第十八章 02 行方不明
黙って聞いていたレオネルが、急に声を荒げた。
「ルイーズの研究室だと⁉ ラティエル、彼女には近づくなと言ったはずだよ」
「それは……その、成り行きで……」
「何もされなかったかい⁉」
レオネルの表情が切羽詰まっている。セレーネの言葉がよみがえった。
『レオネルは一度、殺されたのです』
とてもこわい思いをしたのだろう。ラティエルは何度も頷いた。
「はい……。はい、大丈夫です」
「本当に⁉ 唇を奪われたり――」
「――レオネル! その話はしないでちょうだい!」
セレーネは真っ赤になって叫び、何を言い出すのかとラティエルはのけぞった。
「く、くちびる……を?」
「そうだ。セレーネはエロイーズに――」
「――レオネル!!」
「くっ……思い出すだけでもおそろしいっ!!」
レオネルの言う『おそろしい』の意味がわからなくなってきた。
セレーネはバッと扇子を広げて顔を仰ぐ。
「もうっ! この話はお終いですわ! フィリップ様、呪核の保管をお願いできるかしら? 女神の空間には入れられないの」
「承知しました。お預かりしましょう……ただ、騎士団も安全ではないかもしれません」
「あら、どうして?」
「サルガス伯爵が、牢内で殺害されました。その騒ぎに乗じて呪核ナンバー十番が何者かに盗まれる始末でして……面目ない」
全員が息を飲んだ。捕まったことは公になっていない。それなのにサルガス伯爵は口封じされたのだ。十番の呪核は、モニカに扮したラティエルに埋め込もうとしていたものだ。騎士団内部にも敵がひそんでいるということか。
ラティエルの頭に浮かんだのはミニスの顔だ。
「ミニスは⁉ 無事なんですか?」
「ミニス嬢は第四預かりなのでわかりませんが、昼に訪問したときには無事でした。まぁ彼女はそんなに情報を持っていませんし、心配ないでしょう」
「そうですか……」
ホッとしたのも束の間、ラティエルたちの行動を一部始終見ていた存在を思い出した。
「カルロだわ……、彼が手を下したか、仲間に知らせたか」
「カルロとは?」
フィリップが首をかしげた。第三騎士団の聴取にも参加していたのに、知らないのはおかしい。
「宮廷魔術師団のローブを着て、わたしの聴取に……って、ケネスさんとして、あの場にいらっしゃいましたよね?」
「いえ、そのケネスは本物ですね。それにしても、宮廷魔術師が聴取に? 依頼した覚えはありませんが」
なんとも紛らわしい。フィリップによれば、宮廷魔術師はわざわざ依頼しなければ騎士団に来ることなどないという。ミルザムとカルロは最初から手を組んでいたのかもしれない。そう考えたところで、もうひとり、怪しい人物が思い浮かんだ。
「そういえば、ミニスに変身していたときに、ヒューベルト様が言ったんです」
――『どうして君がここにいる? 捕まったはずだろう⁉』と。
あのセリフは、ミニスが捕まったことを知っていたから出たのだろう。
ヒューベルトの名を聞いて、フィリップが顎に手をあてた。
「もしかして、ハダル宰相のご子息の?」
「そう、彼です!」
「ああ、彼なら父親から聞かされたのでしょう」
「――え?」
「ハダル宰相は我々と情報を共有していますから」
フィリップは懐を探り、数枚の紙切れをテーブルに置く。それはラティエルが写っている写真だった。魔力抑制カラーをはめられて焦った顔をしている。
「彼には、現場に集まる野次馬の写真を撮るようお願いしたんです。収穫がありましたよ」
そう言って、ラティエルの肩越しに写る人だかりの中から、フードを被ったワシ鼻の男を指差した。
「この男はリシャド皇子の祖父、サーペント侯爵です」
帝国から留学に来たリシャド皇子に便乗して、サーペント侯爵も我が国へ来ていたという。
フィリップはさらに、サーペントの後ろを指差した。さすがに小さくてわかりづらいが、フードからピンク色の髪がのぞいている。
「これって……」ラティエルはハーヴィーをちらりと窺う。ハーヴィーは気まずげに視線をそらし、「兄上だ」と認めた。
「兄は、帝国の後ろ盾を得て、王位に就こうとしてるんだ」
あの日――ラティエルとモニカが街に向かって駆けていくのを見て、ハーヴィーもついて行ったという。失速してふらついたモニカが建物の陰に引き込まれるところに遭遇し、ハーヴィーはモニカを追った。
「モニカ嬢を拘束していたのが……、兄だったんだ。この男も一緒にいたと思う。ラティ……、モニカ嬢を助けられなくて、ごめん」
「ハーヴィー、モニカは無事に保護されたから」
「うん、聞いた。それでも俺は、逃げたんだ」
なんと声をかけるべきか迷っていると、横からセレーネがハーヴィーの背中をなでた。
「仕方のないことだわ。ハーヴィーは兄君に逆らえないでしょう?」
「……」
