第二十二章 01 契約破棄されました
ラティエルはおずおずとセレーネに問う。
「あの、お母様……レジーナ先生は?」
「ティナを乗せた馬車に飛び乗ったわ。手続きもあるから」
「そうですか」
謝りそこねてしまった。次に会えるのは通夜のときだろうか。俯いたラティエルは母の動揺に気づかない。
口もとに手をあてたセレーネが声を震わせる。
「ラティエル、あなた……」
不思議に思って顔を上げると、セレーネは目を瞠り、口をハクハクとさせている。やっとのことで絞り出された言葉に耳を疑った。
「聖女では、なくなっているわ」
「えっ⁉」
石を見せろと言われて、ラティエルは制服の下からペンダントを引っ張り出す。ラティエルが生まれたときに握っていた“星の石”は、変わらずそこにあった。
セレーネは石を手に取り、ジッと見つめる。
「これは、普通の“星の石”だわ」
言われてみれば、アストローダとのつながりが感じられない。
(アストローダ? …………、ねぇ? 何か言ってよ)
いくら待っても、何度呼びかけても返事がない。じわりと変な汗が滲む。悲しみに暮れ、アストローダの言葉を聞き逃していた。最後になんと言ったのか。思い出そうとしても欠片も浮かばない。だが、今までのことを考えれば予想はつく。
「アストローダはきっと、掟の女神に戻ろうとしているのかと……」
「なんですって?」
「それで……、ティナを生贄に……」
ラティエルはアストローダから聞いた話を語った。『女神が犠牲を払った人間の魂を食らう』こと。そうすれば掟の座に戻れること。
黙って聞いていたセレーネが、言いづらそうに口をひらく。
「ラティエル、これは月の女神から聞いた話なのだけど……」
女神にも階級があり、作り出した神器の数で神格が決まる。ほとんどの女神はひとつの神器を持つが、“運命”・“時”・“掟”、そして冥府を司る“夜”の四柱は、三つの神器を持つ。それだけ力が強大だということだ。
「だからね、その四柱は契約者を……愛し子を持てない決まりらしいの」
「え⁉ じゃあ、わたしは……もう、聖女には戻れない?」
「この石を見るかぎり、つながりが切れたのだと思うわ」
「そんな……わたし、……す、捨てられたの?」
目の前が暗くなっていく。手先がやけに冷える。血の気が引くのを感じながらも、膝をついたことに気づいたのは、しばらくしてからだった。
すぐ横にいるはずの、ジャイルズの声が遠い。
「ラティ! 大丈夫か? 顔色が悪い」
「家に連れて帰りますわ。レオネル、馬車を」
「ああ」
そんなやり取りを他人事のように聞いて、ラティエルは意識を手放した。
◆
一方、女神たちが住まう天界では――
ラティエルに別れを告げたあと、ティナはアストローダに連れられ、夜の宮を訪れていた。
室内は松明の明かりに照らされて黄金色。東屋の中から見える空は、星ひとつない闇夜だ。同じく闇色の髪と瞳をした女神ノーチェが、気だるげに顔を上げる。
『アストローダ。ドウシタ?』
『生贄の魂を連れてきた。食えるようにしてくれ』
『ソウ。魂ヲ、コチラヘ』
アストローダに背中を押され、ティナはおっかなびっくりノーチェの前へ進み出る。魂を捧げることには同意したが、『食われる』とは聞いていなかった。取引してしまったのだから、覚悟を決めるしかない。
ノーチェは棚からザクロの実を取り出し、ヘビが巻きついた杖をティナに向けた。ティナをかき混ぜるように杖をぐるぐるとまわす。風圧でティナの霊体が巻き取られていく。
風が収まってノーチェを見上げると、ザクロとティナの霊体が糸のようなものでつながっていた。女神たちの顔が遠い。心なしか、体が縮んだ気がする。ティナは自分の手を見て声をあげた。
『小さくなってる⁉』
手足も体も、三歳児ほどしかない。死んだときに着ていた服は真っ白なワンピースに。下にのぞくドロワーズは膝まである。どちらもフリルや刺繍が施され、とてもかわいらしい。
ティナと糸でつながったザクロを、ノーチェはアストローダに渡した。
『デキタ。二十二年分ハ、小サイ』
『――いただこう』
アストローダがザクロを割ると、赤い果肉の中に金色の粒がいくつも混ざっている。横からのぞき込んだノーチェは満足そうに頷いた。
『善行ノ粒イッパイ。コレナラ掟ノ座ニ戻レル』
『戻る気はない』
そう言ってアストローダはザクロにかじりつく。同時にティナの体が光を帯び、ティナの糸がアストローダへとつながった。
ノーチェは長椅子にもたれ、片手で頬杖をつきながら憂いた表情で見上げる。
『ダガ、イツマデモ、掟ノ座ヲ空席ニハ、デキナイ』
『ほかの柱がつけばいい。――邪魔をした』
用はすんだとばかりにノーチェに背を向け、ティナに手を差し出す。
『星の宮へ帰るぞ』
『はっ、はい!』
