第十一章 06 ラティエルの初めて
皆の視線はラティエルではなく、入場口に集中しており、人垣の隙間からピンク色の髪をした集団が見えた。集団と言っても四人だが、女性がふたりに男性がふたり。男性のうちひとりはハーヴィーで、もうひとりは生徒会長のディーン。
その四人を引率している金髪の男性は、威風堂々としている。
「お兄様、もしかして先頭の御方が」
「ああ、カストル辺境伯閣下だ」
それはつまり、王兄殿下であらせられるということだ。挨拶に並んでいた貴族たちが前を譲っていく。あっという間にたどり着いた壇上で、国王陛下はにこやかに出迎えた。会話は聞こえないが、とくに不和があるようにも見えない。兄弟仲は悪くないらしい。
「ねぇ、お兄様」
「なんだ?」
「ピンクの魔力って強いのね」
「――は?」
なぜなら、カストル辺境伯をのぞいて皆、まごうことなき薄紅色の髪なのだ。こちらの世界では、血脈にあらわれる魔力の色というものがある。シリウス家は黒髪が生まれやすく、王家は星の瞳といったふうに。
もともと初代国王は黒髪と星の瞳を持って生まれたが、いつしか偏りが起き、両方を持ち合わせる王族はいなくなってしまったという。
このように持って生まれた魔力の性質が色素にあらわれるため、同じ一族に同じ色が集まりやすい。
「どこから入って来たんだろう? ピンクの魔力……」
「ラティエル、頼むから人前で変なことを言わないでくれよ」
王家から籍を外されたとはいえ、カストル辺境伯は王兄と認識されている。ラティエルだってそのくらい心得ているつもりだ。
むぅっと眉根を寄せたラティエルの眉間を、アデルがつつく。
「それからいい加減、貴族の仮面を身に着けてくれ」
「うっ……、はい」
アデルと言い合っているうちに、挨拶をすませたハーヴィーがやって来た。その後ろにはカストル家が勢ぞろいしている。
「ラティ、家族に紹介したいんだけど、いいかな?」
「あ……うん」
アデルの顔色を窺いながら頷く。両親同士は仲が悪いかもしれないが、ラティエルたちには関係のない話だ。アデルも止めることはなかった。
ハーヴィーに手を向けられて紹介を受ける。カストル辺境伯アーサーは、金髪に星の瞳を持った王族の風格ただよう御仁。口もとだけで微笑んで、ラティエルたちを興味深く見ている。
隣の女性カストル辺境伯夫人ロザリンは、天使のような微笑みでラティエルたちを包んだ。
「まぁ、あなたたちがセレーネ様の! ラティエル様はセレーネ様によく似てらっしゃるわ。今度ぜひ遊びに来てね。もちろんセレーネ様と一緒に」
「は……はい、ありがとうございます」
――あれ? とラティエルは内心で首を傾げる。
両家の仲が悪いのは、貴族なら誰でも知っているほどなのに。そんなこと微塵も感じさせない心からの笑顔だ。上辺だけの笑顔ならラティエルにだって見抜ける。
(わだかまりなんて、まったく感じられない)
とはいえ、母からしてみれば婚約者を奪った憎い相手だろう。ラティエルとしては仲よくしたいが、どうしたものか。
「――で、姉のルイーズと、兄のディーンはもう知ってるよな」
紹介を受けてルイーズがニッコリと微笑んだ。居並ぶピンク色のなかでも赤みの強いコーラルピンク。レジーナよりも若く見える。もしかしたらマルティナと同じくらいの年齢か。ちゃんと貴族名鑑を頭に入れていないからこうなる。
(帰ったら勉強しよう……)
ディーンが一歩進み出た。カストル家の中で“星の瞳”を受け継いだのは彼だけのようで、ルイーズは青色、ハーヴィーはロザリンと同じ緑色だった。
「ラティエル嬢、今日は生徒会の手伝いをありがとう。滞りなく終わってよかった。またお願いするよ」
「……はい、お手柔らかに……お願いします」
もうドレスを引き裂さかれたくない。どうか役員の手綱を、しっかりと握っていてほしい。
ラティエルたちの会話が一段落すると同時に、王族への挨拶も終了したようだ。ダンスフロアに国王王妃両陛下が降りてきて、流れる曲調が変わった。このあとにデビュタントたちがいっせいに踊り出す。
(ジル兄様……本当にわたしと踊る気なのかな? そんなことしたらヴィー様に)
ふいに突き刺すような視線を感じて、その方向へ目を向ける。ハーヴィーの姉ルイーズがフロアを見ているのが目に入り、次いでその斜め後ろにエリスの姿を見つけた。忌々しそうにラティエルを睨みつけている。
