第二十二章 03 掟の女神降臨
今度はなんだと騎士たちが警戒するなか、舞い降りたのはひと柱の女神。濃淡のある銀髪が光にきらめく。右手には剣を、左手には天秤を、背中には白い翼がはためく。大きさは天界で見るより縮んでおり、二メートル程度。まるで人間のサイズに合わせたかのようだ。
『迎えに来たぞ』
そう言って女神は右手の剣を消し、ティナに手を差し伸べる。申し訳なさそうに手を取って、ティナは女神の肩に収まった。
あっけに取られる人間たちを見まわし、女神はラティエルにゆっくりと近づく。
『ラティエルよ、我は掟の女神ユスティアとなった。よって、星の座は不在となる』
ラティエルは小さく頷いた。情けない顔を見られたくなくて、そのまま俯く。
『そういうわけで、石を返してもらおう』
動揺して肩が揺れる。お守りのように持っていた石まで取り上げられるとは思わなかった。ペンダントを取り外す手が震え、うまく動かない。
見かねたジャイルズが手を貸してくれた。手に乗せられたペンダントを握りしめ、ユスティアを見上げる。
深い青色だった髪は銀色に変わり、瞳の色も薄いグレー。けれど、無愛想な表情と、顔に似合わず暖かな空気をまとっているところは変わらない。
ユスティアは早くしろと言いたげに天秤を突き出した。
『右の皿に載せろ』
言われたとおりにペンダントを置く。ユスティアは左の皿に手をかざし、ブツブツとこぼす。あーでもない、こーでもないと、何かを調整しているようだ。
『――よし、できた。受け取るがいい』
左の皿からユスティアが取り出したそれは、ラティエルがさっきまで着けていたものと同じデザインだが、石が違った。
掟の剣と同じ模様を持つ銀色の石。前世の知識と照らし合わせるなら、研磨されたギベオン隕石が近いだろう。
「これって……、掟の石⁉」
『込められていた術もそのまま移行しておいた。魔力はもう一度溜めなおせ』
呆然としつつも受け取り、信じられない気持ちで石とユスティアを交互に見る。
「掟の女神は愛し子を持てないんじゃ……」
『そのとおりだ。此度は条件つきで許可が下りた』
「条件……、どんな?」
『聖女の呪文を禁ずる』
“聖女の呪文”を使えば、女神の力を強制的に引き出せる。今まで聖女の呪文を唱えたのは一度だけ。よく知りもせず転移魔法に使った。
セレーネに注意されてからは使っていないし、鍛錬を積んだおかげで、ほとんどの魔法は無詠唱で使えるから何も困らない。
「お願いは聞いてもらえる?」
『呪文以外は今までどおりだ』
また女神とつながれる。じんわりと実感が湧いてきた。目尻に涙を浮かべてラティエルは微笑んだ。
「ユスティア。これからもよろしくね!」
『ああ』
ユスティアが口角を上げた。笑顔なんてはじめて見た気がする。それもすぐ無表情に戻ってしまったけれど。
天に帰ろうと宙に浮かんだユスティアを、国王が引き止めた。
「待ってくれ! 戦の女神について聞きたい」
『ああ、伝え忘れておった。人間界に災いをもたらしたヴァルキスには裁きを下した。よって、戦の座もしばらくは空席となる』
「「――おお!」」
どよめく周囲に手を上げて静め、国王はなおも続ける。
「戦の聖女は……、愛し子はどうなる?」
『契約は解消され、愛し子ではなくなった』
ユスティアの言葉に息を飲んだのはラティエルだけ。皆はホッとした表情を浮かべている。大切なものとつながりが切れるというのは、とてもつらいことだ。罰として十分なほどに。
国王に安堵の表情を見て、今度こそユスティアとティナは天へと昇っていった。
レジーナの顔は晴れやかで、ラティエルもやっと肩の荷を下ろせた気分だ。
その斜め後ろでは、王妃が国王の手を握る。
「よかったですわね。陛下」
「ああ。これで戦争は避けられる」
「せ、戦争⁉」
思わず叫ぶと、ジャイルズが耳打ちした。
