第二十一章 04 阿鼻叫喚パニック
ラティエルが手で庇を作り、目を凝らすと、黒い虫のようなものが飛び跳ねるのが見えた。
全長五センチはあるだろうか。
「あれは……クモでしょうか?」
「似ているとは思わないか? 先ほどの呪核に」
ジャイルズに言われてさらに目を眇め、ラティエルは腕をさすった。
「動く呪核⁉ ひえぇ……」
魔術師のひとりが歌劇場から出て来た。服の装飾からして上級魔術師。やはり虫を追い払いながら走ってくる。結界の内側から声を張り上げた。
「申し上げます! 会場は強力な魔法で施錠されており、中の様子を窺うことはできませんでした!」
「そんな……、上級魔術師でも対処できないとは」
愕然とするルーシャンの肩をオスカーが揺さぶる。
「中へ入れてくれ! 国王陛下がいらっしゃるんだぞ⁉」
「し、しかし……」
「大叔父上、落ち着いてください。結界を解けば、呪核を市中に放つことになります」
ジャイルズの言うとおりだ。学園の周辺には商業地区や居住地区もある。
「くっ……、どうすれば」
頭を抱えたオスカーに背を向け、ジャイルズはラティエルの腕を引く。皆から離れた場所でこっそりと耳打ちされた。
「ラティ、私を中へ転送できるか?」
「ジル兄様……」
「皆を救えるのは女神の剣だけだ。頼む!」
通常、転移魔法は結界に弾かれる。結界を素通りできる転移など、女神の力でしか成しえない。
ラティエルはあからさまに腕を組み、睨むように見上げた。
「聖女の力は他者に関与できません。わたしが言ってる意味、わかりますよね?」
ジャイルズは自分だけを中へ入れろと言ったのだ。それは不可能だし、ラティエルが許さない。
逡巡したジャイルズは、バツが悪そうな顔で渋々と言いなおす。
「わかった。一緒に行ってくれるか?」
「もちろんです」
その言葉に満足してジャイルズに手を差し出す。
手をつないで女神に願えば、一瞬にしてふたりは歌劇場の中――ステージの端に転移していた。
会場内は演奏どころではなかった。逃げ惑う人々でごった返している。外へ逃げようにもドアはあかない。
結界を張れる者は幸いだ。誰にでもできることではない。できない者たちが入れてくれと叫ぶ。しかし、ひとたび結界を解けば、呪核も入ってくるかもしれない。誰も彼も悩ましげに顔を歪めている。
ジャイルズは掟の剣で虫――もとい、黒い呪核をなぎ払っていく。
「ラティ、あの生徒にソレを当ててみろ」
指差す方向には、頬を押さえてうずくまる女子生徒がいた。呪核に寄生されたのだろう。女子生徒に声をかけて顔を上げさせると、皮膚に食い込むように呪核が貼りつき、まわりの血管が黒く変色している。
「痛かったらごめんね」
手に持っていたぬいぐるみを呪核に当てると、呪核は動力を失ったかのように頬から抜け落ち、動かなくなった。色も黒色から灰色に変わった。女子生徒は瘴気がまわって気分が悪そうだったものの、治癒魔法により回復へ向かった。
「よし、いけるな。念のために身体強化しておけ」
「はい!」
場内は阿鼻叫喚の様相だったが、国王は、王妃である虹の聖女アイリスの結界に守られ、王子たちは、ラティエルの母セレーネが結界を張っている。
ステージ上で結界を張っているのはアリアだ。その後ろには楽器を抱えた生徒たちが身を寄せ合う。
ラティエルは結界に駆け寄った。
「アリア、大丈夫⁉」
「ラティエル⁉ そんな……、結界は張れるわよね⁉」
「わたしは武器があるから平気、――よっ!」
飛んで来た呪核を目の前で叩き落として見せる。
動かなくなった呪核を見て、アリアやまわりの生徒たちは目を丸くした。
「どうして⁉ 魔法でもハンマーでも壊れなかったのに」
「このっ、ぬいぐるみの……、おかげっ!」
しゃべりながらも、生徒に貼りついた呪核を叩き落としていく。だが数が多すぎた。発生源を突き止めたいが、人が入り乱れ、それどころではない。
(一度に壊す方法はないの――アストローダ⁉)
アストローダの逡巡が伝わってくる。独り言のような返事が頭に響いた。
『空の聖女なら、瘴気を浄化することも可能だが……。問題は呪核にヴァルキスの加護がかかっていることだな』
空気感染ならぬ、空気解呪か。それならばと、思いつきの策をアストローダに相談してみた。
『……いけるんじゃないか?』
心許ない答えが返ってきたが、やってみても損はない。
ラティエルはアリアを手招きして小声でささやく。
「アリア、空の聖女の力を貸してほしいの」
「どうすればいいの?」
「あのね、成功するかわからない作戦なの。それに、みんなに聖女だってバレる」
上目遣いに話すラティエルに対して、アリアはあっけらかんと言い放った。
「今さらだわ」
「――え?」
「みんなの前で聖女の呪文を試してみたの。結局だめだったけど……」
「アリア……、じゃあお願い!」
ラティエルから作戦を聞き、アリアは結界を解いて進み出る。その後ろでラティエルがすぐに結界を張りなおした。
「ジル兄様! アリアの援護をお願いします!」
「何をするつもりだ⁉」
