第二十一章 06 女神の生贄
ラティエルは目の前に空間魔法陣を描く。すると、中心部が大きく広がって、アストローダの顔が見えた。まるで窓越しに向き合っているかのようだ。頭に響く声も、心なしか近く感じられる。
『ラティエル、少しだけ時間をやろう』
「――?」
意味がわからず首をかしげていると、腕に抱いているはずの人物が、窓の向こう側にいるではないか。
『ラティエルお嬢様』
ティナと同じ顔、同じ声。微笑み方までそっくりだ。
「……ティナ、なの?」
『はい。お別れする時間をいただきました』
「おわ……かれ? まだ早いわ。この国の平均寿命は七十歳よ? 貴族ならもっと」
『呪核が壊れてしまったんです。私の呪核は旧型でしたから』
いくら神力を吹き込まれても、呪核が壊れたらおしまいだ。それはわかっている。だけど、ティナはアストローダと何かしら取引をしたと言っていたではないか。
ならばもう一度――
「アストローダとの取引には何がいるの? なんでもあげるから!」
『……お嬢様。取引をしたから、私はこちらにいるんです』
「え……?」
ティナは眉尻を下げて微笑む。悲しみとは違う、はにかんだ表情だった。
『私は迷惑をかけるばかりで、何も成すことができませんでした。そんな私がお役に立てる機会をいただいたのです』
「迷惑だなんて思ったこと、一度もない!!」
――役に立てる。
それが何を意味しているのか、気づかないラティエルではない。アストローダが生贄の話をしたのは記憶に新しい。ティナもまた、女神が犠牲を払った適合者だ。
『私がいることで、姉は自分の幸せを蔑ろにしてしまうのです。お嬢様……。七年も、姉と過ごす時間を与えてくださり、ありがとうございました。私は幸せ者です』
ティナの姿が薄れていく。
「待って、ティナ! ティナ⁉」
とびきりの笑顔を残して、ティナの姿は魔法陣とともに消えてしまった。再び魔法陣を描いても、ティナの顔が映ることはなかった。
「アストローダ! ティナを返して!! お願い……」
『死者をよみがえらせることはできぬ』
「っ……、うぅ……」
『ラティエル……』
わかっている。これはラティエルの甘えだ。呪核は魂をこの世に縛りつけて体を使役する。呪いから解き放たれたティナは、よみがえりなど望んでいない。
アストローダがまだ何か言っていたが、頭が、心が拒絶した。ティナを失った悲しみでいっぱいだった。
◆
一方、歌劇場の近くに転移したエリスは、木の陰から様子を窺う。魔術師たちの張っていた結界は解かれ、動かなくなった呪核が回収されていく。
(苦労して作ったのに……)
苛立ち紛れにエリスが爪を噛んでいると、お目当ての人物がやって来た。王子のくせに騎士服を着込み、そばにいるのは女子生徒ひとりだけ。これはチャンスだ。
「アリア、力が及ばなかった場所がないか、くまなく探してくれ!」
「承知しましたわ。ジル様は?」
「私はラティエルを探す」
しかも都合よく、ひとりになってくれた。エリスはほくそ笑む。空気を包むように両手を合わせ、小声で呪文を唱える。
「我は戦の聖女、女神ヴァルキスの友にして懸け橋となる者なり。我が闘魂を糧に、勇敢なる槍をもたらせ。――ペネトラーレ!」
エリスが両手を突き出すと、赤い槍が放たれた。槍はまっすぐジャイルズへ向かう。気づいたようだがもう遅い。槍は心臓を捉え、ジャイルズがかざした右手ともども貫いた――かに見えた。
「なっ……なんでよ⁉ 女神の槍が……」
槍はまっぷたつに分かれ、土塊のように崩れ落ちていく。いつの間にか、ジャイルズの右手には大剣が握られている。
慌てて次の呪文を唱えはじめるも、間に合いそうにない。騎士や魔術師たちが集まって来る。ここまでかと思ったとき、足もとの影からカルロがあらわれた。
「一旦引こう。サーペント侯爵のところへ転移しようか。きっとリシャド皇子もいるよ」
「あっ、そ、そうね」
言われるがまま、エリスは女神に願った。
「ヴァルキス! 私たちをサーペント侯爵のところへ」
カルロを連れてエリスは姿を消した。
ジャイルズは追うでもなく悠長に腕を組む。そこへクリフが走って来た。
「殿下!! ご無事ですか⁉」
「ああ、問題ない」
「どうして俺を置いていくんですか!!」
「叔父上に『隙を作れ』と言われたのでな」
「また人のせいにして! いつも置いていく癖に」
「ンンッ。さて、ラティを探しに行くぞ! ほら、ついて来い」
「……承知しました」
後ろから来たリオンに肩を叩かれ、クリフはため息を飲み込む。
三人があてどなく歩いていたときだった。リオンの脇に騎士がやって来て膝をつく。
「申し上げます! 窓ガラスが割れる音を聞き、確認したところ、本館校舎の中庭に巨大な氷の柱を発見いたしました!」
「氷の柱だと?」
騎士の報告にリオンは訝しみ、ジャイルズは目を輝かせた。
「ラティ……、私の名を呼んでくれたのか」
「あっ、殿下! お待ちください!」
「ラティエルが私を呼んでいる!!」
「何も聞こえませんよ? ちょっ……殿下⁉」
