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聖なる星の乙女と予言の王子  作者: 桜海
2.

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19/42

【Side:Alt】ステラか、魔獣か

 朝の静けさに包まれた執務室で、アルトラシオンは手を止めて、ペンを置いた。握りすぎて強張った右手をゆっくりと開き、指先をほぐすように動かす。そうしながら彼は、完成した書類を背後に控えていた侍従のひとりに渡した。


「これを、宰相のメラキス公爵に渡してくれ」


 かしこまりましたと受け取り部屋を出る彼を見届けて、アルトラシオンは椅子に深く腰をかける。

 ふぅ、と知らずため息が漏れた。


(体を動かしたいな)


 魔獣討伐騎士団の団長になってから、書類仕事が増えた。総括騎士団長に就任してからは、もっと増えた。日々の鍛錬は欠かしていないとはいえ、たまの要請に応じて魔獣の討伐に向かわねば、そのうち腕が落ちてしまうだろう。

 そうなれば、増え続ける魔獣に対し魔獣討伐騎士団の星の力が追いつかなくなり、末にこの国は――。

 そこまで考えて、アルトラシオンはゆるく首を振った。


(そんなことには、させない。絶対にだ)


 だが、魔獣の出現報告は後を絶たず、いまも、第二部隊、第三部隊が王都から出払っている状態だ。

 強い星の力を持つ者は女性――特に貴族の女性――に多く、彼女たちを危険な遠征に向かわせることは反発も多いためにできない。となると、中程度の星の力持ちを多く囲い込んでいる神殿から、平民の星の乙女たちを借りなくてはならないのだが――。

 平民だから、危険な遠征に連れて行っても良い、というわけではない。それに正直に言えば、王家の者としては神殿にこれ以上の借りは作りたくない、というのが本音だ。

 加えて最近は、昼間から魔獣の出現が報告されている。

 アレは星の堕ちた夜の瘴気の影から現れるものだったはずなのに。おそらく、なにかが変わったのだ。

 いったいなんなんだ。なんでこんなにも問題が起こる。

 苛立ち紛れに思わず前髪を掻きあげた指先が、肩へと流れる自身の髪に触れた。その淡い金色に手を滑らせる。項では、髪を束ねた髪紐の存在も感じる。

 フ、と笑みを零し、アルトラシオンは目を瞑った。書類仕事で疲れた目が、暗闇に落ちて緩んでいく。

 傍らから「殿下……?」と戸惑った声が聞こえるが、手を振って下がらせる。

 目を瞑ったままのアルトラシオンは気づいていなかった。仕える主の穏やかな笑みに、侍従がポカンと口を開けて見入っていたことになど。


(ステラはいま、どうしているだろうな)


 きっと、今日もまた、アルトラシオンが届けさせた教材で夜会のための勉強をしているのだろう。

 今朝、身支度のため寝室を訪れた彼女は、むくれた表情で「多すぎると思うんです」と口にした。出会ってからひと月ほど経つが、彼女が愚痴を言うことなど滅多にないものだから、新鮮だった。

 そう言われても仕方ない量の教材を届けさせた覚えはある。あれは、アルトラシオンの()()があちこちからかき集めた情報をまとめたものだ。政治的に危ないものは抜いてあるとはいえ、確かに内容は膨大だろう。

 だから、無理はするなと伝えていたのだが。

 あまりにも拗ねているものだから、髪を梳く彼女の手を取って、その指先にそっと唇を寄せてしまった。宥めるように。自分でも驚くほど自然に。


(まあ、許容範囲、だろう)


 アルトラシオンは自身が王族であることを、一瞬たりとも忘れたことはない。安易に素性のわからぬ者を側に置くことも、本来ならありえないはずだった。


(それなのに、どうしてだろうな。ステラは……)


 彼女の側は心地が良い。

 出会った瞬間に、彼女のことを殺そうとした。だが、できなかった。

 彼女の師匠(大事な存在)と引き換えにしてでも留めておきたかった。だから、むりやり側仕えにした。

 パートナーとして指名したのも……。


(俺は、彼女を認知させたいと思っているのか)