アストローダの懐に抱かれ、夜の宮にかかる暗闇のカーテンを抜けると、また青空が広がった。目の前には天空に浮かぶ巨大な島があり、その周りを囲むように、“鳥かご”のような形をした女神の宮がいくつも浮かんでいる。
星の宮へ戻る途中、島の中心に建つ塔を指差してアストローダが言った。
『自分で飛べるようになったら、あそこへ行ってみろ。塔の下には街がある。お主と同じ、女神見習いがたくさんいる』
『えっ⁉ 私は女神見習いになったのですか?』
『そうだ。……言ってなかったか?』
『初耳です!』
曰く、ティナが喜びを感じるたびに、アストローダへと光が集まる。ほかにもたくさんの見習いや下級女神たちがアストローダとつながっており、光を届けている。その光は女神の力に直結するという。
『てっきり、頭から食べられるのものだと……』
『ああ。丸呑みする方法もあるが、あれは好かん。長い目で見れば損だしな』
『そ、そうですか』
星の宮――鳥かごにも見える東屋に着くと、赤い髪で顔が覆われた女神が待ち構えていた。ティナの知識と合致するのは、運命の女神フォルトナだ。
『戻って来たの! ふむふむ、力も十分ではないか』
『……掟の座には戻らない』
『愛し子とのつながりが切れるのは嫌か?』
『あれはまだ子どもだ。放り出すわけにもいくまい』
『フッ、ククク。人間に興味を示さなかった堅物がの……、そうかそうか』
アストローダは腕を組み、バツが悪そうに顔を背ける。フォルトナはおかまいなしにアストローダへ手を伸ばした。
『では、代わりを推薦するか、女神たちを説得するかだの。ゆくぞ!』
『――い、行かぬ!』
逃げを打つアストローダの肩を抱き込み、フォルトナが手を振った。
『新入りよ、よい子でお留守番しておれ。そうそう、これを読んでおけ』
『は、はいっ!』
どこから出したのか、フォルトナから放り渡された本は、ティナの体と同じくらいの大きさだ。見た目に反して重さは感じない。
『我が水鏡の前におらぬと愛し子が泣く! 離せ――』
アストローダの叫びもむなしく、ふた柱の女神は宙に浮いたかと思うと、姿を消した。
フォルトナに渡された本を抱いたまま、ティナは立ち尽くす。ふと本のタイトルを目にして、口もとがほころんだ。
『……楽しい女神入門』
ティナの願い――姉を見守りたい。ラティエルに、レグルス家に恩を返したいという願いは、道半ばで閉ざされたのだとあきらめていた。だが、アストローダはちゃんと願いを叶えてくれたのだ。それに応えなければ。
ティナは床に本を下ろし、真剣な面持ちで表紙をひらいた。
◆
ラティエルが目を覚ますと、見覚えのある天蓋が目に入った。ここはラティエルの寝室。王都にあるレグルス邸に運ばれたようだ。
(アストローダ……?)
心の中でつぶやいてみても返事はない。ラティエルの魂が欠けたわけでもないのに、ぽっかりと穴があいた気分だ。
アストローダはきっと、ティナの魂で心の隙間を埋めたのだろう。ラティエルよりティナのほうが素直でかわいい。自分のようなひねくれ者とつながっているより、よほど心穏やかに過ごせるというものだ。
(契約を破棄されて当然よ)
ティナを守れなかっただけじゃない。掟の剣をラティエルが扱えていれば、アストローダは身を切る必要がなかった。全部ラティエルが未熟なせいで、起こるべくして起きたこと。
(それに……わたしは聖女なんて柄じゃないしね)
自嘲して無理やり口角を上げる。そうでもしなければ、嘆きの海に飲まれてあっという間に溺れてしまう。足掻いて藻掻いて、泳ぎ続けるしかラティエルが助かる道はない。
気持ちを奮い立たせてベッドから出る。寝過ぎたようで体が少し重い。クローゼットから制服を引っ張り出して着替えていると、ノックが聞こえ、乳母のアンナが顔をのぞかせた。
「まぁ、お嬢様。どうして制服を?」
「寮に戻るわ」
「学園はしばらく閉鎖だそうです。ほかのドレスにいたしましょう」
「そう……」
アンナに着替えを手伝ってもらうのも久しぶりだ。用意されたのは黒一色のドレス。髪も結い上げ、ベールのついた帽子が乗せられた。見たくない現実を突きつけられる。
「……アンナ。わたし、どれくらい寝ていたの?」
「丸一日でございます」
それならもう通夜は済んでいるだろう。学園の制服は正装として認められるが、場に合わせて着替えるのが貴族の習わしだ。
一階の玄関へ下りると、両親も兄もすでにそろっていた。
「お母様、レジーナ先生は?」
「彼女は中央神殿にいるわ。わたくしたちも参りましょう」
背中を押されて馬車に乗る。せっかく家族がそろった車内に重苦しい空気が漂う。その発生源はラティエルだ。まるで処刑台に向かう罪人のような気分だった。
(レジーナ先生に謝るとしても、なんて言ったらいいの?)
許してほしいわけじゃない。それでも謝ってしまえば、レジーナはラティエルを許すと口にするだろう。そして二度と、本音で向き合うことはなくなるのだ。




