第二十章 01 疑惑と真相
リラに案内された新しい部屋の中は同じ造りになっており、居間にはレジーナとハーヴィーが、暗い顔でソファに腰かけていた。先にハーヴィーが気づく。
「ラティ⁉」
「お嬢様! マルティナ⁉ 無事だったのね!」
レジーナはマルティナに走り寄り、けれど、タオルを被った男に気づいて、すばやく礼をとった。
「ジャイルズ殿下、ご無沙汰しております」
「ああ、久しいな」
半裸エプロンにタオルを被っているというのに、なぜわかったのだろうか。一流の淑女とはここまで鋭いものなのか。感心してしまう。
遅れて気づいたハーヴィーも立ち上がり、礼をとりつつも苦い顔をする。
「なんで王子が……」
つぶやいた声は、ジャイルズの不満めいた声に塗りつぶされた。
「なぜカストル家の者がいる?」
「ジル兄様、ハーヴィーは事件にかかわっていません」
「どうだかな?」
「本当です! だから保護を――」
「――では、その瞳についてはどう説明する。兄弟で瞳を入れ替えたのであろう?」
ジャイルズはケンカ腰でハーヴィーに近づいていく。慌てたラティエルがあいだに身を滑らせた。
「ハーヴィーは被害者で――」
「兄のほうが先に大人になる。瞳を譲ればそれだけ早く、王位を手にできると考えた共犯の可能性もある。主犯だった場合、大人になってから呪いを解き、兄を引きずり落とせばいい」
「呪いをかけられたとき、ハーヴィーはまだ八歳ですよ⁉」
「十分な年齢だろう。私は五歳にして野望を持ち、欲しいものを神に願った。それに応えたのが運命の女神フォルトナだ」
ジャイルズは右手に“掟の剣”を顕現させた。
フォルトナへの願いは、剣を受け入れることが条件だったのだろう。
剣を目にしたハーヴィーの顔色が変わる。
「その剣か……、姉上が異様にこわがっているのは」
ユスティアの気配にひどく怯えるルイーズを、ラティエルも確かに見た。
思い出して不安になり、ジャイルズを見上げる。
「そんな顔をするな。ラティには笑っていてほしい」
「おでこをグリグリされたら笑えませんっ」
「痛かったか? よしよし」
「っ……、もう!」
目の前でイチャつかれ、ハーヴィーはおもしろくない。
殺気を飛ばしそうになったが、逡巡してすぐ態度をあらためた。
「ジャイルズ殿下……その剣、俺に譲ってくれませんか?」
「なっ、何を言い出すの? ハーヴィー、この剣は――」
「――手にしてどうする?」
ラティエルを黙らせるかのように肩へ手を置く。無表情に見下ろしているように見えても、ジャイルズの瞳には好奇の色が浮かんでいた。
ハーヴィーはいつもより低く、声を絞り出す。
「俺が……、俺がこの手で……姉を殺します」
ラティエルは息を飲み、部屋には重たい沈黙が流れる。
しかしジャイルズが吹き出して、空気は一変した。
「ふ、ははっ! そなたは勘違いしているようだ」
「なっ……?」
「そなたの姉を殺しても、何も解決しない。葬るべきは女神だ」
「いや、だから……俺の姉は、自分で『愛の女神』だって……」
「そなたの姉ルイーズの中に、女神が同居している。女神を葬れば、ルイーズは体を取り戻すだろう」
「「えっ⁉ 同居?」」
ハーヴィーとラティエルの声がそろい、ジャイルズは困ったように頭を掻いた。
「なんだ、知らなかったのか?」
「ルイーズ様に女神が宿っているとは聞きましたが、詳しくは……」
「そうか。これは父から聞いた話だが――」
――ハーヴィーの母ロザリンは、その身に女神を宿せる特殊な体質だった。しかし、エロイーズを宿してからは、たびたび人格を乗っ取られ、とうとう王族に牙を剥く。
そのとき居合わせた月の聖女セレーネが、エロイーズの力を分割した。半分はロザリンに。残りをお腹の子に。そのまま半分ずつであれば、エロイーズの力は脅威ではなかった。ところが、お腹の中で成長するにつれ、栄養と一緒に、ロザリンから女神の力も吸い取ってしまったのだ。
「力を取り戻したエロイーズは、ルイーズの体を使って事を成そうとしている」
「……王宮を、手に入れる?」
ラティエルがつぶやくと、ジャイルズはうんざりしたように頷いた。
「ああ。昔も城を欲しがっていたようだからな」
「そんな理由で魔人を作るなんて……」
その言葉には首を横に振った。
「いや、エロイーズに便乗した者たちがいる」
「あ、ピエールたちが復讐のために……?」
「それだけじゃないぞ。帝国も一枚噛んでいる。サルガス別邸で押収した呪核の取説だが、ほかにも原本があった。帝国の言葉で書かれたものがな。おそらくサーペント侯爵が持ち込んだのだろう」
ラティエルはハーヴィーをチラリと見て、遠慮がちに話す。
