第十九章 01 生き残れ!
酒場がひらく時間ではないのも幸いだった。強く踏みしめられた足跡をたどり、マルティナを追いかける。姿を見失っても、耳をすませば誰かの悲鳴が居場所を教えてくれた。
十五分ほど走っただろうか。マルティナは、ある屋敷の中へ吸い込まれていく。
「ここって……、サルガス伯爵邸?」
閉じられた門の家紋が別邸の門と同じものだ。間違いない。
ラティエルは体を沈め、ふわりと跳躍する。軽く門を飛び越えて、ガラスが割れる音のほうへと走った。
屋敷には派手な風穴があけられており、不穏な空気が漂う。息を飲みつつ進むと、中庭に数人の人影を見つけた。
「あれは、お母様? えっ、ティナ……どうして⁉」
なぜかマルティナがセレーネを攻撃している。ふらふらと中庭へ足を踏み入れ、しばし呆然と追いかけっこを眺めていた。
セレーネが攻めあぐねている。相手がマルティナでは迷いが出て当然だ。目で追いかけた先には、壁にもたれて血だらけのラルフがいた。我に返ったラティエルは反対側からまわり込む。
「ラルフ団長!」
執事服は着ているが、顔の変身は解けていた。ラルフのそばにはフィリップも横たわっている。どちらもひどいケガだ。そばに寄り、ふたり同時に治癒魔法をかけていく。
闇魔法はからっきしなラティエルだが、幸い治癒には適性があった。少し回復したラルフが苦しげに口を動かす。
「嬢ちゃん、なんで……来た? 逃げろ……」
「そんなことできません! ほかの魔人たちはどこに?」
「……魔人は、マルティナ嬢ともう一体。レオが……相手してる」
治癒をかけながら軽く見まわすも、父レオネルの姿はない。
焦る気持ちを抑えて治癒に専念する。
「傷口は塞がりましたが、貧血はどうにも……。応援を呼ばないと」
「……気を、つけろ。どこかに……、リリアがいる」
途切れ途切れにしゃべるラルフの説明によれば、リリアはレグルス領に送り込んだ魔人――マルティナにだけ、呪術を重ねがけしたという。片目がなかったのは、その対価だ。呼吸も落ち着き、ラルフが続ける。
「マルティナ嬢が、強制的に命令をきくような呪いだろう」
「そんな……」
マルティナは命令されてセレーネを襲っているのだ。あんなに涙を流しながら。
「許せない」
「――あらぁ? どうするつもり?」
鼻にかかった声が、ラティエルの背後に落ちる。振り返りざまにバッと腕で振り払うも、リリアは軽く飛び退いた。片目を前髪で隠している。ラティエルに毒を盛った侍女リリーで間違いない。
「なんでこんなことを?」
「言ったでしょう? これは復讐よ。お前の母親がわたくしから奪ったものを、すべて潰して粉々にしてやるの」
「間違ってる」
「なんですって? お前に何がわかると言うの!」
「恨むべきは国のお金を横領した父親でしょう⁉」
「ええ……、もちろん恨んでいるわ」
怪訝な顔をするラティエルに、リリアは片口で微笑む。
「下手を踏んだ父も、権力を掌握できなかった叔母も、わたくしとレオネル様のあいだを引き裂いたセレーネも!」
「……引き裂いた?」
「知らなかったの? わたくしとレオネル様は愛し合っていたのよ。それをお前の母親が奪ったの! あの悪役令嬢が!!」
そんな話は知らない。学園で聞かされた“悪役令嬢の伝説”にもなかった。
よろめくラティエルの後ろから、ラルフが声をあげた。
「嬢ちゃん、耳を貸すな!」
「っ……!」
雑念を払うようにラティエルは頭を振る。リリアを取り押さえようと大地を蹴った瞬間、横から迫り来る殺気に気づいて受け身を取った。鋭い爪の軌道はそらせたが、ラティエルは壁に叩きつけられる。背中を強かに打ち、息ができない。
「くはっ!!」
ズルズルと壁を伝い落ちる。それでも体勢を整えようと構えたが、敵の動きは速かった。目の前で振り上げられた腕は、見たこともないほどの筋肉質。
スローモーションで腕が近づいてくる。横からラルフが、遠くからはセレーネが、ラティエルの名を叫ぶ。頭の中は真っ白で、体は鉛のように重い。
息を止めて身を固くしたとき、セレーネのほうから飛んできた何かが、魔人を蹴り飛ばした。
琥珀色の金髪が宙に舞う。
「ティナ!!」
舌打ちしたリリアが呪文を唱える。途端にマルティナが額を押さえて苦しみはじめた。その瞳から光が失われていく。カクンと脱力したのち、セレーネのほうへ向きを変え、理性のない顔で再び突っ込んでいく。
「ティナ⁉ お母様!」
「お前の相手はこっちよ! さぁ、お父様……子ウサギを仕留めてちょうだい」
リリアの声に、ラティエルは驚愕した。
「お、『お父様』って……ピエールなの? どうして魔人に……」
「だって、あそこに転がってる執事に殺られちゃったんだもの。利用しない手はないわ」
「何を言ってるの……、自分の父親でしょう⁉」
「言ったでしょ? 恨んでるって。役立たずな叔母は、一番に実験台にしてやったわ。あははっ」
――狂っている。
ラティエルは立ち上がり、女神の空間から剣を取り出した。鞘から剣を引き抜いたのち、鞘は女神の空間へ戻しておく。こんなところへ王子を召喚するわけにはいかない。
イノシシのごとく、ピエールはまっすぐに突進して来た。
(――速い!)
