第二十一章 03 呪核を飲み込んだ男
名を呼ばれた気がして、ラティエルは目をあける。
目の前には、眉根を寄せたジャイルズの顔が、間近に迫っていた。
「ひゃぁ⁉」
「ホッ……よかった。おはよう、ラティエル」
「おはようござ……じゃありません! わたしを除け者にして!」
「寝心地はどうだった?」
「最高で……って、はぐらかさないでください!」
ジャイルズは満足そうに頷く。こういうときのジャイルズは話を聞いてくれない。ラティエルは羊のぬいぐるみを元の大きさに戻し、給湯室を出た。
学長室は閑散としており、クリフが壁に背を預けているだけだった。魔人の姿も、ルイーズの姿もない。
「クリフ兄様、学園長は?」
「もう歌劇場へ向かわれましたよ」
そんなに寝ていたのだろうか。テティスは魔人を魔術師団へ運んで行き、ラルフはルイーズを騎士団へ連れて行ったという。
寝起きの頭が働きはじめ、アリアとの約束を思い出して青ざめた。聞かずして歌の感想は述べられない。
「あわわっ、アリアの出番がっ」
「まだ間に合う。行こう」
ジャイルズに手を引かれ、ラティエルたちは歌劇場へと向かった。
歌劇場に近い西門から、男性の言い争う声が聞こえて立ち止まる。
この場所からでは建物が邪魔で見えない。
「ジル兄様、今の声はラルフ団長じゃ……」
「ああ。行ってみよう」
建物の角を曲がると、馬車を取り囲んだ騎士たちの背中が見え、その中にラルフとリオンの後ろ姿もあった。
さらに近づけば、馬車を背にして剣を抜いたミルザム子爵ブレイズがいた。その片腕にはピンク色の髪をした女性が抱えられている。あれは意識のないルイーズだ。人質に取られて、騎士たちは近づけないのだろう。
ブレイズが切っ先をラルフに向けて吠える。
「王族というだけで女神を手に入れ、果ては娘まで! ルイーズは渡さん!!」
「ブレイズ、落ち着けって。ルイーズ嬢の中からエロイーズは消えた。目覚めたときにどこまで覚えているか、確認する必要があんだよ」
「消しただと⁉ よくも、おれから……女神を!」
ブレイズはかなり興奮した様子で、ラルフとも話が噛み合っていない。
片腕だけで支えられ、乱暴に振りまわされるルイーズが気がかりだ。
「首を痛めそう……」
思わずこぼしたラティエルの言葉に、視線が集まる。
気づいたラルフが険しい顔で叫んだ。
「殿下! 嬢ちゃんを連れて中へ――」
「――待て!! その娘には用がある!」
ルイーズを片腕に抱いたまま、ブレイズは剣を振りまわしながらラティエルに近づく。
「元はといえば、貴様の母親が王子をつなぎとめなかったせいだ! これも悪役令嬢の策略だろう!!」
激しい殺意を向けられてラティエルは怯んだ。それも一瞬のこと。すぐに隣から沸き立つ殺気に塗り替えられて、ラティエルは正気に戻った。ジャイルズが抜いた真剣が光を帯びていく。
「ジル兄様⁉ 一閃放っちゃダメですよ⁉ ルイーズ様まで――」
「――知ったことか。親子ともども冥府に送ってやろう」
「「だめですって!!」」
巻き添えを食いたくない騎士たちが、青ざめて道をあける。ラティエルとクリフが押し留めているあいだに、リオンがブレイズの剣を叩き落とした。ラルフはすかさずルイーズを奪い返す。
「確保!!」
リオンがブレイズの腕をひねり上げる。同時にルイーズから寝ぼけたような声が落ちた。
「あれ……ここは? ん~?」
「ルイーズ!!」
ブレイズが叫んで片手を伸ばす。それをルイーズは不思議そうな顔で見つめた。
「あなた、だあれ?」
「お前のお父様だよ! ルイーズ」
ルイーズの声や仕草は幼く、二十二歳の女性とは思えない。父だと言い張るブレイズを見ても子どものように首を振り、べそをかいたような声を出す。
「こんな人知らない。お父様はどこ? お母様は?」
「そんな、ルイーズ……」
しばし愕然とし、俯いたブレイズが体を揺らした。泣いているのかと思ったが、漏れ伝わる声からして笑っているようだ。ルイーズの隣でしゃがんでいたラルフが叫ぶ。
「リオン! そいつの左手を押さえろ!!」
「――⁉」
押さえたときには遅く、ブレイズが何かを飲み込んだあとだった。
リオンの焦った声が響く。
「おい、何を飲んだ⁉ 吐き出せ!!」
リオンが上半身を起こさせ、あらわになったブレイズの顔は、理性が飛んだように歪みきっていた。ゆっくりと筋肉が肥大化し、服の合わせ目が弾け飛んでいく。
(これは、魔人化の徴候……?)