「ディーン様は……、帝国の後ろ盾を得て王位に就くつもりだって。ハーヴィーが」
ハーヴィーは俯き、黙り込んだままだ。
ジャイルズはなんでもないことのように頷いた。
「そのようだな。サーペント侯爵は第二皇子の祖父だ。リシャド皇子を皇帝に据えるために手を尽くしている。……そのなかでも、魔人の研究はサーペント侯爵の肝いりだったらしい」
「ええっ⁉ それがなぜ我が国に⁉」
「ほかの貴族から横槍が入り、研究は頓挫したと聞く。魔人はある程度の魔力持ちでなければならないからな」
そういえば、サルガス伯爵も言っていた。『魔力持ちでなければ魔人の器には使えない』と。
帝国においても、平民のほとんどは魔法が使えるほどの魔力を持っていない。そこでサーペント侯爵は、他国の貴族を実験体にしようと考えたのだろう。
王家に復讐したいピエールと、研究を完成させたいサーペント侯爵の利害が一致した結果、魔人が生み出されたのだ。
「ラティ、一緒に――」
ジャイルズの声は、乱暴にあけられたドアの音に掻き消された。般若のような形相の男が部屋に飛び込んで来た。
「――殿下!! もう逃がしませんよ。なんですか、その情けない格好は!」
「チッ……、クリフか」
「王子が舌打ちしない! さぁ、帰りましょう!」
「ラティも一緒に行こう。男と同じ屋根の下に過ごさせてなるものか」
「王宮へ招待したいのなら、手順を踏んでください」
「また手順か! どいつもこいつも!」
「あたりまえでしょうが!」
クリフが空中に転移魔法陣を描きはじめ、ジャイルズが慌てる。
「くっ、ラティエ――」
手を伸ばしたジャイルズの姿を最後に、ふたりは魔法陣とともに消えた。クリフは転移魔法が苦手だったはずだが、執念で習得したのだろう。
ラティエルがため息をつこうと、息を吸ったときだった。背中に怖気を感じて息を止める。
「お嬢様。いつまでそのような格好を?」
レジーナの声が冷気をまとっている。
「すっ、すぐに着替えますっ!」
「ではこちらへ」
「ひとりででき…………、お願いします」
お花畑再び。身も心も磨き上げられたラティエルが、居間の天井を眺めていると、マルティナとレジーナの会話が聞こえてきた。
「お姉様、私は……名を捨てようと思います」
「マルティナ、何を言い出すの?」
「私はあのとき、死んだの」
マルティナは幼なじみのウェインと一緒に学園に入学した。兄妹のように仲がよかったが、恋愛感情はなかった。しかし、まわりの受け取り方は違う。婚約者でもないのにベタベタして……とやっかみの対象になってしまった。ウェインの見目のよさが災いしたのだ。
とくに同じクラスのルイーズには目の敵にされ、彼女がウェインを手に入れたあとも散々いじめを受けた。いじめの噂はすべて、ルイーズがやったことをマルティナに置き換えられたものだった。
「ルイーズって、ハーヴィーのお姉様の?」
思わずラティエルが割り込んでしまったが、マルティナは頷いて続ける。
「ルイーズ様に見初められたウェインは人が変わったようでした。いつもボーッとして……。今思えば、女神の力に魅了されていたのかもしれません」
とはいえ話しかければ、ウェインはいつものように他愛のない会話につきあってくれた。それがまたルイーズの怒りを買い、マルティナは数々の濡れ衣を着せられて退学。修道院行きを命じられてしまう。
両親のいない伯爵家が、王家筋の辺境伯家に物申せるはずもなく。
マルティナが修道院へ向かっていたときに事件は起こった。
「馬車が襲われて……、乗り込んできたのは、先ほどのピエールという男でした」
ピエールは『言うことを聞かなければ姉を殺す』と言ってマルティナを脅し、サルガス別邸へ連れ込んだ。そこにはサルガス伯爵のほかに、リリアもいたという。
マルティナの声が震える。
「そこで……私は……」
「マルティナ! もうやめて!」
耐えきれずにレジーナが叫んだ。聞きたくないとばかりに耳を塞ぐ。
レジーナの両手を包むようにして、マルティナが手を取った。
「お姉様、私はこれから……ただのティナとして、ラティエルお嬢様に仕えると決めたの。マルティナは死んでしまったけれど、呪核が壊れるまで見守っているわ」
「マルティナ……、そんなこと言わないで」
「お願い。お姉様も自分の人生を生きて。幸せになってほしいの」
レジーナは自分の人生をあきらめている。そんなふうに感じていたのは、ラティエルだけではなかったようだ。妹を差し置いて、幸せになることなど考えられなかったのだろう。
換気用の小さな窓から雨音が聞こえる。それはどんどん大きくなって、次の日もやむことはなかった。




