第十三章 01 魔法陣に吸い込まれる
学園が夏休みのあいだは領地で過ごす貴族が多い。ラティエルも例にもれず、レグルス領へ戻っていた。
久しぶりに会った領兵団の副団長ハロルドと剣を合わせる。三戦やってすべてラティエルが負けた。もうお尻叩き戦法は使っていない。そのせいか、心に迷いが出てしまう。
「お嬢様、腕がなまりましたね。魔獣ばっかり相手にしてると上達しませんよ?」
「ハァ……、人間と魔獣ってぜんぜん動きが違うのね」
「理性が相手か、本能が相手かの違いですからね。もう一本いきますか?」
「ええ、お願い!」
このやり取りを厳しい顔で見ているのは領兵団の団長――ラティエルの父レオネルだ。本来なら領主は雇い主であり、領兵団に守られるものなのだがウチは違う。
『私の後について来い! 私の前に出るなら死んだと思え!!』
このような領主なので、領兵たちの誰もが一度は考えてしまうらしい。
『守るべき主とはいったい……』と。
でもそんな父をラティエルは尊敬している。
「お父様、今のはどうでしたか?」
「……ラティエル、真剣を抜きなさい」
「えっ?」
「お父様と勝負しよう」
「模造剣ではだめですか? わたしはまだ未熟者ですし……」
「ラティエル。街中で遭遇した歪な魔獣を前に、動けなかったと聞いた。それに人間と戦うことをおそれているね?」
「うっ……」
街中でかち合ったゴブリンのような魔人は、八歳のときに出くわした魔人――マルティナを思い起こさせた。それにあの魔人に見受けられた数々の特徴は、ある人物を思わせた。
「ではお父様、教えてください。ドロリスは本当に死んだのでしょうか?」
「…………」
「あの魔人は、ドロリスにとてもよく似ていました。わたしを見るときの光のない瞳などそっくりで……。お父様、答えてください!」
レオネルの顔がいっそう険しくなった。しばらく瞳を揺らしたかと思えば、苦しげに息を吐き出す。
「……ドロリスが毒をあおったのは本当だ。牢屋内で息絶えていたのを、数人が確認している」
「っ……、それじゃあ……あの魔人は」
他人の空似というやつなのだろうか。それでも何か腑に落ちない。よく思い出そうとすればするほどドロリスと重なっていく。
歯切れの悪いレオネルが続ける。
「だが……、その後ドロリスの遺体が消えた」
「え……?」
「ミニスには空っぽの棺を渡すことになってしまった」
ではドロリスはいったいどこへ消えた? あの魔人がドロリスだとしても、息絶えた人間が、あのように意思を持って動くわけがない。ラティエルに向けられた明確な殺意が、死者のものだったというのか。
「ラティエル、今日はもう剣を握れそうにないな。上がりなさい」
「……はい」
その日からずっと、ラティエルは沈みがちになった。心配した料理人のパリスがこれでもかとお菓子を積み上げるが、すべて女神の空間に預けていく。食事すらあまり喉を通らない。
見かねた母セレーネが、領民の手伝いをするようラティエルに申しつけた。
「どんなときでも、領主一家は領民とともにあるの。畑の手伝いでもしてきなさい!」
「はい……」
ラティエルが重い腰を上げると、セレーネは朗らかにポンッと手を叩いた。
「そうそう、終わったらお祖父様のところへ行くわよ」
「――え? お祖父様とお祖母様、戻られたのですか?」
「ええ、お土産と一緒に冒険譚をたくさん聞けるわよ~」
父方の祖父母は、父に爵位を譲ってからというもの、いろんなところへ出かけて行く。そのたびに話してくれる土産話をとても楽しみにしていた。ちなみにお土産のセンスは独特すぎて、そちらは期待していない。
ラティエルの顔に笑顔が戻った。
「それは楽しみです!」
「でしょう? だからラティエルの刺繍魔法陣を預かっておくわ」
「――え?」
「畑仕事が終わったら飛んでくるといいわ。先に行っているから」
「あ~……えぇえぇと……、どこへやったかなぁ?」
「女神の空間へ入れるのを見たわよ?」
