうまそうな菓子が売ってたから、買ってきたぜ!」
軽いノックの音に入室の許可を出すと、扉を開けたマリンの頭越しに、クリフォードが笑顔で手を振っていた。
「ちょっと、クリフォード様! 支度中の淑女の部屋に押しかけるとか、なに考えてるんですか!」
扉と、クリフォードの大きな体の間に挟まってしまったマリンが、彼の腕から包みを取り上げて怒る。その後ろで、イアンがなんだか生温い目をして、ふたりを見つめている。
この光景も、すっかり日常になってきた。そんなことを考えながら、ステラシアは復習のために開いていた例の教材を閉じた。
「これは……揚げたお菓子ですか?」
「もう! これからドレスを着るステラ様に揚げ物なんて……あ、でもこっちは焼き菓子ですね。ステラ様、揚げ菓子は一個までですよ。その代わり、軽く昼食を用意していますから、ちゃんと召し上がってくださいね」
ローテーブルに置かれた袋の中を覗き込み、目を輝かせたステラシアは、マリンの注意に重々しく頷いた。
(そうだった……ドレスが待ってるんだった)
まだほんのりと温かい揚げ菓子に口を付けながら、ステラシアはため息を吐く。
まさか、夜会の準備がこんなにも大変だなんて。
朝からマリンや他の使用人たちに浴場へ連れて行かれ、頭からつま先まで念入りに磨かれた。体中を見られて恥ずかしがっている余裕など、どこにもなかった。
髪にも肌にも香油を塗りこまれ、爪も磨かれ、マッサージもされた。なんだかもう全身艶々になってしまった気がする。
いまは部屋着に着替えさせられているけれど、これから仕立て上がったドレスを着付けられ、化粧をして、髪を結われるのだ。それだけでもう、ひと仕事終えたような気分になる。
夜会って夜だよね……? と思ったけれど、マリンたちの気迫に押され、ステラシアは口を挟むことすらできなかった。
ちなみに、アルトラシオンの側仕え業は、今日はお休みだ。その代わりが、彼のパートナーとしての、夜会出席である。
「ステラ様、イアン様が昼食を取りに行ってくれるそうです。今日はお部屋で食べましょうね」
つまり、食堂でのんびり食事をする時間はないということだ。もうひとつだけ、と心の内で呟いて、焼き菓子を咀嚼しながら小さく頷いた。
「じゃ、残った菓子はマリン嬢が食えばいい」
「……ステラ様にお持ちしたのではないのですか?」
「――ふたりに買ってきたんだよ」
どことなく様子のおかしい彼らに首を傾げながら、ステラシアは礼儀正しくお礼を言う。
「ありがとうございます。クリフォードさん。お菓子、おいしいです。マリンさんも、せっかくですし一緒に食べませんか?」
「いえ……わたしは支度がありますから……」
「んなかたっ苦しいこと言わねぇで、ほら」
「ンぐっ!? ん……っ、ケホッ…………クリフォード様!!」
袋から焼き菓子を取り出したクリフォードが、マリンの口に容赦なく突っ込む、その一部始終をステラシアは見てしまった。
マリンが可愛らしい目を吊り上げて怒っているが、彼が意に介した様子はない。しばらくして、彼女の口もとに手を伸ばしたクリフォードが、ふ、と目を細めてマリンを見る。
普段の飄々とした彼の、あまりにも優しい表情に、ステラシアはドキリとしてしまう。思わず見つめすぎたせいだろうか。目が合って、にやりと笑われた。
「ハハッ。じゃあなーステラちゃん! また、会場でな!」
軽快な笑い声を上げつつ肩越しに手を振ると、マリンが食べ残した焼き菓子を口に放り込んで、クリフォードは去っていく。
嵐のように現れ、嵐のように立ち去った男を、ステラシアは呆気にとられながら見送った。そして、被害にあったマリンに労るような目を向ける。
「大変でしたね、マリンさん」
「……ううっ、本当に! なんで、あんなに自由なんですかね!?」
「――申し訳ありません、おふたりとも。クリフォードのこと、嫌いにならないでやってください」
控えめにノックをして入室してきたイアンが、眉を下げて笑いながら、テーブルに皿を並べていく。
普段よりは少ない量の食事――。
けれど、これからコルセットで締め上げられることを考えれば、ちょうど良い。
「嫌われたくなければもっと人のこと考えればいいのに……」
ぶつぶつ呟くマリンに苦笑しながら、これから始まる夜会に備えて、ステラシアはスプーンを握りしめたのだった。
◆ ◆ ◆
今宵の夜会は、王城の上階にある大ホールで行われるということだった。
王城とは、政治の場であり、その最上階は王族の住まうところである。
第一王子宮で公務をこなし、第一王子宮のみで生活をしているアルトラシオンが、少々異質なのだ。そして、その第一王子に拾われたステラシアは、この宮以外の場所を訪問したことがなかった。
そう、だから、アルトラシオンが最初からステラシアをエスコートするのは、以前から話し合って決めていた――の、だけど。
「……ううっ、緊張で倒れそうです」
マリンとイアンに付き添われながら、階段を降りる。宮の入り口に向かう途中で、ステラシアは大きく息を吐き出した。
この先にはアルトラシオンが待っているはずだった。直前まで公務が詰まっていて、迎えに行けそうにないと、詫びのカードが花と一緒に届けられていたから。
「ステラ様なら大丈夫ですよー」という根拠のない励ましを受けながら、玄関ホールまでたどり着き、ステラシアは足を止めた。
入り口に、アルトラシオンが立っている。
黒い衣服は普段の騎士服と似てはいるが、それよりも幾分か華やかな印象だった。先日の晩餐の時よりも豪奢で、金糸で精緻な刺繍が襟や袖に施されている。
それを纏うアルトラシオンは、淡い金の髪をいつもより高い位置でまとめていた。
変わらない美貌。その横顔をぼーっと眺めていれば、紫の瞳がゆるりと動いてステラシアを捉えた。星のような銀色が、その瞳の中で煌めいて見える。
「いつまでも近づいてこないから、どうしたのかと思ったが……」
僅かに目を見開いたアルトラシオンが、ステラシアへと歩み寄り、頬へと手を伸ばす。
触れるか触れないか、微かな熱を灯しながら、指先が耳の先にある宝石を揺らした。
「綺麗だ。……美しいな、ステラシア。よく、似合っている」
「……っ、ありがとう、ございます……」
殿下のほうが輝かんばかりですよ! と思うが言えるはずもなく、ステラシアは真っ赤になって俯いた。
(こ、こんな人と、並んで歩くの!? わたし……!)
