第二十章 03 女神は腹違いの姉
ハーヴィーやディーンが捕らえられたことは伏せられたまま、日常が戻ってきた。学園で話題になっていないのは、辺境伯が王家の血筋だからか。それとも、別の噂が学園を占拠しているせいだろうか。
廊下を歩くたび、ラティエルは好奇の目で見つめられる。
「あの方でしょう? グランリザードを生で食べたのって」
「わたくしは、ギガバットの生き血をすすったと聞いたわ」
「おれが聞いた話じゃ、走るドリルタウロスのケツに噛みついたって……」
それはもう、人間の域を超えていると思うのだが。ラティエルは人間を辞める気はないし、貴族令嬢であろうと必死だ。
Aクラスに戻る途中、廊下で思わずつぶやいた。
「誰よ……、こんな噂流したのは」
「――俺だよ」
その声に振り返り、ラティエルはこめかみを押さえる。
「あなたは…………」
言いながら、ラティエルは頭をフル回転させる。顔は覚えているのだが、名前が出てこない。亜麻色の髪に青い瞳。特徴のない顔立ち。
「ええと……、ちょっと待ってね」
「なっ⁉ 俺は――」
「――待って! もうちょっとだから!」
喉もとまで来ているのだ。あと少し、もう少し……なのに相手は待ってくれなかった。
「お前のせいで! 俺の父上は騎士団を追い出されたんだぞ!!」
「あっ、ミルザム子爵家の……えーと……」
「マイルズだっ!!」
そうだった、と手を打つ。だが、ラティエルのせいで追い出されたとは聞き捨てならない。
「わたしのせいじゃないわ」
「俺は知ってるんだぞ! お前が違法取引をして、牢屋に入れられたことを! 宰相の息子に握り潰されてなきゃ、今ごろお前なんて」
「――え? ヒューベルト様が?」
日常に戻ってからというもの、ヒューベルトとは目も合わせていない。いや、合わせてくれない。前の席なのだから話しかければすむことだが、ヒューベルトはいつも拒絶のオーラをまとっている。
(嫌われてると思ったけど、そうでもないのかな?)
思わず口もとに弧を描く。それをどう受け取ったのか、マイルズが慌てた。
「おっ、俺に手を出さないほうがいいぞ! 俺には女神がついてるんだからな!」
「女神?」
「そうさ! 俺の姉上は愛の女神エロイーズ様なんだぞ!」
「は……はい? エロイーズが、姉?」
相手にするのもばかばかしいが、認知されていないエロイーズの名を口にしたことが気になる。その名を吹聴しているのはルイーズしかいない。
「……まさか、ルイーズ様のこと? ルイーズ様が……あなたの姉?」
「フフン。おどろいたか? つまり、俺は王家にも顔がきくってことだ。レグルス家なんて目じゃない。よく覚えておけよ!」
「う~ん……義理の姉ってこと?」
「違う。俺と姉上は腹違いなんだよ」
「はら……ちがい……?」
ということはだ。父親がブレイズで、母親はロザリンということか。ルイーズが持つピンクの遺伝子はロザリンしか考えられない。
(何がどうなってるの⁉ いや、そんなことより、居場所を聞き出さなきゃ!)
ラティエルはあえて、居丈高に腕を組む。
「でも、ルイーズ様は尻尾を巻いて逃げたんでしょう?」
「なっ⁉ 逃げてなんかない! お前のことは見張ってるぞ!」
「へぇ? わたしが手を出したら、飛んでこれる距離なの?」
「やっ……やめろ! よ、呼べばすぐに来るんだからなっ!!」
怯えた子犬のようにキャンキャン吠えて、マイルズは走り去ってしまった。あっけに取られつつも考えをめぐらせる。
ルイーズたちはまだ国内にいる可能性もある。もしそうなら、音楽祭で魔人を放つことを、あきらめていないかもしれない。
ラルフに知らせようと考えて、変書鳩が飛ばせないことを思い出す。学園の警護レベルはマックスで、変書鳩などは弾かれてしまう。ならば直接本人に伝えるしかない。放課後、ラティエルは学長室を訪ねることにした。
◆
すぐに会えると思っていたが甘かった。教員室でたらいまわしにされていたところを、通りすがりの事務員に声をかけられ、やっと取り次いでもらえることになった。
色白の美しい女性で、最近入ったばかりらしい。
「わたくしもご挨拶しておきたかったから、ちょうどよかったわ」
「助かります。セシルさんって貴族ではないんですか?」
首から下がる事務員証には名前しか載っていない。けれど、見た目や所作は貴族のそれだ。
「うちは兄弟が多いから……、わたくしは家を出たの」
「そうでしたか」
訳ありのようなので、それ以上は聞かなかった。
向かった学長室の前には、騎士がふたり立っている。腕章は瑠璃鷲。学園長は国王の叔父であるため、警護は第一騎士団が受け持っているようだ。
入念な持ち物検査を受けて、セシルが先に入る。少ししてラティエルの入室も許可された。
二十帖はある室内の奥には、執務机に着席した学園長オスカーのほかに、手前のソファでくつろぐリオンの姿もあった。いつもより煌びやかな騎士服にマント。色違いだが、ラルフと同じ団長服だ。