ともあれ、そこまでの歪さはない。普通の人がボディビルダーになった程度の変化だ。それでもルイーズは悲鳴をあげて、気絶してしまった。
ジャイルズが右手に掟の剣を浮かべる。
「リオン、そのまま押さえていろ」
ジャイルズが胸下に向けて剣を突き刺す。ところが、小石が割れるような音もなく、ブレイズは力任せにリオンの腕から抜け出した。
「何っ⁉ 女神の剣が……効かないだと?」
おどろきに立ち尽くすなか、ブレイズが腕を振りかぶる。咄嗟にラティエルは、横からブレイズに跳び蹴りを入れる。が、身体強化魔法なしでは揺るがなかった。
ブレイズの腕はラティエルに向けて下ろされた。我に返ったジャイルズがすぐさまラティエルを抱きしめる。そのまま地面に叩きつけられたが、ジャイルズの腕に包まれ、ラティエルに大した衝撃はなかった。
「ジル兄様⁉ 腕にケガを……」
「っ……、このくらい平気だ」
ラルフの闇魔法により、影から飛び出した黒ヘビが、ブレイズの追撃を阻む。ラティエルたちは、クリフに引きずられて距離を取った。苦しそうに立ち上がったジャイルズが、再び掟の剣をブレイズに向ける。
ラティエルは心の中で女神に問う。
(アストローダ! どうして剣が効かないの⁉)
『場所が違うのだ。首を狙え』
走り出したジャイルズに叫ぶ。
「――ジル兄様、首です!」
「わかった!」
ジャイルズは下段に構えていた剣を振りかぶり、頭から首に向かって下ろす。喉に到達した剣が止まり、小石が割れる音がかすかに聞こえた。
ブレイズが白目を剥いて倒れていく。肥大化した体も収縮して、地面に伏したときには元の体に戻っていた。
ブレイズの首に手をあてたラルフが、慌てたように振り返る。
「嬢ちゃん、治癒魔法でサポートを頼む!」
「は、はいっ」
「今から喉を切りひらく。耐えられるか?」
「平気です」
呪核を取り出すのだろう。殺すわけではないし、ラティエルが死なせない。
手をかざすラティエルの傍らにジャイルズも膝をつく。
「生きているのか?」
「ええ。内臓に達してなかったおかげか、もしくは呪核の威力が弱いのか……」
ラルフの言葉に、ラティエルは小さな呪核を思い出した。それはルイーズの研究室で見た小型の呪核。威力が弱くても、これだけの効果があるなら十分な脅威だ。しかも埋め込む手間がない。
ラルフが割れた呪核を取り出し、ラティエルは急いで傷口を塞ぐ。呼吸音を確認してやっと、息を吐き出した。
「嬢ちゃん、よくやった。ありがとな」
「えへへ」
頭を掻いていると隣から手が伸びて、ラティエルの頭をなではじめた。ジャイルズがムッとした表情でなで続けている。
「ジル兄様……?」
「私だってラティエルを労いたい」
「もっ、もう十分ですから!」
ラティエルの顔が赤く染まると満足した顔になり、手が離れていった。
あきれたリオンがため息をつく。
「殿下、ほどほどにしてくださいよ。婚約もまだなんでしょう?」
「時間の問題だ。それより呪核を見せろ」
「へいへい」
リオンの手に乗せられた呪核に向かって、ジャイルズが「解析」と小さく唱える。しばらくジッと見つめ、眉間にシワを寄せた。
「これは厄介だな」
ジャイルズ曰く――呪核に戦女神の加護がかかっているのはもちろん、体に吸着して血液に瘴気を送り込み、ゆるやかに魔人化していくという。
「飲み込めばもっと早く、このブレイズのように魔人化する。完全な魔人化に至れば、体の構造まで作り替えられるだろう」
今まで見てきた魔人と同じになる。それはつまり、死を意味する。
ラルフは苛立たしげに頭を掻いた。
「体に貼りついた場合、取るにはどうすれば?」
「……掟の剣で壊すか、手足なら、瘴気が体にまわらぬよう切断するか」
「ジル兄様、羊のぬいぐるみでも、壊せるでしょうか?」
「ああ。呪い自体は弱いものだから、問題ない。早い段階で壊せば、寄生された人間も助かるだろう」
それならばまだ、やりようはある。ラルフは気絶したルイーズとブレイズを回収して馬車に乗り込んだ。
ラティエルたちは、歌劇場へ向かうというリオンのあとに続く。
歌劇場の入口付近では、学園長オスカーが立ち往生していた。魔術師団が道を塞ぎ、師長のカノープス公爵ルーシャンと何やら揉めている。
オスカーは中に入る方法はないのかと問い、ルーシャンは、あったとしても王族を入れるわけにはいかないと、そんな会話だった。
ジャイルズが後ろから声をかける。
「大叔父上、どうしたのです?」
「それがな……」
オスカーがスッと体を横に向けると、魔術師たちが張った結界の中で、騎士たちが暴れているのが見えた。魔術師も数人いる。何かに追われているように逃げまわり、虫を払うように剣や杖を振りまわしている。
ルーシャンが引き継いだ。
「どこからか、虫が発生したのです。刺された魔術師や騎士が苦しみはじめまして」
結界は内側と外側に分かれて二重に張っていたが、内側の結界は虫騒動で崩れてしまったようだ。
「罠の可能性もありますし、外側の結界を解くのは危険と判断しました」
「しかし、内側で何か起きているのなら、確かめなければ」
オスカーの言い分に、ジャイルズは首を横に振った。
「いえ、結界はこのままがいいでしょう。あれをよく見てください」
ジャイルズは、近くの騎士が追い払おうとしている先を指差した。




