第十七章 04 またも横槍が
上体を起こしたジャイルズは木箱をひらいた。
中からどんよりとした空気が滲み出る。
「魔人の呪核だな。構造を調べてみよう」
『危険なんじゃ……』
「解析魔法を使うだけだ。危険はない」
そんな魔法まで使えるのかと感心した。部屋の中を見まわすかぎり、そろえられた工具なども本格的。ジャイルズは魔宝伯を継げるのではないだろうか。
「なるほど。これは……器となる体を対価に、呪術が発動する仕組みか。使役する人間はなんの損失もない。考えたな。しかも音を……」
『音を?』
尊敬の眼差しで見上げていると、大きな手が降ってきて、ラティエルの目を覆い隠した。隙間から見えるジャイルズの耳が赤い。不躾に見つめすぎたか。
「ラティ、これは私が預かる。対策を立てる必要があるからな」
『でも……騎士団に提出しないと、ただの窃盗です』
「ラルフと情報は共有する。悪いようにはしない」
そこまで言われたら引き下がるしかない。
呪核についてはあきらめるが、呪術の勉強はしておきたい。
『では、本だけでも貸していただけないでしょうか?』
「……興味があるのか?」
『興味というか、呪術について知らなければ対処もできないでしょう?』
「ラティにはまだ早い。あとひと月は……、いや学園を卒業するまでは知らなくていい」
また子ども扱いか。呪術について学ぶことは、迫り来る脅威に対抗するためにも必要なことだ。ラティエルは知らなくてはならない。
『ジル兄様、あとひと月も待てません! 今すぐわたしに教えてください!』
「ラティ……」
ジャイルズが口もとを押さえた。その顔がどんどん赤く染まっていく。どうして赤くなる必要があるのだろうか。
不思議に思っていると、ジャイルズは呪術の本をひったくって、くるりと背を向け、ブツブツ言いながらページをめくりはじめた。
『あの……ジル兄様?』
「待ってくれ。できるだけ初心者向けを探すから」
『はぁ……』
しばらくして向きなおったジャイルズが、「これなんかどうだ?」と本を広げて見せる。そのタイトルと挿絵を見たラティエルは、アーチ壁の向こう側まで飛びすさった。壁に身を寄せてプルプルと震える。
(なに今の……、あんなの無理! ひっ、卑猥すぎるっ! あれで初心者向けなの?)
大人の言うことは聞いておけ。そう学習したはずだったのに。ラティエルはまたもや大人の洗礼を受け、ひと足先に心臓が寿命を迎えそうだ。
『じゅっ、呪術は! もっともっと大人になってからにしますっ!』
「それがいい。呪術は人間の欲望と密接な関係だ。こんなもの、無理に知る必要はない」
ラティエルは震えたまま、壁から顔だけ覗かせる。それを見て肩を揺らしたジャイルズは、立ち上がり居間に向かう。その途中でラティエルを拾い上げた。
「ラティ、ギルドチップに居場所を知らせる機能があるのは知っているな?」
『は、はい』
「あれは保護者の見守りとは別に、仲間内でも相互リンクできる」
『へぇ~』
ソファに腰を下ろしたジャイルズは足を組み、向かい合うようにラティエルを膝に乗せた。
「ラティ、ギルドチップに手を置いて」
『こうですか?』
「そうだ。私のチップとラティエルのチップを近づけると……」
<仲間として登録しますか?>
空中に表示された一文の下には、イエスとノーのボタンもある。
「ラティ、イエスのボタンを――」
ジャイルズの声が途切れ、急に体が縮みはじめた。あっという間にドラゴンの姿になり、距離が離れたせいか相互リンクの表示も消えてしまった。
「――何をしているのかしら?」
いきなり第三者の声が聞こえて、ふたりは飛び上がった。
黒いローブの女性が、ツカツカとソファに歩み寄る。その手には黒い扇子。
『お母様⁉』
『魔女師匠⁉ なんで後から入って来たほうが変幻しない⁉』
「わたくしとアイリス様は変幻しない設定よ」
「ズルいぞっ!!」
「ズルをしようとしたのは誰かしら?」
『ぐっ……、相互リンクくらいいいだろう⁉』
「ものには順序があると、あれだけ言って聞かせたのに。あとひと月がどうして待てないのかしら?」
言い負かされてジルドラゴンはソファに沈んだ。
その隙にセレーネは、ラティエルをひょいと抱き上げる。そのまま転移魔法陣へ向かおうとして、作業部屋から漂う禍々しい瘴気に気づく。
「あれは……」
セレーネは木箱の中身をあらため、ラティエルを居間のソファに戻した。木箱をローテーブルに載せて扇子を広げ、向かいの席から目を細める。