まずい。一枚しか作っていない刺繍魔法陣はジルにあげてしまった。それを正直に話せばどうなるか。ラティエルが怒られるだけでなく、ジルにまで飛び火しそうだ。金色のドラゴンが串焼きにされる未来が脳裏をよぎる。
様子のおかしいラティエルを不審に思ったセレーネは、部屋の隅に控えているレジーナを見やった。さすればスッと目をそらされる。それだけでセレーネには十分だった。
「ラティエル、刺繍魔法陣をどこへやったか、――言いなさい!」
「ぴゃいっ⁉ 刺繍は……刺繍は……ジル兄様に……」
「なぜ?」
「新歓パーティーで身に着けるアクセサリーのことを失念していて……交換を」
「それで?」
ひとつ話せば「それで?」と続く。延々と「それで?」を続けられ、洗いざらい吐かされたラティエルは、搾りかすのようにソファへと横たわった。もう何も出てこない。
いかなるコルセットでもここまでは締め上げられないだろう。ジルからもらった髪飾りとイヤリングを手にして、セレーネは美しく微笑んだ。
「間違いが起こる前に、わたくしが取り戻してくるわ」
「ま、まちがいって……? 転移なんてしませんよ⁉」
「ラティエル、大人になるにはまだ早いわ。あと三ヶ月、大人しく待ちなさい」
「いえ……、ですから……」
大人になるのは早いと言っておきながら、大人しく待てとはこれいかに。そんな戯れ言を言えるような雰囲気ではない。セレーネのスミレ色の瞳が闇色を帯びている。ヴィクトリアも霞むほどの禍々しさだ。ラティエルの唇は、レモンをかじったときのようにすぼんでいく。
「レジーナ、ジャイルズ殿下へ謁見を取りつけてちょうだい。今すぐに」
「か、かしこまりました」
レジーナが冷や汗をかいているところをはじめて見た。その隣にいるマルティナなど、立ったまま気絶している。ソファに横たわり、起き上がることもままならないラティエルは、その後ろ姿を泣く泣く見送るしかなかった。
夕食の時間になってもセレーネが戻らない。家令のジェームスに聞いたところ、謁見を明日に取りつけ、単身で王都へ転移したという。
(あんな刺繍、転移しなければただの布きれなのに。間違いって何よ?)
ラティエルは一度もジルのところへ転移したことはない。恥ずかしいし、王子だとわかってからは畏れ多くて無理だ。間違いなど起こりはしない。
(本当は、女神の剣を取り戻しに行くべきなんだけど……)
そんな勇気があればとっくの昔にやっている。
早めに湯浴みをすませたラティエルは、ベッドに寝転がって天井を仰いだ。考えたくないことも、考えねばならないことも次から次へと浮かんでは消えていく。
(次に会ったら……次こそは絶対に剣を……)
ペチリと自分のおでこを叩いたときだった。突如、目の前に金色の魔法陣があらわれる。おどろきに体を起こしたのがまずかった。空中に描かれた魔法陣に触れてしまい、ラティエルは吸い込まれるようにしてベッドから消え去った。
――暗転、くらりと世界がゆれて、気づけば知らない部屋に座り込んでいる。足もとにはラティエルの刺繍魔法陣があった。
「ラティ……、やっと会えた」
後ろから聞こえた声が、ラティエルの頭の芯を痺れさせる。ゆっくり振り返ると、星の瞳を輝かせたジャイルズがそこにいた。向こうも風呂上がりなのか、長い金髪を束ねもせず、シャツのボタンも二~三個しかはまっていない。
「じっっ、ジル兄様⁉ どどど、どうして⁉」
「禁書に書いてあることを試したら、できてしまった」
「――はい?」
分厚い本を片手に話すジャイルズ曰く――召喚術の一種だという。相手が特定できる転移魔法陣にかぎっては、相手の面前に魔法陣を『強制的に』出現させることができる。ラティエルはその魔法陣に不用意に触れてしまい、転移したというわけだ。
(お母様の言っていた『間違い』って、このことだったの⁉)
親の言うことは聞いておくものだ。こんな不意打ちを食らうとは。自分が今どんな格好をしているか思い出したラティエルは、小さくなって震えた。




