第二十一章 01 審判の日
歌劇場は一階席に在校生が、二階から上のバルコニー席に招待客が座り、舞台袖のボックス席には王族が居並ぶ。
国王夫妻は右手側に、左手側には第一王子テオフィルスと婚約者ブリジット。彼女を挟むようにして、第二王子ジャイルズの姿もあった。
(あ、ジル兄様だ。こっちに気づかないかな?)
全校生徒が集まっているなか、見つけられるわけがない。ところが、テオフィルスが先に気づいてジャイルズの肩を叩いた。にこやかに手を振る王子たちに会場が沸く。ラティエルは小さく手を振り返したあとで、モヤッとしたものを感じた。
(なんか変……、ジル兄様ってもっと)
一度疑問に思えば、細かい綻びがたくさん見つかった。ジャイルズはもっと姿勢がいい。人を寄せつけないオーラをまとい、愛想よく微笑んだりはしない。
(あれは……ジル兄様じゃない。誰かが魔道具で変装してるんだわ)
ではジャイルズはどこへ……と見まわして、学園長の姿もないことに気づく。
思わず席から立ち上がると、隣に座るフェリシアが引き止めた。
「ラティ? もうはじまるわよ?」
「なんだか、緊張しちゃって……、すぐに戻ります」
「早くね」との声を背中で受け、ラティエルは会場をあとにした。
歌劇場の外には宮廷魔術師団が集まっている。公演中は歌劇場を包むように結界を張るのだろう。師長のルーシャンが指示を飛ばしている姿も見える。
走り出したラティエルは、後ろから追いかけてくる人影に気づかない。その距離はどんどん離れていく。
「ラティエルお嬢様……、いったいどちらへ?」
ラティエルを見失い、ティナは辺りを見まわす。あきらめて戻ろうかとも考えたが、もう少しだけ……とまた走り出した。
ラティエルが校舎へ向かう途中、巡回中の騎士に呼び止められた。
「君、どちらへ?」
「劇場のパウダールームは混んでるから、校舎へ」
言いながらも目の前の騎士が心配になった。ずいぶんと血色の悪い顔だ。夜勤明けの連続勤務だろうか。騎士は眉尻を下げて頷いた。
「……そうか、急いでね」
「はい」
学長室の前には護衛もおらず、ノックをしても応答はない。それでも学園長は中にいるような気がして、ラティエルはそっとドアをあけた。誰もいないはずの部屋に数人の気配がする。
「学園長……?」
声をかけたそのとき、左手の部屋――給湯室から男たちがなだれ込んできた。
「「ラティエル(嬢)⁉」」
「あっ、やっぱりいた」
ジャイルズは第二騎士団の黒い騎士服を着ている。
うれしそうに手をポンと叩いたラティエルの肩を、ジャイルズが揺さぶる。
「ラティ! どうしてここへ来た⁉」
「だって、ジル兄様がいなかったから」
「私の影武者がいただろう⁉」
「あんなの、ジル兄様じゃないってわかります!」
ジャイルズの顔が、みるみるうちに桃色に染まっていく。
「くっ、ラティ――」
「――おいおい、声を落とせ!」
慌てて学長室のドアを閉めたのはリオンだ。クリフもいる。
遅れて給湯室から出てきた学園長オスカーは、こめかみを押さえて苦悶の表情を浮かべた。
「今すぐ歌劇場に戻りなさい。まだ間に合う」
「……ここで、ルイーズ様たちを待ち伏せするんですよね?」
学長室の金庫には、ラティエルが盗んだ――もとい、押収した呪核がある。ルイーズたちはそれを取り返しに来るはずだ。何せ、彼らはラティエルとラルフの会話を“盗聴”していたのだから。
「わ、わたしも――」
「――オイ、奴らが来るぞ……って! なんで嬢ちゃんがいるんだよ⁉」
ソファの影からラルフが頭をのぞかせた。人を指差さないでほしい。それに生首が床に置かれているようで不気味だ。
「これだから闇の使い手は……」
「人の影から出ないだけマシだろうが!」
「シッ――」
何かを感じ取ったリオンは、ラティエルごとジャイルズを給湯室へ押し込んだ。
「時間切れだ。大人しくしてくれよ!」
クリフとリオンも入ったが、オスカーは学長室に残ったままだ。
「え……、学園長は?」
オスカーは唇に指を立て、静かにドアを閉めた。給湯室にはもうひとり入っても余裕がある。なのになぜ?
命を狙われているというのに、自ら囮になるつもりか。ラルフが影から見守るとしても、無防備な時間が生じる。男たちの顔を見上げれば、誰ひとり納得した顔はしていない。
(わたしが来たせいで、学園長が盾になろうとしてるの?)
学長室のドアをノックする音が聞こえ、ラティエルは身を揺らす。その肩をジャイルズが包んだ。大丈夫か、と問いかけるような視線に頷き返す。
オスカーが入るよう促すと、慎重にドアがあけられた音がする。聞こえてきた女性の声には覚えがあった。
「学園長……、音楽祭はよろしいのですか?」
「ああ、少し片づけたいことがあってね。遅れて参加する予定なんだ。君はどうしてここへ? セシル」
ラティエルの思ったとおり、声の持ち主は事務員のセシルだった。
「わたくしは……、わ、わた……くっ……うゥ……ウゥゥ」
「セシル⁉」
ドアを隔てた向こう側から、セシルの唸り声とともに魔獣の気配がする。まるで、ティナが魔人のスイッチを入れられたときのようだ。
ラティエルの知る魔人の姿は、皮膚にトカゲのような鱗が突出し、ドブ色に変色。筋肉は肥大化し、背の高い男性よりもひとまわり大きかった。
(だから、セシルさんが魔人のはずないわ……。でも……)
聖女の呪文により人間の姿に戻ったティナは、魔人化しても歪な姿には戻らなかった。その呪文が記された手記は、リリアに盗まれたまま。
――もし、人間に紛れ込ませるために、あの呪文を使ったのだとしたら?
