第十七章 03 その気持ちは偽物です
「……なんだ、覚えていないのか。傷つくなぁ」
言葉とは裏腹に、まったく傷ついた様子はない。カルロの口もとに、ニヤついた笑みが浮かぶ。雰囲気が一転し、口調もガラリと変わった。
「おまえが小さいとき、おれと会ったことがあるんだぜ?」
「――え⁉ ど、どこで?」
「レグルス領で」
後ずさりながらも必死に記憶を探るが覚えがない。ラティエルとばれていないなら、ミニスと会ったことがあるのかもしれない。
だがなぜ、レグルス領にカルロがいたのかと考えて、魔人になったマルティナを連れて来たのではないかと思い当たる。思考力も曖昧だった魔人が、ひとりでやって来られるはずがない。
「あ……、あなたが魔人を?」
ラティエルの問いには答えず、カルロは少し寂しげな顔で目を伏せた。
「おれの母親はグレイス。ピエールの妹でね。セレーネとは因縁がある。ちゃんと教えておかないなんて、危機管理が足りないな」
母セレーネとの確執は知らないが、ベガ家の縁者というならば、ラティエルの敵であることは確定だ。
(サルガス伯爵みたいに捕まえる?)
ミニスとして学園に通い続けるには、カルロを拘束して騎士団に突き出す必要がある。ただ、闇の中では非常に分が悪い。剣の切っ先に取り囲まれているのと同じだ。闇魔法が使えないラティエルは外にも出られない。
コクリと喉を鳴らす。
「わたしをどうするつもり?」
「……そうだな、お遊びは終わりにしようか。ラティエル?」
――ばれていた。
「いっ、いつから……?」
「第三騎士団の牢屋からずっと、影の中にいたよ?」
「ひっ⁉」
――なんてホラーだ。こわすぎる。闇魔法が使えなければ影の中まで気配を探れない。だからまったく気づかなかった。
ということは、ラティエルだとわかっていて今まで弄んでいたのか。
「ミニスじゃないと知ってたのに、どうしてドアがあくと思ったの?」
「だって、『星の聖女』なんだろう? ちょっとした思いつきだったが、言ってみるもんだな」
「――!」
星の聖女だと知っているということは、サルガス邸にも一緒にひそんでいたのか。
ん? ずっと一緒に? 寝ているときも、着替えているときも? 今までずっと?
「こ…………このっ、変態っ!!」
「――は?」
変態はまともに取り合ってはいけない。逃げるが勝ちだ。
(アストローダ、転移! どこか、安全な場所へ!!)
心の叫びはすぐに聞き届けられ、まわりの景色が一変する。
どこかの転移魔法陣の上に着地した――刹那、体がどんどん縮んでいく。
(えっ……ええっ⁉)
手で支えきれなくなった木箱と本がゴトリと床に落ちた。
床がとても近い。見える両手は動物の――猫の手だ。
(勝手に変幻した? ここは……)
ギルドの魔法陣ルームに似ているが、それよりも狭い。後ろに人の気配を感じて振り返ると、金髪を無造作に束ねたメガネの男が見下ろしていた。
「……ラティ?」
素っ気ないシャツとズボンにエプロンをかけている。メガネ姿なんてはじめて見たからおどろいた。どんな格好をしてもさまになるのはイケメンのお約束か。
『ジル兄様? はっ……』
王宮の隠し部屋に転移したことにやっと気づく。先触れもなく突然おじゃましてしまった。なんと言い訳するべきか。
(アストローダにとっては、掟の剣のそばが一番安全ってことなんだろうけど)
あんな別れ方をしたから気まずい。上目遣いにモジモジと尻尾を抱えていると、ジャイルズはこわい顔でツカツカとやって来て、ラティエルをつまみ上げた。逃げられないようキツく拘束され、また牢屋行きか――と思った矢先、ジャイルズの声が震えた。
「ラティ……、よかった。もう会ってくれないかと思った」
『な、なんで……?』
「聞きたくないであろう言葉を浴びせた。だが、一度よく考えてほしかったのだ。なぜ騎士になりたいのか……」
父が言っていたことは本当だった。あのとき、心を鬼にしてラティエルに伝えたのだろう。立ち止まって考える機会を与えるために。オブラートに包まれた優しい言葉で言われたら、あそこまで真剣には悩まなかったかもしれない。
『ジル兄様……、わたしのせいで、つらい思いをさせてごめんなさい』
「謝ってほしかったのではない。それに、剣を受け入れたのは私の意思だ」
どこまでも優しいジャイルズに、決心を告げるのはためらわれた。それでも言わなければならない。
『兄様……わたし、あらためて騎士になるって決めました』
「……だが、人に剣を向けられないだろう?」
『っ……、それは』
「ラティエル、私は今でも夢に見るのだ! 街中で魔人に襲われたとき、動けずにいた少女の姿を。あと少し遅かったら……、私が間に合わなかったら……」
――ラティエルはもう、この世にいなかったかもしれない。
(わたしが動けなかったことが、ジル兄様のトラウマになるなんて……)
贈り物の剣に細工をしたのも、トラウマのせいなのだろう。
だとしても、防御三回で飛んで来るのはやり過ぎだと思うが。
「女神の剣のおかげで、私はラティエルが近くにいることに気づけた。そのつながりはもうない……。今の私は、そなたの居場所を知ることもできない!」
『ジル兄様……』
ジャイルズの気持ちは女神の剣によって創られたもの。今もそれを引きずっているのだとすれば、もう終わりにするべきだ。そうすればトラウマも癒えていくだろう。
『聞いてください! ジル兄様の気持ちは……、偽物です!!』
「に、にせ……?」
『女神の元へ戻りたい剣の気持ちと、兄様が同調しただけ。ご自身の気持ちではありません!』
うまく伝わっただろうか。ジャイルズは押し黙り、パチパチと瞬きをしている。
「……なぜそうなる?」
『アストローダから聞いたんです。剣の持ち主は女神の愛し子に惹かれるって』
「うん? たしかに剣は、ラティエルの居場所を教えてくれたが……」
ジャイルズは納得がいかないのか、しきりに首をかしげている。ラティエルは心の中で女神に問いかけた。
(アストローダ? ジル兄様は剣のせいでわたしに好意を抱いているのよね?)