ラティエルはふと、父から聞いた話を思い出した。ディーンにかけられた呪いによって、何かしらの制限を受けているのかもしれない。レオネルのほうを見れば、眉根を寄せて頷いた。
(きっと瞳の交換だけじゃないんだわ。アストローダに解呪をお願いする? けど、ディーン様に気づかれるわ)
大人たちに相談するより先に、「ところで」とフィリップがラティエルへ顔を向けた。二股に分かれた眉毛がしなだれる。
「ラルフの行き先をご存じないですか? 連絡が取れなくて」
「ラルフ団長なら執事に化けて、サルガス本邸へ潜入しましたよ」
「「――何(ですって)⁉」」
大人三人の声が合わさった。その迫力にラティエルは気圧されてしまう。
「え……っと、何かまずかったでしょうか?」
雄々しい眉根をグッと寄せて、フィリップが顎をさする。
「ナンバーからして、見つかっていない呪核があります。それに、器も」
器とは、サルガス別邸で見た棺のプレート名、ウェイン、セシル、デニスのことだろう。フィリップが続ける。
「別邸では見つからなかったので、隠すとすれば本邸かと……」
ラティエルは「あっ」と声をあげた。カルロはずっとラティエルの影の中にいた。ラルフが執事に化けていることも、きっと知っている。サルガス本邸には、魔人三体が待ち受けているかもしれない。頭からサァーッと血の気が引いていく。
セレーネが扇子をパチンと畳んだ。
「ラティエル、ハーヴィー。あなたたちはここで、マルティナを守ってちょうだい。彼女も狙われているの」
「お母様は?」
「わたくしたちは、ラルフ様の無事を確かめて参ります」
父も母も険しい表情で、フィリップと一緒に出て行った。
残されたラティエルは、ラルフの無事を祈ることしかできなかった。
◆
なんの連絡もないまま翌日の午後を迎えた。その間、ラティエルたちは何もせずに過ごしたわけではない。
「レジーナ先生、こんな先まで進まなくても……」
「いつ学園に戻れるかわかりませんからね。しっかり予習しておきましょう」
「そろそろお茶に――」
「――先ほどお昼を召し上がったばかりです」
どこから持ってきたのか、食卓には山積みされた教科書。ラティエルの向かいには、座礁して動けなくなったハーヴィーが辞書に突っ伏している。
「学期末のテストは、クラス分けに響く重要なテストです。お嬢様にはAクラスを維持していただかなければなりません」
「……はい」
おかげで余計なことを考えずにすむのだが、どうにも熱心すぎる。教科書に目を落としていると、向かいから椅子が引かれる音がした。
「もうだめだ! 俺……、素振りしてくる」
玄関口の前室は、護衛が控えるために八帖ほどの広さがあり、そこには剣も置いてある。
「えっ、わたしも……」
ふたりそろって椅子から腰を浮かせた直後、レジーナのほうからゴキュッという鈍い音が聞こえてきた。鳴らしたのは拳か、それとも肩か。
悲鳴を飲み込んで、おそるおそるレジーナを見上げる。ところがレジーナもまた、後ろを振り返っていた。ハーヴィーと顔を見合わせているうちに、レジーナはソファへ駆け寄っていく。
「マルティナ⁉ 大丈夫⁉」
マルティナはソファの向こう側におり、こちらからは姿が見えない。ラティエルがソファに近づくと、床に膝をついたマルティナの後ろ姿があった。レジーナに抱きしめられた肩が震えている。
「ティナ? どうしたの?」
「ぃ……」
ラティエルの問いかけに答えようとしているのか、声が震えている。だがそれは、すぐに悲鳴のようなものに変わった。
「ぁ……、やめ……て、いやああああ――――!!」
「ティナ⁉」
「きゃっ⁉」
レジーナが突き飛ばされ、あらわになったマルティナの体は手足の筋肉が増し、指の先からは鋭い爪が半円を描いていた。さっきまでは感じられなかった魔獣の気配が、マルティナから漂う。
おどろいて顔を見れば、白目は黒く変色し、瞳孔が猫のように細くなっていく。額には黒いタトゥーが浮かび上がった。トゲトゲしい模様で黒いモヤがまとわりついている。
「その刻印は……まさか、呪い?」
呪核以外にも呪いを受けていたのか。薄紫色の涙が頬を伝う。
マルティナはドアを蹴破って外に飛び出した。
「ティナ!! 待って!」
追いかけようとしたラティエルの腕を、ハーヴィーがつかむ。
「ラティ、あんなの敵いっこない! 行くな!!」
「離して!! わたしには、ティナを止める責任があるの!」
ハーヴィーから腕を奪い返し、身体強化魔法をかける。
「ハーヴィーはレジーナ先生をよろしくね!」
「ラティ!!」
背中にハーヴィーの声を受けながら、ラティエルは部屋の外へ駆けていく。どこを通ったかすぐわかるほどに、いろんなものが倒れ、壊されていた。
(でも、人を襲ってはいないわ。どこかへ行こうとしているのね)