(いいえ、あれは聖女にしか使えない呪文よ)
そう考えて、戦の聖女であるエリスの存在を思い出す。彼女がルイーズに加担しているならば納得がいく。
(でも目覚めるのに足りない魔力はどこから……? ううん、そんなことより今度こそ、わたしが魔人を倒さないと……)
女神の空間から羊のぬいぐるみを取り出す。このぬいぐるみで魔人を叩けば戦女神の加護が消える。そうすれば剣が体に通るようになる。ギュッとぬいぐるみを抱きしめていると、ジャイルズが小声でささやいた。
「ラティ、これにはまだ説明していない機能がある。貸してくれ」
「はい」
ジャイルズは給湯室の隅にぬいぐるみを置き、形を変形させた。成猫くらいだったぬいぐるみは、一人掛ソファの大きさに早変わり。ラティエルを手招きして、羊の腹の上に座らせた。
「首もとを撫でてみろ」
言われたとおりに羊の首もとを撫でると、ラティエルをゆっくり包み込んで、眠気を誘う。
(こっ、これは……人をダメにする……や……つ……)
気づいたときにはもう遅い。眠くて眠くて、目をあけていられない。
「ジル……にぃ……」
「フワフワの羊毛に包まれて、眠ってみたかったのだろう?」
たしかに言ったが、それは今じゃない。すぐそこにあった魔獣の気配が、遮断されたかのように感じられない。反論することも敵わず、ラティエルの意識は途切れた。
リオンの声が戸惑いに揺れる。
「殿下、それは?」
「どんな魔法も、物理攻撃もきかない要塞だ」
「……抱き枕」
「要塞だ」
ジャイルズは愛おしそうに寝顔を見つめ、ドアへ向きなおった。高いヒールの音が近づいて来る。リオンがドアノブに手をかけ、ジャイルズとクリフも身構えた。
◆
空に浮かんでいるかのように心地よいなか、ふいに頭を撫でられて目をあける。ラティエルの目前に巨大な手が迫っていた。
「わあぁ⁉」
『起きたか』
飛び上がって辺りを見まわせば、アストローダの空間――白亜の東屋にいた。どうやら女神に膝枕をされていたようだ。
「なんでここに?」
『ヒマそうにしておったから、意識を呼び寄せた』
「そんなことが……」
『見るがいい』
ローテーブルを指差されて長椅子の縁に腰かける。女神サイズなので足は床に届かない。テーブルの上には、先ほどまでいた学長室が映っていた。
コーラルピンクの髪をした女性が入って来る様子を、ラティエルは上から見ている。あれはルイーズだろう。
「久しぶりね、学園長」
「……ルイーズ嬢。後ろにいるのはエリス嬢かな?」
声もちゃんと聞こえる。テレビを見ている気分だ。先に入ったセシルの姿は人間に近いが、手足は肥大化し、指先には鋭いかぎ爪が光る。
「ふん、貴族令嬢は仮の姿よ。アタシは愛の女神エロイーズ。――このアタシに酔いしれなさい!」
ルイーズは唇に手を当て、投げキッスを飛ばした。ラティエルは息を飲む。当たればオスカーが焼け焦げてしまう。ハート型の輪っかがオスカーを包んだ。しかし、オスカーは「やれやれ」と首を軽く振っただけ。傷ひとつない。
「君もいい年なんだ。夢見がちな少女は卒業したらどうだい?」
「なっ⁉ なんでアタシの力が効かないのよ⁉」
「対策は取ってあるからね。“陶酔”の力は及ばないよ。おや、もうひとりいるね。どうぞ、全員入りたまえ」
ルイーズとエリス。その後ろに若い男が続く。ラティエルの知らない顔だ。
ゆっくりと部屋の中ほどまで進んだルイーズが、ピタリと立ち止まった。
その顔には焦燥が滲んでいる。
「どうしてユスティアの気配が⁉」
そのとき、棚の影からラルフが飛び出し、学長室のドアを閉めた。同時に給湯室のドアがひらき、ジャイルズたちがなだれ込む。
ラルフが叫んだ。
「閉じ込めた!! テティス!」
「はいっ!」
ラルフの影から海の聖女テティスが引っ張り出され、結界を張った。これで学長室内部は孤立した空間となり、誰も出入りできない。
ジャイルズは掟の剣を右手に浮かべ、柄を握った。
「もう逃げられないぞ。覚悟しろ」
「ひっ⁉ なんでここに⁉ 歌劇場にいたはずじゃ……」
「魔人の呪核に盗聴機能があると知って、一芝居打ったのだ」
ジャイルズが気づいたのは、呪核を解析魔法にかけたときだ。ティナの呪核も同じ機能を持っていると考えて、鎌をかけた。
するとどうだろう。逮捕されたディーンは、ジャイルズが言った『ハーヴィーが主犯説』をなぞって涙ながらに訴えたのだ。しかも呪いをかけられたのは自分だと言い張った。
「どちらが術者かなど、すぐにわかるのにな」
呪いの被害者が魔法を使うと、わずかながら呪力も一緒に浮き立つ。ラティエルはハーヴィーの目から滲む黒いモヤを目撃したが、ディーンが魔法を使ってもそうはならなかった。これが、術者と被害者の違いだ。
「あっさりと嘘を見破られ、やつは保身に走った」
他者に対して呪術を使った者は極刑あるのみ。知っていることを話す代わりに、極刑を免除すると言われ、なんの覚悟もないディーンは洗いざらいしゃべったのだ。




