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聖なる星の乙女と予言の王子  作者: 桜海
2.

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20/42

叱られました

「殿下……?」


 室内は少し薄暗かった。南向きの大きな窓にはレースのカーテンが引かれており、分厚い遮光のカーテンは纏められているが、魔光燈――魔力で明かりを灯す道具――の出力が最低限に抑えられているからだろうか。

 バタバタしていたとはいえ、昼餐の時間を過ぎ、もうすぐ陽も暮れそうな時刻だからかもしれない。ステラシアはきゅうと鳴く腹をそっと手で押さえた。色々ありすぎて、軽めの昼食すら取れていない。

 反省して、ため息をひとつ落としながら、部屋をぐるりと見回してみる。

 クリフォードに押し込ま……通された部屋は、アルトラシオンの執務室だった。

 大きな本棚を背後に従えた執務机は、ツヤツヤとした面を見せていて、書類が散らかっているということはない。急な討伐で慌てて出ていっただろうに、積み上がる紙の束もないのは、優秀な従僕がそばにいるおかげなのだろうか。

 そして部屋には、書類もなければ、主であるアルトラシオンの姿もない。

 そっと、呼びかけてみれば、「こちらだ」と言う声が、奥の部屋から聞こえた。

 執務室の扉は廊下に通じるものと、もうひとつ。そちらには第一王子の私室がある。

 ――私室。

 いつもは、廊下側の扉から許可を得て入室するのだが、執務室側から入るのは初めてだ。

 足を踏み入れて、ステラシアは感心したようにほう、と息を吐いた。いつも、側仕えとして身支度のお世話をするために出入りをしているが、何度見てもその広さに溜め息が出てしまう。


(やっぱり、師匠の部屋が丸々三つは入りそうだよね)


 きょろ、と視線を動かせば、部屋の中央にあるソファに、部屋の主であるアルトラシオンが腰掛けていた。目の前の足の低いテーブルには、茶器が並べられている。

 こちらの部屋は、遮光カーテンすら閉められているが、魔光燈の灯りがそこかしこで揺らいでいて薄暗さは感じない。

 クリフォードの言葉を思い出し、ドキドキしながらアルトラシオンに近寄って、ステラシアはソファの脇に立ち尽くした。

 主の言葉を待てど暮らせどかけてもらえないのは……これはなんだろうな? これが罰なのだろうか。


「ステラ」

「ひゃ、はい!」


 紫石の瞳でジッと見つめられながら名を呼ばれ、ステラシアはビクリと飛び上がった。ついでに噛んだ。


「……こちらに座れ。ほら。話をするにも、立ったままじゃやり辛いだろう?」

「え、きゃ……っ」


 恥ずかしさにうつむく彼女の手を取り、アルトラシオンがゆっくりと引く。ソファの足に靴を引っ掛け転びそうになった彼女の腰を掴み、アルトラシオンは自身の横にステラシアをポスンと座らせた。


「す、すみません……」

「ステラ、おまえ宮を抜け出して、城下にいたんだってな」

「ぁ……はい……」


 おずおずと見上げた先には、静かにステラシアを見つめるアルトラシオンがいる。クリフォードは『叱られてこい』と言っていたが、今のアルトラシオンの感情がステラシアにはわからない。

 そっと、彼の手がステラシアへと伸びる。剣を握るゴツリとした指先が、ステラシアの頬を辿って顎に触れる。そのまま指先で摘まれ上を向かされた。


「おまえは……なにを考えているんだ」


 静かにポツリと落とされた言葉に、ステラシアは瞳を揺らした。


「そんなに俺から逃げたかったか?」

「ち、ちが……!」

「なら、俺との約束を反故にしたいほど、今度の夜会のパートナーは嫌だったということか」

「ちが……あの、殿下、違いま……んっ」


 顎に触れていた親指が、スルリとステラシアの唇を捉えた。言葉を封じるように押し当てられれば、もう、ステラシアは何も言えなくなってしまう。


「この宮からお前が出ていったと聞いたとき、俺は心臓が止まるかと思った」

「…………」

「俺が、直接お前を連れ戻しに行きたかったが、緊急で魔獣の討伐依頼が舞い込んで……まったく、運がない」


 はぁ、と溜め息を吐きつつステラシアの唇をアルトラシオンの親指が撫でる。その感触に、ステラシアはキュッと唇を引き結ぶ。なんとも言えないむず痒さが唇から広がって、胸のあたりが痛くなってくる。なにかを言いたいのに、言葉を封じられてしまったことがこんなにももどかしい。


「その上、戻って来てみれば、おまえは暴漢に襲われたと報告を受けて、俺がどんな気持ちになったかおまえにわかるか? いや……わからない、だろうな」


 ステラシアを見つめたまま、アルトラシオンの瞳がスッと細くなる。

 いつもと変わらない、アルトラシオンの美貌だった。その紫眼が少し濁っているように見えるのは、頭から魔獣の体液を浴びて瘴気に侵されたせいだろうか。いつもの星のような煌めきは見えず、その瞳に浮かぶ銀色は鈍く揺らいでいる。

