第六章 01 女神との交渉
行儀が身につくと、母親に同伴してお茶会へ参加するのが貴族の習わしだ。けれど、ドロリスがラティエルをお茶会に連れて行くことはなかった。まだ一回もお茶会を経験していない。王立貴族学園に入るまでには友達を作っておきたい。
母に相談しようと思い立ち、ラティエルは母の部屋へ向かった。
ラティエルがお茶会デビューをお願いすると、セレーネは快諾しつつ「その前に頼みたいことがある」という。
「レジーナの妹、マルティナさんのことよ。魔獣のような姿から人間には戻せたけれど、彼女の魔力をほとんど奪ってしまったの。今は冬眠状態ね。いくら魔力を与えても目を覚ますには足りないようなの」
レジーナには引き続き、ラティエルの家庭教師をしてもらっている。王都のタウンハウスにも連れてきた。いまだ目覚めないマルティナと一緒に。
セレーネがずっと魔力を与え続けて延命しているが、一向に目を覚ます気配はない。
「このままだと、わたくしの魔力はいつも不足したままだし、マルティナさんの体にも負担がかかる。それでね、星の女神にお願いできないかしら?」
「女神の力なら、マルティナさんを目覚めさせられるのですか?」
女神の力で願いを叶えてもらうと、魔力をかなり持って行かれるから、母は躊躇していたのだろう。セレーネが倒れてしまえばこの家は手薄になってしまう。そう考えたラティエルだったが、セレーネは首を横に振った。
「わたくしが契約している月の女神には断られてしまったわ。愛し子以外の人間には関与できないって」
「そんな……」
そういえば、アイリスからもらった指導書にも書いてあった。女神は基本的に人間の生死に関わらない。命を奪うことはもちろん助けることもしない。女神が命を守る相手は、愛し子である聖女だけ。
だから“聖女の呪文”が編み出された。女神の力を強制的に引き出せるように。
「望みは薄いけれど……、星の女神は元・掟の女神だから、神の掟を熟知しているわ。もしかしたら、罰せられない方法で助けられるかもしれない」
「神様も罰せられるの?」
「もちろんよ。掟を破ってまっぷたつにされた女神もいるのよ」
「あっ⁉ もしかして、愛の女神?」
「あら、知っていたのね」
やっぱりか。ロマティカが下級女神に落ちたのは、掟を破ったせいだった。もし掟にそむくことになるなら、アストローダに強くお願いはできない。まっぷたつなんてかわいそうだ。かといって、マルティナを放置することもできない。
「聞くだけ聞いてみます」
「ありがとう、ラティエル」
もし助けることができたなら、いつもお世話になっているレジーナに恩を返せる。ドキドキしながらラティエルは客間へ向かった。
客間の寝室では、レジーナが甲斐甲斐しくマルティナの世話を焼いていた。
「あら、お嬢様? 奥様も。何か御用でしたか?」
「ええ。例の話なのだけど、ラティエルに任せてみようと思うの」
「……お嬢様に? 大丈夫でしょうか」
レジーナが不安そうな顔をしたことに、ラティエルは頬をふくらませる。
「先生! わたしだって、やるときはやるんです!」
「そういうことでは……、魔力をかなり消費すると聞きましたわ」
「別に、魔力が切れたら亀になる、だけ……」
――ああ、亀になるんだった。
ガッツリえぐられる乙女心に蓋をして、ラティエルは胸を張る。
「と、とにかく、アストローダにお願いしてみます!」
ベッド脇の椅子に腰かけ、痩せ細っているマルティナの手に右手を重ねる。深呼吸をひとつして、星の石を左手で握り、目を閉じて女神に話しかけた。
(女神アストローダ、お願い。マルティナさんを目覚めさせてほしいの)
突如――まばゆい光に包まれ、浮遊感を覚えた。そっと目をひらくと、先ほどまでいた寝室ではなく、いつか見た白い東屋の中にいた。
棚があるほうへ目を向ければ、女神アストローダが天秤を持って立っている。
『ラティエルよ、我が面倒をみるのはお主だけだ。他人のことには関与しない。命に関することは特にな』