オスカーはまだセシルと話している。セシルは学園の卒業生だったようで話が長くなりそうだ。
「リオンさん」
「お嬢ちゃん、久しぶりだな」
「お久しぶりです。リオンさんは団長だったんですね。どうしてここに?」
「ああ。しばらくのあいだ学園周辺の警備は、第二が担当することになったんだ」
リオンがいる第二騎士団には、ジャイルズも所属していたはずだ。
「まさか、ジャイルズ殿下も警備を?」
「いや、さすがに殿下は面子に入れてない。音楽祭当日は観覧にまわるしな」
「それなら良かったです」
王子という肩書きを除いたとしても、ジャイルズの容姿はとにかく目立つ。あんなキラキラした人が門番に立ったらエライことになりそうだ。
「お嬢ちゃんはどうした? なんかやらかして、呼び出しでも受けたか?」
「ち、違います。学園長にお伝えしたいことが」
「――何かな?」
セシルと話し終わったオスカーが立ち上がった。
「あ……ええと」
ラティエルは気まずげにセシルを見た。リオンはともかく、あまり人に聞かせられる内容ではない。セシルも心得ているかのように、にこやかに退出していった。
ソファを勧められ、リオンの向かいに腰かける。オスカーは一人掛ソファに座った。
「学園長。ルイーズ様は、まだ近くにいるかもしれません」
ラティエルは、ミルザム子爵の長男マイルズから聞いたことを話した。
最後まで聞き終え、オスカーが頷く。
「たしかに、ルイーズ嬢はアーサーの子ではない。それを承知の上でアーサーは認知したんだ。だが、相手がミルザム子爵だとは思わなかったな。てっきり……あ、いや、それで教えに来てくれたんだね」
「はい」
向かいでは、リオンが納得したように顎をさすった。
「ミルザム子爵が手をまわしてたのか。貴族令嬢がそう簡単に逃げおおせるはずがないと思ってたんだ」
「――え? ミルザム子爵は地方へ飛ばされたんですよね?」
「それがな、消えたんだよ。辞令が出た次の日に」
マイルズは父親が『騎士団を追い出された』と言っていたが。ルイーズたちと一緒にどこかへ潜伏しているということか。
(あれ? 今までカルロが怪しいと思っていたけど、サルガス伯爵を殺害したのって……)
ミルザムなら、第三騎士団の牢屋をうろついても不審に思われない。押収品の倉庫から呪核を持ち出すことも簡単だ。
腕組みをして唸っていると、オスカーが唐突に話を変えた。
「ところで、ラティエル嬢」
「なんでしょう?」
「ジャイルズとは、どこまで進めているのかな?」
「――へ⁉ ど、どこまでとは⁉」
予期せぬ質問に慌てふためく。その様子を見てオスカーは額を押さえた。
「ハァ……まさかあの子、ちゃんと話し合いもせずに、突っ走っているんじゃないだろうね」
「なんのことやら、まったく……?」
向かいでリオンも顔を覆った。
「うわぁ……。お嬢ちゃん、確実に外堀埋められてるぞ」
「ひぃ⁉」
ジャイルズはいったい、何をしようとしているのだろうか。聞くのもこわい。
学園長へ警告しに来たはずが、ラティエルまで思わぬ警告を受けることになった。
男たちの声がそろう。
「「もう、逃げられないと思ったほうがいい」」
ふらつく足取りで、ラティエルは学長室をあとにした。部屋の外に立つ護衛たちが気の毒そうな目を向けてくる。
(違うの……、やらかして絞られたわけじゃないから!)
それにしても、ジャイルズから逃げられないとはどういうことなのか。逃げるつもりは毛頭ないけれど。
ラティエルは自分の気持ちをはっきりと認識できたし、離れていくと思っていたジャイルズの心は今までと変わりない。そのことをとても嬉しく思う。
(だけどもし、剣を捨てて家を守れと言われたら……)
会って聞きたいけど、無理だろう。音楽祭が無事に終わるまでは厳戒態勢が敷かれる。学園周辺にはたくさんの騎士たち。魔術師たちの分厚い結界に阻まれ、おいそれと転移もできない。
「――なのに、どうしてなの⁉ 女子寮の警備はザルなの⁉」
夕食を終えて部屋に戻ったあと、窓をノックする音が聞こえ、あけてみたら金色のドラゴンが我が物顔で飛び込んできたのだ。その爪には大きな紙袋が下がっている。不審物まで持ち込み放題だ。
同室のアリアがポンと手を打った。
「わ、わたくしは用事を思い出しましたわ!」
「――待って、アリア」
ラティエルの低い声音に、アリアは身をこわばらせる。
「おかしいと思ってたんだ。レジーナ先生でも知り得ない情報を、いったい誰から仕入れてたのかなって……」
「な、なんのことかしら? うふふ……」
「よく考えたら、アリアとジル兄様って従兄妹同士なんだよね」
「そう、ですわね? でも、交流はあんまり……あったような、なかったような?」
アリアは目も合わせずに答える。半眼で見つめるラティエルの前に、ドラゴンが立ちはだかった。




