第十一章 07 偽りの恋心
(ふぇえぇぇぇ……)
情けない声をなんとか喉の奥に押しとどめ、ダンスフロアに移動する。最後まで何か言いたげなハーヴィーの視線を、気にする余裕などなかった。
曲が始まっても、ラティエルは足もとしか見られない。上を見ればキラキラしたお顔が、下を見ればピカピカの靴が。気にするべきは靴のほうだ。
あの黒光りする靴は、老舗の高級靴店ワニックの、超お高いやつではないだろうか。男子生徒が広げていたカタログをチラ見したから知っている。間違いない。
(たしか希少なブラック・グランリザードの腹皮を使っているとか……、弁償するのも無理かもしれない)
蒼白になって息を飲む。それをジャイルズは楽しそうに眺めた。
「安心しろ。請求はしないと言っただろう? それにレグルス家の令嬢が気にするような値段じゃない」
「うちは実力主義なので、魔獣を狩ってお金を作らないといけません」
「――は?」
「学費も稼がないといけませんし、ドレス一着作るにも、グランリザードの鱗やら嘆き鳥の羽、魔核を売って……とにかく、大変なんです」
「……さすがに冗談だよな?」
「こんなつまらない冗談は言いません」
「…………」
ジャイルズが何かを言いかけて、無言のまま口を閉じる。察してくれたのだろう。次に口をひらいたときには話題が変わっていた。
「ラティエル、私は騎士で身を立てるつもりだ。王位継承権は勝手に放棄できないが、別の形で貢献できれば爵位を与えられ、一貴族として生きていける」
「ジル兄様……、なぜそんなことを?」
「その質問に答えるには、手順を踏む必要がある。先に魔女師匠の課題をクリアしなくてはな……」
いったい母とどんなやり取りをすれば、一貴族に下る心境に至るのか。ラティエルもそれがわからないほど鈍くはない。
母はラティエルが王家に嫁ぐのをよく思っていない。だからジャイルズは爵位を賜わろうとしている。
(でもその気持ちは……偽りのもの。わたしが女神の愛し子だから)
これ以上、引き延ばすのはよくない。早く女神の剣を回収して、ジャイルズを解放するべきだ。今のラティエルには友達がたくさんいる。家族も愛してくれている。寂しいなんて子どもじみた気持ちは捨てなければ――取り返しのつかないことになる。
曲が終わり、互いに礼をとる。
ジャイルズに手を差し出され、ラティエルはすなおに重ねた。兄のところへ連れて行ってくれるのだろう。
「あ……れ? ジル――ジャイルズ殿下、兄がいるのは向こうです」
にこにこと微笑んで、どこへ連れて行くつもりだ。兄とは逆方向へいそいそと進んでいく。ジャイルズから手を離そうとして、次の言葉に動きが止まった。
「おいしい生ハムが入ったんだ。食べるだろう?」
「もちろんです!!」
あっさりついていくラティエルの肩を、追いかけて来たアデルがつかんだ。
「待て、さすがにふたりきりになどさせないぞ。婚約もしてないのに」
「アデルも来るといい。生ハムうまいぞ?」
「もちろんです!」
「……兄妹だな」
ふとジャイルズが、何かを思いついたようにアデルを手招きした。ふたりともラティエルに背を向け、こそこそ内緒話をしている。
「もう、先に食べちゃうんだからね!」
ふたりを待たずに食事コーナーへ進む。すぐそばの柱の陰から人の気配を感じて身を引く。くすりと笑い声が聞こえ、顔をのぞかせたのは兄弟子のパトリックだった。
「……あ、リック兄様⁉」
「お久しぶりです、ラティエル嬢」
八年ぶりなのにすぐ気づけたのは、眉毛に特徴があるからだ。太眉で先が二股に分かれている。それも相まってとても雄々しい顔立ちだ。
「ラティエル嬢。十六歳以上が飲める発泡性果実酒を、飲みたくはないですか?」
「飲みたいです! ……けど、まだあと三ヶ月は待たないと」
「みんな、別室でこっそり飲んでいるんですよ」
「――ええっ⁉」
「こちらへどうぞ」
ついて行きたい。ちらりとジャイルズを窺えば、まだ兄と話をしている。ふたりを気にするラティエルに、パトリックが耳打ちする。
「おふたりも、あとでお連れしましょう。でも、いらっしゃらないうちに飲まないと、怒られてしまうかもしれませんね?」
それもそうだ。兄は意外とルールにうるさい。それにジャイルズとは十六歳まで子どもでいる約束をしている。知られたら止められてしまうだろう。
「行きます!」
ラティエルが消えたあと――交渉を終えたアデルとジャイルズは、青ざめた顔で会場をひっくり返すことになるのだが、ラティエルの知ったことではなかった。




