第十五章 02 死者の名前
荷馬車に積んであった木箱は片づけられており、庭師が持っていそうな道具が積み込まれていた。
脚立や大きな刈り込みバサミ、水やりのホースなど。道具箱のそばに畳んで置いてある深緑色のエプロンとバンダナを、ラルフが投げて寄こした。
ラルフたちはサロペットのようなツナギ服を着て、バンダナの色もそろえている。今度はカモ柄ではなくツタ柄だ。
「頭目、今からどこへ行くの?」
「サルガス家の別邸だ。様子を探るだけだから、深入りするなよ?」
「…………わかった」
「返事が遅い! 勝手なことをするなら置いてくぞ?」
「しないよ」
「……ならいい。そうだ、首にバンダナを巻いておけ。その首輪は目立つ」
ラルフたちと同じツタ柄のバンダナを、魔力抑制カラーに被せるようにして巻く。準備も整い、ラティエルの視線を受けてバドが重い口をひらいた。
「……オレが秘密を知ったのは二年前だ」
バドはサルガス家の別邸を警護する仕事に就いていた。夜な夜な男の叫び声が聞こえ、バドは立ち入り厳禁と言われた裏庭の厩舎を見に行った。だだっ広い厩舎の中央には巨大な水槽があり、そのまわりを取り囲むようにたくさんの魔獣が檻に入れられていた。
「水槽に入っていたのは黒い液体……魔獣の血液だった」
その水槽の奥へ進むとサルガス伯爵がおり、棺に入った人間から血を抜き、代わりに魔獣の血を人体に送っていた。そこで吐き気をもよおし、気づかれてしまう。そして物陰から出てきたローブの男に呪いをかけられたという。
「かけられた呪いは口がきけないだけでなく、人に伝えようとする行為すべてがだめだった。あらたに護衛を雇うのが面倒だったんだろう」
逃げられないと観念したバドは、その後も割り切って仕えた。
ところがある日、聞こえてきたのは女性の悲鳴で――
「さすがに嫌気が差して、また厩舎を見に行ったんだ」
そこで目にしたのは人の形をした何かだった。女性の形をとどめながらも手足は長く、大きくて鋭い獣の爪がむき出しになっていた。
「魔獣……いや、魔人とでも呼ぶべきなんだろうな……」
その魔人と目が合い、おそろしくなったバドは全力で逃げ出した。そのあとを魔人が追いかけてくる。剣で切りつけても怯まず、驚異的な身体能力でもって蹴り飛ばされた。助けを求めて街中へ逃げ込んだものの、夜も更けており誰もいない。すぐに追い詰められて鋭い爪でいたぶられていく。
「もうだめだと思ったとき、頭目に助けられたんだ」
「あれはヤバかったな。防戦一方で、結局取り逃がしちまった」
話を聞いたラティエルは目を見ひらいて瞳を揺らす。ラルフたちは「子どもにはキツかったか」と頭を掻いたが、そうではない。
「バドが……、その魔人に襲われたのはいつ?」
「昨年の春ごろだ」
「その魔人……女の人は、サンディブロンドで青い目だった?」
「髪の色はよくわからないが、目は青かったと思う。……それがどうした?」
昨年の春、兄が学園に入学したあと、ラティエルはダガーを買いにマルティナと出かけた。そこで遭遇したドブ色の魔人は、ドロリスにとてもよく似ていて――
ラティエルの様子がどうにもおかしい。呼吸が浅く、焦点が合っていない。
「エル、やっぱりやめておくか? 平静を装えないやつは連れて行けない」
「――あ、ううん! 大丈夫!」
口もとで微笑んでみせる。微笑み仮面とはこうして作られていくのだろう。心の中では嵐が吹き荒れていたが、よそから借りてきたような笑みを貼りつけることに成功した。
「だけど、バドは顔が知られてるんじゃないの?」
「昼間なら伯爵はいない。使用人の入れ替わりも早いから気づかれないだろう」
「エェ……そんな適当な」
ラルフも「堂々としてりゃまずバレない」と笑う。これではラティエルが心配性みたいではないか。馬車はゆっくりと停車して、とうとう目的地に着いてしまった。
「いいか、俺たちは庭師、エルは見習い。ここでは親方と呼べ。ボロ出すんじゃねぇぞ!」
「う、うん!」
門番はやる気がないようで、車内もあらためずに門をあけた。荷台から花の苗をラティエルが持って降り、バドが脚立と苗木を、ラルフが手入れ道具を持って裏庭へまわる。
厩舎はすぐに見つかった。手前には小さめの厩舎、奥には大きな厩舎がある。
「あれが件の厩舎か。二棟あるが、バドどっちだ?」
「奥のでかいほうだ」
手前の厩舎には普通に馬がいる。けれど、どの馬も鼻息が荒く落ち着かない様子だ。「足を止めるな」とラルフから注意を受け、奥の厩舎へ進む。建物のそばにある花壇が荒らされていた。ここに花を植えなおすのだろう。
