新・私のエッセイ~ 第151弾 ~ 佐川一政 VS 石堂淑郎
・・・ちょっと、『引用』という枠の範囲を超えてしまうような感はありますが・・・
一度、いとしい読者の皆様にも考えていただきたい問題かな、と思いましてね。
ご案内のように、ぼくはロクデナシの、元・性犯罪者。
地元でぼくの、もっと詳しい来歴を知る方の中には、
いまだにぼくの社会復帰を快く思わぬ方も、かなりおられます。
たとえば・・・
看護学校時代のクラスメートだったサカヌシくん、彼の妻になった、スズキさん、首がガチョウみたいに長いサイトウくん、
大阪シーリングのイソマユミさん、ムラカミくんの弟さんのトモノリくん・・・なんかが、その典型ですね。
だけどね、
だからといって、ぼくがいつまでも肩身の狭い思いをして、直接事件とは関係ない彼らにまで、ずっと頭を下げ続けて、下を向いて、穴倉にでも隠れて生きてろっていうの・・・?
ソレもおかしなハナシでしょうが。
いつまでもぼくをおもしろ半分・興味本位でイジってないで、いいかげん、ご自分の人生だけを純粋に楽しんだらいかがです・・・?
だいたいね、
当時からミミッちいんだよ、いちいちやってることがサ、おたくらって♪
了見や世界が狭くって、そのくせ、いつもビクビク・オドオドして、オリジナリティのカケラもヘッタクレもない、クソつまんねー趣味しか持ってなくて、周りの『顔色』だの『空気』ばっかり気にして、ついでにケツ穴もちぃせえくせによ(笑)。
あんまり笑わせんじゃねえ。
余計な世話ばっか、焼かなくっていいよ。
おとなしく、チンコやオメコまさぐって、すっこんでな。
・・・それを冒頭、お伝えしておきたいと思います。
(ちょっと、ぼくらしからぬ、実に聞き苦しく、またカゲキな物言いではありましたね。ここで、ここの読者の皆様には、あらためておわび申し上げます。)
(・・・なぁよ。おめら、そういう自分だって、100%『クリーンなカラダ』でもあるまいに。スネにひとつやふたつはキズがあるだろうが。あえて誰とはいわないけど、サカヌシくんにサイトウくんよぉ。お宅らのことだよ。)
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【佐川一政 VS 石堂淑郎】
石堂氏は、TV『必殺』シリーズの脚本などを手がけておられた、有名な方です。
石堂淑郎氏のコメント(1):
「佐川氏が出ている週刊誌の記事を読んで、私は抱腹絶倒しましたね。
ブラック・ユーモア以外の何物でもありませんよ。
私は今度の事件(= 宮崎勤事件)と、佐川氏の登場を見ていると、そういう事態は、まさに最近の人権意識の肥大化と戦後のブヨブヨした平和が引き起こしたものだという感じがする。
よく基本的人権というけれども、誤解を恐れずにいえば、実は持たない人たちもいるのだと考える。
(中略)
佐川氏を登場させてしゃべらせるのも、いってみればお化けの人権を認めて記事にするのですから、センセーショナリズムも度が過ぎる。」
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【佐川一政さんの石堂氏への反論】:
「シナリオ作家という石堂淑郎氏に尋ねます。
あなたは一体いかなる法的根拠で、私を『人権のない人物』というのでしょうか?
私はフランスで正当な裁判を受け、日本送還後、治癒したものとして退院して、現在にいたっています。
退院の折は、日本の検察庁の認可もおりています。
その過程を疑うことは、フランス司直並びに日本の司直を侮辱することになりはしないでしょうか?
(中略)
私のことを『お化け』と言い切るあなたは、それでは何様なのでしょう?
