第三章 02 プレゼントには婚約破棄を
九歳の誕生日パーティーを迎えたラティエルは、挨拶を終えて会場から去る父の背中を、心配そうに見つめていた。父が体調を崩すことが多くなった。必死に捜索を続けているのだろう。
以前、ラティエルの体調を見てくれた治癒師は他領に移ってしまったらしく、腕のいい治癒師はまだ見つかっていない。母が稀代の魔術師だったものだから、うちの領には治癒師が寄りつかないのだ。
母を失ったうえに父まで――と考えて頭を振る。
(大丈夫よ、絶対に……大丈夫! お母様だって生きているわ)
起きてほしくないことは考えるべきではない。来賓の相手をしながら気を紛らわせる。
ふいに「ラティ!」と呼ばれて振り返れば、婚約者のフレデリックが、ムスッとした顔つきで立っていた。
「なんでボクが贈ったドレスじゃないんだ?」
「うっ……、それはその……」
着たくても着られなかったのだ。サイズが合わなくて。
ラティエルは決して太ってはいない。だけどあのドレスは細すぎた。コルセットでどうにかできる限界を超えている。肋骨のいくつかにさよならを告げなければ入らないだろう。
それでもフレデリックがラティエルのことを細いと思っていることは、すなおにうれしかった。だからこそ返答に困ってしまう。
「ごめんなさい。最近運動不足だから、ふ……太ってしまって」
ラティエルの身を切る答えに、フレデリックの雰囲気はさらに悪化した。
「それは、剣を握るなと言ったボクへのあてつけ?」
「ち、違うわ! 剣はこっそり振ってるもの! ――あっ」
「……キミって人は。ボクの言うことをまったく聞かないんだな」
「ごめん……、本当にごめんなさい!」
うっかり余計なことを口走ってしまった。フレデリックの眉間には深くシワが寄っており、口からはギリギリと音が聞こえてきそうだ。
「もういい……。ラティエル! キミとの婚約は破棄する!!」
「――ええっ⁉」
「キミにはほとほと愛想が尽きた! こんなじゃじゃ馬をピーコック家に迎え入れるわけにはいかないよ!」
フレデリックの大声はまわりの野次馬を引き寄せた。大人から子どもまで興味津々に見てくる。ひとりアタフタとするラティエルを見て溜飲が下がったのか、フレデリックの表情が少しやわらいだ。腕を組んで斜に構える。
「婚約破棄されるような令嬢に、次はないんだよ? だぁれもキミなんてもらってくれない。それはカワイソウだし、ちゃんと言うことを聞くなら――」
「――じゃあ、俺がもらってやるよ!」
野次馬の垣根を越えてやって来た声の主は、カストル辺境伯の次男ハーヴィー。先月から研修に来ている、ラティエルと同い年の弟弟子だ。ピンクがかった金髪に緑色の瞳、美しく整った顔立ちは、兄弟子のテオとジルを思い出させる。
レグルス家が東の辺境伯なら、カストル家は北の辺境伯。なぜか家同士はあまり仲がよくないのだが、国境を守る同士だからと父が研修を受け入れた。
ポカンとするラティエルの隣に立ち、ハーヴィーが肩を抱く。
「ラティ、俺なら剣を捨てろなんて言わないぜ。俺にしておけよ、な?」
「そうなの?」
「――なっ⁉ ラティに触るな!!」
真っ赤な顔で距離を詰めたフレデリックが、ハーヴィーの手を払いのける。絡み合う視線から火花が飛び散り、一触即発の空気が漂う。そこへねっとりとした声が割って入った。
「あらあら、それは困るわ。あなたはうちのミニスとお話が進んでいるのよ」
「――は? うそだろ? 俺、次男だぞ⁉」
「ふふ……、わたくしが何も知らないと思って?」
ハーヴィーの不躾な口調を咎めもせず、義母ドロリスは含み笑いで答える。
さらには絡みつくように言い置いて、踵を返した。
「研修が終わる来年にはお話がまとまりますわ、ミニスの王子様」
「うへぇ~……」
ハーヴィーはミニスが苦手で、事あるごとに逃げまわっている。
頭を抱えたハーヴィーを見て、フレデリックが勝ち誇ったように胸を張る。
「残念だったね。まぁ、今回はハーヴィーに免じて婚約破棄はしないでおくよ。ふたりともカワイソウだからね」
「――あ゛?」
再びケンカ腰になったふたりのあいだに、ラティエルが身を滑り込ませる。
「あ、あのね! わたし、婚約破棄を受け入れようと思う!」
「「――エッ⁉」」
「だって、わたしとフレッドでは価値観が違うし、うまくいかないと思うの。それにね、フレッドには幸せになってほしいから。もっとステキなご令嬢と結婚するべきよ」
名案だとばかりにポンと手を合わせ、ラティエルはにっこりと微笑んだ。喜んでもらえると思っていたのに、フレデリックの顔がみるみるうちに歪んでいく。
「キミのそういう態度が苛つくんだ!! 婚約破棄はしてやらないから!」
「ええっ⁉ フレッド? 待っ……」
止める暇もなく、フレデリックは大股で会場をあとにした。なんで、どうして、とラティエルは困惑し、ハーヴィーがため息まじりに言い聞かせる。
「ラティ、男ってのはな。女のほうから言われると動けないんだよ」
「…………めんどくさい」
「言ってくれるな! ところで、さっきの言葉は本気か?」
「ん? どの言葉?」
「フレッドとはうまくいかないってやつ……」
「そう……ね、わたしは剣も魔法も捨てる気ないから」
ラティエルが曖昧に肩をすくめると、ハーヴィーは悪い笑みを浮かべた。
「それなら、俺が手を貸してやるよ」
「えっ、どうするつもり?」
いくら聞いても、ハーヴィーは笑うだけで教えてはくれなかった。