「エルは花壇の植え替え、バドは苗木をそこの木の隣に」
花の植え替えは領でも手伝っている。美しく飾ってやろうではないかと意気込み、花壇に近づいた。けれどすぐに、その足が止まる。
「……なにこれ」
「エル? どうした?」
ラルフとバドもやって来て足を止め、すぐにラティエルを花壇から遠ざけた。
「エルは向こうの苗木を――」
「――平気だよ、わ……ぼくは慣れてる。今までもたくさん、魔獣を殺してきた」
「「……」」
花壇に散っていたのは花ではなく、動物の内臓だ。黒い血の色からしておそらく魔獣のもの。ギルドの依頼には魔獣の翼や鱗だけでなく、内臓もある。人間が利用できるものは余すことなくいただくのだ。そのためにダガーを買った。
「こんなところで見るとは思わなかったから、ちょっとおどろいただけ。すぐに植え替えるから」
「エル……、もう実戦デビューしてんのか?」
「うん、十歳のときにギルドに登録して、それからずっと」
「はぁ⁉ 息子ならともかく、レオのやつ頭おかしいだろ⁉」
「ぼくは感謝してる。ずっと、人を守れる力がほしかった。大切に守られるだけの人生なんて、ぼくはいらない」
これはラティエルの譲れない思いだ。もっともっと強くなりたい。
手袋をはめ、黙々と内臓を片づける。その姿にふたりの男は言葉が出てこない。顔を見合わせ、渋々と作業に戻っていく。
花壇の植え替えが終わったころ、ラルフの姿が見当たらないことに気づく。水を撒いているバドに声をかけた。
「バド、親方は?」
「……厩舎の中だ」
「エッ⁉」
「静かに。中から鍵をあけてもらう。それまでは待機だ」
置いて行かれたのかと思ったが、そうではなかったようだ。庭道具をかき集めたバドは魔法の巾着袋にそれらを入れていく。
「エル、エプロンとバンダナをこの中へ」
「入れちゃうの? 帰りに着けてないと怪しまれない?」
「帰りは正門を通らない。乗ってきた荷馬車は一時間ほど経ったら帰るよう指示されている」
庭師は予定通り作業を終えて、正門から帰っていった。そう思わせて居残る作戦だ。やる気のないあの門番相手ならそれも可能だろう。しかもその荷馬車は帰ったと見せかけて、裏口にまわって待機しているという。
厩舎の陰に身をひそめていると、上から声がかかった。
「オイ、こっちの窓から入ってくれ。ドアには妙な仕掛けがしてある」
窓の高さはラティエルの背丈の二倍はある。ラルフは上からロープを垂らし、バドは手を貸そうと差し出す。そんな男たちを尻目に、ラティエルは大地を蹴り、壁を蹴り、あっという間に窓に手をかけ、頭から入ってくるりと着地した。
「「…………」」
空を切った男たちの手が頭を掻く。一方、筋肉質なバドはその分体重がある。ラルフは仕方なく、もたつくバドに手を貸した。這い上がったバドは恨めしそうにラティエルの首もとを見やる。
「なぁ親方、魔力抑制カラーって……」
「あれは粗悪品だ。もう壊れかけてるに違いない!」
おかしな空気を醸し出すふたりにはかまわず、ラティエルは内部を見まわした。バドが言っていたとおり、中央には水槽があり、魔獣の黒い血が溜められている。生きたまま血を抜くのは、魔核から血中に送られる魔力を取りこぼさないようにするためだろう。
(あの魔人は魔獣みたいに肥大したうえ凶暴化していた。血液を入れ替えることで瘴気を人間に取り入れている? そんなことができるの?)
水槽はキューブ状になっており、酸化しないよう様々な工夫がなされている。コの字型に水槽を取り囲んでいるのは魔獣の檻だ。ほかにもテーブルや棚がいくつか置かれている。
前を歩こうとするラティエルの襟首をつかんで、ラルフが後ろにまわす。
「指示に従わないなら、外で見張り番させるぞ?」
「うっ、ごめんなさい」
水槽の奥には棺が三つあり、内側にプレートが置かれていた。
ひとつ目には“ウェイン”、ふたつ目には“セシル”、三つ目には――
「――デニス? これは……どういうこと?」
この名前はモニカのメモに書いてあった名前だ。
見上げたラルフの顔がいつになく険しい。ジッと見つめるラティエルの視線を振り切れずに、ポツリとこぼした。
「……死者の名前だ」
「な、なんで? わたしに渡そうとしたのは魔獣だって言ったよね?」
「……、あの袋は空だ。なんにも入っちゃいねぇよ」
「え……?」
「あの店を構えてやっと注文を受けたんだ。死後間もない遺体のな。だが結局、はめられたのは俺たちのほうだった。すでに別ルートで遺体を仕入れたんだろう」
言葉が耳を滑っていく。息を飲むことすらできず、ラティエルは呆然と立ち尽くした。