心の内にアストローダの戸惑いが感じられた。
『我は、お主に向かって剣が引き寄せられると言っただけだが……』
(――へ? じゃあ、ジル兄様の気持ちは?)
『知らん。目の前の本人に聞け。我はチョコレートをいただく!』
とうとう質問に答えただけで、お菓子を消費するようになってしまったが、ラティエルはそれどころではない。
(剣のせいじゃ……なかったの?)
今まで信じていたものがガラガラと崩れていく。ラティエルは短い手で頭を抱え込み、記憶をたどってみる。最初からジャイルズは好意的だった。『ジルお姉様』と呼んで雹を降らせた以外は。それに――
『ジル兄様は言ってましたよね? わたしに会ったとき、ひと目でわかったと』
「ああ、それはフォルトナと……」
言いかけてジャイルズが黙り込む。バツが悪そうに目を泳がせた。
『運命の女神と……なんですか?』
「そ、それよりラティ。その禍々しい箱はなんだ?」
『箱? ……あっ、忘れてました! これは、ルイーズ様の研究室から――』
――盗んできちゃいました。
そうだ。黙って持ち出したのだから、これは窃盗だ。カルロに言われるまま、あたりまえのように。ラティエルは震え上がった。
『ジル兄様、わたしを逮捕してください。牢屋に入ります!』
「待て。ルイーズの研究室へ行ったのか?」
罪悪感に苛まれたラティエルは、懺悔するかのように洗いざらい吐き出した。
言うんじゃなかったと後悔するのに、そう時間はかからなかった。
「潜入捜査だと? ラルフのやつ……」
目の前に美しい魔王が降臨した。魔力でなびく黄金の髪は、意思を持っているかのようにざわめき、メガネのフレームがピキピキと悲鳴をあげている。
ジャイルズから一段低い声が放たれた。
「ラティ……」
『ひゃいっ⁉』
「もう、第四騎士団に決めたのか?」
『ふぇ?』
この問いは、運命の分かれ道だ。イエスと答えたらどうなることか。ジャイルズはきっと、第二騎士団に来てほしいのだろう。
けれど、人に合わせた人生などうまくいかないとラティエルは知っている。唾を飲み込んで勇気を振り絞った。
『はい! わたしは第四騎士団で、自分にできることを精一杯やろうと決めたんです!』
長く重苦しい沈黙のあと、ジャイルズは「そうか」と答えるにとどめ、ラティエルを肩に乗せた。次いで、本と木箱を小脇に抱える。
「落ちるなよ」
『あの……わたし、翼があるから飛べ――』
「大人しく乗っていろ」
『――はい』
魔法陣の部屋から出てすぐ小さな台所が、その左手に居間がある。さらに左奥へ進むと、居間から続く個室――ジャイルズの作業部屋だ。ドアのないアーチ壁をくぐる。
ジャイルズは作業机の上にある工具たちを腕で押しのけ、箱と本を置いた。
「呪術の本か。しかも王宮の禁書部屋から持ち出されたものだな。宮廷のマークが入っている」
『ええっ⁉』
近くで見ようと机の上に飛び降りたが、椅子に座ったジャイルズの膝上に回収されてしまった。
たしかに机の上に乗るのはお行儀が悪い。しかし、どうにも落ち着かない。足を組んで高さを調節してくれるのは助かる。問題は、抱え込むようにくっつかれていることだ。小さな動物の体はすぐに沸騰してしまう。
ラティエルの顎の下には、ちょうどいい感じにジャイルズの腕があった。
『ジル兄様、また噛みつかれたいですか?』
「……………………、遠慮しておこう」