辛くも避けたが、魔人はすぐさま向きを変えて腕を振り下ろす。その力はドロリスの比ではない。ラティエルは地面に叩きつけられ、再び呼吸困難に陥った。
(ぐっ、殺られる!)
そのまま拳を突き立てれば、ラティエルなど簡単にひねり潰せる。だというのに、ピエールはラティエルを蹴り飛ばした。爪で引っかき、投げ飛ばしては追い立てる。その攻撃のすべてが、致命傷には至らないものばかりだ。
(こいつ……楽しんでるんだ)
思えばラルフたちも致命傷は負っていなかった。ひたすら浅い傷をつけられ、失血死を狙ったかのようだった。
魔獣と人間が戦うのは、お互いに種族を守るための生存本能から。けれど目の前の魔人は違う。戦いに快楽を見いだしている正真正銘のバケモノだ。
魔獣にはない悪意にまとわりつかれ、体が萎縮しているのを感じる。焦点が定まらない。迷いが剣先を鈍らせる。逃げまわるばかりでは、体力を消耗する一方だ。
(ジル兄様の言うとおり。わたしでは……)
いざ、ピエールに剣を突き立てようとすると、手が震えてしまう。所詮ラティエルには無理だったのだ。こんな体たらくで騎士になろうなど、ちゃんちゃらおかしい。
――国王陛下に向かってなんと宣言した?
『女性でも戦えるということを、行動で示したいと思います』などと大見得を切ったくせに。
――ジャイルズがくれたあきらめる機会を、なぜ棒に振った? 守りたいものは剣でなければダメなのか? そんなことはないはずだ。
だけど、誰よりも前に出て戦う父を見て、憧れてしまったのだ。自分もあんなふうにみんなを守りたいと。
――自分の命すらあきらめようとしているのに?
ラティエルはもっと、往生際の悪い子だったはずだ。
そうだ。こんなの自分らしくない。
――剣に力をまとわせて、父から習ったことを思い出せ。
『ラティエル。傷つけるためではなく、守るために剣を取れ――』
「……殺すためではなく、生き残るために……剣を、振れ!!」
叫びとともにラティエルは一閃を放つ。空間を歪ませるほどの攻撃が、ピエールの胸下に到達した。風圧でピエールの体が吹き飛ばされる。
完全に仕留めたはずだった。
ところがピエールは難なく起き上がり、薄く笑って肩をすくめた。体にはかすり傷すら見当たらない。
「っ……、どうして⁉ もう一度……」
ドロリスのときと何かが違う。まるで、見えない力に守られているような。
「嬢ちゃん、引け! ヤツには通用しない! レオでもだめだったんだ!!」
ラティエルの剣は父仕込みだ。その父の姿がない。その意味を考えるひまもなく、ピエールが跳躍して腕を振りかぶった。
振り下ろされる腕を前転して避け、距離を取って必死に考える。
(こんなときはどうするんだっけ?)
父に弟子入りして八年。必要なことはすべて、ラティエルの中にあるはずだ。
考えてもわからないときは――――すなおに聞くべし!
ピエールの攻撃を避けつつ、リリアに向かって声を張る。
「ねぇ、なんで攻撃がきかないの⁉ ぜんぜん切れないんだけど?」
父の教えどおりなら――
「うふふ。知りたい?」
「知りたいですっ!!」
リリアは優越感にまみれた笑みをこらえきれず、顔を歪ませた。
「改良版の呪核にはね……、戦女神の加護がかかっているのよ」
「――!!」
本当に父が言ったとおりだった。優位に立った敵はしゃべりたがる。とはいえ知り得た情報は、ラティエルの手に負えるものではなさそうだ。
戦女神の加護とは、父の褒章珠にも付与されている力で、装着した武器が絶対に壊れないという優れもの。それが魔人に装着されるということは、魔人本体を無敵にするということだ。
(お手上げじゃない⁉ ――アストローダ! どうしたらいいの⁉)
心得たと言わんばかりに、アストローダが頷く気配を感じた――刹那、女神の空間から鞘があらわれて、珠飾りが光輝く。
「なっ……、嘘でしょう⁉」