 豊穣祭の夜会は、この国のほとんどの貴族が参加する大きなものだ。その舞台で第一王子が見知らぬ女をパートナーにしていたら、きっと大きな噂となるだろう。

 そんなことをしてまで、彼の本能が、彼女を逃がすことを拒んでいる。

 毎朝ステラに身支度を整われながら、アルトラシオンは何度、彼女を抱きしめてしまいたいと思ったかわからない。

 彼女が嫌がっても、その星を宿した濃紺の瞳を見つめていたいと思う。指先ではなく、その小さな唇に、口づけたいと不埒な思いが脳を掠める。

 はぁ、と悩まし気なため息を落とす。


(俺は、たぶんステラのことが……)


 ドンドンドン! と音がして、アルトラシオンはパチリと目を開けた。


「殿下!!」

 

 扉が、ノックするのももどかしいのか殴るように叩かれ、勢いよく開かれる。

 現れたクリフォードの姿に嫌な予感を覚えるも、アルトラシオンはゆっくりと身を起こして、座り直す。


「どうした、クリフォード。入室の許可も出してないが。それにお前、どこに行っていた。俺の護衛じゃないのか?」


 悪い! と答えるクリフォードにため息をつく。それで? と促し、目の前の男を見上げた瞬間、先ほど宰相へと使いに出した侍従が息を切らしながら部屋へと飛び込んでくる。その手の中で鳥がピィピィ鳴いている。


「失礼いたします、殿下!」

「……今度はなんだ」

「魔法騎士副団長から伝言が届いております!」

「アストリオルから?」


 クリフォード以上に嫌な予感を覚え、アルトラシオンは侍従から、小さく鳴いてる鳥を受け取った。

 魔法で作られたその鳥は、アルトラシオンの手に渡ると羽を震わせて光を放ち、すぐに手紙へと姿を変える。

 その内容に目を走らせて、アルトラシオンは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。


「アルト? どうした?」

「東の街道沿いに魔獣が出た」

「は!? まだ昼……いや、朝だぞ!?」


 ここ最近、異常な事態が続いている。アルトラシオンはキツく眉根を寄せた。部屋にいた侍従に、残っている魔獣討伐騎士団を集めるように命じる。


「俺も出る。馬で二刻ほどの場所だ。俺の馬なら、二刻もかからない。あそこは主要な街道だ。瘴気で汚されるわけにはいかない。クリフォード、お前も……」

「いや、待てアルト!」

「なんだ」

「ステラちゃんが、いない!」

「…………は?」


 クリフォードの言葉に、頭が真っ白に染まる。


「ステラが、いない……?」

「ああ。朝食のあと、部屋に入ったのは見てる。マリン嬢が部屋を出た一瞬で、ステラちゃんは抜け出したらしい」

「イアンはなにをしていた!?」


 アルトラシオンの叫びに、クリフォードが、グッと奥歯を噛みしめる。


「悪い。俺が、イアンに用があって、少し呼び出していた」


 アルトラシオンは、ダン! と執務机に拳を叩きつけた。


(なんで、こんなときに……!)


「イアンは、ステラちゃんの姿が見えねぇってマリン嬢が騒いだ瞬間、宮を飛び出してったよ」


 叩きつけた拳をぎゅっと握る。王子として、騎士団として、やらなくてはいけないことはわかっている。わかっているのに、心が今すぐにでも宮を飛び出して彼女を探しに行きたいと逸っている。


「イアンが……探しに行ったんだな?」


 ふー、と長く息を吐きだして、アルトラシオンはクリフォードに再度確認した。神妙な顔をして頷く男を見遣り、目を瞑る。

 イアンがステラの捜索に出た。それならば、己の役目は後を追うことではない。いまは、やらなくてはいけないことがある。


「ウィルフレッド」

「はい、我が主」


 なにもない空間に呼びかければ、影から浮き出るように一人の男が姿を表す。クリフォード、イアンと同じく、アルトラシオンの幼馴染であり、唯一の手足である男だ。


「俺とクリフォードは、魔獣の討伐に向かう。お前はイアンの方に付ける。ステラを、探せ」

「…………御意に」


 僅かに逡巡の気配がしたが、ウィルフレッドはそのまま影に溶けるように姿を消した。王子宮を抜けたらしい。気配が遠ざかっていく。


「クリフォード、行くぞ。お前とイアンの処分はまたあとで考えておく」

「かしこまりました。我が主」


 普段よりも神妙に頭を垂れる男を一瞥し、アルトラシオンは、第一王子宮を後にした。

 ステラの手で結われた金の髪が靡いて、朝の光を裂いていく。

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