星灯りの下でダンスを②
ドレスのための採寸も終わり、夜会準備は着々と進んでいる。
そんな、本番まであと五日に迫ったある日の夕方。ステラシアはマリンの手によって、普段よりも豪華に着飾らされていた。
「マリンさん……こんなにおしゃれして、どうするんですか?」
鏡の前に座らされ、髪をハーフアップに結い上げられる。「ステラ様にお化粧はいりませんね」と言いつつ、マリンは刷毛でそっとステラシアの頬を撫でた。
「ステラ様。今夜は殿下とご夕食なのでしょう?」
椅子から立たされ、マリンの手が優しくドレスのシワを伸ばす。
わずかに青みがかったホワイトグレーのドレスは、胸の下で切り替えられ、足元へ流れるように揺れている。デコルテも腕も大胆に出ているが、首元から肩、腕の半ばにかけてレースで覆われているため恥ずかしさは感じない。
ドレスに縫われた刺繍が、夜の星の光を反射して煌めくさまが、とても綺麗だ。
首元や耳には、アルトラシオンからのプレゼント攻撃で渡された宝飾品が光っている。来週の夜会のときならいざ知らず、こんな、なんでもない日に、まるでお姫様のような装いをさせられて、気後れしてしまう。
「はい、いいですよ」とマリンが離れた隙に自らの姿を眺め下ろし、ステラシアは小首を傾げた。
「確かに殿下から、”今日の夜は一緒に夕食を”と言われましたけど……。でも、普段も一緒に食べてますよね?」
「そんなこと仰らずに。今日はきっと、いつもと違いますから」
若干の含み笑いで答えたマリンを訝しげに見つめながら、ステラシアは扉の前へと歩いていく。
いつもより踵の高い靴が、毛足の長い敷物に埋もれ歩きにくい。よろめきつつも、マリンが開けて待っていた扉に近づけば、廊下で護衛をしていたイアンがステラシアを見て微笑んだ。
「さぁ、参りましょうか、ステラ様。殿下がお待ちですよ」
優雅に差し出されたイアンの手に、ステラシアはおずおずと手をのせる。
「……あの、イアンさん」
「はい? なんですか?」
ゆっくりと誘導してくれるイアンを、ステラシアはチラリと見上げた。
その瞬間、倒れそうになり、イアンの手を強く握りしめてしまう。けれど、揺らぐことなく支えられ、その安心感から、ステラシアは大きく息を吐く。
「このドレス、変ですか?」
ピクリとイアンの手が震えた気がした。
分不相応な装いだとステラシアにもわかる。本来なら、こんなふうに着飾れるような身分でないはずなのに――。
マリンやイアンが優しすぎて、ステラシアをぜんぶ肯定してくれるから、うっかりそういうことを忘れてしまいそうになるのだ。
「……お似合いですよ、とても。ですが――、」
しばらく言葉を発さずに歩いていたイアンが、穏やかな様子で口を開いた。そして、ピタリと止まってステラシアを見る。
目が合えば、困ったように笑われて、ステラシアは小さく首を傾げた。
「殿下より先に褒めるわけにいかないので、黙っていたのですが……言ってしまいましたね」
苦笑しながらそう言われ、ステラシアはキョトンとした。ふふっとイアンが笑いを零す。
「殿下が拗ねてしまいますから」
内緒にしてくださいね、と人差し指を唇に当ててイアンが片目を瞑る。横から「しかたないですね。黙っててあげますよ」と口を挟むマリンと目を合わせ、ステラシアもクスクスと笑い出した。
「はい。三人のヒミツ、ですね。……ありがとうございます。イアンさん」
部屋を出たときよりも、肩の力が抜けているのがわかる。
再び歩き出したイアンの手にふんわりと手を乗せながら、ステラシアはしっかりと廊下を踏みしめた。
「このたびは、晩餐にお誘いくださいまして、ありがとうございます」
普段は使用しない、晩餐室という別の食事部屋に通されて、ステラシアは深々と頭を垂れた。
中には、普段よりもきらびやかな正装に身を包んだアルトラシオンが待っていたのだ。
黒い騎士服は、いつもよりも装飾が多く、彼の金の髪と競うように輝いている。長い髪はまとめられ、肩から流れ落ちていた。
「ああ、迎えに行けなくて、悪かったな」
「……いえ、とんでもないです」
椅子から立ち上がり、アルトラシオンが傍らに立つ。流れるように、イアンからアルトラシオンへと手を渡されて、ステラシアは導かれながら席へと着いた。
真っ白いテーブルクロスは皺ひとつなく、魔光燈に照らされて柔らかく光って見える。
普段の食事よりも、テーブルが広く大きいからか、対面に座ったアルトラシオンが少し遠くに見える。
