第二十一章 05 強火担から召喚されたのは
ネイトは後ろへ下がると、悠長に窓へ腰かけた。ウェインと呼ばれた男がゆっくりと近づいて来る。つい最近、耳にした名前だ。
「あなた、ティナの……マルティナの幼なじみ?」
無表情で生気のなかった瞳に光が灯り、大きく見ひらかれた。
「ティナを……知っているのか?」
「ええ。わたしの侍女なの」
「そうか、生きていてくれたか……」
ウェインはひどく安堵したようで、今にも泣きそうな顔だ。ラティエルは言葉に詰まってしまう。悲しい事実を告げるのは、余計なお世話かもしれない。
ネイトの咳払いにウェインは表情を引き締めた。
「すまない。君にはなんの恨みもないが」
「っ……」
ウェインから距離を置きつつ、ラティエルは女神の空間から剣を取り出す。彼はおそらく、戦女神の加護を受けた呪核を持つ七番目の魔人。この剣では傷ひとつ付けられない。ジャイルズたちのいる歌劇場へ誘導するしかないだろう。
身体強化魔法をまといながら経路を考える。Aクラスのすぐ横には階段がある。
「ティナも歌劇場に来てるの。会いたい?」
近づくウェインの足が止まった。瞳が揺れている。その表情は会いたいと言っているのに、ウェインはゆっくりと首を振った。
「今さら、合わせる顔なんてない」
「どうして?」
「僕はもう、人間ではないから」
ウェインの筋肉が盛り上がる。美しい顔にも青筋が浮かんだ。白目が黒く濁り、瞳孔が縦にひらいていく。
ラティエルは後ずさりながら横目で階段を見やる。行けると思って体を向けた瞬間、ウェインの剛腕が横から飛んできた。スッと躱し、空振った腕が廊下の窓ガラスを派手に割った。
舌打ちしたネイトが叫ぶ。
「逃がさないでください!!」
ラティエルは階段の手すりを超え、一階へ飛び降りた。
ウェインも同じように飛び降り、ついて来る。
校舎から外に出ようとして、一年生のAクラスから出て来たティナとかち合った。
「ティナ⁉ なんでここに⁉」
「お嬢様! あっ、これはその、懐かしくてつい……」
わたわたと振られた手が止まり、ティナの視線がラティエルよりも高くなった。ハッとして振り返ると、ウェインが驚愕の表情を浮かべて立っていた。その瞳にはもう、ラティエルなど映っていない。
「ティナ……? あのころのままだ。どうして……」
吸い寄せられるようにティナに歩み寄る。近づくほどに筋肉が収縮していく。
ティナのほうも、こぼれんばかりにひらかれた双眸でウェインを見つめ返した。
「ウェイン、なの? そんな……ウェインまで……」
ティナの目からこぼれた薄紫色の涙を見て、ウェインは狼狽えた。魔人に作り変えられると血液は濃い紫色になるし、体液もうっすらと紫がかる。
自分と同じ色の涙をティナが流している。言葉を失い、ウェインは動かなくなってしまった。
そこへ、上階からやって来たネイトが声を荒げる。
「七号! 命令を聞きなさい!!」
七号と呼ばれたウェインは、わなわなと震えながらネイトに掴みかかった。
「言うことを聞けば、ティナには手を出さないと言っただろう⁉」
「ぐっ、なんの……話だ?」
苦しげなネイトが床に向かって片手をかざすと、足もとの影から黒い手があらわれてウェインを拘束した。
(――嘘でしょう⁉ ネイトは闇魔法を使えるの⁉)
魔人と闇魔法使いが手を組むなんて、最悪だ。
息を整え、ネイトはティナを横目で見やる。
「ああ、三号ですか。それはルイーズ嬢が言ったのでしょう?」
「そうだ!」
「愚かですね。八年前、三号はすでに魔人となっていたのに」
「は……八年? それでは、失踪後すぐに…………うぅ、ウアアァァ――!!」
再び筋肉が肥大化していく。整った顔立ちは野獣のように歪み、鋭い爪をネイトへ向けた。
それでもネイトは不敵に笑い、懐から筒状の笛を取り出す。吹いても音など聞こえないのに、ウェインの動きがピタリと止まった。
「さぁ、ラティエル嬢を捕まえなさい。少々痛めつけても構いません」
その言葉に、ウェインがゆっくりとラティエルたちに向きなおる。
「……ウェイン?」
「逃げよう、ティナ。なんだかヤバそう」
本能が警鐘をならしている。ティナの腕を引いて走り出した。魔法で身体強化したラティエルにもティナは難なくついて来る。が、もちろんウェインもついて来た。
「ぜんぜん引き離せないっ」
しかも逃げた方向は歌劇場とは逆方向だ。目も当てられない。方向を修正するため中庭へ飛び出すも、ひらけた場所に出たせいで逆に追いつかれそうだ。
