第十六章 02 切り離された赤い糸
「テティス!」
ラルフが声をあげ、足早に近づいて窓をあけた。飛び込んで来たのは青灰色のドラゴンだ。おどろいた顔をしたのはラティエルだけで、ほかは誰も動じていない。
ドラゴンは部屋に入るなり『解除』と唱え、神官服を着た女性に姿を変えた。白地に青の差し色が入った神官服は金の刺繍も相まって格式高く見える。青灰色の髪に碧い瞳。額についているのは魚の鱗だろうか。手にはかわいらしいパラソルを持っている。
テティスと呼ばれた女性は開口一番、ジャイルズに向かう。
「見つけましたよ、ジャイルズ殿下! 王妃陛下がご立腹です」
「うっ……」
「さぁ、帰りましょう」
ラティエルよりも少し背が低いくらいなのに、とてつもない威圧感がある。ジャイルズだけでなく、部屋にいる全員が怯んだ。それもテティスがラティエルを目にするまで。視界に入った黒髪を見てテティスはハッとしたように背筋を正す。
「……あれ? セレーネ様……ではないですね?」
「母をご存じなのですか?」
「母……あっ、ラティエルお嬢様⁉ わぁ、大きくなられましたね。私のこと、覚えてらっしゃいますか?」
「えっ⁉ ご……ごめんなさい」
そうですか、としぼんでいくテティスの肩を抱き、ラルフが愛おしそうに見つめた。
「こちらは俺の妻、テティス。海の聖女だ」
「海の……ということは、大聖女様? で、クリフ兄様のお母様⁉」
ラティエルの言葉に夫婦はそろって頷く。ふたりともラティエルが三歳ころまではよく顔を見に来ていたらしい。だが、どんどん愛らしくなっていくラティエルに危機感を覚えたレオネルが、身内以外には会わせないよう箱入りにして、とうとう領地へ連れ帰ったという。
言われてみれば、とラティエルも少し思い出した。テティスが持っている青いパラソル。あれをくるくるまわして遊んだ記憶がある。ラティエルの母が扇子を魔法杖の代わりにしているように、テティスはパラソルで魔法を使っていた。
「おかげですぐにはラティエル嬢だと気づけなかった。レオが会わせなかったせいだぞ?」
ラルフが睨んでもレオネルはまったく悪びれた様子もない。
「反省も後悔もしていない。悪いのは牢に入れたミルザムだ」
「まぁ……、そうだけどよ」
ミルザムといえば、ラティエルはメモが提出されたか聞いておきたかった。
「あの……、魔術師団にメモは提出されましたか?」
「「メモ?」」
ひとり話の見えないテティスはラルフから説明を受け、「災難でしたね」とラティエルを労った。大聖女は宮廷魔術師団と一緒に行動することが多いらしく、その内情も、カルロのことも知っていた。
「カルロからメモの提出はないですね。あの子のことだから、忘れているのかもしれません。明日には確認を取りましょう。でもまずは……」
パラソルを腕にかけ、ジャイルズを捕獲しようと両手を上げたテティスだったが、唐突に誰かとしゃべりはじめた。
「えっ、ラティエルお嬢様も⁉ でも……あとひとり足らないよ?」
「……テティス?」
逃げを打っていたジャイルズは怪訝な声で名を呼んだ。
「あっ、すみません。私が契約している海の女神メレディスが、“女神の会合”をひらきたいと」
「「女神の会合⁉」」
「ええ、女神の愛し子が三人いればひらけるんですが……。私とラティエルお嬢様と」
言葉を切ったテティスは、困惑しながらジャイルズを見上げた。
「なぜかジャイルズ殿下の三人で、できると言うんです」
「ジル兄様も契約者……?」
しかしジャイルズは不思議そうに顔をかしげる。
違うのならば理由はひとつしかない。女神の剣を持っているせいだろう。
テティスは「まぁ、やってみましょう」と軽く手を叩いた。
「お嬢様もこちらへ」
「あっ、はい!」
「どうするのだ?」
「三人で手をつなぎます」
レオネルがまたも殺気を飛ばす。テティスは「一瞬で帰ってきますから」とにこやかに微笑んだ。
「では参ります。――天よ、道をひらけ!」
手をつなぐ三人の中心に白い光が立ちのぼる。光の柱は三人を飲み込んで、ラティエルはまぶしさに目を閉じた。
光が落ち着いてまぶたをひらくと、白亜の東屋にいた。しかし、ラティエルの持ち物が納められた棚はなく、柱の向こう側にはどの方向からも青空が見える。
いつの間にか大きな長椅子に座っており、右斜め前には青緑色の髪をした女神とテティスが、左斜め前には赤い髪の女神とジャイルズが、それぞれ長椅子に腰かけている。
テティスと一緒に座っているのが、海の女神メレディスだろう。全長四メートルはある女神サイズで作られているため、椅子も机も何もかもが大きい。
ラティエルは隣にただならぬ気配を感じて見上げた。
「アストローダ?」
不機嫌そうに眉根を寄せたアストローダが、赤毛の女神を睨みつけている。
『どういうつもりだ? フォルトナ』
フォルトナと呼ばれた女神は、後ろ髪をリボンのようにキッチリと結い上げているのに対し、まっすぐな前髪が胸もとまであり、いっさいの表情が見えない。ラティエルの記憶にあるフォルトナは“運命”の女神だ。
『そう怒るな。まずは汝らに、とある未来を見てもらおうかの』
そう言ってフォルトナは中央に置かれたローテーブルに手をかざす。すると表面が水のように透きとおり、映像が映し出された。赤い液体が流れるその上に黒い液体がかかり、混ざり合っていく。
