第二十一章 02 女神の誤算
盗聴機能を逆手に取り、ラルフは偽の情報を流すことにした。ティナの前でハーヴィーを逮捕して事件解決を装い、呪核の場所を教えておびき寄せる作戦だ。
ギルドの宿で、ラティエルが受け取ったメモにはこう書かれていた。
『呪核に盗聴機能あり。ハーヴィーを保護する』
それにもうひとつ、
『呪核の場所を質問しろ。これは審査の一環だ。うまくやれ』
審査とは、ラティエルが第四騎士団への適性があるかを見るためのもの。メモを読んですぐティナのほうを向きそうになったが、それ以外はうまくできたと思う。ルイーズたちはまんまと罠にかかったのだから。
ラルフはゆっくりと腰の剣に手をかける。
「受信機で受け取れる距離は、せいぜい二キロメートルなんだろ? 学園を中心とした半径三キロ圏内を包囲した。協力者もじきに捕まる」
ルイーズは憎々しげに唇を噛み、給湯室とは反対側の壁にジリジリと下がる。
「九号! 王子を始末して!! 八号は学園長を――」
九号と呼ばれた男の筋肉が隆起し、服が弾け飛ぶ。手先にあらわれた鋭い爪で引き裂くと思いきや、腕を振ってカマイタチを起こした。
飛び退いたラルフとジャイルズの後ろで、テティスの結界がたわむ。魔法と見紛うばかりの威力だ。
八号と呼ばれたセシルも鋭い爪を振りかぶり、オスカーへ襲いかかる。
広いと感じていた二十帖の部屋も、十人が入り乱れるには狭い。なり振りかまわず腕を振るう魔人たちとは違い、ラルフたちの動きは慎重だ。
「テティス! オスカー殿下を頼む!」
ラルフは闇魔法を使い、魔人たちの影から黒ヘビを具現化した。セレーネほどの数ではないが、足を引っ張るには十分だ。
テティスはオスカーの前にまわり込み、防御魔法で応戦する。リオンとクリフが攻撃にまわるが、戦女神の加護を持つ魔人セシルには切り傷すらつかない。
「こいつ硬ってぇな! 刃こぼれしそうだぜっ」
「女神の剣でなきゃ無理ですね!」
頼みの綱であるジャイルズは、なかなか魔人九号に近づけず、距離がひらいたままだ。
掟の剣に近寄らないよう距離を取られている。サルガス本邸での一件も筒抜けなのだろう。女神の剣といえども、呪核に突き立てなければ魔人は倒せない。
天界の水鏡から様子を見ていたラティエルは、隣に座るアストローダの袖を引く。
「ねぇ、わたしをあそこへ送り込めるよね?」
『戻ってどうする? 覚悟のないお主に、何かできるとは思えないが』
「覚悟なら……できてる」
『我に虚勢は通用しない。焦る気持ちだけで飛び込んでも、部屋を狭くするだけだ』
「ぐっ……」
無策なのはお見通しのようだ。
やきもきしたのはラティエルだけはない。魔人の爪を難なく避けるジャイルズの着地点を見定めて、ルイーズが投げキッスを飛ばす。
先ほどの輪っかとは違い、ビームのような熱光線が放たれ、避けきれなかったジャイルズの服を焦がす。防御魔法の加工がしてある騎士服の袖に、歪なハート型の穴があいた。
片眉を上げるだけですませたジャイルズの代わりに、ラティエルが叫ぶ。
「ぎぃやあぁぁ⁉ 本当に焦げた! どうしよう⁉ アストローダ、焦げたよ⁉」
『落ち着け。全盛期よりも威力は落ちている』
「あれで⁉」
『見よ、反撃に出るようだぞ』
ジャイルズは掟の剣に光魔法をまとわせ、一閃を放つ。ルイーズとエリスは、咄嗟に魔人九号の後ろへ身を隠した。九号は攻撃を受けて態勢をくずしたものの、加護に守られて傷ひとつ負わない。
ともあれ、ジャイルズが九号の懐へ滑り込むには十分だった。九号が手を振り下ろすより早く、大剣が胸下を貫く。
「「ぎゃぁっ!!」」という悲鳴がふたり分聞こえた。
上から見ていたラティエルは、九号と一緒にルイーズも串刺しにされるのを見た。 ジャイルズはそのまま剣を振り抜く。
ルイーズからコーラルピンクの光が、ふた手に分かれて飛び出した。光は宙に留まりながらも、少しずつ薄れていく。
呪核を壊された九号は、倒れ際にセシルへ顔を向けた。その顔は微笑んでいるように見える。幽鬼のようだったセシルの目に、光が灯った。
「――デニス!!」
滑り込みながら倒れゆく体を受け止め、セシルはデニスを腕に抱く。頭をそっと撫でたのち、セシルは懇願するようにジャイルズを見上げた。
小さく頷いたジャイルズは、掟の剣をセシルの呪核に突き立てた。セシルもまたホッとしたような顔つきで、ゆっくりとデニスに折り重なった。
誰もがやるせない表情で歯を食いしばるなか、女の笑い声が響く。
「あはは! やっと手に入れたわ!」
笑うエリスの手には、大きな“夜の石”が乗せられている。前世でいうところの黒水晶だ。石からわずかにエロイーズの力を感じ取り、ジャイルズは目を瞠る。
「女神を、吸収したのか⁉」
すぐさま掟の剣を振り上げたが、エリスは女神の空間をひらき、夜の石を放り込んだ。
「ヴァルキス、転移!」
「――待て!!」
エリスは消え、あとに残されたのは気を失ったルイーズと、魔人二体の骸だけ。
水鏡を見ていたアストローダは、口もとを押さえて黙り込んだ。それをラティエルが揺さぶる。
「エロイーズはどうなったの⁉ ねぇ、アストローダ⁉」
『我は、思い違いをしていたのか……?』
「――え?」
『女神の魂を夜の石に閉じ込めるなど、人間が考えつくとは思えない』