「密偵の報告では、すでにエリスは帝国内にいる。女神の力を失ったと知れば、すぐに放り出されるだろう。戦争にはならない」
「密偵……?」
「ああ、紹介がまだだったな。――いるんだろう? 叔父上」
ジャイルズが床に向かって話しかけるものだから、ラティエルも床に視線を落とす。ジッと見ていると、ふたりの影が合わさった場所から頭が出てきた。
「っ……カ、カルロ⁉」
思わず呼び捨てにしてしまったが、ジャイルズは先ほど『叔父上』と言ってなかったか。信じられずに人差し指を突きつける。
「おっ、おじ……叔父上⁉ コレ……このひ……この方が?」
だって変態ですよ、という言葉はさすがに飲み込んだ。問題にすべきは変態性ではない。
よく考えてみれば、カルロの母親はグレイスだと言っていた。それは先代王妃の名であり、ジャイルズの祖母にあたる。だが――
「この方は、敵と通じていました!」
「ラティ、潜入捜査だったのだ。少しでも敵に疑われたら殺されてしまう。黙っていてすまなかった」
「うっ……、そうだったのですか」
ジャイルズに謝られては許すほかない。しかし疑問はたくさんある。
「わたしが小さいときに、会ったことがあるっていうのは?」
てっきり魔人を連れて来た悪い奴だと思っていた。そうでなければレグルスのような辺境領になんの用があるというのか。
「おれはジルとテオのお守り役だったからな。ずっとふたりのそばに……つまり、おまえのそばに居たんだぞ」
「…………」
なるほど。カルロは一方的に影の中から見ていたということか。それは『会った』と言えるのだろうか。指摘してやりたいが口をつぐんだ。本当に言いたいことは別にある。
「じゃあ、仕方がないですよね。わたしが寝るときや着替えるときまで、影の中に潜んでいても」
「――は?」
ジャイルズの顔に翳が差し、カルロは慌てて床から飛び出した。
「ちょっと待て! 影の真下からは何も見えないって……。セレーネ⁉ 教えてないのか⁉」
「教えたわよ。でもこの子には適性がなくて」
「ねぇ、なんでお母様を呼び捨てにするの?」
「おれはセレーネの兄弟子だからな! そうだ。おれが闇魔法を――」
「――叔父上。先ほどの話だが」
一気に騒がしくなった神殿内に、アークトゥルス神官長の声が轟く。
「静粛に――!! 故人を見送る場ですよ!」
皆すごすごと席に着き、手を組んで祈りを捧げる。
魔人となった者たちの魂が、どうか安寧の地で楽しく過ごせますようにと。
マルティナたちの遺体は、中央神殿が管理する墓地に埋葬されることになった。何があったのかを記された石碑も建てられ、神官たちによって引き継がれていく。
葬儀はつつがなく終わり、帰りの馬車へ向かうなか、ジャイルズに呼び止められた。
「ラティ、話がある」
「なんでしょう?」
「まだ誰にも言うなよ」
そう言って告げられた内容は、近く王太子にテオフィルスが任命されること。そして、ジャイルズが養子に出るという話だった。
「以前より、大叔父上から養子に迎えたいと話が出ていたんだ。王位継承権は放棄できなかったが、これでラティエルを公爵家に迎えられる」
「ジル兄様……本気ですか?」
「もちろん本気だ。考えておいてくれ。私との未来を」
それはもう何度も考え、夢見たことだ。好きな人とずっと一緒にいられる甘い夢。毎回不安もセットでついてきた。ジャイルズの相手が自分なんかで本当にいいのだろうか。かといって、誰かに譲れるのかと聞かれたら、それも無理な話なのだ。
なんと答えるべきか迷っているうちに、クリフから声がかかった。
「殿下! 早く馬車に乗らないと、あとが詰まってますから」
「――ああ。ラティ、また連絡する」
「はい、ジル兄様」
その後、裁判や王太子の戴冠式などで忙しかったのだろう。ジャイルズから連絡が来ることはなかった。




