第十章 04 皇子の嗜虐性
「おはよう、ラティエル嬢。君がこの学園の女帝なんだってね?」
「おはようございます、リシャド殿下。それはまったくのデタラメです」
さっそく胃が痛い。リシャドは新歓パーティーに参加していなかった。急なスケジュールで留学が決まったこともあり、学園内の警備がまだ整っていないためだ。
胃をさすりながら席に着いても、リシャドはついてくる。ラティエルの前の席に座って、しげしげと顔をのぞき込んだ。
「ぼくもその場で見たかったなぁ。きみってあんな悪人面できるんだね」
「あれは撮影者の悪意です」
「――失敬な! 私は真実しか写さない」
突然会話に割って入ったのは、ラティエルの前の席の――
(……誰だっけ?)
首をかしげたラティエルを一瞥して、男子生徒が自己紹介をはじめた。
「おはようございます、リシャド殿下。ハダル侯爵が嫡男、ヒューベルトと申します」
「……、ぼくに何か用かな?」
にっこり微笑むリシャドから冷気が発せられ、ラティエルの肝が冷えていく。会話に割り込んだうえ、侯爵令息から皇子に声をかけるだなんて不敬極まりない。常識的にはそうなのだが。
(殿下、そこはヒューベルト君の席です!)
なんて言える度胸があれば、新聞記事ごときにうろたえていない。ヒューベルトを見上げると、心得ているとばかりに頷いた。
「とんでもございません。ただ、ここで待つことをご容赦いただければ幸いです」
ため息とともに「そう」と言ってリシャドがやり過ごそうとする。さすがのラティエルもムッとした。
(ヒューベルト君は、写真の罰として立っていればいいけれど……)
この皇子は授業がはじまるまでずっと彼の席に居座り、ラティエルの胃に負担をかける気なのだ。そんなの許せない。
リシャドが口をひらこうとする前に、ラティエルはヒューベルトに話しかけた。
「ハダル様、先ほどの口ぶりからして、あなたがあの写真を撮ったんですね?」
「いかにも」
「あの記事もあなたが?」
「記事は別の生徒だ。私は念写専門なのでね」
「わたしはあんな悪人面してな――」
「――ラティエル嬢」
ヒューベルトに顔を向けていたラティエルの頬を、リシャドが両手で包み、ゆっくりと自分のほうへ向けさせる。婚約者でもない男性が、理由もなく体に触れるのはマナー違反だ。反射的に振りほどかなかった自分を褒めてやりたい。相手が皇子でなければ引っぱたいている。
(なんか嫌だ。ジル兄様と違って……気持ち悪い)
体を引こうとしたラティエルを逃がさないように、リシャドはグッと力を入れる。といっても力を入れたのは両の小指だけ。耳下の顎骨に小指を引っかけているのだ。
(痛っ……、こいつ! 手慣れてる)
これなら見た目には優しく頬を包んでいるようにしか見えないだろう。それにラティエルを見る目も、かける声もひどく優しい。
「ぼくと話しているときに、ほかの男を見るなんて。悪い子だね?」
まるで愛をささやくかのような声音で、こてんと首をかしげる。それだけで女子生徒たちからは黄色い悲鳴があがった。ひとりの女子を除いて。
「リシャド殿下、わたくしの従妹を離してくださいませ」
フェリシアの固い声音によって、ラティエルの頬……否、顎は解放された。リシャドはパッと明るい雰囲気に切り替え、上目遣いにフェリシアを見上げる。
「おはよう、フェリシア嬢。もしかして、妬いちゃった?」
「……そうですわね」
「これは申し訳ない。でもぼくは、ふたりとも大切に思っているんだ」
ラティエルの隣までやって来たフェリシアの手が震えている。それを押さえ込むようにしてギュッと拳を作り、フェリシアは美しく微笑んだ。
「ふふ、光栄なことですわ。わたくし、必ずや女帝の座を奪って見せますの。リシャド殿下も、応援してくださるでしょう?」
「もちろん。女帝はやはり、きみにこそ相応しいよ」
教師が入室し、リシャドはウィンクを飛ばして自分の席へ戻っていった。ラティエルはやっと肺に空気を送り込み、フェリシアの手をそっと握った。




