助けてくれたのは
白猫と少年と別れたあと、路地裏から大通りまで、少年に教わったとおり比較的安全だという道を進んでいく。来るときには人の姿などまったく見なかったのに、戻る道の陰にはチラホラと雰囲気の良くない男女が座っているようだ。ほとんど同じ道なのにおかしいと首を傾げたが、リオが教えてくれた道のほうにはあまり人はいない。ホッとしながら表通りまでの道を急ぐ。
ふだん滅多に意識しない星の力を意図して使ったのは久しぶりだった。少しだけ、体の奥が空っぽになった気がする。足元がふらりと揺れている。久しぶりすぎて過剰に放出してしまったらしい。
ステラシアは、魔力をほとんど持たない。この世界で魔力は生命維持も担っているから、まったくないわけではないけれど、能力値としては微弱だ。その代わり、星の力はそれなりに有していた。
出力は弱めだが持っている力は大きく、魔の森に住まう動物たちの求めるまま、怪我を直していたこともある。かすり傷程度なら一瞬で、抉れるような重症でも少し時間をかければそれなりに。いつだったか、魔獣に襲われたのか四肢欠損した大鹿のその四肢を数刻かけて蘇らせたときには、師匠にしこたま叱られたけれど。なにせ体の中の星の力が半分以上なくなっていたから。そしてステラシア自身は、それが特異なことだとは気がついていない。
『いいかいステラ。おまえのその力は通常とは少し違う。欠損箇所を蘇らせるなんて、普通の星の力持ちには到底無理なことなんだ。それが知られたら、おまえは神殿か国に囲われる。今まで通りここで暮らしていきたいなら、その力は誰にも知られないようにしなさい。それから、おまえの力は今はそう簡単に使えないんだ。無理をするんじゃない』
そう言って、大鹿に懐かれるステラシアを見つめ、師匠は苦い顔を隠さずに忠告したのだが。
ステラシアの力の出力が弱いことはなにか事情があるのだと、師匠はステラシアに何度も伝えていた。その事情がなにかを教えてもらう前に、ステラシアは師匠と離れ離れになってしまった。
(早く師匠を探して、無事を確かめて……それで、わたしの力がなんでこんなに弱いのかも聞いてみたいな……)
別に、聞いたところでどうなるものでもないだろうけれど、なんとなく。なんとなく――知らないといけないような気がする。
その『なんとなく』がなんなのかわからず、ワンピースの胸元をギュッと握る。
しばらく歩くと前方に大通りの明るさが見えてきて、ステラシアは体から力を抜いた。やはり一人で路地裏を歩くことに緊張していたようだ。何事もなかったことに安堵してその明るさに向かって駆けていく。
その時、遠くからカラーン! カラーン! という大きな鐘の音が聞こえてきた。王都中央にある大きな時計塔の鐘だ。
(大変! 長居しすぎちゃった! 早く戻らないと騒ぎになるかも!)
本当は、あの鐘が鳴る前にコッソリ第一王子宮へ戻る予定だった。今回抜け出せたのは、みんながステラシアに抜け出すことができるはずないと思って油断していてくれたからで、少し、後ろめたい気持ちもあったのだ。
「はぁ……っ、は……っ、あと、もう少し……きゃあっ!?」
あと一歩で大通りに出られると思ったその瞬間、背後から腕を掴まれ、ステラシアは路地裏の地面へと投げ出されていた。
「いったた……なに?」
「へへへ……ずいぶんとキレイなカッコした女じゃねぇか」
「ほんとになぁ! こんな裏っ側になぁんでこんなのがいるんだか」
「おいおいお嬢ちゃん。迷子かぁ?」
汚れた地面に転がされた体の上に、重い何かが乗っている。両腕をひと掴みにされ、頭の上でガッチリと固定された。胴をまたぐように見知らぬ男が陣取って、ステラシアの顔を上から覗き込んでくる。ツンとした強い酒の臭い。汚れのこびり付いたシャツにズボン。何日も洗っていないだろう体から酸っぱい臭いが鼻をつく。
「綺麗な髪に肌……顔もなかなかじゃねぇか。瞳の色は……まあ、アレだが」
顎を捕まれ上を向かされた。知らない男の顔がひとつ、ふたつ、みっつ……。下卑た笑いを口の端に乗せ、ステラシアを見下ろしている。
(失敗、した……っ)
道々にあまり人の姿がないからと、もう少しで大通りだから大丈夫だと油断していた。ここは商業区でも貴族街に近いほう。だから、そこまで危険な目には合わないだろうと高を括っていた。
「おいどうする? コレ、売るか? 体つきも悪くねぇぞ」
「コレなら金になりそうだけどよぉ……その前にオレらで味見しようぜぇ」
「へへっいいな! 価値は半減しそうだが……それでも釣りが来そうだし」
地面に擦った手のひらから、ジワリと血が滲んでいた。
男たちの話す内容に背筋をタラリと汗が落ちる。
売られる――ならまだしも、この場で犯される。それを考えるだけで目眩がしそうだ。
上に乗っている男のまだらにひげの生えた口元から黄色い歯が見え、喋りかけられるたびに生臭い息がステラシアの顔を襲う。投げ出され、はだけたスカートの裾から無遠慮に手を突っ込まれ、ゾワリと肌が粟立った。
(気持ち、悪い……っ)
太ももをガサガサとした手がねっとりと這い回る。ステラシアに触るために男の手が離れた瞬間、勢いよく腕を振り回したが、背後から別の男の手が伸びて、再び両手とも拘束されてしまう。横から三人目の男が手を伸ばし、ステラシアの胸元にあるワンピースのリボンを解いていく。そのままじれったそうにボタンに手をかけられるに至って、ステラシアはビクリと身を震わせた。
