第二十二章 02 天から落ちてきたもの
どんどん丸まっていくラティエルの背中を、兄アデルが叩いた。
「顔を上げろ。ティナにそんな顔を見せる気か?」
「そうよ、ラティエル。レジーナと同じ顔をしないでちょうだい。あなたまで修道女になるつもり?」
「――修道女? レジーナ先生が?」
「ええ。家庭教師も辞めると言って聞かないのよ」
「そんな……」
「ラティエル。レジーナが失ったのはティナだけではなかったの」
「え?」
母セレーネが車内に遮音結界を張った。外の音も聞こえなくなり、セレーネの声だけが落ちる。
「わたしたちと出会うよりも前の話よ」
レジーナは行方不明になったティナの情報を得るため、領地を従弟に預けて王都へ向かった。あと一泊すれば、明日の午前中にたどり着くところまで来たというのに、宿に不審な男たちがあらわれ、レジーナを襲った。
「そのとき護衛に就いていたふたりの領兵が、命を賭してレジーナを逃がしたの。二時間も走れば王都の東門にたどり着くからと、馬にレジーナを乗せてね」
「そのふたりは……?」
「行方不明とされていたわ。サルガス伯爵の別邸を暴くまでは」
「……あ、」
サルガス伯爵の別邸――裏庭の厩舎には、不完全な魔人が檻に入っていたことを思い出す。決定づけるようにセレーネが続ける。
「首から提げていたギルドチップで身元がわかったの。ふたりとも、魔人化に耐えられなくて虫の息だったそうよ」
「それを、レジーナ先生に伝えたんですか⁉ どうして⁉」
「ラルフ様もかなり悩んだのよ。だけど、レジーナがずっと気にしていたの。知らないままでは先に進めないだろうと、ラルフ様は決断なさったの」
「そんな……」
知らないほうがいいこともある。自分がレジーナの立場だったら、知りたいと思うのだろうか。ラティエルにはわからない。ひとつ、わかったことといえば、レジーナの絶望は思ったよりも深いということだけ。
ティナは、自分がいなくなればレジーナが幸せになれると言っていた。その結果がこれだ。こんなの、ティナの望む未来ではない。
(伝えなきゃ……レジーナ先生に、ティナの思いを)
馬車が神殿に到着した。ラティエルは肺に空気を送り込み、しっかりと地面を踏みしめる。
中央神殿の本殿を通り過ぎ、中庭を抜けたその奥に、夜の女神を祀る神殿がある。周囲に物々しい警備が敷かれるなか、入口には大聖女であるテティスが立っており、ラティエルたちを見つけて手を上げた。
「お待ちしておりました。皆様すでにお揃いです」
中へ入ると厳重な警備の理由がわかった。国王夫妻にふたりの王子。学園長からカストル辺境伯夫妻まで王族が居並ぶ。いくら貴族の葬儀だといっても、これは異様だ。
棺が五基並んでいるのも通常ではありえない。ティナだけでなく、魔人にされた人たちを一度に弔うようだが、遺族は納得しているのだろうか。
顔ぶれを見まわしても、ほかの貴族といえば宰相と息子のヒューベルトくらいで、遺族の姿が見当たらない。
ラティエルはセレーネの袖を引く。
「お母様、ご遺族の方は?」
「……誰も。引き取り手がなかったの。魔人になった者が身内にいるのは都合が悪いのよ。それで陛下が、王家をあげて弔ってくださるの」
そう言われてふと、事務員だったセシルの言葉を思い出す。八号と呼ばれた女性だ。家名を名乗らないのは、家を出たからだと言っていた。家族との縁が薄い魔力持ちを狙って魔人にしたのだろう。
「ラティエル、お別れに行きましょう」
「はい、お母様」
この建物に祀られているのは夜の女神ノーチェ。その足もとにある五基の棺のうち、顔が見えるのは三基だけ。セシルとデニス、そしてマルティナだ。魔人であったときよりも生気のある顔に見える。ただ、眠っているだけのように。
セシルが見せた、優しくも物憂げな微笑みが脳裏に浮かぶ。固く閉じられた二基は、サルガス別邸の厩舎で檻に入れられ、うずくまっていたふたり。レジーナの護衛たちだ。
「あれ? 一番目の水槽に入れられていた人は?」
「……彼女は、カストル辺境伯が引き取ったわ」
「え⁉ カストル家の方だったの?」
「ラティエル。ティナにお別れを」
「……はい」
そっとティナの顔を見る。胸から下は花で覆われていた。お別れを告げようにも、ティナはここにいないと知っている。
唇を引き結び、レジーナの姿を探すと、ティナの棺を見つめる修道女に目がいった。被ったウィンプルからレジーナの顔がのぞいているではないか。
「レ……レジーナ先生⁉ もう修道女に⁉」
「まだ見習いですわ。ラティエルお嬢様……、ご挨拶もなく申し訳ございません。家庭教師の職を辞すことをお許しください」
「待ってください! ティナは――」
――そんなことを望んでいない。そう続けようとしたのだが、頭上から響く悲鳴がどんどん大きくなり、思わず天井を仰ぎ見る。