どんどん僕を袋小路に追い込んでいくような彼らの報道の仕方を見ていると、時々ぼくは、彼らはもう一度ぼくが8年前の事件を繰り返すことをひそかに望んでいるのではないかと感じることがあります。
そうすれば、自分たちが糾弾していた『正当性』を立証できるばかりか、お金も彼らのポケットに入るわけですから。
『夢よ、もう一度』というわけでしょうか。
彼らが被害者やその家族に流す涙ほど、信じがたいものはありません。」
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【石堂淑郎氏のコメント(2)】:
「名古屋のアヴェック殺人事件、東京綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件、そして今回の宮崎勤の事件を並べてみると、平和の方が戦争よりタチが悪いんじゃないかと言いたくなってくる。
あんな犯罪を犯されるくらいなら、戦争で名誉の戦死をしてもらったほうが、よほど親は気が楽だ。
(中略)
宮崎が無罪だと言いかねぬ医者や学者たちがいる。
宮崎が無罪?
おおかたの人はびっくりするだろう。
しかし、それは甘い。
現に、あの佐川一政が自由に東京をうろついている。
花の都パリの一室で、オランダ娘を射殺、四日間に分けて、その肉をむさぼり食らい、そのお尻の肉は『まったり』として大いに美味であったと書いたあの佐川クンが、自由の身になって、今回の事件(= 宮崎勤事件)についてコメントまでしてくださるのだ。
(中略)
私は、名古屋のアヴェック殺人事件の冒頭陳述書を刻明に読んだ。
それはもう身の毛もよだつ酸鼻の極みで、ホラー映画など問題にならない。
特に、女の子の首に綱を回し、綱引きごっこで絞殺するあたり、少年たち即時全員極刑! と叫びたくなった。
ところが、死刑は一人だけである。
少年たちには未来がある?
とんでもない言いがかりである。
よろしい、ならばそんな少年たちを育てた親を引きずり出して極刑にするがよかろう。
(中略)
被害者の怨念から分離された犯罪者たちは、一定の刑を勤めれば、それで一切完了。
おのれが殺したり殴ったりした被害者やその身内が、もしかして一生消えない恨みを抱いてさびしい日々を送っていることなど、夢にも考えない。
『僕と似た事件は多いのに、それらは、ほとんどセンセーショナルに扱われないのはなぜですか。それですよ、つまり犯人が東洋人だからという人種差別的な意味があったからでしょう。』
言いも言ったり、佐川一政。
フランス人の人種差別のおかげで生きてしまったことが何一つわかってないのが、なんともすさまじい。
奴ほど、フルに基本的人権思想を利用している者はいまい。
殺されたオランダ娘の身内がこれを聞いたら、何と思うか。
もし私が父親なら、単身日本にやってきて、必ず彼を絞殺する。
やせてまずそうだから食いたくはない。
しかし食わないと、異常者扱いされない。
異常者扱いされないと無罪にならないから、泣く泣く食う。
いや、食ったふりをする。
基本的人権に囲まれてのうのうと生きている気違いどもを八つ裂きにしてくれる必殺仕掛人はどこにもいないのか。
いないのである。」
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佐川一政氏は、石堂氏の【気違いは抹殺されなければならない】に対し、【バカにつける薬なし】の題で、
「ひたすら稚拙な『復讐心』に燃えている石堂某こそ、殺人者と同じ、否、それ以上に血にぬれた心を持った、おそるべき精神の持ち主だ。」
としたためている。
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・・・前述の佐川さんが寄稿した批判文の原稿を読んだ石堂氏は、佐川氏を指して、
「君こそ、戦後民主主義の申し子だ。」と述べ、さらに次のようにコメントを結んでいます。
「佐川クンに伝えてください。
『キミは勝っている。100%勝っている。どんどん、東京を歩いてくれ。1億2000万の日本人全部が、キミのようになることを祈っている』とね。」
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補足資料:
筒井康隆氏の【噂の真相】というエッセイには、次のような記述があります。
「自分の心や平凡人の中にひそむ悪を怖いと思わないからこそ、のっぺらぼうで画一的な社会になり、ミヤザキが逮捕されたとなると、ミヤザキのことが連日報道される。
だが、『死刑にしても飽き足らぬ』と言っている者が、実は『別件連続ウサギ虐殺』の犯人かもしれないのだ。」