第十二章 02 公爵令嬢の忠告
給仕メイドが下がるとすぐに、ヴィクトリアが「どうぞ」と冷たいお茶を勧めた。喉がカラカラだったラティエルは、ありがたく手をつける。ぐいっと飲み干してグラスを置くと、あきれ顔のヴィクトリアが口を半びらきにしていた。
「あなた、ここまでのやり取りで、毒を盛られるとか考えないの?」
「――ど、毒⁉」
「入ってないわよ。普通は慎重になるものだけど……、あなたって本当に貴族らしくないわね。マナーも中途半端だし、そもそも令嬢らしくないわ」
「うぐっ」
試合開始のゴングはすでに鳴っていたらしい。クリティカルヒットを受けたラティエルは、心臓を押さえて沈み込む。それもすぐに、後ろから飛ばされた殺気に背筋を正した。
(わたしがしっかりしないと、レジーナ先生の評価に傷がつくわ)
顔を上げてみたものの、今度は向かいのヴィクトリアが俯いている。ボソボソと覇気のない声を、前屈みになってなんとか拾った。
「……ジャイルズ様は、ブリジット様の紹介で知り合ったのだけれど、会うなりお断りされていたの。それでもわたくしが一目惚れしてしまって、あきらめきれないでいたのよ」
「ヴィー様……」
ジャイルズのために騎士科まで受けたのだ。相当惚れているのだろう。ラティエルのように迷ったりしないヴィクトリアはかっこいい。いつものように胸を張ってほしいのに、ヴィクトリアは弱々しく息を吐き出した。
「昨日……、ジャイルズ様がうちへいらっしゃったの」
「え……?」
「『ラティエルを傷つけるなら、誰であろうと許さない』と言われたわ」
「…………」
ラティエルは思わず頭を抱えた。あまりに過保護ではないか。それにタイミングからして、ジャイルズに報告した者がいるのは間違いない。後ろに立つレジーナを肩越しにジロリと見上げても、すました顔で庭を見ている。とりあえずレジーナは後まわしだ。
「ヴィー様。わたしも今回のことで、心のドブさらいをしてみました」
「ど、どぶ?」
「ジル……ジャイルズ殿下は、わたしを何度も窮地から救ってくれた恩人です。大人の男性になった彼に、浮ついた気持ちになったことも確かです。ですが――」
蓋をしていた心をのぞいてみれば、重苦しいほどの泥が溜っていた。そのほとんどが“恐怖”という名の泥だった。
王子妃になるなんて自分には無理だ。
ジルの手を取って、まわりとの関係が変わるのがおそろしい。
友人を失うかもしれない。嫌われるかもしれない。
かといって、ジルの心を失うのもこわい。
いくらでも出てくる泥にまみれて、心に咲いた花は押し潰されていた。
それは二輪の花。ひとつはラティエルが幼少から育ててきた、騎士への憧れ。もうひとつはジルへの思い。ラティエルの土壌では二輪の花を育てるのは厳しいようだ。どちらかを選ばなければ共倒れしてしまう。
「わたしは魔法騎士を目指しています。大切な人たちを守りたいのです。守られるだけなんて、そんなのわたしじゃない」
「……あなたは、ぶれないのね。わたくしなんて、もう騎士には未練もないというのに」
それはそうだろう。他人の人生に合わせてもうまくはいかない。自分の人生は、自分のためにあるべきだ。だからラティエルは騎士の道へ進みたい。
「でもラティ、魔法騎士を目指すことと、ジャイルズ様のことがどう関係しているの?」
「王子妃にはなりたくないんです」
「あら、ジャイルズ様は騎士爵を得て一貴族になるって、息巻いていたわよ?」
「そ、そんなこと許されるわけ――」
「――そうよ、聞いてちょうだい!! ジャイルズ様ったら、このわたくしを振っておいて、あなたのことばかり話すのよ! 顔のいい男は何をしても許されると思っていたけれど、はじめてウザいと思ったわ!!」
ダンッと机を叩いて肩で息をするヴィクトリアが、次の瞬間にはワッとテーブルに突っ伏した。その肩も、声も震えている。
「なかなか、姿を見せない王子様に、勝手に憧れを……抱いていたの」
「ヴィー様……」
公爵令嬢ともあらば、王族の遊び相手として幼少から関わることが多い。けれど、ジャイルズたちは命を狙われていたため、ほとんど姿を見せることはなかった。
嗚咽が止まらないヴィクトリアは、声を振り絞って叫んだ。
「なのにっ! あんな変態だとは思わなかったわ!!」
「――へ、へんたい?」
「だってラティの好きな食べ物からはじまって、苦手な教科まで知っているのよ! あれはドレスのサイズすら押さえていると思うわ!!」
「ええっ⁉」
それはストーカーというやつではないだろうか。変態には違いないが、少しだけジャイルズを哀れんでしまった。
「ヴィー様、それはストーカーというのです」
「す、すかーと?」
「すとーかー、です」
「ストーカー」を必死で覚えようとするヴィクトリアとお付きの侍女。これでまたひとつ、この世界が地球知識に汚染された。
「ヴィー様、話を戻しますが。わたしは騎士として生きたいので、そもそも貴族との結婚はむずかしいと思います」
「どうして? 貴族の当主でありながら騎士団に勤めている方はたくさんいるのよ?」
「わたしは女主人を兼任できるような、器用な人間ではないので……」
「まぁ、ラティ! やる前からそんなことでどうするの⁉ 見損なったわ!」
「うっ、いや……その……あれ?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。この話題から遠ざかるにはどうすればいいのだろうか。そういえば、ヴィクトリアが呼び出した理由をまだ聞いていない。
「そ、そうだ! ヴィー様、わたしにお話があると手紙にあったのですが」
「……。最初はね、呼び出して、苦瓜を口に詰めてやろうと思っていたの」
用意していたトレーの蓋を侍女があける。山盛りの苦瓜が、反動で床にこぼれ落ちた。
――生はやめてほしい。成長して少しは食べられるようになったけれど、生の苦瓜は無理だ。
「でもジャイルズ様とお話して、ラティのことが少し……いえ、どんどん不憫になっていったわ」
「ふ……ふびん?」
「ねぇ、これは余計なお節介かもしれないけれど。ジャイルズ様に気持ちがないのなら、外堀を埋められる前に逃げないと……手遅れになるわよ?」
(ひいぃ⁉)
手遅れってなんだ。まだ自分の気持ちも定まらないのに、今決断をしなければ逃げ遅れるというのか。
ヴィクトリアの忠告を胸にラティエルは屋敷から送り出される。
来たときと同じく死にそうな顔で、ラティエルは帰りの馬車へと乗り込んだ。