早まったかもしれない。いや、絶対に早まった。いくら師匠の捜索と引き換えだとしても、即答なんかするんじゃなかった、かも。
視界に、歩くたびにふわりと揺れるドレスの裾が映る。
採寸の日にアルトラシオンが認めてくれた生地は、言葉にできないほど綺麗なドレスとなって、ステラシアのもとへと届けられた。
青銀を混ぜたような白い布地は胸の下で切り替えられ、そこから足元に向かって柔らかく広がっていく。その裾に、銀糸で星を象った細かな刺繍が施され、灯りの加減できらりきらりと光って見える。
予約で埋まっている人気の仕立て屋と聞いていたのに、仕事が早すぎて驚いてしまう。もしかしなくとも、相当な無理を言ったのではないだろうか。どうお礼をすればいいのか検討もつかない。
靴も、プレゼント攻撃でたくさんあるというのに、アルトラシオンがあの日見立てていった。星灯りの下でダンスをしたあのときと同じくらい、ヒールの高い銀の靴。
歩くたびにドレスの裾からチラリと覗く輝きに、思わず目を奪われそうになる。
チャリ、と金属の触れ合う音がして、ステラシアは顔を上げた。
耳元で揺れるイヤリングを、アルトラシオンが指で遊んでいる。
耳飾りと、そして胸元のペンダントを見つめる瞳が、いつもより嬉しそうに見えて、ステラシアはいたたまれないような気持ちになった。
(ほんとう、殿下ってば……わたしにこんな色のアクセサリーなんか作らせちゃって、どうするつもりなの……?)
見る人が見れば、イヤリングもペンダントも、そして髪飾りも、付けられている宝石の色が何色か、気がついてしまうだろう。
透き通るような、紫。
それは、第一王子アルトラシオンの瞳の色。
それを、銀細工で加工するなど、完全に――。
(殿下の色って、バレちゃう)
「アクセサリーも、時間がなくていちからは作れなかったからな。次はデザインから描き起こして作らせよう」
上機嫌にそんなことを言うアルトラシオンに、ステラシアは息を呑む。
「でっ!?…………殿下。あ、あの」
「うん? なんだ、不満か?」
「い、いえ! 不満、とかそういうのではなく、ええと……」
青褪めながら周りを見渡せば、昼間に別れたきりのクリフォードと目が合った。
口元がにやりと笑みを作り、励ますようにウィンクを飛ばされる。
いやいや、そんなことはどうでもいいから、助けてほしい! 熱心に見つめるステラシアの斜め上に視線を向けたクリフォードが、ヒクリと口元を引つらせた。
「あー……あー、その、殿下? そろそろー、時間なんじゃねぇかなー……みたいな」
「………………そのようだな」
長い沈黙のあと。低い、それは低い声が頭上から降ってきて、ステラシアの肩が小さく跳ねる。
そっと見上げた視線の先で、アルトラシオンの口元がゆるりと弧を描く。声音とは違う甘やかな表情に、ステラシアは動きを止めた。
「では、行こうか。ステラ」
優雅な所作で手を差し出され、ステラシアは一度躊躇してから、その手を重ねた。
じんわりと温かな熱が手のひらに伝わり、息を吐く。ゆるく握られると、ドキドキが加速してしまいそうだ。
「準備はいいな? 今日、お前は俺のパートナーだ」
小さく頷いて、前を向く。師匠に叩かれた気がして、ステラシアは、ぐっと胸を張った。
これから、夜会に向かうのだ。俯いていては、隣を歩くアルトラシオンの恥になる。
けれど、己が側仕えであることも、決して忘れてはいけない。本来なら、関わり合いになることなどなかったのだと、自分に言い聞かせる。
――それでも、この手を取ったのだから。
不安に震えそうになる足を踏みしめて、ステラシアはアルトラシオンとともに、第一王子宮前に停まっていた馬車へと乗り込んだ。