誰かに入れ知恵されたということか。人間でないとすれば、エリスに知恵をもたらせる存在は、戦の女神ヴァルキスくらいだろう。もしくは、神殿で一心に祈れば女神が応えてくれることもある。
「……夜の女神が手を貸してるとか?」
『いや、ノーチェはこのような争いを好まない。夜の石は魂を宿しやすいから使われたのだろう』
アストローダの声が一段低くなった。
『……掟の女神を、早急に選出する必要がある』
「うん? どうして?」
『女神同士の争いごとは、掟の女神によって裁かれる。今はフォルトナが掟の座を兼任しているが、ただ管理しているにすぎない。剣もなく、不正を働くものがいても裁くことができないのだ』
ラティエルは腕を組んで唸った。
「アストローダは、もう一本、剣を作れないの?」
『我が作っても認められない。掟の座に就いた女神が作り出し、その剣が審議にかけられ、承認されてはじめて“掟の剣”となるのだ』
女神の世界も、ややこしい決まりがあるようだ。
「アストローダは掟の女神に戻れないの?」
『ひとたび神格が落ちれば、一定期間は元の座には戻れない。ある方法をのぞいてな』
「ある方法って?」
『生贄として捧げられた魂を食らう方法だ』
言葉の意味をすぐには理解できなかった。おおよそ、女神の発言とは思えない。まるで悪魔のようではないか。
ラティエルの顔色を楽しむようにアストローダは口角を上げた。
『それもただの魂ではない。女神が犠牲を払った人間の魂だ』
「ぎ、犠牲?」
『たとえば、剣を与えてやった人間の魂なら、文句なしに適合者だ』
「――!!」
アストローダの剣を受け取ったのはジャイルズだ。彼の魂を食らえば、掟の女神に戻れる。アストローダはそう言っているのだ。
「わ、わたしじゃダメなの⁉」
『お主は面倒をみているだけで、我は犠牲を払っておらぬ』
思い返してみれば、アストローダへのお願いはすべて対価が生じており、犠牲とは呼べない。何にしても、ジャイルズだけはだめだ。
アワアワと狼狽えるラティエルを見て、アストローダはとうとう吹き出した。
『案ずるな。掟の座にはほかの女神が就くだろう。――もう時間だ』
「え? 時間?」
『呼ばれているであろう?』
その言葉を最後に、ラティエルの視界は暗転した。
◆
ラティエルの意識が人間界に戻るのを見届け、アストローダは星空のカーテンをくぐった。カーテンの向こう側には青空が広がっている。
白い翼をはためかせ、向かうは夜の宮だ。星の宮と同じく黒いカーテンに包まれ、内側から見える景色は夜の空だが、布をめくれば同じ青空でつながっている。
夜の女神ノーチェに声をかけようとして、先客に気づく。
『ヴァルキス』
アストローダの声に、赤いドレスを着た女神が振り返る。背中には黒い翼。髪の色は燃えさかる炎のようだ。
『……アストローダか。何しに来たのさ?』
『我が知らぬと思うたか。エロイーズの魂をどうするつもりだ?』
『お前には関係のない話さ。もう掟の座にはないのだから』
アストローダとヴァルキスが睨み合っているあいだにも、ノーチェは手もとに集中し、何やら作業を続けている。長い黒髪はまっすぐで絡むことなく、光のない黒い瞳は気だるげに見える。
ノーチェは夜の石から細長い糸を巻き取り、毛糸玉のように整えていく。できあがったのはシャボン玉のように透けて丸い、コーラルピンクの魂だ。
『サテ、魂ヲ取リ出セタ。ドウスル?』
『もちろん、吾がいただく』
『ヴァルキス、審議を受けずに下級女神を取り込むのは掟に反する』
『それが何さ? 掟の女神は不在。剣もない。誰も吾を罰することなどできない』
アストローダは口を引き結び、拳を握り込む。自分が神格を落としたばかりに、このような事態を招いてしまった。苦し紛れに口をひらく。
『すぐに次が決まる』
『フッ。その“掟の座”に、吾が立候補するのさ』
『――何だと? 力が足りぬであろう?』
『だからこそのエロイーズよ。これを食らい、吾が上位四柱に加わるのさ』
ヴァルキスは両手を広げ、輝く未来を想像してか恍惚とした表情だ。対してアストローダは剣呑な眼差しを向ける。
『まさか、そのために人間たちを巻き込んだのか? いつもと違う国の人間を愛し子に選んだのも、そのためか?』
ヴァルキスが選ぶ愛し子は、決まってレプタイル帝国の人間だ。レプタイルでは戦の女神だけを祀り、信仰しているのだから。
『何を気にするのさ。人間など、退屈しのぎのオモチャではないか』
『お主……』
ふた柱の女神が唾を飛ばし合うあいだ、ノーチェは所在なく掌で魂を転がす。そこへ下級女神に落ちたロマが顔を出した。
ロマに両手を差し出され、ノーチェは思わず魂を乗せてしまう。ロマはニッコリと笑って魂を――丸呑みにした。ロマの体が光輝く。
『『あ⁉』』
その光に気づいたアストローダとヴァルキスは、口をあけたままロマを見つめた。
愛の女神であったころ程ではないが、一六〇センチだった体は二メートルを超え、艶やかに成長した。
『『ロマ!!』』
怒鳴られてもロマは飄々としている。
『下級女神同士なら、融合は認められておるじゃろ』
『それは相手の同意があってこそだ! ふたりとも、この件は審議にかけるからな!』
アストローダは捨て台詞を残して星の宮へと帰っていった。




