これ以上悔いることはないと思っていた①
第一王子宮のステラシアに与えられた部屋で、彼女は途方に暮れていた。
王都の路地裏で暴漢に襲われたところを、間一髪でイアンに助けられ、抱きかかえられ馬に乗せられ、第一王子宮に戻ってきた。
大丈夫だとなんど伝えても取り合えってもらえず、わざわざ王宮医を呼びつけられ、転んだ際に擦りむいて血の滲んでいた手を入念に光魔法で手当され、もう治すところもないというのに、駆けつけたマリンが恐ろしいくらいの星の力をぶつけてくるのだ。泣きながら。
「あ、あの……マリンさん? もう、大丈夫だから……」
「いいえ! いいえ! 手だけじゃないです。膝も打っていたし、手首にも足にも痣があって……こんな……こんなの、許せません。私がぜんぶ治します!」
「う、うん……でも、膝だって血は出てなかったしちょっと赤くなってただけ、というか……」
「なにを仰っているのですか! ステラ様は私の大事な大事な大事なお方なのですから!」
「――な、なんでそこまで……」
過剰なまでの星の力を浴びせかけられながら、ステラシアはソファの上で縮こまっていた。
実際、路地裏で転がされた際に打っていた膝は、血は出ておらずぶつけた程度の赤みだったし、擦りむいたのは手のひらだけだ。時間が経てばきっと跡も残らず消えただろう。手首やら足やらの痣は……正直に言えば見ると胸がムカムカしたので、マリンが星の力で癒やして消してくれたことには感謝している。
(さすが、魔法騎士団の治癒術師……)
星の力持ちの回復職は貴重だと聞いたことがある。
基本的に星の力を持つ女性は神殿に囲……保護されるし、男性は女性ほどの星の力を持たない。星の力を持つ男性がいないわけではないけれど、大怪我を治したり痣を癒やしたりまではできない。せいぜいがかすり傷やちょっとした切り傷を癒やすことくらいだ。まして、怪我ではなく病気まで治すことができるのは、星の力を持つ者だけだ。力の強弱による程度の差はあれど。
だからこそ、国も神殿も大なり小なり星の力を持つ女性を保護するし、いざというときのための切り札にするために奥へと囲い込む。そうして星の乙女と呼ばれるようになる彼女たちは、国では典礼式典や慰問のときなどに姿を見せ、神殿では奉納金の見返りに信者を癒やすことになり、強大な星の力を持つ乙女には称号が与えられるのだ。
そう、だから――国に保護された星の乙女が騎士団所属の回復職に就くというのは滅多にないことのはずで。例外は、男性でも極大な星の力を持っていると言われる、第一王子アルトラシオン・ディア・ポーラリアス――いまステラシアを雇い入れている彼ぐらいだろう。
そもそも、魔法騎士団に所属している騎士で回復魔法を使えるのは、聖属性の光魔法を習得している特大魔力持ちだけだったはずだ。
なにしろ、適正属性は王都の中央や各主要領にある魔法学院で決定づけられるし、その魔法学院から騎士団に入るには、たとえ星の乙女といえどこれまた厳しい試験があったはずで……。
「――あの、マリンさん……そんなに星の力を使ったら、だ、ダメなんじゃ……?」
だから、いくら、厳しい試験をくぐり抜けた騎士団所属の治癒術師で星の乙女と呼ばれるほど豊富な星の力を持っているように見えるマリンでも、こんなにステラシアに治癒をかけ続けていては心配になってしまう。
「大丈夫です。まだ……まだ大丈夫ですからぁぁ!」
「え、いや、でも……枯渇しちゃうんじゃ……」
「平気です!!」
「ええぇ……」
つい先刻、自身も星の力を使って猫や人を癒やしたばかりのため、ステラシアは困ったように眉を下げた。
光魔法による回復と、星の力による治癒には決定的な違いがある。
魔力を使用しての回復は、術を受ける本人の自己治癒力を高めて傷の治りを早めるものだ。その場合、あまり回復魔法をなんどもかけられると、本来の自己治癒力が衰えてしまい、逆に怪我の治りが遅くなることがある。故に、王宮医にしても回復魔法だけに頼らず薬も併用することがほとんどだ。病気であったなら、薬でしか対処ができない。
森で生活していたステラシアが薬を煎じて卸していたのも、そういう事情があるからだ。まして、星の力による治癒魔法は貴重だ。
