Signal.3
シオンが入学してから二年半ほどが経ち、メルテの卒業が迫ってきていた秋のこと。
最終学年になって、メルテとシオンは以前ほど同じ時間を過ごすことがなくなっていた。メルテは卒業研究で忙しく、それに加えて彼女の周囲の人間がシオンを遠ざけようとしていたからだ。
曰く、腕があるのに好き好んでゴミ拾いを生業にしようとしているパイロットなど、博士の娘にはふさわしくないのだと。
サルベージという仕事は軽んじられていて、偏見の目で見られることも多い。それはバイトを始めてさほどたたないうちにシオンも理解したことだったけれど、メルテが気にしていないようだったのでシオンも気にならなかった。それがここへきて、こんな形で現れるとは思ってもみなかった。
メルテが知れば激怒するだろうけれど、彼女には知られないよう巧妙に、シオンとの距離が離れていく。
そんな日々にも少しだけ慣れて、シオンの片想いも身の程をわきまえたらしい。募るばかりの想いをあきらめるために、シオンは自らメルテとの距離を取ろうと苦心していた。
そうしていると、学園でのシオンは輪をかけて一人の時間が増えていく。最近のシオンの居場所はもっぱら操縦シミュレーション用VRの個室で、研究用の訓練課題に明け暮れて一日を終える。
すっかり日が落ちるのが早くなってきた。といっても太陽を模した人口の光なので厳密には消灯時間とでも言えばいいのか、とにかく夜に足を踏み入れる時間帯。空腹を覚えたシオンは課題を切り上げると、シミュレーションルームのドアを開けた。
その瞬間、シオンは体に軽い衝撃を受ける。なにかきらきらしたものが視界に飛び込んできて、ややあってそれがメルテだと気がついた。
「わ、メルテ?」
「シオン! かくまって!」
メルテは囁き声でそう言った。シオンは慌てて彼女とともにシミュレーションルームへ戻り、ためらいを振り払うようにドアを勢いよく閉めた。
そう広くはない部屋の中、メルテと二人きり。久しぶりに会うと、あきらめられると思って心の底に沈めかけていた想いがすぐに浮かび上がってくる。厄介なことに、前よりも大きくなっているような気さえした。
引き離すようにメルテから目線をそらして、シオンは小さくたずねた。
「どうしたんだ」
「追われてるの」
穏やかではない返答に、シオンの背筋がすっと冷えた。
「誰に」
問う声音がついきつくなる。メルテの腕を引いて、ドアの近くから離れるよう促しながら、シオンは彼女と入れ替わるようにドアへ背をつけ、外の音に神経を向けた。
メルテはうつむいて、落ち込んでいるとはっきりわかる声音で答えた。
「父さん」
その瞬間、シオンの体から力が抜ける。とりあえず危険はない。
「なにしたんだ?」
大きく息をつきながら、シオンはドアにもたれるようにして腕を組んだ。
「就職先のこと、ばれちゃった」
「まだ話してなかったのか」
メルテの就職先が決まったのは、もう数か月も前のことだったはずだ。驚くシオンをちらりと見て、メルテはばつが悪そうに首を縮めた。
「ちゃんとゆっくり話したかったのに、お互い忙しくて……父さんは新しいワープの開発がいいところだからって、もう何か月もラボで寝てるんだよ? 通信でぱぱっと話すのは嫌だったのに」
話しながら、メルテの言葉は父親への文句から、気を回して愛娘の進路を博士の耳に入れた周囲の人物への文句へ変わっていく。
周囲のお節介でここまでこじれるのだから、面倒くさい親子だ。シオンは羨ましく思いつつも呆れた。
「逃げることないのに」
「反対されたら、父さんに嫌なこと言っちゃうかもしれない」
「言えばいいだろ、思ってることなら」
シオンの目には、メルテはどうも父親に対して変に気を遣っているように見える。出会った頃からずっとだった。
「ごめんねシオン、うじうじ言って」
「ちょっとだけならいいって。それで気が済むなら」
「うん……」
メルテの愚痴なんて、バイト先の船長の奥さんに比べたらかわいいものだ。ためこまない性質だからか、言いたいことをいくらか言えば満足するようで、シオンのところに来てぶちまけたあとはすぐに機嫌を直して別の話題に移るのが常だった。
「よし、もう逃げるのはやめる。父さんと話してくるね」
「うん」
「……シオン、あのね」
メルテが何かを言いかけたとき、ドアがドンドンと大きくたたかれた。
「メルテ、そこにいるんだろう」
コナーズ博士の声だった。メルテが手首の端末に目線を投げる。位置情報で探されたのだろう。博士もしびれをきらしたらしい。