彼の後ろの壁にはクリフォードが立っていた。目が合えば、ニッと片方の口端を上げて笑いかけられる。
けれど、それだけだった。いつものような軽口は飛んでこない。
ステラシアが戸惑っている間にも、前菜から始まり、スープ、魚と料理が運ばれてくる。
食事のマナーは師匠に叩き込まれたステラシアだ。料理を口に運ぶ所作は流れるようである。しかし――。
(……味が、わからない)
きれいに盛り付けられた野菜も、丁寧に煮込まれた肉も、見た目や味にこだわって調理されたことがわかるのに。いきなり始まった正式な晩餐に、どうしたらいいのかわからない。
さり気なく視線を滑らせるけれども、誰とも目が合うことがなく、ステラシアはノロノロと正面へと顔を向けてみる。
「……どうした、ステラ? まさか、緊張しているのか?」
アルトラシオンの紫の瞳が、ステラシアと絡んで柔らかく溶けた。普段見ることのできない、その笑みに、ドクリと心臓が跳ねる。
「え……な、なんでですか?」
「うん? いつもなら、料理の感想を笑顔で話しているのに、随分とおとなしいな、と思ってな」
そう、眉を上げたアルトラシオンに言われ、ステラシアは頬を染めて俯いた。
確かに、いつもはもっと気軽に彼と食事を共にしている。それがどれだけ特異なことか、わかっていたはずなのに、わかっていなかったのかもしれない。
こんなふうにかしこまった場を作られると、ここが自分の居場所だとはどうにも思えなくなる。
側仕えとして身支度を手伝っている彼は、本当に手の届かない――雲の上の存在なのだと、気付かされてしまう。
「だって、こんな夕食……はじめてです」
蚊の鳴くような小さな声で答えたにもかかわらず、ステラシアの言葉は晩餐室によく響いた。
震えたその声に喉の奥で笑い、アルトラシオンは行儀悪くテーブルへ肘をつく。
「まあ、いきなりで悪かったとは思っている。だが、デザートは味わって食べてやれ」
ほら、と促され顔を上げたステラシアの前に、可愛らしく飾られた皿が置かれていた。
鮮やかな紅と薄黄色をした氷菓子がひんやりと寄り添い合い、薄切りの果実とミントスが彩りを添える。スプーンを入れれば、すっと崩れた。
ステラシアは、口に入れた途端、冷たく舌の上で溶け消えた食感に目を瞠った。
「おいしい! 冷たくて、甘くて……すぐに溶けてしまうのが残念です……!」
「っ、ふは……っ、そう、か……良かったな……、クッ」
二口、三口と、スプーンで掬って食べていれば、アルトラシオンが口元に拳を当てながら肩を震わせはじめた。
デザートで高揚した気持ちのまま、ステラシアの頬がさらに赤くなる。
「……あっ。ぁ、えっと……すみま、せん……」
「いや、構わん。そうやって食べたほうが、料理長も嬉しいだろう。なにせ――」
こみ上げるような笑いを収めたアルトラシオンが、ステラシアをその瞳に映して柔らかく微笑んだ。彼の、銀を帯びた紫の瞳に見つめられると、ステラシアの心臓がきゅうっと痛くなる。
「お前に食べさせたいと、王城の調理場まで氷をもらいに行ったらしいからな」
「そ、そうなんですね」
「シャーベット、おいしいだろう?」
「はい……冷たくて」
こんどは、高鳴り続ける心臓のせいで、味がわからなくなりそうだ。
なんとか味わいながらデザートを終え、食後の紅茶で冷えた口の中を温めていると、アルトラシオンが席を立つのが見えた。
大きなテーブルを回り、ステラシアの傍らへ。
「ステラ。少し風に当たらないか」
カップを置いた彼女へと手を差し出し、アルトラシオンがそう切り出す。差し出されたそれに、自らの手を乗せてステラシアは声もなく頷いた。
気がつけば、庭に面した扉が開かれている。その扉を押さえているのはマリンだった。
歩き出した二人に付いてくるのは、それぞれの護衛騎士たちだ。
目が合えば、マリンがにっこりと微笑んでステラシアを送り出してくれる。「少し離れたところに俺たちいるからなー。忘れんなよー」というクリフォードの言葉に、「ンンッ」というイアンの咳払いが響く。
「ほら、ステラ。そこに段差がある。気をつけろ」
「は、はい。ありがとうございます」
ステラシアの手を自らの腕に誘導したアルトラシオンが、第一王子宮の中庭へと歩き出す。
養生していた間、ステラシアもさんざん散歩をした中庭だった。
季節の花々を通り抜け、少し奥まで行けば、小さなガゼボがある。そこだけで四季の花々を一年通して眺めることのできる、最高の場所だ。
歩を進めながら、アルトラシオンが不意に言った。
「今日は、お前の礼儀作法がどこまで通用するのか、確かめたかったんだ」