治癒魔法は回復魔法とは違い、星の力持ちの力そのものを他者に分け与えることで傷や病すらも癒やす魔法である。自己治癒力を向上させるとかそういうレベルではなく、生命力のようなものを移譲して治してしまう――未だに原理のよくわかっていない技法なのだ。
他者に分け与えるということは、星の力は使えば使うだけ体力を消耗していく。消耗自体は魔力も同様ではあるものの、星の力はその比ではない。だから、マリンがこんなにもステラシアに治癒魔法をじゃんじゃん浴びせている間、彼女の中からは星の力――いわゆる生命力――がどんどん無くなっていっているということで……。
(いや、でも……こんなに使ってるのに疲れた様子もないのはほんとにさすが……)
もはや治癒魔法を行使しているというよりは、星の力をそのままステラシアに送っているような状況で、思わず乾いた笑いを零してしまった。受け入れている側のステラシアの器も大きいものだから、いくらでも注ぎ込まれてしまう。
そっと、体にかざされているマリンの手をステラシアは握りしめた。フッと温かな力の本流が途切れて、あぶれた力がホワホワと光ってあたりに漂い始める。
「マリンさん、もう、大丈夫です」
手を握りながら告げた言葉に、マリンの顔がまたクシャリと歪む。大きくて可愛らしいヘーゼルの瞳から、ポロポロと流れる涙を見てステラシアの胸がツキリと痛んだ。
ああ、心配させてしまったんだなぁ。マリンのその顔を見て、ステラシアはそう思った。
こんなになってまでステラシアの身を案じてくれる人なんて、師匠の他に知らなかったから。
「あのね……ごめんなさい。勝手に出ていって。ちょっと行って、気分転換したら、すぐ戻ってくるつもりだったんです」
「ステラ様……」
いまの、この状況から逃げたいと思ったわけじゃないんだよ、と目の前で潤む瞳を見つめながらステラシアは眉を下げた。別に、自ら望んだわけではなかったけれど。というか半ば第一王子殿下に丸め込まれた感は否めないけれど。それでも、最終的に側仕えやパートナーのことを受け入れたのはステラシア自身だ。たとえそれが師匠の捜索という見返りを求めた打算的なものだったとしても、後悔だけはしていない。
ただ――ほんとうにちょっと、息抜きをしたかっただけなのだ。
(でもそれで、こんなにも心配させてたら、だめだよね……)
まさか、ここまで心配されるとは思っていなかったのだ。なにせ、出会ったのはまだたったの一ヶ月前。マリンがなぜ、そこまでステラシアに心酔しているのかまったくわからない。
思えば、マリンは初めて会ったときからステラシアに好意的だった。望んで騎士団に入ったのだろうから、こんなどこの誰かもわからない平民の侍女のような真似事をするなんて、屈辱だっただろうに。
(ほんと……マリンさんには感謝しかない)
だからこそ、こんなふうに彼女を悲しませてはいけなかったのに。
(わたしはいま、第一王子殿下であるアルトラシオン様の側仕えなのだから……)
マリンの手を握りしめたまま、ステラシアは髪と同じ色合いの眉をへにょりと下げた。ピンと背を伸ばし、涙で濡れたヘーゼルの瞳を見返した。
「ごめんなさい。軽率な行動でした。みなさんに心配もかけて、」
「ステラ様……」
再びウルッと緩み始めるヘーゼルに苦笑して、チラリと背後にも目を向ける。そこには、ステラシアを部屋まで抱きかかえて運んできた、イアンが控えていた。
いつもなら部屋のすぐ外――扉前の廊下で任務に付いていて、決して部屋の中までは入ってこなかったのに、今回に関してはもう有無を言わさず部屋まで入り、ソファの後ろに陣取っている。
信頼を失ってしまったのか、目を離したらダメだと思われてしまったのか……悲しいけれど、自身の行動の結果なので、文句など言えない。
目が合うと、イアンは柔らかくステラシアに微笑んでくれる。
「……殿下にも、ご迷惑をおかけしてしまったのですよね。今後は自由な行動は控えて――」
「そっ、そんなことは別にどうだっていいんですよぉ!」
「そんなこと」
ボソリとステラシアの背後からイアンの呟く声が聞こえた。
「おーい、マリン嬢ー。どうでもいいはちょっと不敬じゃね?」
どこかから、クリフォードの声も聞こえてくるのだが、泣き晴らした侍女はそれをサラッと無視した。
よくよく見れば扉が半分以上開いており、そこから赤茶の髪が覗いている。扉に関してはおそらく、室内にイアンがいるからだろう。
コホン、とマリンが目元を拭ってから背を伸ばす。




