第五章 07 危険なリボン
「――そこまでですわ」
おっとりした女性の声が場に落ちる。紫のローブを着た団体に、領兵団が道をあけていく。
魔術師団に守られて悠々と近づく紫紺色のローブ。フードを目深に被り、口もとを布で覆っている。あれはポラリス魔宝伯アイリスだ。
一瞬だけ、オモチャを取り上げられたような顔をしたセレーネだったが、すぐに取り繕い、礼をとった。
「……ポラリス魔宝伯、ご無沙汰しておりますわ」
「ええ、本当に。ご無事で何よりですわ」
「どうしてこちらに?」
「うちの放蕩息子を回収しに来たのですけれど……、ついでに生ゴミも回収いたしましょう。土に返される前に」
アイリスが『放蕩息子』と言ったタイミングで、チラリと顔を向けられた気がする。ラティエルに抱かれたままのジルドラゴンが、ビクリと跳ね上がった。ジリジリとラティエルの背中に隠れていく。
(このドラゴン、本当にジル兄様なのかな? かわいい)
ラティエルの肩から顔をのぞかせたドラゴンに話しかける。
「ジル兄様は、ポラリス魔宝伯家の方だったのですね?」
ドラゴンが目を泳がせるという貴重な瞬間を見てしまった。アイリスはツカツカと歩み寄り、ドラゴンのたてがみをつまみ上げた。
「息子が迷惑をおかけしてごめんなさいね」
「いえ! ジル兄様にはたくさん助けていただきました! 本当に感謝しています」
「そう……。あなたがセレーネ様の娘であることが残念だわ」
「へ? なぜでしょうか?」
「ジルのお嫁さんになってほしいけれど……、きっと許されないわね」
「えっ、あの、ジル兄様はただの兄弟子で……」
おかしな方向に話が飛んでラティエルは困惑するばかりだ。アイリスに捕まったままのドラゴンがジタバタと騒がしい。
「さて、ジル。新年の挨拶中にいきなり転移したそうね? 何事かと大騒ぎになったのよ。もう少し、立場をわきまえなければなりません。いいですね?」
アイリスの顔は見えないが、おっとり声に怒気が含まれている。ブンブンと首を縦に振るドラゴンを見て、少しだけ声がやわらいだ。
「長距離転移とは無茶をしたわね。王都からどれだけ距離があると思っているの? ドラゴンから戻れないなんて、普段から魔道具に魔力を溜めていなかったのね?」
そこへレジーナが、申し訳なさそうに口をはさんだ。
「おそれながら、よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「ジル様は転移後、魔道具で人の姿に復活されまして……、こちらの小屋に張られていたセレーネ様の結界を破られたのです。その後、呪いの解除もなさり……」
「まぁ! セレーネ様の結界を⁉」
アイリスの声に喜色が混ざる。セレーネはもう取り繕わなかった。口もとは微笑んでいるが、目が据わっている。
「アイリス様、わたくしの研究室への損害……ご請求させていただきますわ」
「あっ、あらら? まずは帰って、主人に相談を……」
「そうだわ! アイリス様、お願いがございますの」
逃げ腰のアイリスを捕まえて、セレーネが耳打ちする。何を話したかは聞こえなかったが、アイリスの深いため息はよく聞こえた。
「わかりましたわ。それで手を打ちましょう」
「さすがアイリス様ですわ!」
「ハァ……。ジル、帰りますよ」
「――ああ、お待ちになって!」
セレーネはミニスが手にしていたリボンを抜き取り、アイリスの面前に掲げた。
「こちらも引き取ってくださいませ。物騒で敵いませんわ」
「これは……、っ⁉ まぁ!! ジル……、あとでゆっくりお話しましょうね」
「――キュッ⁉」
アイリスに怒気が戻った。あのリボンがいったいなんだというのか。それにあれはラティエルへのプレゼントだ。
「アイリス様、それは誕生日プレゼントにジル兄様からいただいたもので……」
「そうね。今度お詫びの品を贈らせますわ」
「えっ? いえ、そのリボンで――」
ラティエルが手を伸ばそうとするのを、セレーネが阻んだ。
「ラティエル、あのリボンには魔法がかかっているの。それは他人を傷つけかねないわ」
「魔法が? いったいどのような?」
「……ラティエル以外の髪に触れると、あの子みたいに髪の毛が切れてしまうの」
セレーネが指差した方向には、散切り頭のミニスがいる。
(ひいぃ……)
ということは、お世話をしてくれる侍女やメイドの髪に当たってしまった場合にも切れてしまうということだ。それはさすがに危険すぎる。
信じられない気持ちでアイリスを見上げると、そっと顔をそむけられた。ジルドラゴンは『何が悪い?』とでも言いたげにふんぞり返っている。
「ごめんなさいね。ジルにはよ~く言って聞かせますから。では、わたくしたちはこれで……」
むんずとドラゴンのたてがみをつかみ、アイリスは去って行った。一緒に来た魔術師たちがドロリスとミニスを連行していく。しばし呆然としていたラティエルは、女神の剣について聞きそびれたことを思い出す。
(しまった……。次ぎに会ったときには必ず聞こう)
ほかにも大人たちを捕まえて、聞きたいことが山ほどある。けれど、すぐ横にいた兄と母の会話を聞くうちに、考え事はすっかり飛んでしまった。
「アデル、ひとりでがんばったのね。妹を守って偉かったわ」
「っ……、守れてない! 守れなかった……」
「お兄様……?」
「毒を盛られたんだろう? 小屋に入れたのは間違いだった」
「……小屋から出るなと言ったのは、わたしを守るためだったんですね」
あの小屋は兄にとっても大切な場所だ。そして一番安全な場所だと知っている。だからラティエルを閉じ込めた。すべては妹を守るために。ラティエルと一歳ちょっとしか変わらない兄にできる、最良の手立てだったのだろう。
「ふたりとも、たくさんお話しましょう。八ヶ月分の積もる話を」




