第七章 04 見覚えのある魔人
すっかり春めいたころ、兄が王立貴族学園に入学するため屋敷を出る。全寮制で帰って来られるのは週末か長期休暇だけ。次はおそらく夏休みになるだろう。だからとラティエルに釘を刺す。
「ラティ、俺がいないあいだ、ひとりで狩りに出かけるんじゃないぞ」
「わかってるって。お兄様が夏休みになるまで我慢するわ」
ラティエルだって女の子だ。狩りしか趣味がないわけじゃない。キラキラ光るものが大好きだ。アデルの馬車を見送って、ラティエルは温めていた計画を実行する。
「ではお母様、行って参ります!」
「あなたって子は……。来年のデビュタントに向けて、ドレス代は貯めているの? 家計からは出さないわよ?」
「もちろんです! それとは別に稼いだお金ですから」
「……、それなら何も言うことはないわ。いってらっしゃい」
剣士のような格好にフードつきマントを羽織り、魔法で作った土馬に跨がる。これから鍛冶屋へ向かうのだ。ドレスでは決まりが悪い。
(稼いだお金で足りるといいけど……)
魔獣から魔核を取り出すためのダガーナイフを手に入れたい。できれば防御結界を自動で張ってくれる魔石つきのものが欲しい。
「お待ちくださいっ、お嬢様!」
「ティナ……?」
門前で後ろから呼び止められ振り返ると、マルティナが走って来るところだった。
「ティナ! 走ったらだめでしょう?」
「ハァ……ハァ、だ、大丈夫です。お嬢様」
家庭教師レジーナの妹マルティナは、ラティエルの侍女となった。しかし一年間も寝ていたので、激しい運動は禁止。特に力仕事は絶対にさせるなと母からお達しが出ている。いつもなら目ざとく止めるレジーナの姿が見えない。
「レジーナ先生は?」
「本日はお休みをいただき、騎士団へ向かいました」
「騎士団へ?」
「はい。お世話になった方がいらっしゃるようで」
恋の予感にラティエルの顔が輝く。
「それって……レジーナ先生のイイ人だったり?」
「ええっ⁉ どうでしょう……、もしそうなら、重ねてお祝いしなくては!」
「重ねて?」
「はい。姉の誕生日が近いので、何か贈りたいと思いまして。お嬢様は商店街へ向かわれるのでしょう? お供させていただけないでしょうか」
「そうなんだ。わたしも何か……あ、後ろに乗って!」
土馬をぺたんと座らせて、ワンピース姿のマルティナには横座りしてもらう。ゆっくりと立ち上がり、振動が少ないよう気をつけて走らせた。
「大丈夫? つらくない?」
「はい、とっても快適です」
目的の“鍛冶屋通り”に近い路地裏で土馬を降りる。魔法の馬は目立つから、人通りの多い街中ではやめなさいと両親に言われていた。言いつけを守らないと、あとでひどい目に遭う。
『森からすぐに戻るように』という言いつけを破ったときには、兄と一緒に早朝から浮遊滞空訓練を日が沈むまで課せられた。あれは精神的に消耗する。地面が恋しいと心底思った。二度とやりたくない。
「ここからは歩いて行くわ」
「はい、お嬢様。……でも、こんな路地裏で降りなくても」
「あ~……、ティナにとってはこわいよね。ごめん、すぐ大通りに出るから」
ラティエルはへっちゃらだが、路地裏なんて普通の令嬢が足を踏み入れる場所ではない。
あと一区画で“鍛冶屋通り”に出る。その手前の丁字路に差しかかったとき、前方から警ら隊が、左側の道からは騎士たちが押し寄せてきた。思わず後ろに下がると、そちらからも騎士たちが迫ってくる。みんな鬼気迫る形相だ。
「ええっ、なんなの?」
「お嬢ちゃん!! 逃げろ!」
左手から聞こえるこの声は、森で会ったリオンだ。逃げろと言われても、三方向から追い込まれ、後ろは民家の壁だ。
(逃げ場なんてないよ⁉)
それに、いったい何から逃げるというのか。――悠長に首をひねっているときだった。頭上に怖気を感じ、マルティナを抱きしめてその場を飛び退く。さっきまでいた場所に何かがビチャリと落ちた音がした。
振り返って確認するよりも先に、マルティナが悲鳴をあげた。
「キャアァァ――!!」
甲高い声に、その何かが興味を示した。背中にねっとりとした視線を感じる。非常にまずい。失神したマルティナを支え、逃げる機会を逃してしまった。動くにはもう遅い。
「全員待機!! 挑発するなよ! お嬢ちゃん、動けるか? ゆっくりとこっちへ」
動きたくともマルティナを置いては行けない。気絶した人間を運ぶには、身体強化魔法をかけないと無理だ。自身に魔法をかけるだけで、相手を刺激するかもしれない。
目を合わせていないのに背筋が粟立つ。マルティナをそっと壁にもたれかけさせ、しゃがんだまま、ゆっくりと後ろを振り向いた。
(こ……れは……)
人の形をとってはいるけれど、皮膚は濁った緑色で爛れている。前世の知識から引っ張ってくるならば、ゴブリンのなり損ないといったところか。肩や手足は肥大化して筋肉質な男のようなのに、胸にはふくらみがふたつあり、ウェストだけ異様に細く見える。
(……あのときの)
八歳のときに見た禍々しい魔人が、目の前のゴブリンと重なっていく。あのときの魔人はマルティナだった。そして今、目の前に立っているのも――苦痛に顔を歪めた人間だった。しかも女性だとわかる体つきで、その瞳や顔立ちには見覚えがある。碧い瞳にサンディブロンドのたてがみ。
引き寄せられるようにフラリと立ち上がった。
「ドロリス……なの?」
似ているけれどそんなはずはない。彼女は服毒死したのだから。それならなぜ、右足が黒く変色しているのか。まるでドロリスであると証明しているかのようだ。




