第七章 02 優しい獅子親
急にあらわれた正体不明の何かは、見慣れた動物だった。
「あ、ウサギさんだ!」
ラティエルが駆け寄ろうとしたところを、レオネルが止めに入った。
「ラティエル、よく見なさい。あれは牙ウサギだ。れっきとした魔獣だよ」
「あんなに小さくてかわいいのに?」
「あれが人里に下りて来て、畑を荒らすんだ。あの牙で突かれると最悪の場合、人間の子どもは死んでしまう。放っておくわけにはいかないんだ」
レオネルに剣を構えるよう言われ、鞘から引き抜く。その剣先はラティエルの気持ちをあらわすかのように揺れる。今まで見てきた魔獣は凶悪な姿をしていた。それに比べると、目の前の魔獣は歯が伸びすぎただけの、無害なものに思えたのだ。
荒くなっていく呼吸を落ち着かせるように、レオネルが肩に手を置く。
「誰かが倒さなければ、力のない者たちに害が及ぶ。その誰かは、力を持つ我々貴族の責務なんだ」
平民は魔法が使えるほどの魔力を持たない。強い魔力を持つのはほとんどが貴族だ。レオネルはしゃがみ、横からラティエルの顔をのぞく。
「でも、ラティエルは女の子だからね。騎士ではなく、結婚して家を守るという道もある。剣を下ろしてもいいんだよ?」
――逃げてもいい。
レオネルの声音はひどく優しかった。甘い誘惑が心を揺さぶる。この剣を下ろせば、目の前の生き物を斬らなくてすむ。
剣先がわずかに下がったときだった。牙ウサギがこちらに気づき、赤い目を吊り上げた。かと思えば一気に跳躍し、レオネルに向かって飛びかかる。
「ダメ!!」
振り上げた剣は魔獣の首を捉え、体は訓練どおりに動いた。
「見事だ」
レオネルの大きな手が、ラティエルの震える手を包む。
「ラティエル。『傷つけるためではなく、守るために剣を取れ。殺すためではなく、生き残るために剣を振れ』。これはレグルス家の家訓だ。魔獣を憐れに思うなら、苦しまないよう一撃で仕留めなさい」
「ハッ、ハァ……ハァ……」
体の震えが治まらない。レオネルは剣を下ろさせ、ラティエルを優しく抱きしめた。
「騎士になったとしても、命を奪うことに慣れる必要はないんだ。心を痛め、悩んでいい。だが、戦闘中に歩みを止めるな。守りたいものも守れなくなる」
「は……はい」
それから半刻ほどは歩いただろうか。――突如、鼻を突く異臭とともに、巨大な芋虫が地中からあらわれた。ぐらぐらと地面が揺れる。一匹どころではない。すっかりまわりを取り囲まれた。
「まぁ、集まってくれてありがたいわ。手間が省けたわね」
「そうだな。私は前方を切りひらこう」
「ではわたくしは後方を。ふたりとも、お手本は一度だけ。よく見ておくのよ」
レオネルは剣に光魔法をまとわせ、横に一閃を放つ。前方に立ち塞がっていた芋虫五体を一気に引き裂いた。まっぷたつになった芋虫は、稲妻を食らったように断面が焦げている。
次はこちらだと言わんばかりに、セレーネが短い呪文を詠唱した。氷属性の魔法だろう。芋虫たちはカチンコチンになってしまった。最後にセレーネが扇子を振り下ろすと、氷漬けの芋虫はパキパキと音を立てて霧散した。
ラティエルは息を飲む。
「っ……、跡形も残ってない」
この魔法を使っていたら、今ごろマルティナは欠片も残っていないだろう。セレーネがまわりくどい手を使った理由がよくわかった。
「ワームの素材は高値で売れないから消しちゃっていいわ。でもグランリザードはだめよ? あれは余すところなくお金になるの」
「いやぁ……、一応ワームにも魔核があるんだけどね」
頬を掻き、レオネルはワームの体から赤黒い石を取り出した。森で吸い込んだ瘴気が体内で結晶化したものだ。浄化して使えば様々なエネルギー媒介になるという。セレーネはそれすらも破壊したらしい。
ラティエルたちは騎士を目指しているので、基本的にレオネルと同じ方法を取る。持たされた真剣に得意な魔法をまとわせ、見よう見まねで斬撃を繰り出す。何度かやっているうちにコツはつかめたが、レオネルとは違い、一撃で一部を削ぐのがせいぜいだ。これでは魔獣を苦しめてしまう。
アデルもラティエルもすっかり自信を失い、肩を落とした。
「「むずかしいよ……」」