出し抜けにティナが失速した。
「お嬢様は逃げてください!」
「ティナ⁉ だめよ!」
ウェインは簡単にティナを突き飛ばした。個体差でも負けているうえに、ウェインには戦女神の加護がある。ティナの敵う相手ではない。
倒れたティナを追撃することもなく、ウェインはラティエルに向かって来る。ひたすら攻撃を躱しながら、ネイトの持っている笛をチラ見する。
(あの笛で言うことを聞かせてる? 笛を壊せば、もしかすると)
後ろから追いついたネイトを視界に捉え、ラティエルは剣を抜く。ウェインの長い腕をかいくぐり、ネイトの手もとを狙った。
「おっと! さすがに気づきましたか」
ひらりと躱され、ネイトに追撃を入れるより先に、後ろから殺気を感じて転がり逃げる。魔人と闇使いをいっぺんに相手取るのは無理がある。
逃げまわるラティエルの視界から、ふいにウェインの姿が吹き飛んだ。琥珀色の髪をした少女だけが視界に映る。
「ティナ!」
「お嬢様はあの笛を」
「わかった!」
ネイトは軽く舌打ちし、ラティエルの影に手をかざす。すぐにラティエルは飛び上がった。これでラティエルの影は使えない。まわりの物陰から闇を引き出すには距離がある。
着地したところを狙おうと待ち構えるネイトだったが、空中に留まったまま、剣に光魔法をまとわせるラティエルに目を瞠った。
「まさか、空を飛べるとは……。剣術に秀でた令嬢だとは思っていましたが、これは想定外です」
半笑いで手を下ろしかけたネイトだが、ふと、その手を別方向へ向けた。
その先にはティナがいる。
「させるかっ!」
ラティエルが放った一閃はネイトの右腕と、添えられた左手を切り落とした。左手から転がり落ちた笛を即座に踏み潰す。笛に戦女神の加護はかかっていなかったようだ。パキパキと音を立てて割れた。
なくなった両手に遅れて気づいたネイトが、徐々に声を荒げていく。のたうちまわるネイトの両腕を治癒魔法で止血した。これで死ねない。手がくっつくかどうかは治癒師の腕次第だ。剣を鞘に収める。
狂気に血走った目でネイトが笑った。
「フヒヒ!! 殺すよりも残忍ですね! やはりあなたは我が主の駒に相応しい!」
「……価値観の違いね」
人を裁くのはラティエルの仕事ではない。この男は法によって裁かれるべきだ。
気が触れたのか、ネイトは笑い転げる。
「フヒッ。あなたが生かしたせいで、この悲劇は起こったのです。愛する者を手にかけさせる。なんと非情なことでしょうか! フヒヒィヒヒ!」
「何を言って……」
ネイトの視線を追って振り返る。そこには至近距離で向かい合う男女がいた。中庭の石畳に濃い紫色の液体が広がっていく。呆然とした男――ウェインの腕がティナの胸下を貫いていた。
「――ティナ!!」
ずるりと崩れ落ちていくティナを受け止めようと、必死に走るが間に合わない。横たわるティナを抱き起こした――刹那、獣の咆哮が轟いた。ティナを抱え、すぐさまウェインから飛び退く。
狂乱化したウェインが向かった先はネイトだった。もう笛に縛られてはいない。ネイトは「さぁ、殺せ」と言わんばかりに腕を広げている。
あんな男、放っておけばいい。だというのにラティエルは叫んでいた。
「アストローダ! 力を貸して!」
『――ラティエル、王子の名を呼べ』
女神から返ってきた言葉に、戸惑う暇もなく。
「ジル……ジャイルズ殿下!!」
叫びに応えるかのように剣の鞘が光った。否――これは装飾の珠が、あのワケのわからない珠“強火担”が青白く光っている。珠からあふれ出た光が丸まって、水色のドラゴンを形成した。
「ジル兄様……じゃ、ない?」
変幻したジルドラゴンよりも大きく、その体は透けて見える。
ドラゴンは、何かを感知したように向きを変え、ネイトを掴み上げたウェインに向かって口撃を放つ。青白い光線はウェインどころかネイトをも包み、あっという間にふたりは氷漬けになった。ドラゴンは辺りを見まわし、ほかに脅威がないことを確認すると消えていった。
あっけに取られたのも束の間、ラティエルはすぐに意識を手もとに戻し、膝に乗せたティナに治癒魔法をかける。
「ティナ! お願い、目をあけて!!」
血色が悪いのも、気配が薄いのも元からだ。体温だってまだ温かい。もっともっと魔力を注ぎ込めば、治癒をかけ続ければ、息を吹き返してくれるはず。ティナとアストローダは取引をしたと言っていた。だからまだ、死ぬわけがない。
「そうでしょう⁉ アストローダ!」
『……ラティエル、女神の空間をひらけ』
「わかった!」




