第十五章 06 女神の剣を見つけたが
いや、今は置いておこう。
その経験があったからこそ母セレーネは、七年前のあの森で――マルティナを魔人から人間に戻すことができたのかもしれない。
――人間、だよね? 顔が青白い人なんてたくさんいるし、置物みたいに気配が薄い気がするけど、きっとラティエルが知らないだけで、そんな人ほかにもいるはず。
「ティナは大丈夫ですよね? 見た目も人間だし、か弱いし……」
「ラティ……、マルティナ嬢の体にも呪いの核がある。この呪術は人間を兵器化するものだ。呪術の対価として作り変えられた体はもう、人間とは構造が違う。魔力を循環させることで体を動かすから、魔法も使えない」
「……あ」
マルティナも魔法が使えなくなっていた。でもちゃんとした人間だ。ありえないと思いつつも、女神アストローダが言った言葉がよみがえる。
『あの娘は他者の魔力で体をつないでいる』
アストローダは命という言葉を使わなかった。
不思議に思ったことはある。いくら聖女の力とはいえ、一年ものあいだ飲まず食わずの人間の体を、魔力を注ぐだけで維持し続けられるだろうか。この世界には胃ろうも点滴もない。
「ラティ、この呪術は死者に魂を縛りつけ、魔人という器を動かしているに過ぎない。マルティナ嬢は……すでに亡くなっている」
「そ……んな……」
――助けたと思っていた。母によって“命”が救われたと思っていた。
マルティナの傷ついた表情が脳裏に浮かぶ。記憶を思い出したあと、どんな気持ちで普通を装っていたのだろう。
ラティエルは助けを求めるように視線を彷徨わせ、空の水槽に吸い寄せられる。そこにはⅢのナンバーが刻まれていた。
「こんなところに……ティナが?」
「……ああ。魔女師匠の報告では、Ⅱより質が落ちていたようだから、廉価版を作ろうとしたんだろう。あちらの檻にいるⅣもⅤもひどいありさまだ」
左手にふたつ並ぶ檻を見る。形は人間のそれだが、筋肉の肥大が偏っており、うずくまったまま動かない。ドロリスが入れられていた檻には、Ⅵの札がついていた。
ドロリスは最後、剣を持ったジャイルズに自ら背中を向けた。ミニスを襲うように見せかけたのは、ミニスにあきらめさせるためではないか? だとすれば最後まで人の心を持っていたがゆえの行動だ。
(ひどいよ。こんなの許せない……)
隣に並んだジャイルズに手を握られてやっと、体が震えていることに気づく。恐怖などとうに超えている。やるせない気持ちが腹の底に火をつけ、グツグツと煮えたぎるのを感じる。それは今にも吹きこぼれそうだ。
「ラティ……、おいで」
ラティエルの体を包み込むように、ジャイルズは両腕を背中にまわした。優しくなでられ、こわばった心と体がじんわりとほぐされていく。
(やっぱりジル兄様は温泉みたい……)
ゆっくりと深呼吸をして、いくらか落ち着きを取り戻すと同時に、ふと思い出した。魔人に刺さっている剣は“女神の剣”ではない。
「あの、ジル兄様……」
「ん?」
「以前、右手から剣を出しましたよね?」
「……そうだったか?」
――まさか、とぼけられるとは思わなかった。
「だっ、出してました! 見ましたから!」
「覚えがないな……」
「ええっ⁉」
覚えがないと言いつつもジャイルズはスッと視線をそらす。隠しているとバレバレだ。ラティエルはむきになって顔をのぞき込んだ。必死に目を合わせようと右へ行ったり左へまわり込んだり。
子犬のようにまとわりついているうちに、ジャイルズの両腕に再び囲われた。その肩が何かをこらえるように震えている。そこでやっと、揶揄われていたのだと気づく。
ふくれっ面でジャイルズの胸板を押し返そうとしたとき、頭上から少し疲れたような声が落ちてきた。
「あの剣のおかげで、私の人生は災難続きだ」
「――え?」
ギクリとラティエルは身を固くする。ラティエルを抱きしめたまま、ジャイルズは「あれは六歳のときだった」と続ける。
王宮の庭で遊んでいたとき、頭上から光の筋が降ってきた。近づくほどに光はその姿をあらわし、一振りの剣がジャイルズの体を貫いた。
不思議なことに痛みはなかった。腹から背中へと貫かれたかに見えた剣は、背中から出ることはなく、そのままジャイルズの腹に収まった。――直後、腹の底から膨大な力が吹き上げる。
「その力に慣れるまで、起き上がることすらできなかった」
単に病弱だと聞かされていたが、それは女神の剣という異質な力によるものだった。