「どうしてここに、呪核があるのかしら?」
あの瞳からは逃れられない。それはジャイルズも同じだったようで、ドラゴンは目を泳がせながらも言い訳をする。
『ルイーズの研究室で手に入れたもので……、解析して対策を立てようと』
『お、お母様! 盗んだのはわたしなんです!』
「あら、女帝の次は怪盗を目指すの? お母様は賛成できないわ。――それで?」
女帝を目指した覚えはないし、怪盗も目指していない。セレーネの「それで?」攻撃がはじまってしまえば、ふたりとも洗いざらい話すしかなかった。
ソファには動物が二匹、脱水したように萎びて行き倒れている。セレーネは優雅に扇子で仰ぐ。
「そう……、カルロがねぇ。あの子は虐待されて育ったようなものだから、今さらあちらに手を貸すとも思えないけれど。エロイーズが絡んでいる以上、油断は禁物ね」
エロイーズの名前を聞いて、ラティエルは息を吹き返す。
『お母様。陶酔という能力は、口から……その、どうやって――』
「まぁ⁉ その話を誰から聞いたの?」
『えっ……と、……お、お父様?』
父よ、すまない。ラティエルに母を欺く力などないのだ。
セレーネのまとっている空気が険しくなった。その目が据わっている。
「まぁまぁ、まぁ⁉ 年頃の娘になんてことを」
『お、お母様、おち、落ち着いて……』
瘴気よりも濃い悪気が渦を巻いている。
フーッと息を吐き出したセレーネは、ジャイルズに視線を移した。
「殿下」
『うっ⁉ なんだ⁉』
「掟の剣は、使いこなせるようになりましたの?」
『ああ。ユスティアとのつながりが切れて、完全に制御できるようになった』
ラティエルを置きざりにして進む話に、待ったをかける。
『お母様は剣のことを、ご存じだったのですか⁉』
「ええ。アイリス様から相談を受けて、女神のところへ乗り込んだから」
乗り込んだとは穏やかでないが、女神の会合をひらいたのだろう。
セレーネが続ける。
「エロイーズを葬るには剣が必要なの。殿下には申し訳なく思っているわ。昔、わたくしが倒せなかったばかりに……」
人間の力が女神に及ばないのは仕方のないことだ。本来ならば、ラティエルが女神の剣を受け入れるべきだった。
『わたしが……、わたしが人に剣を向けることができれば……ジル兄様は』
「『それは違う(わ)!!』」
『ぴゃっ⁉』
セレーネとジャイルズの大声が重なったものだから、逆毛が立ってしまった。
ふたりは気にせず、まくし立てる。
『剣を受け入れたのは私の選択だ! ああ言ったのは、騎士について考えてほしかったからで』
「そうよ、ラティエル。殿下はフォルトナと取引を――」
『――なぁ⁉ 待て! なぜ知っているのだ⁉』
「乗り込んだときに、聞き出したからですわ」
『女神も絞ったのか⁉ とにかく、その話はしないでくれ!』
『え……、聞きたいです』
ラティエルは興味深くジルドラゴンとセレーネを交互に見やる。
薄く笑ったセレーネが口をひらくより早く、ジャイルズが顔を近づけた。
『ラティ! いつか必ず話すから』
『はっ、はい!』
顔が近い。いくらドラゴン姿とはいえ、星の瞳で見つめられるとジャイルズであることを意識してしまう。
耳から湯気が立ち昇りはじめ、セレーネがラティエルをヒョイと回収した。
「殿下、エロイーズはレオネルの命を奪った仇です。必ず討ってくださいませ」
『お父様の、命を……?』
『待て、レオネルは死んでないだろう?』
「……レオネルは一度、殺されたのです」
ラティエルは息を飲み、ジャイルズは目を見ひらく。
セレーネは、見えない何かを睨みつけるようなこわい顔で、キュッと唇を噛みしめた。
「わたくしの手に掟の剣があれば、今すぐ叩き斬ってやったものを……」
『女神の力では、死者をよみがえらせることは不可能だと聞いたが』
「ええ、あれは偶然が重なった奇跡ですわ。その奇跡は、二度と起こらない……。殿下、よくよく鍛錬なさいませ」
『……ああ、わかっている』
「わたくしは娘に、同じ気持ちを味わってほしくありませんわ」
セレーネはそれ以上、語ろうとしなかった。
ジャイルズも深く聞くことなく、黙って頷いた。
「では、わたくしどもはこれで」
立ち上がり、セレーネは優雅に腰を落とす。ラティエルをローブのフードに押し込み、木箱もしっかり回収して転移魔法陣を踏んだ。