「あら、はじめてにしては上出来よ? これなら洞窟にも進めそうだわ」
「そうだね、行ってみるか」
ラティエルたちは肩で息をしつつ、この一年間で忘れていたことを思い出す。
(そうだった。お父様は鬼だし、お母様は悪魔だった……)
親恋しさにすっかり優しい親として記憶を書き換えていた。いや、優しいのは事実なのだが、その優しさが、千尋の谷へ落とす獅子親のそれなのだ。
父獅子が困ったように眉尻を下げる。
「ふたりとも強くなってくれないと、お父様は心配で夜も眠れないよ。一番大きな洞窟をまわろうか」
母獅子が不安げに頬へ手をあてる。
「わたくしだって、ふたりがもっと効率よく魔力を使えるようにならないと、お外に出してあげられないわ」
親獅子たちはニコニコしながら洞窟に入り、全長二メートル超えのグランリザードを焚きつけた。翼のないドラゴン――前世でいう恐竜のような姿をしており、炎を吐くものもいれば毒を吐くものもいる。
グランリザードはラティエルを見つけると、ニィッと目を細めて突進してきた。
「ラティ、あぶないっ!」
叫んだアデルが足を切りつけてもグランリザードは揺るがない。硬い皮を切るには魔法をまとわせないとだめなようだ。
「なんでっ、わたしばっかり狙うの⁉」
いくら泣いても魔獣は待ってくれない。それでも兄妹で協力しあい、なんとか倒し終わった――はずだった。
「まだいるわよ~」
笑顔で手を振るセレーネの後ろには、三頭のグランリザードが……。
こうしてラティエルは地獄のような実戦デビューを果たした。
涙のあとが残るラティエルの頬を、セレーネが労るように包む。
「ラティエル、まだ教えてなかったわね」
「なにを?」
「女神の愛し子には魔獣が寄って来やすいの」
「ええっ⁉」
「だから愛し子には力が与えられているのよ。といっても、感知できる範囲にいればの話。遠くから呼び寄せるわけではないから、安心して」
それでラティエルばかりに寄って来るのか。今は倒す手段を持っているからいいけれど、子どものころは本当に苦労した。隣でアデルが憐憫の目を向けている。
しかしレオネルは違った。
「悪いことでもないよ。エクリプスに三体も遭遇できたのは、セレーネのおかげだと思っている」
「「エクリプス?」」
「伝説のブラック・グランリザードだ。滅多といない激レア魔獣だよ」
ラティエルは戦慄した。いつか自分も遭遇するかもしれない。
レオネルはにこやかに続ける。
「さぁ、グランリザードを解体しよう」
「「……はい」」
取り出した魔核を女神の空間に入れてもらおうとしたら、ペッと吐き出されてしまった。不浄のものは受けつけないようだ。
「素材を収納するときは、これを使いなさい」
セレーネに差し出されたのはなんの変哲もない巾着袋。ところがこの袋に、グランリザードがまるまる一匹分収納できるという。物質を縮小する魔法陣が刻まれており、入れたものは時が止まって劣化しない。生きているものは収納できないことと、容量に制限はあるが、空間魔法が使えない人には必須の魔道具だ。
万屋ギルドは金庫番も兼ねており、ギルドチップには売った素材のお金が登録される。
グランリザードの鱗や牙、魔核が数字に置き換わっていく。お金を得た実感にラティエルたちが感動したのも束の間、セレーネが笑顔で言い放った。
「ふたりとも、お金の稼ぎ方はわかったわね。これからは学費も装備代も、魔獣を倒して稼ぐのよ」
「「ええっ⁉」」
「お母様もこうやって、ひと財産稼いだの」
「ははは! セレーネは桁が違うからなぁ。聞いたら驚くぞ?」
楽しそうに笑うレオネルに、アデルが食いついた。
「――どれくらいなの?」
「そうだな、国が一年間まわるくらいかなぁ」
「こ、国家予算……」
「あなたたちもすぐに追いつくわ」
――無理です! と突っ込める雰囲気ではなかった。両親の笑顔に気圧される。これはできるできないの問題ではない。やるしかないのだ。
それから毎週、アデルと一緒に狩りを続けた。両親は後ろで見守っている。いっさい手を貸さないけれど、いてくれるだけで心強かった。
父が領に戻っても母がつきそってくれる。父がいないときの母は、少しだけ過保護だった。
――ダメ出しが多いという点で。




