第六章 03 婚約者はいらない
以前よりも話をするようになったアデルと居間のソファで向かい合い、ラティエルは悩みを打ち明けた。
「お兄様、やっぱりお尻を叩き過ぎたせいでしょうか? 亀のせいじゃない気がするんです」
「……唐突に、なんの話だ?」
「フレッドが、もう友達にもなれないって」
「まぁ、尻を叩く女の子と友達にはなりたくないな」
「ハァ……、ですよね。もうお尻を叩くのはやめます」
力なくうなだれた肩からショールが滑り落ちていく。もはや直す気力もない。しかし、アデルは意外な言葉を返してきた。
「たしかにあの戦法はどうかと思うが、男と同じ方法で戦っても不利なだけだぞ? 背が低いうちはあの戦法でいいんだよ」
「で、でもハーヴィーに言われたんです。お尻を叩いていると、友達ができないって」
「何を今さら。それこそ父上の狙いどおりだ。できないのは男友達だけだから、問題ないだろう?」
「……お父様の、狙いどおり?」
頭の中はハテナマークでいっぱいだ。ラティエルに男友達を作らせたくないなら、なぜフレデリックを婚約者として連れて来たのだろうか。
「フレッドは、お父様のお眼鏡にかなったということですか?」
そんな人をラティエルは怒らせ、嫌われてしまった。
ますます垂れた頭がローテーブルにぶつかりそうだ。
アデルはやれやれと頭を掻いた。
「あのな、ラティ。お前には昔から求婚の手紙が絶えなかったんだ」
「球根? 手紙から?」
「そっちじゃない。婚約の申し出だ」
「ああ……、えっ?」
「母上のようにゾッとする美人をベースに、父上の甘いマスクをくわえたものだから、愛敬のある美人に仕上がった。つまり、手を出しやすい」
「もうちょっと言い方ってものが……」
褒められているのか貶められているのか、わかりづらい。
「そこで父上は考えた。婚約者の末路がどうなるか、知らしめるために……。最初からフレッドは、スケープゴートだったんだよ」
「す、すけ……つまり、生贄? そんな、お父様がそんなことするわけ――」
「お前、父上のことを、脳筋の優男としか思ってないだろ」
ギクリと体を揺らし、「め、めっそうもない」と口にしつつも、ラティエルは目を泳がせる。
「いいか。伝説の悪役令嬢と名高いあの母上を、手中に収めた男だぞ? 腹の中は真っ黒だ」
「ひえぇ……」
「――そこまでよ!」
セレーネが扇子を片手に優雅に歩み寄る。居間のドアはあいていたから、ずっと聞いていたのかもしれない。
「アデル、ラティエル。お父様はその辺の腹黒とはわけが違うの。濁りのない純粋な黒なのよ。わかるかしら?」
「「…………」」
腹の黒さにもいろいろあるらしい。それについては理解できないが、母も認めるほど父が腹黒いことだけはよくわかった。
ラティエルはふと、セレーネの手にあるペンダントに気がつく。ラピスラズリのような青い石のペンダントはラティエルのものだ。
「お母様、動物を変更してくれたのですか?」
「ええ、遅くなってごめんなさい。ねぇ、ラティエル。亀のことがなくても、ピーコック伯爵令息とはうまくいかなかったと思うの」
「そうですね……。あの、しばらく婚約者はいりませんから」
「わかったわ。――さぁ、ペンダントを着けてみて」
「鳥さんにしてくれたんですよね?」
「…………、えぇ」
答えるまでの間はなんだ。声も裏返っていた。どうして目をそらすのだろう。不安になったラティエルは、星のペンダントを受け取りつつ、セレーネと目を合わせようとがんばった。
「お母様、なぜ顔をそむけるの?」
「その、いじってたら楽しくなっちゃって……とりあえず、着けてちょうだい」
渋々と姿見の前に移動して、ペンダントを首にかける。セレーネの指示に従い、ペンダントの石を握って、『変幻』と呪文を唱えた。――直後、体が縮むような感覚に襲われ、視線を上げると、鏡の中には不思議な生き物が映っていた。
(ウサギ? いいえ、顔は猫だわ……体も。あ、でも尻尾はキツネみたいにフサフサ)
全身が黒い毛並みなのはラティエルの髪の毛を媒介にしているからだ。背中には注文どおり、鴉のような黒い翼がある。鳥類でお願いしたはずが、顔も体も猫のそれなのに、耳はウサギのように長く、尻尾同様フサフサだ。鏡の中、ラティエルの後ろでアデルがそわそわしはじめた。触らせないよ?