「いや……っ! やめて……! はな、せ……っ、んんー!?」
叫んだはずの声はか細く、すぐに口許へ手のひらが押し当てられ、くぐもった音となって路地裏へと消えていく。鼻まで手のひらで覆われて息苦しい。無遠慮に触れられる箇所から悪寒がどんどんせり上がってくる。
(や……っ、嫌だ……! 師匠、師匠……ししょ……、)
口酸っぱく何度も繰り返された『いいかい、ステラ。人気のないところは気をつけるんだよ。変な男に出会ったら、思いっきり大事なところを蹴り上げてやりな』という師匠の言葉が蘇る。けれど、蹴り上げようにも太ももを押さえられてはなにもできない。
嫌だと嘆くしかできない自分が悔しい。
「ぅ……っ、ヒッ」
無遠慮に左胸を掴まれた瞬間、ぶわりと嫌悪感が湧き上がった。こんな奴らの前で泣きたくないのに、視界がぼやけて目尻から熱く滴っていく。
(いや……っ、やだ……! た、助けて、誰か……ししょ……ぅ)
思わず閉じた眼裏に、先ほど露天で見たアメシストのような輝きがパッと浮かんで息を詰める。ギリッと唇を噛む。嫌だ。嫌だ嫌だ。こんな奴らに触られたくない。触れてくれるならあの、黒ずくめでなに考えてるんだかわからない、けれど優しい人がいい。心の奥で蓋をしたなにかが、カタカタ音を立てて弾けそうになっている。だって、わたし、は――、
(いやだ……! でん、か……っ)
「ぎゃああっ! な、なん……なんなんだよ……あがっ」
「いっ、いてぇぇ! お、俺の腕……腕がぁ……っ」
「うっ、ぐぅ……お、折れ……これ、折れ、だ……ッ、ヒッぎゃあ!」
なにかに気づきそうになって奥歯を噛み締めた瞬間、酷い雄たけびがステラシアの耳を打った。そのままフッと両手両足の拘束が緩む。掴まれていた胸から不埒な手の感触がなくなり、ほぅ……と詰めていた息が吐き出される。
「ご無事ですか、ステラ様!?」
キツく閉ざしていたまぶたをこじ開け、見開いた視界に映るのは、裏路地の建物に遮られた細い空。それから、血相を変えていても麗しい護衛騎士の顔。いつもは涼し気な秀でた額に薄っすらと汗をにじませて、騎士服の詰め襟を崩した首元には、彼の長い髪がしっとりとまとわりついている。
「イアン、さん……」
地面に手を付いて起き上がろうとすれば、すぐに腕を伸ばされ背中を支えられた。体を起こして周りを見渡すと、ステラシアを押さえつけていた男たちが呻きながら辺りに転がっている。三人が三人とも腕を押さえているのは、イアンがなにかしたからだろうか。一人の男の腕があらぬ方向に曲がっているのを見てしまい、ステラシアはそっと視線を外した。
バタバタと表通りを走る靴の音が近づいて来ているが、今ここにはイアンしかいない。もともと第一王子殿下の護衛騎士だったのだ。強くなければ務まらないのだろう、とは思っていたけれど……。あの短時間でなにをしたのか。怖くて問うこともできない。
そんなことを悶々と考えていたステラシアの手を、イアンがそっと持ち上げて自身の額に押し当てる。
「え、あ……イアンさん!?」
「間に合ってよかった……ステラ様。お怪我はありませんか? 私が貴女さまから目を離したばっかりに怖い思いをさせてしまった。駆けつけるのが遅くなって申し訳ありませんでした」
「い、いいえ! わたしが、勝手に出て行ったから……イアンさんのせいじゃありません!」
ステラシアの前で膝を突き、まるで懺悔をするように謝られ、彼女は大いに慌ててしまう。だってこの惨事は完全にステラシアの軽率さが引き起こしたものだ。
自らの顔の前で、握られていない方の手をパタパタと振りながら、ステラシアは今朝――いや、昨日からの自分の行動を思い起こして、頭がどんどん下を向いてしまう。
「だ、だから……その。勝手なことして、ご迷惑をおかけして、ごめん、なさい……」
そんなステラシアをジッと見つめていたイアンは、唐突に表情を引き締めると、項垂れる彼女の体に腕を回し軽々と抱き上げた。
「へ!? あ、あああ、あの、イアン、さん!?」
「静かに。急いで戻りますよ。走ったり馬に乗ったりしますので、噛まないようにしっかり口を閉じていてください。御身に触れる罰は後ほど受けますので」
「え、ば、罰!? ンぐっ……」
しっかり抱え上げられたステラシアは、抵抗することもできずそのまま路地裏を後にする。表通りの喧騒が耳に入り、薄暗い路地に慣れた目が明るさに眩んだ。
思わず目を閉じたステラシアを抱え直すように、イアンの腕に力が込められる。
「イアン様!」
「皆、ご苦労だった。探し人は無事発見した。私はこのまま殿下のところへ戻る。そこの路地裏に男が三人伸びているはずだから、詰め所に突き出しておきなさい」
「はっ」
聴取は後ほど行うので、これ以上の無体はとりあえず強いないように。そう付け足して、イアンはステラシアを抱えているとは思えないほどの軽やかさで王都の貴族街を駆け抜けていく。王城へと続く道の途中にある騎士団の詰め所の一つに立ち寄り、預けていたらしい馬を引き出すとステラシアを問答無用で乗せ、猛然と走り出す。
言葉通り、口を開ければ舌を噛みそうで、ステラシアは第一王子宮のあてがわれた部屋に着くまで一言も発することができなかった。
なにせ、馬から降ろされてもイアンの見た目以上に逞しい腕に再び抱えられて、自分の足で歩かせてももらえなかったのだから。