「そこをなんとか……」
『我の力を強制的に使いたいなら、呪文を構築すればいい。成功するかどうかは術者次第だが』
心で願うのとは違い、聖女が呪文を唱えれば、強制的に女神の力を使うことができる。ただし、使える言葉にはさまざまな規則があり、今のラティエルに呪文構築はむずかしい。指導書に載っているものを応用するのが精一杯だ。
「お願いです! 何か、方法はないのですか?」
アストローダは何かを言いかけて、ふと考えるような仕草を見せた。
『ふむ。……ないこともないが、これはかぎりなくグレーな案件だ』
「グレーって?」
『あの娘は他者の魔力で体をつないでいる。このような状況においては、生死の書き換えとは取られないだろう』
人間の命に関してはとても慎重なようだ。
思案顔のアストローダに、ラティエルはまくし立てる。
「じゃあ、いいですよね? ねっ?」
『そうだな……、等価交換に応じるならば、あの娘が目覚めるだけの神力を吹き込んでやってもいい。ただし、今回かぎりだ』
「本当ですか⁉ ありがとうございます!! やったぁ!」
バンザイをしながらラティエルはぴょんぴょん飛び跳ねる。
アストローダは額を押さえた。
『待て。我の話を聞いていたか? 等価交換に応じれば――』
「――応じます!」
『……、まぁいい。では、この天秤の左の皿に神力を置く。右側にはお主が差し出せるものを置いていけ』
アストローダは、水瓶のような形のローテーブルに天秤を置く。巨大なアストローダの膝丈ほどあるテーブルは、九歳のラティエルにとって顎ギリギリの高さだ。
左の皿には光る玉が載せられ、天秤が左に傾いた。これを水平にすればいいのだろう。
「差し出せるもの……、魔力ではダメですか?」
『かまわぬ。遠慮なくいただこう』
アストローダがラティエルに手をかざすと、体からごっそりと力が抜けた。アストローダの手中に収まった魔力は光の玉となり、右の皿に載せられた。しかし、天秤はほんのわずかにしか動かない。
ラティエルは首もとのペンダントに目を落とす。
「このペンダントに込めた魔力も差し上げます」
『いただこう』
同じように光の玉となった魔力が右の皿に載る。天秤はまたわずかに沈んだが、水平にはほど遠い。
アストローダは片眉を上げ、『降参するのか?』とでも言いたげだ。
(ほかに何か……、差し出せるものは)
ふと、女神の後ろを見れば棚があり、ラティエルが空間魔法で納めたものが並んでいる。
「後ろの棚にあるものは、わたしのものですよね?」
『そうだな』
「では、棚から……何か、高価なものを……」
宝石にもドレスにも興味のないラティエルは、高価なものなど持っていない。これは詰んだ――そう思ったとき、アストローダがそわそわしはじめた。
『……食べ物なんか、いいかもしれないな?』
「へ? そんなものでいいんですか?」
『特に菓子はポイントが高そうだ』
「はぁ……」
アストローダは棚から、焼き菓子の詰まったバスケットをテーブルに下ろす。ラティエルは首を傾げながらも、マドレーヌのカゴかクッキーのカゴか、どれがいいかと物色する。
『……ぜんぶ載せたら、いいんじゃないか?』
しれっと口にしたアストローダを怪訝な目で見やる。焼き菓子がなくなった犯人は、ロマではないかもしれない。掟の女神から神格を落とされたのは、食い意地のせいではないだろうか。突っ込みたい気持ちを抑え、棚から下ろされた三つのバスケットすべてを皿に載せていく。
アストローダは満足そうに微笑んだ。
『見よ、天秤が水平になった』
「嘘でしょう⁉」
ラティエルの魔力とペンダントの魔力を合わせたよりも、焼き菓子のほうに価値があるというのか。
ラティエルは決意した。もうこの女神に魔力はやらないと。そして、戻ったら焼き菓子をたくさん用意することを心にメモった。
『お主の願いは叶えられた。戻るがよい』
またも強い光に包まれて、今度は落下する感覚に襲われた。