『お母様、これはなんですか?』
「う~ん、言うなればキメラね」
『キ、キメラ……?』
「鳥の姿になっても、魔力が乏しい状態では空高く飛べないの。だから、猫のようにしなやかな肢体も必要でしょう? まわりの音を拾えるように耳も長くないと。尻尾は寒いときに巻きつければ暖かいわ」
セレーネは自分が苦労したときの反省点を踏まえ、ポラリス魔宝伯から聞き出した秘伝の方法で改良をくわえたという。
『そ、それでこんな形に?』
「本当は腕の形も変えたかったのよ? クマのような手にしておけば、不届きな輩を仕留められるわ。さらに顔を山羊にできれば視界がとっても広がるの! でも、わたくしにそこまでの技量はなかったわ。ごめんなさいね」
『……いえ、もう十分です』
頭が山羊で黒い翼があれば、それはもう悪魔の象徴ではないか。討伐隊が組まれそうだ。この程度ですんだことに感謝するしかない。
隙あらば触ろうとするアデルの手を、振り向きざまに尻尾ではたく。
『お兄様は魔道具を着けないのですか?』
「男はいらないんだよ。持ってたら笑われる」
『でも、ジル兄様は持ってましたよ?』
「あの人は母君が魔道具師だからな」
魔力切れを起こすこと自体が恥ずかしいことらしい。だからその対策として魔道具を持っていることは、自らを無能と喧伝しているようなものだと、アデルは言う。
(男のプライドって厄介ね。対策しておくほうがよっぽど賢いのに……)
ふたりの会話が途切れたのを見計らい、セレーネが切り出した。
「そうそう、ラティエル。お茶会に行きたがっていたわね。午後から、出かけるわ。準備しておいて」
『はいっ!』
「変幻は『解除』と唱えれば解けるわ。魔道具をなくさなければね」
セレーネのように魔道具を失えば変幻が解けないばかりか、人間の言葉も発することができなくなるらしい。
(ペンダントは絶対になくさないようにしなくちゃ!)
変幻を解いたラティエルは、乳母のアンナに手伝ってもらい、よそ行きのドレスに着替える。アンナを含む解雇された使用人たちは、そのほとんどが戻って来た。家令ジェームスの采配で、別邸などへ匿っていたらしい。
「やっとお嬢様もドレスに興味を持ったのですね。安心いたしました」
「ドレスは別に……、ただ、お友達が欲しいなって」
「左様でございましたか。本日のお茶会、楽しみですね」
「うん!」
そこへ耳ざとい家庭教師から指摘が入る。いつの間にそばへ来ていたのだろうか。
「お嬢様、『うん』ではございません。『ええ』または『はい』と答えましょう」
「……はい、レジーナ先生」
「それから、一人称は『わたくし』としてくださいね」
支度が終わって馬車に乗り込むまで、レジーナの指導は続いた。
馬車の中、向かいに腰かけるセレーネにどこへ向かっているのかと聞く。
「今日はアルタイル侯爵家のお茶会よ。長女のブリジット様は第一王子の婚約者候補と言われているの。仲よくしておいて損はないわ」
「えっ、王子様の?」
王子の婚約者候補だなんて、すごい人なのではないかと、ラティエルは気後れしてしまった。しかし、セレーネは別のところに引っかかったようだ。
「王子様が気になる?」
「いいえ! まさか」
「ラティエル、わたくしは王家と直接関わるのは反対よ。ろくなことにならないわ」
「本当に違いますから……」
「それとね、ポラリス魔宝伯のことだけど。技量で認められた爵位は一代限りなの。血筋で継げるものではないから、息子が跡を継ぐことはない。この意味がわかるかしら?」
一代限りの爵位は、子どもに継がれることはない。つまり、その子どもは平民として暮らしていくということだ。
「ラティエル、わたくしはあなたに苦労してほしくないの」
「……お母様、誤解があります」
「まぁ、何かしら?」
「わたしとジル兄様は兄妹のような関係です。それ以上はありえません!」
キッパリと言い切ったのに、セレーネは首をかしげた。
「あんなに仲がいいのに?」
「アデル兄様に嫌われていると思っていたので、ジル兄様に甘えてしまっただけです」
ラティエルの気持ちは敬愛の念であって、恋慕ではない。初対面ではジルのことを女の子だと思って声をかけたのだ。どんな女の子よりも美しいジルに、恋をすることなどありえない。今だって心の中では“姉”だと思っている。
ジルのほうも、女神の剣を持っているからラティエルに優しいだけだ。
「そこまで言うなら、ジル様との婚約は断ってもいいかしら?」
「――へ?」
「あなたが婚約を解消した直後にお手紙が来たの。でも、まだ落ち込んでいたようだったから」
「そうですね。婚約はもう……」
「わかったわ、ラティエル。本当に好きな人と結婚なさい。家はアデルが継いでくれるし、あなたは自由に生きていいのよ」
『好きな人と結婚する』という、前世ではあたりまえのことが、こちらの世界ではむずかしい。本来なら他家とのつながりを強固にするため、貴族は政略結婚するものだ。それをしなくてもいいと、セレーネは言ってくれたのだ。
「ありがとうございます。お母様」
微笑み合う母娘を乗せた馬車は、アルタイル侯爵家の門をくぐった。