『もう少し引こうかの』
フォルトナの言葉にテーブルが反応して、俯瞰するかのようにまわりの映像が映し出されていく。騎士が剣を振り上げて人型の何かを切りつけ、その何かもまた騎士を鋭い爪で引き裂いた。
「これは……、人間と魔人の戦い?」
ラティエルのつぶやきを受けてフォルトナが頷く。さらに映像は引き、大勢の人間たちと、それを上まわる数の魔人たちがぶつかり合う。
『掟の剣が地上にない未来だの。人を魔人に作りかえるあの呪核には、女神の力をわずかに感じた』
『……エロイーズか』
舌打ちでもしそうな声音でアストローダが言い捨てた。
ラティエルは首をかしげる。
「エロイーズって?」
『愛の女神ロマティカをそそのかし、下級に落とした元凶だ』
言いながら、アストローダはフォルトナを睨みつける。
『だから我の剣を人間に与えたのか』
『ククッ。――さて、元・掟の女神としての意見を聞きたい』
『……我はもう、掟の座にあらず』
『では、愛し子を持ってみて、どうだったかの?』
『…………』
アストローダからチラリと視線を送られて、ラティエルは姿勢を正す。無言のまま、アストローダは横柄な態度で長椅子の背にもたれかかった。
『まわりくどい。我に何を求める?』
『人間たちを救うため、あの剣を手放してほしい。完全に切り離して与えなければ、力が中途半端なようでの』
ラティエルの心臓が跳ねた。剣とアストローダのつながりが切れるということは、ジャイルズとのつながりも切れるということ。
いつかはこうなるとわかっていた。そのつもりでいたはずだ。なのに心臓がバクバクとうるさい。
『……わかった』
アストローダの決定に、震え上がったのは海の女神メレディスだ。
『おお、いやだ。見ていられない』と言って目を覆い、顔をそむける。
ラティエルの物言いたげな視線を受けて、テティスが聞いた。
「メレディス? 何をそんなに怯えているの?」
『神器は魂でできている。それを切り離すのは心が痛む。そなたらも覚えがあるだろう? 魂が離れていた状態に戻りたいと思うか?』
「「うっ……」」
自分の心にまたポッカリと穴があく。そんな状態を好んで選ぼうとは思わない。
きゅっと胸もとを押さえ、フォルトナを見上げた。
「ほかに方法はないんですか?」
『いくつかの未来を見て、この方法が最善だと判断した。どの未来でも掟の剣は必要だがの』
「……どうして?」
『女神を葬ることができるのは、掟の女神が作り出した剣だけ。ほかの神器では無理なんだの』
「女神を……葬る?」
フォルトナは鷹揚に頷く。ラティエルはまだ納得いかないが、片手で額を覆ったアストローダは、腹を括ったようだ。
『では、さっさとやってくれ』
『恩に着るよ、アストローダ。愛し子はかわいかろう?』
『……だからというわけではない!』
『ククッ、そうかそうか』
フォルトナは愉しげに笑って手の平を上に向けた。その手に一本の赤い糸があらわれる。それはアストローダの体とジャイルズの体をつなぐものだ。
――このままではアストローダの魂が、心が切り取られてしまう。
慌ててアストローダを見上げれば、観念したように目は閉じられていた。椅子の上に置かれたアストローダの大きな手に両手を重ね、自分にできることはないのかと必死に考えた。
(どうしたらいい? わたしが差し出せるもの……魔力なんてちっぽけで、きっと役に立たない)
考えても考えても、いい案は浮かばない。無力感が心を突き刺すが、心が切り取られる痛みはこんなものではないと知っている。ギュウッと心が押し潰されそうになったとき、ラティエルの両頬を、アストローダの大きな片手がむにゅっとつかんだ。
『泣くな。こちらまで心が痛い』
「――ふほぉ?」
気持ちとは裏腹に、タコのようなマヌケな顔からは気の抜けた声しか出せない。
吹き出したフォルトナが声を震わせる。
『グフッ、女神は……愛し子と心でつながっておるからの。剣を失った痛みは、愛し子である汝が癒やしてやればよい』
「いやふっへ、ほうはっへ?」
『ククッ……喜び、笑い、人生を楽しめ。それがそのままアストローダの糧となる』
そんなことでいいのかと思う反面、意外とむずかしいかもしれないとも思う。人生は楽しいことばかりではないから。
(でも、それでアストローダの心が癒やせるなら……)
唯一ラティエルがしてあげられることなのだ。人生楽しんでみせようではないか! どんな状況でも、きっと笑うことはできる。
ラティエルも心を決め、いつまでもプニプニともてあそぶアストローダの手を引き剥がす。同時にパチンッと何かが切れる音がして振り返ると、その手には大きなハサミが握られており、赤い糸が分かれて落ちていく。
『――うっ』
アストローダは小さく呻いて前屈みになった。赤い糸の片方はアストローダに、もう片方はジャイルズに吸い込まれていく。神器の切り離しはあっけなく終わった。
(なんだか、とても寂しい……)
まるで、ラティエルとジャイルズの赤い糸が断ち切られたかのように感じられた。
つながりが切れてはじめて、自分の気持ちを自覚するなんて、運命とは何と残酷なのだろう。
(わたし、ジル兄様のこと……)




