第十九章 03 父の安否
ふいに、後ろのほうでボソボソと話し声が聞こえた。
「……だめだったの。ラルフ様、お願い……」
「そ……んな、なんてこった……」
「……私も手伝おう」
声のほうへ振り返ると、母セレーネがラルフたちに治癒魔法をかけている。ラティエルは止血までしかできなかったが、母の治癒魔法は強力だ。動けるまでに回復していた。
「お母様、ティナは?」
「ティナ? ……ああ、影の中に閉じ込めたままだったわ」
疲れ切った青白い顔で、セレーネはラティエルの影に身を沈めた。
少しして、浮かび上がったセレーネの腕には、意識のないマルティナが横たわっていた。魔人化は解けており、鋭い爪はなく筋肉も普通に戻っている。そこまでひどい怪我も見当たらない。
「ティナ!!」
治癒魔法をかければ傷は治っていく。しかし、ジャイルズの言葉に手を止めた。
「このまま、天に帰してやることもできるのだぞ?」
マルティナは呪いで魂を器に縛りつけられている状態だ。この世に留めることは、果たして幸せなことだろうか? その答えを、ここにいる誰も持ち合わせてはいない。いつの間にかラティエルのほうが、背が高くなった。生きていれば二十二歳になるマルティナは、十五歳で時が止まったままだ。
「ティナ……、ティナはどうしたい?」
答えは返ってこない。迷ったすえ、再びラティエルが手をかざすと、マルティナの体が白銀色に輝いた。セレーネがおどろきの声をあげる。
「まぁ、ラティエル。何をしたの?」
「わ、わたしは何も……」
治癒を続けようとはしたが、まだ何もしていない。
けれど、ラティエルはこの力をよく知っている。
「これは……アストローダの力? なんで――」
『――それは本人に聞け』
頭の中で即答されたが、マルティナは目を閉じたまま。
見つめた矢先、そのまぶたが揺れた。
「ティナ⁉」
「……お嬢様、また、助けていただきましたね」
「助けてもらったのはわたしのほうよ! ピエールを蹴り飛ばしてくれたでしょう?」
マルティナはゆっくりと体を起こす。その体はすでに、治癒が必要ないほど回復していた。
「あの程度で恩を返せたとは思っておりません。私は、お嬢様をお守りすると女神様に誓ったのです」
「女神って……アストローダに?」
「はい。私の呪核に込められた神力は、アストローダ様のものですから」
マルティナは意識を失っているあいだに、アストローダと会って取引をしたという。しかし、その内容については教えてくれなかった。
いつものおっとり口調で、マルティナはにっこりと笑う。
「私はもう平気です。何かお手伝いできることはございませんか?」
それなら、と声をかけたのはセレーネだった。
「ラティエルと一緒に宿へ戻ってちょうだい。わたくしたちはまだ、やることがあるの」
「かしこまりました」
「そうだ……お母様。お父様はどちらに?」
セレーネの肩が跳ねた。色をなくしたその横顔が、こちらを向くことなく小刻みに震えている気がする。ラティエルは首をかしげた。
レオネルとピエールが戦っていたことはラルフから聞いた。ここにいるのは間違いない。ぐるりと辺りを見まわせば、かなり離れた木の下にミルクティ色の髪を見つけた。立ったまま木にもたれかかっているようだ。
「あっ、いた! お父様――」
「――ラティエル!!!」
セレーネの大声に飛び上がる。叱られたときだって、こんな大きな声は聞いたことがない。セレーネもハッとして気まずげに視線を下げた。
「お父様とは……また、会えるわ。とにかく戻ってちょうだい」
「お……母様?」
その態度では、父に何かあったとしか思えない。急に不安になって駆け寄ろうとするも、ラティエルの腕をセレーネがつかんで引っ張った。
「あなたは帰るの。――ラルフ様、レオネルをお願いしますわ」
「……ああ」
「お母様、何があったの? お父様は無事なのよね⁉」
「…………」
セレーネは口をひらいては閉じ、言いあぐねているようだ。
いつの間にか父のそばへ行っていたジャイルズが、大股で戻って来た。
その顔色は真っ青で、眉間にはシワが寄り、奥歯を噛みしめている。
「ラティエル、宿まで送ろう」
「ジル兄様まで! どうして教えてくれないの⁉」
「ラティ……、すまない」
ジャイルズの声が震えている。父はすぐそこ、ほんの二十メートル先だ。自分の目で確かめればいい。ジャイルズの脇を通り抜けようとしたが、簡単にはいかなかった。
暴れるラティエルを抱きしめて、ジャイルズが言い聞かせる。
「きっと師匠は、あのような姿を娘に見られたくないだろう。行くぞ」
――そのとき、レオネルのいる方向から絶叫が響いた。
木が邪魔をする。ラルフとフィリップがレオネルの腕をつかんで押さえつけているように見える。
ラルフの慌てた声が飛ぶ。
「セレーネ夫人っ、頼む!!」
「わかりましたわ! ラティエルは戻ってなさい!」
先ほど聞こえた絶叫は父のもので間違いない。
――生きている……はずだ。
それならなぜ、みんなラティエルを遠ざけるのだろうか。
よくない考えが頭をよぎる。フィリップは『見つかっていない呪核がある』と言っていた。もしそれが、父に使われたのだとしたら……。
「ジル兄様、教えてください!! お願いです!」
ジャイルズは苦悶の表情で、言いづらそうに口をひらいた。
「……木の出っ張りに、し…………体が、刺さっていた」
「ヒッ……、お父様!! 離してください! おとうさま!」
「ラティ、行ってはだめだ。師匠を悲しませたくはないだろう?」
「いやです、離して! お父様!!」
「とにかく、師匠は……無事ではないが生きている。もう行くぞ! マルティナもこちらへ」
ジャイルズに横抱きにされ、ラティエルは抜け出せない。泣き叫んだ声はむなしくも、ギルドの転移ルームに響いた。
◆
魔人化した人間は死人と同じだ。体の構造は造り替えられ、魔核が壊されると動かなくなってしまう。しかし、ジャイルズは『生きている』と言った。信じてもいいのだろうか。
泣きやまないラティエルを抱いたまま、ジャイルズは転移ルームを出ようとして、受付嬢のリラとかち合った。
「なっっ⁉ でん――」
殿下と言いそうになって慌てて口を押さえ、リラは持っていたタオルをジャイルズの頭にかけた。
「何やってるんですか! お供は⁉」
「……そういえば、転移する直前にクリフの姿が見えたな」
「ああもう、いい加減にっ、自覚をお持ちになってください!」
リラとの親しげな会話に、ラティエルも落ち着きを取り戻す。ジャイルズの胸板を叩いて下ろしてもらった。
「リラさんとジル兄様は、お知り合いなんですか?」
「ええ、まぁ……」
「リラは、私の乳母だ。五歳まで面倒を見てもらった」
リラの見た目はラティエルと同じか幼く見えるくらいだ。それなのに乳母だと言う。その意味を考えて、ラティエルはおどろきに口をあけた。幸い、リラに口もとを押さえられ、叫び声は出なかった。
ジャイルズが言うには、リラの家系は体術にすぐれ、王宮の侍従長を代々務め、万屋ギルドを設立したのも初代侍従長なのだとか。
その娘であるリラやエラも体術を身につけている。ギルドの荒くれ者を相手に、ニコニコと対応できる理由がよくわかった。
「ここは邪魔になりますので、こちらへ」