(あんな巨大な剣を六歳の体で……)
倒れてあたりまえだ。これは女神アストローダの責任であって、めぐりめぐって愛し子であるラティエルの責任だ。背中に冷たいものが伝う。
ジャイルズの話はまだ終わっていなかった。
「命を狙われはじめたのも、剣を取り込んでからだ」
ひゅっとラティエルは息を飲む。これは一刻も早く剣を奪還せねばならない。
続くジャイルズの言葉に、ラティエルはさらに青ざめることになる。
「だが悪いことばかりでもない。剣の導きでラティエルに会えたのだから」
「み、導き……?」
「辺境の地へ預けられることが決まった日、言いようのない期待感に包まれた。そしてラティに会ったとき、ひと目でわかったのだ」
何がわかったというのか、問うまでもない。その気持ちはジャイルズのものではなく、主を見つけた剣のものだ。剣はアストローダの元へ帰りたがっている。もうこれ以上、先延ばしにはできない。
「ジル兄様……、その剣を見せてもらえませんか?」
「まぁ、ラティになら」
あまり気が乗らないといったふうに渋々頷き、ジャイルズは右手の平を上に向けた。光の筋があらわれて、大剣を形作っていく。女神が持っていた片手剣は、人間にとっては巨大なものだ。
ジャイルズが剣の柄を握るより先に、ラティエルが手を伸ばす。ところが剣は、ラティエルの手をすり抜けた。たしかに目の前にあるのに、どんなにがんばっても実体のない映像のようにつかめない。
「え……、ええっ⁉」
「ムダだ。これは私にしかつかめないし、呪いのような悪しきものしか斬れない」
そう言ってジャイルズは悠々と大剣をつかみ、軽く振ってみせる。
(は……? ちょっと、アストローダ!! どういうこと⁉)
心中で叫んだが答えは返ってこない。ただ脳裏には、頭を抱えて苦悶するアストローダの姿が思い浮かんだ。見えているわけではないが、そのように感じられるのだ。
(まさか、女神にとっても想定外⁉ ど、どうすんの、これ⁉)
ラティエルにつかめないのであれば、奪うことはむずかしい。かくなるうえは、ジャイルズ本人に女神の空間へ放り込んでもらうしかないだろう。
「ジル兄様――」
「オーイ、帰るぞ~」
間の悪いことにラルフが呼びに来た。こんなチャンスはもうないかもしれない。ジャイルズに振り返ると、すでに女神の剣は消えており、魔人に刺した真剣を抜くところだった。
ジャイルズはにこやかに微笑んでラティエルの頭を優しくなでる。剣を奪おうとしたことなどまったく気にした様子もない。
「帰ろうか」
「あっ、う…………はい」
焦りと不安、そしてわずかな安堵。いろんな気持ちが混ざり合ってモヤモヤする。重い足取りでドアへと向かった。
隣の部屋をのぞくと、ミニスと伯爵の姿がない。どこへ行ったのだろうか。見まわしながら、緊張感のない足取りでフラフラと入ってくるラティエルたちを見て、ラルフが檄を飛ばす。
「オイィ!! ドアに触れるんじゃねぇぞ! またどこかの檻があくからな!」
「あ、そうだった」
「帰りはまた窓からだ」
ラルフが立てた親指の先を見れば、窓が一カ所あいており、踏み台の代わりに魔獣の入った檻が階段状に積んである。
「え~、影からじゃないの?」とラティエルが唇を尖らせたとき、入口のドアが乱暴にひらかれた。
「殿下っ!! どこですか⁉」
「「――バカ、クリフ!!」」
ジャイルズとラルフの声が合わさる。同時に魔獣の檻が一斉にひらいた。血を抜かれてグッタリしている魔獣がほとんどだが、なかには活きのいい魔獣もいる。その最たる魔獣が、目の前にあらわれたドリルタウロスだ。牛型の魔獣で角が鋭く、図体がでかい。赤い目を光らせ、鼻息荒くもこちらを睨みつけている。
ラティエルは身体強化魔法をまとう。
「頭目、これ倒していいの?」
「いや、できるだけ保全してくれ! この場所は囮に使いたい」
囮とは、支援者を捕まえるためだろうか。ラティエルはマントの男を思い出す。
「そうだ、灰色のマントを着た男がいたの!」
「ああ、ヤツは部下が追ってる」
「よかった……ん? いつからいたの?」
「エルが爆睡してるときから。いい神経してるよ、まったく」
「――うそっ⁉」
恥ずかしくなったラティエルは、ドリルタウロスを檻に戻そうと突っ込んでいく。照れ隠しにポカポカと軽く叩いていたつもりが、檻に追い詰められたドリルタウロスはもう虫の息だった。