立ち止まり、向かい合う。
いつの間にか日は暮れて、暗い夜空に星が瞬き始めている。風が、夏の香りを運んで、ふわりとステラシアのドレスを揺らす。
「まだ、言っていなかったな」
「……殿下?」
そっと、ステラシアの頬にアルトラシオンの指先が触れた。そのままゆっくりと撫でられ、夜風で引いたはずの頬の熱がまたぶり返す。
「そのドレス、似合っている。とても美しい」
「……っ、ぇ、あ……」
思わず小さく声が漏れた。
晩餐室に来る前にイアンにも褒められたが、その時とはまったく違う。騒がしく跳ねる胸のあたりを押さえ、ステラシアは僅かに足を引いてしまう。
そんな彼女を眺め、ふ、と笑みを漏らしたアルトラシオンが、おもむろに腰をかがめて手を差し出してくる。
「星のように美しいひと。どうか私と、踊っていただけませんか?」
「ぁ……」
差し出された手を見つめ、ステラシアは震える指先を近づけた。一瞬、触れて――躊躇った。
(わたしなんかが、いいの、かな……)
その迷いごと包み込むように、彼の手にぎゅっと握られ、腰をそっと引き寄せられる。
誘われるまま、大きく一歩を踏み出せば、体は自然とアルトラシオンに付いていく。ひとえに、彼のリードが素晴らしいから、だとは思うけれど。
(さすが、王子様……)
腰に添えられた手の動きで、次にアルトラシオンがどう動きたいのかがわかる。流れるようにリードされ、特に得意でもなかったダンスが、楽しいもののように感じる。
ステラ、と名前を呼ばれて、ステラシアはアルトラシオンを見上げた。
「……っ」
整った顔が、すぐそこにあった。今日は眉間に皺もなく、穏やかで、ステラシアが願った通りの表情――なのに。
(目を逸らせないのに、見ていられないってどういうこと……)
なんだろう。いつも恥ずかしいけれど、今日は特に恥ずかしい。
(殿下の"目"、が……)
ステラシアを見るその目が、熱いような気がする。
(そんな目で、見ないで……)
そっと、視線を外した。
その美しい瞳に、自分の暗い目を映されると、心が苦しくなる。どうしてここの人たちは、ステラシアの瞳を『綺麗だ』などと言うのだろう。
アルトラシオンの肩越しに、星の瞬く夜の空があった。
その輝きを受けて、彼の金の髪が淡く光って見える。初めて出会ったときに"星のようだ"と思った、その記憶が蘇る。
そしてまた、視線はアルトラシオンの紫眼へと移る。ダンスをしながらも、ずっとステラシアを見ていたのだろうか。すぐさま絡まる視線を振り切るように、ステラシアは目線を下げた。
しばらく、言葉もなくただ、踊っていた。
夏の夜の、少し湿り気を帯びた風が、二人の間を抜けていく。
「……うまいな」
ふと、アルトラシオンが呟いた。その言葉に、ステラシアは瞬いて、顔を上げる。ダンスのことだと言われ、ステラシアははにかむように笑う。
「師匠に、仕込まれたんです」
「…………その"師匠"とやらと、踊ったのか?」
落とされた声音が、どことなく、低く、固く聞こえる。
「え? はい……相手がいたほうが、足の運びとかわかりますから……」
「………………」
僅かな、沈黙が降りた。
そうか、とさらに低く囁く声音とともに、腰に触れる手に力がこめられる。
間に漂う微かな違和感に小首を傾げながら、ステラシアはふふっと笑みを零した。
「それでも、やっぱり殿下のほうが安心して踊れます」
こんどは、取り合う手を強く握りしめられた。曲も音もなく、あるのはただ、風のささやきと星の輝きだけ。そのなかで、二人は踊り続けていた。
やがて、緩やかにアルトラシオンは足を止めた。寸前、腰に触れていた大きな手のひらが背に回り、引き寄せられる。
一瞬の抱擁。その暖かさにステラシアが戸惑ううちに、握られた手に柔らかなものが触れた。
ちゅ、という音を立てて、アルトラシオンの顔が離れていく。
「殿下……?」
くすりと、星のような男が笑った。熱い手のひらが頬に触れ、耳を優しく弄る。
「本番も、楽しみにしている。ドレスも、ダンスも……それから、」
ふと、アルトラシオンの視線が、耳飾りへと落ちた。彼の目に、星が輝いているように見える。唇が、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
――ここに飾る、宝石も。
ザアッと風が吹き、火照った体と頬を撫でていく。
どこか熱を帯びたようなアルトラシオンの瞳に見つめられ、ステラシアは小さく頷くことしかできなかった。