メルテは大きく息を吸い、シオンに向かって小さく頷いた。シオンはドアの前からどいて、壁へ背をつけるように立った。
「メルテ」
メルテがドアを開くと、博士はほっとしたように表情を緩めた。しかし部屋に入ろうとして、壁際にシオンがいるのに気づき足を止める。
メルテと同じイエローの瞳が、シオンを見すえる。見定めるような視線だった。
「父さん、場所を変えない?」
「いや、いい。聞かれて困ることを話すつもりはない。あまり時間もないのだ」
博士は諦めたようにシオンから目線を外し、小さく息をついた。
「……反対はしない。それだけは先に言っておこう」
「うん」
安堵したようにうなずいたメルテに向けて、博士は優しい微笑みを浮かべた。
「メルテが入るのは、いい開拓チームだ。ただやはり長期の航行が当たり前の仕事だ。せめて相談しなさい」
その語り口は、娘への信頼と深い愛情に満ちていた。少し恥ずかしそうに、メルテが素直な様子でごめんなさいと答えている。その会話を、シオンはどこかとても遠い国の出来事のように聞いていた。
「就職祝いに、プライベートシャトルを作ろう。あとでラボに来なさい」
「父さん、ありがとう」
卒業・就職祝いとして、プライベートシャトルは定番のプレゼントだった。買うのではなく作るというのが、なんともコナーズ博士らしい。
胸の温まる親子の会話は、咳払いをした博士の言葉でがらりと雰囲気を変えた。
「それと……そろそろ彼を紹介してくれないか」
博士がシオンを見る表情は複雑そうだった。まるでメルテとシオンが恋仲かのような言い方だ。
シオンは慌てて微かに首を横に振ってみせた。博士の愛娘をさらっていく男の役は、シオンではつとまるはずもない。
「父さん、こちらシオン・プルート君。パイロット科の四年生」
メルテは意外なほど真面目にシオンを紹介した。シオンは黙って頭を下げる。
「そうか、やはり君が……」
博士は小さくそう呟くと、ぐっと眉を寄せた。その表情からは、とてもではないが好感情は読み取れない。
メルテが顔をこわばらせ何かを言いかけたが、それよりも早く、博士の問いが投げられた。
「プルート君。なぜサルベージなんだね」
「どうしてそんなことを聞くんです」
真意をはかりかねたシオンは素直に尋ね返した。場合によってはシオンの身の振り方にも関わってくる。なにせシオンがこの学園に通えているのは博士のおかげなのだから。
博士は重々しく答えた。
「過去を見つめる仕事だ。その先に未来はない」
「……」
とっさに反論しそうになって、シオンはぐっとこらえた。確かにサルベージは斜陽産業だったし、未来へ直結しているとは言えない。
「娘は未来を見ているんだ。わかるだろう?」
「はい」
そういうことならシオンに否やはなかった。
「父さん! 職業差別だよ、いい加減にして」
博士は力なく首を横に振った。そんなことはわかっているとでも言いたげなその仕草に、シオンもメルテも言葉を失った。それほどに、博士の様子は弱弱しく、小さく見えた。
「私は……メルテに、過去に縛られてほしくない」
シオンはこのときはじめて、博士がどんな人なのかということに考えを及ばせた。それまで勝手に頭脳も人格も優れた雲の上の天才だと思っていた人物が、娘を案じて弱い姿を見せることもあるただの父親なのだと知った。
どんな言葉を伝えれば、杞憂なのだとわかってもらえるだろう。そもそもシオンは、メルテの将来に影響を及ぼせるような立場にいないのに。
「……はい。でも俺……僕も、過去に縛られているつもりはありません」
結局シオンは、ただ浮かんだ考えを言葉にすることから始めた。
博士が眉を顰める。
「だが君は、ご両親の遺品を探しているのだろう」
知られていても不思議はなかった。学園内でも噂になっていたからだ。大戦の英雄の名はこれからもシオンについてまわる。
「それは、僕が先に進むために必要だと思っているからです」
言い切ったシオンの口調は、自然に強いものになった。博士の目が見開かれる。
「過去を拾い集めなくても、未来を見ることができるのはわかります」
博士やメルテは、きっとそうなんだろう。わざわざ拾い集めて見つめなおして、自分で心の傷を縫い合わせるようなことをしなくても、自分を立て直せる人。
それはきっと、そばで支え合える人がいるからこそだ。
「けど、それが必要で、それを待っている人もいる。サルベージはそういう仕事だと、僕は思います」
何を語っているのだと、シオンは少し恥ずかしく思った。それ以上は何も言えずに黙っていると、博士がふいに目元をやわらげて、小さく嘆息した。