 彼の護衛騎士との会話を思い出し、ステラシアもそっとアルトラシオンの頬に指を滑らせた。

 薄く濁ったような紫が、ほんのわずかきらりと瞬いて揺れる。アルトラシオンの指先が緩む。


「殿下、も……大怪我をしたって、聞きました」


 スルリと傷すらない皮膚を撫でる。常日頃見ているのと変わらない、きめ細かい肌の感触に、緊張していた気持ちが凪いでいく。ホッと肩の力を抜いたところで、捕らわれていた顎が解放された。そのまま彼の頬に触れていた手を包み込まれてしまう。


「見てのとおりだ。なんともないだろう。星の力を持つ者たちに、感謝だな」

「でも、痛かったですよね……?」

「それは……いや、それはもう、いい。それよりも」

「えっ、殿、下……?」


 掴まれた手を引かれた。支えきれずに傾いだ体は、目の前の男の腕の中へと吸い込まれていく。

 首筋に、アルトラシオンの頭があった。手触りの良さそうな髪が、肌をくすぐる感触に、ドキリとする。腰に腕が回り、ゆっくりと抱きしめられる。


「おまえはもう、ひとりじゃない」

「……は、」

「なぜ、ひとりだけで宮を出た。俺たちには言えなかったか? ああ、俺はおまえを殺そうとしたからな。俺を信じられないのは、良い。仕方がない。だが、マリン嬢やイアンには言えなかったか?」

「そ、れは……その」


 殿下を信じてないなんてことはない。

 そう、言えればよかったのだけれど、ステラシアはまだアルトラシオンのことをよく知らない。だから、そんなことを言わないで、とは、いまはまだ、言葉にできない。

 

「疲れたから息抜きしたいなんて、あんなに良くしてくれてるのに、そんな我儘、言えなく、て……」

「おまえに、次から次へと課題を出した俺が言うことではないが」


 まったくだ、とステラシアは状況も忘れて胸中で呟いてしまう。


「もう一度言う。おまえはもう、ひとりじゃない」

「…………」

「辛くて、苦しくて、逃げたくなったら、逃げてもいいんだ。おまえの師匠とやらは逃げることを認めていたのだろう?」


 尋ねられ、ステラシアは小さく頷いた。

 

「人間なのだから、疲れることだってある。息抜きが必要なのもわかる。だが、いまはもう、ひとりじゃない。おまえの周りには人がいる。おまえを大事に思っている者がいる。そして、俺も――」


 スリッと、アルトラシオンがステラシアの首筋にすり寄った。緩く回されていた腕はいつの間にか強くステラシアの腰に巻き付いていて、肌を滑り落ちる吐息にゾクリとする。


「で、殿下……あの!」

「心配、した」

「へ、ぇっ?」

「わからないか? 心配、したんだ。心臓が止まりそうだったと言っただろう。この、俺が。……こんなにも」

「あ……」


 震える吐息が静かな空気を揺らす。

 掴まれた手のひらが熱かった。腰に巻き付いた腕は、抱きしめられているのではなく、縋られているのだと気がついた。


(どうして……どうしてわたしは、こんなにも。どうして、この方は――)


 本来なら言葉を交わすことすらないはずの、雲の上の人。言葉どころか、顔を見合わすことすらなかったかもしれない、そんな高貴な人。国の第一王子とはそういう人だ。

 そんな人が、ステラシアに縋っている。

 その事実に気づいて、ステラシアの胸が燃えるように熱くなった。胸から首、頬から頭まで、熱くてしかたがない。


「ところで殿下。あの……は、離してください!」

「……いまさらだろう」


 唯一自由な片手でアルトラシオンの肩を押すが、ステラシアの力ではこの国随一の強さを誇る騎士団総括団長には敵わない。縋るように回されていた腕は、今度はしっかりとステラシアの腰を抱きしめている。救いは彼がステラシアの肩口に顔を埋めたまま上げる気配がないことだろうか。


(いや、ぜんっぜん! 救いなんかじゃない!)


 どうしてこの王子様は顔を上げないのか。

 普段、稀に笑顔を見せることはあるものの表情の変わらないアルトラシオンのことを、ステラシアはまだよく知らない。「心配した」と述べる彼は、いま、どんな顔をしているのだろうか。


「ステラ」

「……はい」

「ステラ……」

「はい。なんですか、殿下」


 抱きしめる腕が、強くなった。


「もう、ひとりで動くな。なにかしたくなったら、周りに言え」

「はい……」

「俺に、言え」

「……はい」


 わかったか? と吐息で尋ねられ、コクリと頷いた。

 顔を上げたアルトラシオンの表情は、いつもと同じ冷ややかな無表情だったけれど、煌めく紫の瞳が魔光燈の影にゆらゆらと揺れていたから。

 だから、ステラシアは「ごめんなさい」とまっすぐその瞳を見上げて言うことができた。

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