(またなの? ドロリスのことで、相当恨まれているみたいね)
エリスとはお茶会のときに会ったのがはじめてだ。一方的に突っかかってきて、フェリシアにやり込められた。ラティエルは何もしていない。
新歓パーティーだってそうだ。ミニスをいじめているだなんて嘘までついて。
(ほかに理由がないし……)
悶々と考えているうちに曲が終わり、拍手喝采で両陛下が見送られる。次はデビュタントたちの番だ。アデルを見上げると、引きつった顔で目を泳がせた。
「お兄様? どうされたのですか?」
「……葛藤している。妹の自由か、状態異常解除付きの剣帯か。くっ……」
「はい? わたしの自由と剣帯になんの因果関係が? お兄様、こっちを向いてください」
第一陣のダンスが始まってしまったではないか。焦るラティエルのそばにハーヴィーがやって来た。
「ラティ。アデルと踊らないなら、俺と――」
「――彼女は、私と約束している」
ハーヴィーの言葉を遮り、ふたりのあいだに白い壁が差し込まれた。上質な白い生地に金の刺繍が美しい。騎士のときには無造作に結ばれていた髪も、今日はカッチリと決まっている。
「ジル兄……あ、ジャイルズ殿下」
思わず出てしまった愛称呼びに、ハーヴィーが顔色を変えた。
「ラティに剣を贈った兄弟子って、まさか……」
――そのまさかです。
ラティエルとて王子であることをさっき知ったばかりなのだ。そんな目で見ないでほしい。ジャイルズの後ろから窺い見たハーヴィーの目は、はじめてグランリザードを見たときと同じで、混沌の色を宿していた。
ハーヴィーを気にするラティエルの視界を、ジャイルズが再び遮る。
「ラティ。少し見ないあいだに、一段と美しくなった。困ったものだな」
「あ、りがとう、ございます?」
褒めてくれるのはうれしいが、困ることだろうか? それを問うのは危険な気がして、逃げの一手をひたすら考える。
「次の曲で入ろう」
ジャイルズがマイペースに事を進めようとするものだから、ラティエルは一歩身を引いた。
「あ、ありがたいお申し出にございますが、まだ身内とも踊っておらず……」
「言っただろう? ラティエルの“初めて”は私がいただくと」
――またそんなことを。
もう我慢ならないと、ラティエルは小声でジャイルズに耳打ちする。
「ジル兄様、何をもって“初めて”と言っているのですか⁉」
「まだ男と踊ったことがないのだろう?」
どうして知っているのだろう。ラティエルは、家庭教師のレジーナとしか踊ったことがない。父とも兄とも、もちろんハーヴィーとも練習することを禁じられていた。
「ハッ、もしかして、レジーナ先生が禁じていたのは、ジル兄様のせいですか?」
「…………。ほら、そろそろ入るぞ」
手を差し出されても受け入れるわけにはいかない。星の石を見たヴィクトリアの顔が、禍々しい瞳が、今でもありありと思い出される。
「お願いです。ほかのご令嬢を……」
「ラティ、私ではだめなのか?」
しょんぼりと肩を落とし、ジャイルズがうなだれてしまった。ギュッと心が締めつけられる。第二王子は『氷の彫刻』と噂されていたはずだ。そんな弱い顔を見せるなど卑怯ではないか。ラティエルだって、踊りたくないわけではない。
(どちらかといえば、ジル兄様と踊りたい。でも……)
男性を相手に踊るのは本当に初めてのこと。うまくいくとも思えない。最初は兄で試したかった。ハーヴィーでもいい。いきなり敬愛するジルの、しかも王子であると言われて一番に踊るのは懐が痛い。もちろん胃も痛いけれど。
「ジル兄様……、足を踏んでしまうかもしれません」
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。いくら踏んでもかまわない」
そう言われてバカ正直に受け取る者などいない。かといって、これ以上断るのも気が引ける。こうなったらもうヤケだ。念のために保険だけはかけておく。
「い、慰謝料もろもろ、請求されないのであれば……」
「フッ、わかった。請求しないと誓おう。――では、あなたと初めて踊る栄誉を、私に」
観念して手を差し出せば、キザな微笑みを見せつけて、ジャイルズが手の甲に口づけを落とす。様子を窺っていたデビュタントたちが色めき立った。四方から黄色い悲鳴があがる。
ダンスの誘いが成立したときの儀礼的なものだとしても、ラティエルには刺激が強すぎた。