走り出したジャイルズを追って、クリフとリオンも本館校舎へ走った。
◆
ティナの体を抱いたまま、どれだけ時間が経ったのだろう。涙に濡れた頬がヒリつく。
肩に手を置かれ、ラティエルが顔を上げると、星の瞳に見つめられていた。眉根を寄せて険しい顔なのに、眉尻は下がり、悲しげでもある。
「ジル兄様、ティナが……逝ってしまいました」
「ああ。きれいに清めて、レジーナの元へ返してやろう」
言われてから気づく。ティナは黒い血にまみれ、服もボロボロだ。
ジャイルズが騎士たちに目配せすると、そばに担架が置かれた。騎士たちを制して、ラティエル自らティナを乗せる。
「どうか、丁重にお願いします」
「「承知しました」」
立ち上がってはじめて、まわりにいるたくさんの騎士や魔術師が目に入った。ジャイルズの後ろにはクリフがいて、少し離れた場所ではリオンが指示を飛ばしている。
担架を目で追っていくと、氷漬けになった男ふたりも救出されており、地面に寝かされていた。ネイトはぐったりとしているが、魔術師が治癒魔法をかけるのは生きている証拠だ。
「ラティ、ケガはないか?」
心配そうなジャイルズにしっかりと頷いて見せたが、顔は上げられない。きっとひどい顔をしている。
ラティエルも黒っぽい液体にまみれており、このままでは皆がおどろくからと、ジャイルズが浄化魔法をかけていく。自分でやると言っても譲ってはくれなかった。
「抱きしめたいのを我慢している。これくらいはさせろ」
「っ……はい」
ほんわりと血の気が戻ったラティエルの頬をなで、ジャイルズはさらに治癒魔法を施した。
「よし。これで人前に出られるぞ」
「――え?」
「さっきまで亡霊のような顔をしていた。あれでは皆が逃げていく」
「うっ……」
遅ればせながら、ジャイルズの視線を遮るように腕でガードする。
「あの、歌劇場のほうは?」
「すべての呪核を壊せたと思う。アリアががんばったからな」
「そうですか。――あっ、エリスは⁉ 捕らえたのですか?」
ジャイルズは視線を落として首を振った。
「逃げられてしまった。女神の転移は痕跡をたどれない。見つけるのはむずかしいだろう」
「わたしなら追えます!」
アストローダに頼んで、エリスの近くに転移させてもらえばいい。
ジャイルズは「そうだな」と頷きつつも、ラティエルの手を握りしめる。その手は『行くな』と言っているように思えた。
「ジル兄様。帝国まで逃げられたら厄介です。急がないと」
「帝国が絡んでいるからこそ慎重に進めたい。ラティ、今は休んでくれ」
「…………はい」
気持ちが急いているのは、何かをしていないと悲しみがせり上がってきそうだから。本当は、真っ先にやるべきことがあるとわかっている。
ティナを安らかな場所へ埋葬しなければ。不幸にも魔人にされた人たちも。それに目を向けるのがつらいから、逃げているだけだ。
ジャイルズに連れられて歌劇場へ向かう途中、西門の馬車乗り場から女性の泣き声があがった。ラティエルの足がピタリと止まる。
よく知る声なのに、こんなに取り乱した声は聞いたことがない。拳が白くなるほど握りしめた。
「……レジーナ先生に、謝らないと」
口に出してみても勇気が出ない。どんな顔をして会えばいいのか。ティナを死なせてしまったのはラティエルのせいだ。
ネイトなんかに手間取って救出に動けなかった。ラティエルが弱いばかりにティナを参戦させてしまった。巻き込むべきではなかったのに。
「ラティ、こちらへ」
労るようなジャイルズの声にも、顔が上げられない。促されるままについていく。
ジャイルズが柱の陰で両腕を広げたとき、ふたりを分かつように真剣が差し入れられた。
「ヒッ⁉(チッ)」
ラティエルは小さく悲鳴をあげ、ジャイルズは舌打ちした。剣を持った危険人物をリオンが羽交い締めにして、すかさずクリフが剣を取り上げる。
「師匠! コレどこから持ってきたんですか⁉ 武器の持ち込み禁止ですよ⁉」
「レオネル殿、さすがにマズいって! 相手は王子です」
「知ったことか! 娘を守るのは父親の務めだ! 離せっ!」
「……お父様」
父レオネルの顔を見てホッとしたのか、また涙が溢れてくる。
「ラティエル、おいで」
「うっ、お父様……ティナが、ティナが……」
レオネルの胸に飛び込み、ラティエルはわんわんと泣いた。レオネルは優しく包んであやすように背中をなでる。
しばらくして、ジャイルズの恨めしそうな声が聞こえた。
「すぐにそのポジションを奪ってやるからな」
レオネルの体がピクリと動く。一段低い声が響いた。
「私を倒してからにしろと、言っただろう?」
「今すぐ倒してやりたいところだが、ラティが悲しむからな」
「ほう、言うようになったじゃないか」
殺気を飛ばし合うふたりに、ラティエルの涙も引っ込んだ。
オロオロしているところへ、あらたな声が差し込まれた。誰もが逆らえない女性の声が。
「何をしているのかしら?」
「「うっ」」
母セレーネの非難めいた声に、レオネルもジャイルズも口をつぐむ。リオンはあからさまにホッとした表情を見せた。どうやらクリフが呼んで来たらしい。