ジャイルズがアリアの前で剣を振る。無防備なアリアの手には、ラティエルがぬいぐるみで作った拡声器が握られていた。といっても、穴のあいた円錐に持ち手をつけた簡単なもの。羊の顔付きなのが可愛らしい。
アリアの歌うような呪文がこだまする。
「我は空の聖女、女神セレステの友にして懸け橋となる者なり。我が領空を糧に、邪気を払え――プルガティオ!」
空気が浄化されていく。呪核は白濁して動かなくなり、皮膚に貼りついたものも次々に抜け落ちた。
「やった……、やった!! アリア、すごいよ!」
「ラティエルのおかげだわ」
「ううん、わたしには空気を操れないもの」
「じゃあ、ふたりの勝利ね!」
「ふふ、そうだね」
ラティエルがやっても、うまくいかなかっただろう。“掟の剣”の効力を空中に拡散するなんて空の聖女にしかできない。
讃え合うふたりの耳に、ジャイルズの怒鳴り声が響く。
「おい!! まだドアをあけるな! 外の呪核は生きている!」
今になってドアがひらき、外へ逃げようとした人と、外に呪核を見つけて戻ろうとする人とでぶつかり合う。
「アリア、外もお願い!」
「わかったわ」
ステージ横の通路から外に出ようとしたところで、鋭い視線に遭遇した。音が聞こえそうなほどに奥歯を噛みしめ、戦の聖女エリスが睨んでいる。だが、後ろからジャイルズがやって来ると姿を消した。
「あっ……」
「逃げられたか。とにかく、呪核を壊すのが先だ」
ジャイルズの意見にアリアもラティエルも賛成だ。けれど、武器のないラティエルにできることはない。ふたりについていく振りをしつつ、ラティエルはそっと身を引いた。
(アストローダ! エリスの近くに転移!)
景色が変わり、ラティエルは校舎の廊下に立っていた。話し声が聞こえて気配を消す。声がするのは教室の中からだ。二年生のAクラス。中にいる気配は三人。だというのに、窓からのぞき見た室内には四人の姿があった。
「力は十分に示したでしょう⁉ リシャド様に会わせて!」
エリスが栗毛の男にわめいている。あれはリシャド皇子についていた従者ネイトだ。そばを離れて行動しているということは、ただの従者ではないのだろう。従者とは主のそばから離れないものだ。
「そうですね。ただ、成功したとは言えませんが」
「なんですって⁉」
しらけた顔をするネイトに掴みかからん勢いのエリス。ふたりのあいだに暢気な声が割って入った。
「まぁまぁ、おふたりさん。失敗したなら、やりなおせばいいんでない?」
仲裁に入った鋼色の髪をした男、あれはカルロだ。残るひとりは背を向けていてわからないが、騎士服を着た男性で、まるで人形が立っているかのように気配がない。
エリスはカルロにも牙を剥く。
「簡単に言わないで! あれだけの小型呪核を用意するのに、三年かかったのよ⁉」
「実験データを取る前に壊されては、評価のしようもない」
そう言ってネイトは肩をすくめ、エリスは悔しげに俯いた。
「あの女さえいなければ……!」
その言葉に、ネイトが反応して目を細める。
「女? 違いますよ。あの王子が邪魔なんです。女神の剣とやらを持つあの王子を、今度こそ始末してください」
思わずラティエルは喉を鳴らす。うまく気配を消していたのに、気づかれたようだ。教室のドアがひらく。柱の陰に身をひそめたが遅かった。
「おや、その黒髪。ラティエル嬢ですか?」
観念して柱から出ると、エリスが血相を変えて飛びだして来た。射殺さんばかりの視線をラティエルにぶつける。
「お母様の仇! 殺してやる!!」
杖を取り出し、エリスが振り上げる。その肩を、ネイトが押さえた。
「あなたは王子を仕留めてください」
「この女のあとでやるわ!!」
「では取引はなしということで」
「っ……、わかったわよ!!」
呪詛でも刻みつけるかのように睨みつけ、エリスは姿を消した。
さらにネイトは、カルロを手で追い払う。
「王子の最後を見届けてきてください」
「え~? 人使い荒いぃ……」
カルロは子どものように体をくねらせるが、ネイトは冷たい目で見つめるだけ。
「わかったよ~」
口を尖らせ、カルロはネイトの影に身を沈めた。ラティエルの前に残ったのは、ネイトと生気のない男。この男は歌劇場の外でラティエルを引き止めた騎士だ。
ネイトは両手を広げ、ゆっくりとラティエルに近づく。
「ラティエル嬢。慈悲深い我が主は、あなたにチャンスを与えるそうです」
「……チャンス?」
「我が主……リシャド殿下にお仕えすることを許します。女騎士として」
愛妾と言われなかっただけマシと取るべきか。
それでもラティエルの答えは決まっている。
「お断りします」
「ハァ……、もう一度だけ聞きます。これが、人間としてお仕えできる最後のチャンスですよ?」
ずいぶん含みのある言い方だ。まるで、人間ではなくなっても、仕えることは決定しているかのように聞こえる。
「わたしは、この国で魔法騎士になるの」
「それは叶わぬ夢ですね。ウェイン、五体満足でお願いします」
「……承知した」