「君は……自分の選んだ仕事に誇りを持っているんだな」
少しだけ、認めてもらえたようだった。
シオンは肩の力が抜けていくのを感じて、あらためて緊張していたことを思い知らされた。いろいろな意味で、博士と対峙するのには気力がいる。
「邪魔をしたな。いつかまたゆっくり話そう、プルート君。メルテはまたあとで」
少しだけ寂しげな笑みを浮かべて、博士は部屋を出て行った。
とたんにメルテが大きく息をつく。
「ごめんねシオン、巻き込んで」
「いや」
「男親ってああなのかな、普段は研究最優先みたいにしてるくせして」
閉じられたドアを見つめたまま、メルテは呟く。不満そうな口調ではあったけれど、そのまなざしは優しかった。
気の抜けたシオンは、シミュレーターチェアの背にもたれかかった。
メルテが隣にやってくると、無機質なシミュレーションルームのひんやりした室温を感じないほど、ぬくもりが伝わってくる。
「でもよかった。シオンがサルベージ大好きなこと、ちゃんとわかってもらえたね」
大好きとまで言われると気恥ずかしい。
「メルテもよかったな」
博士はメルテの決断を応援してくれた。彼女にとって最大の懸念事項だったはずだ。
「うん……」
それなのに、メルテの返事はどこか沈んでいた。
「どうした?」
案じて問いかけたシオンの目を、メルテはちらりと見返した。
「目標に近づいてるのは、もちろん嬉しいの。でもやっぱり、寂しい気持ちがないわけじゃないから」
「……最短でも一年、か」
開拓は年単位のプロジェクトだ。目標が果たされるまで帰ってこない船さえある。
政治的・軍事的理由で禁止されている宙域でなければ、どこへ行っても通信は繋がる。顔も見られるし声も聴くことができる。けれど、会うことは叶わない。
覚悟していたつもりのシオンも、急に寂しさがこみあげた。
沈んでしまった空気を変えるように、メルテがおどけた様子で言う。
「シオンに忘れられちゃったら泣いちゃうかも」
「逆だろ、それは」
シオンは間髪入れずに反論した。
「私が忘れちゃったら泣いてくれるの?」
「違う、そこは逆じゃない」
泣いてたまるか。これはシオンの意地だった。
「もう、違わないって言ってよ」
軽口で始まった会話だったのに、メルテの声は小さく震えていた。
「メルテ?」
驚いたシオンはメルテの顔を覗き込んだ。
イエローの瞳が、揺れている。
シオンはようやく気がついた。シオンがメルテをあきらめていると彼女にも伝わっていて、それがずっと彼女を傷つけていたということに。
二の句が継げずに黙り込んだシオンの目を見て、常になく強い視線と口調で、メルテは言った。
「ねえ、お願いしてもいい? 私がもし、広い宙で迷って帰れなくなったら……シオンが拾いに来てね」
「……メルテ」
ようやっと名を呼んだシオンの声は低く掠れていて、出会った頃の子供らしい高い声の名残は消え去っていた。二人の間に横たわった時の流れが、今メルテの手で結ばれた。
メルテがシオンの手を握る強さは、痛いほどだった。けれどシオンはそれ以上に、胸が締め付けられるように痛んだ。
「シオンにわかるように、通信を送るから」
真剣なイエローの瞳が、シオンを捉えて離さない。
「ね、約束してくれる?」
切実なメルテの懇願に、シオンは頷いていた。
「わかった」
メルテの手を、強く握り返す。
「きっと見つけに行く」
声に出してシオンも決意が固まった。未来がどうなろうとも、この約束と今このときは、シオンだけのものだ。
「ありがとう……」
メルテの表情がほどけた。揺れるイエローが細められて、目尻に雫が浮かんでいる。
あまりにも綺麗で、シオンは思わず見とれた。
その雫はだんだん近づいて、やがてあたたかく柔らかな唇が、シオンの唇に触れる。
まだ息が触れるほどの距離で、シオンは呆然と彼女を呼んだ。
「メルテ」
「……や、約束のしるし」
囁かれたその声の甘さに、シオンは抗うことをやめた。
込み上げる想いを抑えることなど到底できなかった。シオンは強くメルテを抱き寄せ、肩口に顔をうずめる。
「メルテがどこに行っても、必ず見つける。約束するから」
だから、自分のところに帰ってくると、約束してほしい。
その願いは、とうとう口にすることができなかった。今まで彼女に何かを望むことなどなく、それを告げられるようになるには、まだシオンの覚悟が足りなかった。
このとき言えていたら、何かが変わっていたのだろうか。
メルテの船が帰ってこなかったときから、シオンはふとしたときにそう考えてしまっては、無力感にさいなまれる。
Signal.3 星の雫に口づけを