『ひゃあああぁぁぁぁ――――!!』
子どもの声だ。突如、天井の一部に穴があく。崩れた天井の残骸とともに、光る何かが迫り来る。それはラティエルとレジーナのあいだに降ってきた。警備にあたっていた騎士や魔術師がなだれ込み、室内に緊張が走る。
一瞬身を引こうとしたが、子どもの姿を認めて受け止めようとした。だというのにラティエルの手に弾かれ、子どもはビタンッと床に叩きつけられてしまった。
「ええっ⁉ なんで?」
慌てて抱き起こそうにも、なぜか子どもに触れない。レジーナも同じように弾かれている。
後ろからやって来たセレーネがつぶやく。
「嫌な予感がするわ。また女神じゃないでしょうね? 女神は普通の人間には触れないのよ。特異体質を除いては」
「女神ですって⁉ ロザリンの出番かしら?」
セレーネのさらに後ろから叫んだのはカストル辺境伯夫人だ。近づこうとしてすぐ、辺境伯アーサーに肩をつかまれる。
「ロザリン!! もう女神は必要ないだろう⁉」
「だって、消えたりしたら大変よ?」
「冗談じゃない! すまないが、私たちはこれで失礼する!」
「え、待ってアーサー様! 女神様がかわいそうだわ!」
わめくロザリンを引きずって、アーサーはそそくさと帰っていった。
あらためてラティエルは足もとを見る。うつ伏せていた子どもの意識が戻ったようだ。のっそりと顔を上げて辺りを見まわす。子どもの顔を見て、レジーナが叫んだ。
「マ、マルティナ⁉」
「「――⁉」」
レジーナに反応して子どもが立ち上がった。その瞳が大きく見ひらかれる。
『お……お姉様? どうして修道女の格好をしているの?』
頭に響くその声は、幼く感じるがティナの声だ。
ラティエルは子どもに顔を寄せる。
「ティナ? 本当にティナなの? 生贄になったんじゃ……」
『あっ、お嬢様。生贄というのは少し大袈裟な表現でして』
ティナはふわりと宙に浮き、身のうえに起こったことを話してくれた。
女神見習いになったこと。ティナが喜んだり楽しい気持ちになると、それが光となってアストローダに吸収されること。
そして星の宮で本を読み、飛ぶ練習をしていたとき、集中力が切れてテーブルの上に着地した――と思ったら、ここまで落ちて来たという。
『まさかテーブルと人間界がつながっているとは思わず……、お騒がせしました』
ティナはしょんぼりと頭を下げる。だがそれも、レジーナが抱きつくまでの話だ。腕に抱こうとしても弾かれて、レジーナは悲しげに眉を下げる。対してティナは口角を上げた。
『それで、お姉様。どうして修道女の真似を?』
目が笑っていない。子どもの姿なのに、なぞの威圧感がある。
「そ、それは……」
『私、言いましたよね? お姉様の幸せが私の幸せだって。なぁんにも届いていなかったのですね』
「そんなことは……」
あのレジーナが押されている。
――いいぞ、もっと言ってやれ。ラティエルの言葉よりよっぽど説得力があるのだから。
ティナが深~いため息をつく。
『お姉様が幸せになってくださらないと、私は出世できないのですよ?』
「しゅっせ?」
『そうです。私がたくさん喜べば、それだけ早く女神として成長できるの。私が喜ぶことはひとつ! お姉様たちが幸せになることっ!!』
鼻息荒くも言い切って、ティナは腕を組んだ。凄むように見下ろす顔は、まだ反論があるのかとでも言いたげだ。
レジーナは胸に手を重ね、降参したとばかりに笑った。一筋の涙がこぼれ落ちる。
「わかりましたわ。幸せになれるよう、努力いたします」
姉妹が和解したところで、遠慮がちに咳払いが聞こえた。声の方を見れば、微笑を浮かべたアークトゥルス神官長がいる。先代から引き継いだばかりの若い長だ。その目は先ほどのティナと同じように笑っていない。
「さて。これまでの話を総合すると、ラティエル嬢は女神の愛し子ということで間違いありませんね? 私まで報告が届いていないのですが」
「あっ……」
ラティエルは口もとを押さえ、愛し子である三人の聖女はあからさまに顔を背けた。それを見て理解したらしい。
「私は除け者ですか。そうですか」
アークトゥルス神官長はしおしおと肩を落とした。
ラティエルはわたわたと手を振りまわす。
「神官長! わたしは契約を切られてしまって。つまり、愛し子ではございません」
「契約を切られた⁉ そのようなことがあるのですか?」
神官長が驚くということは、歴史上初のことなのだろう。情けない気持ちが顔に出ないよう、努めて明るく話す。
「ティナの魂を得た星の女神は、掟の座に戻れるそうなんです。だから、わたしはもう……、わ、わたしは……」
「ラティ」
いつの間にそばへ来ていたのだろうか。ジャイルズは痛ましげに名を呼んで、優しく涙を払う。
ぼやける視界に目を擦ろうとしたとき、天井の穴からまた、強い光が差し込んできた。




