第六章 02 亀とは結婚できない
光が収まり目をあけると、ラティエルの目線はベッドの高さと同じになっていた。体の下にあるのは木の椅子だ。しかもうつ伏せになっている。
(お母様? ……声が出ない。魔力切れになったんだわ)
ということは、ラティエルは亀の姿だ。ペンダントに触れても人間には戻れない。すべての魔力を女神に差し出してしまったのだから。
ラティエルがため息をつくと同時に、ベッドからも呼吸音が聞こえた。
「――マルティナ⁉ レジーナよ、わかる?」
「ね……さま……?」
「まぁ⁉ ラティエル、見てごらんなさい!! よくやったわ」
セレーネに抱き上げられ、マルティナの顔が見えた。顔は青白く、細いままだがしっかりと意識がある。ただ、声を出しづらいようで、レジーナがお水を飲ませた。
「ここは、どこでしょうか?」
「レグルス辺境伯様のお屋敷よ、あなたは一年近く眠っていたの」
「一年も⁉ 学園は……、はっ、それよりお姉様! ご無事なのですね?」
「マルティナ、一年前に何があったの?」
「…………あら? お姉様に危険が……迫っていると……、どうしてそう思ったのでしょう?」
マルティナは片手で頬を押さえ、必死に思い出そうとする。レジーナとセレーネは目を合わせて頷いた。
「マルティナさん、今は体調を取り戻すほうが先よ。何か運ばせるわ」
「お言葉に甘えましょう、ティナ。――お嬢様、奥様、ありがとうございます」
「いいのよ、ふたりとも積もる話があるでしょうし、わたくしと娘は失礼するわね」
亀になったラティエルを抱えてゲストルームをあとにした。セレーネがメイドに指示を出してすぐ、アンナから来客の報告を受けた。
「ラティエルお嬢様への面会なのですが、お嬢様の姿が見当たらなくて」
おろおろするアンナに、ここにいるぞと主張してもわかってくれない。しかも客人はフレデリックで、すでに応接室へ通しているという。
「あらそうなの? ラティエルならここにいるわ。参りましょう」
(はい⁉ お母様、正気ですか? わたし今、亀なんですけど?)
ジタバタしてもセレーネには伝わらない。いや、これは面白がっているに違いない。婚約者が亀になったら、フレデリックはどういう反応を示すのか。興味津々と顔に書いてある。
必死にセレーネの腕から抜け出そうと試みたが、応接室に着いてしまった。セレーネに気づいたフレデリックが立ち上がる。
「お初にお目にかかります。ピーコック伯爵家が嫡男、フレデリックと申します」
「ご丁寧にありがとう。ラティエルの母、セレーネですわ。訳あって娘は今、亀になっておりますの」
「…………かめ?」
「ええ。ほら、こちらに」
そう言ってセレーネは、ラティエルを向かいのソファに置く。
「これは……亀、ですね」
ソファにうつ伏せたラティエルを凝視して、「亀、亀だ……」とフレデリックが繰り返す。セレーネはにっこりと微笑んだ。
「今は魔力切れで人の言葉を話せませんが、聞くことはできますので、どうぞごゆっくり」
「ま、魔力切れで……亀? いや、ちょっと待っ――」
「愛の力があれば、乗り越えられますわ。おーっほほほっ!!」
フレデリックがセレーネに手を伸ばすも、さっさとドアの向こうへ消えてしまった。観念したのかラティエルのほうを向く。
「本当に、ラティなの?」
亀はブンブンと首を縦に振る。そうか、とフレデリックはソファに座りなおした。
「新年のパーティーをしないというから、プレゼントだけ贈ったんだけど、どうだったかな?」
モジモジするフレデリックを見て、亀は頭をプルプルさせた。
(見てない……、もらったこともぜんぜん知らないんだけど。まさかフレッドからのプレゼントもミニスが⁉ どうしよう)
あくせくと手足を動かしてみるが、何も伝わらない。声を出そうとしても「キュッ」としか言えない。やはり一方的に聞かされるというのは、よくないことだと思い知った。
「「…………」」
気まずい沈黙が部屋を満たす。先に耐えられなくなったのはフレデリックのほうだった。
「ごめん、ラティ。やっぱりボク、亀とは結婚できそうにない」
「キュッ⁉」
「苦手なんだ……爬虫類。だから、この婚約は解消させてほしい!」
「キュッ⁉ キュッ! (待って⁉ 魔道具の設定を変えればすむ話だから!)」
「……それに、キミが言ってたように、価値観が合わないんだと思う」
「キュウゥ……。(そっか、それなら仕方ないよね)」
「お尻は叩くし、ひと斬りで四分割とか言っちゃうし。女の子がする発想じゃないよ」
「ギュ……キュゥッ(それは……お父様の受け売りで)」
「贈ったドレスは着てくれないし、ボクの言うことはひとつも聞いてくれない」
「キュゥ……。(ごめんなさい)」
固い甲羅を装備しているくせに、言葉の刃は受け止めてくれない。ぜんぶラティエルの心に直撃していく。満身創痍で亀はピクリとも動かなくなった。フレデリックが立ち上がる。
「ラティエル、ドレスを着て女の子らしくしてるキミが好きだったよ。さようなら」
「キュッ! (フレッド!)」
亀の姿では引き留めることもできない。去って行くフレデリックの背中を、寂しい気持ちで見つめていた。
恋をしていたわけではないが、弟のようには思っていた。婚約解消するのはいいが、せめて『これからはお友達でいようね』と笑顔で握手をしたかった。亀にはそれすら許されないのか。
後日、セレーネがピーコック伯爵家を訪ね、正式に婚約は解消された。あとから手紙を送ってみたが、『亀とは友達になれない』との返事がきて、ラティエルはあえなくベッドに沈んだ。




